40 話し合い
同時に背後から修司ですら分かるほどに膨れあがる濃密な敵意。驚いて振り返ると、普段は無表情なアイリスですら、はっきりと嫌悪の感情を浮かべて女を睨み付けていた。
「あら。勇者様に魔王様。私は争う気はありません。怖いのでそんなに睨まないでくださいな」
「貴様、何しに来た」
問うたのはケイオスだ。女ははてと首を傾げて、
「これはおかしなことを聞きますね。母が我が子を迎えにくることに、理由など必要ですか?」
「私たちに依頼したくせに」
吐き捨てるようにアイリスが言って、女は困ったような苦笑を浮かべた。
「いつまで待っても、帰ってきませんでしたから。仕方なくこうして出向いたというわけです」
確かに、理屈としては間違ってない、かもしれない。普通なら、だが。
メルは、修司の後ろに隠れてしまっている。その姿は怯える幼子そのもので、必死になって修司にしがみついている。見捨てないでほしい、という思いが伝わってくる。
安心させるために頭を撫でると、メルは上目遣いに修司を見つめてきた。
「大丈夫だ」
頷いて、女へと向き直る。そして言った。
「まずは自己紹介、だよな。俺は霧崎修司。この子の、今の父親だ」
「これはご丁寧に。ディネルースです。ディーネとお呼び下さい。その子の、本当の母親です」
なるほど。
「俺、お前のこと好きになれる気がしないな。帰れ」
「あら。初対面で随分なお言葉ですね。傷つきます」
はははと笑う修司と、うふふと笑うディーネ。二人揃って目が笑っておらず、笑顔の応酬だけで威圧感がある。お互いに笑顔で睨み合っていると、食堂の方から院長が歩いてきた。
「お前ら、とりあえず中に入れ。玄関で騒ぐな」
「ああ、うん。そうだな」
一番の正論なので、修司はとりあえずそれに従うことにした。
自室に荷物を置いて、メルと共に食堂に向かう。普段なら必ず誰かが忙しそうに何かをしている食堂だが、今日ばかりは院長やディーネといった当事者しかいない。静かな食堂はそれだけで寂れた印象を受けてしまう。
院長とディーネは、机を挟んで向かい合って座っていた。二人の前にはお茶が出されているが、湯気は立っていない。かなり前に出されて手つかずなのだろう。
アイリスとケイオスは食堂の出入り口の側で立っている。出て行く気はないようだが、かといって話し合いに参加するつもりもないらしい。ただ、二人からは視線だけで何かを訴えられた。
そして修司とメルは、院長の横に座った。院長の隣が修司、その隣がメルだ。二人が椅子に座ってから、院長は口を開いた。
「さて、ではこうして当事者も帰ってきたことですし、改めて用件をお伺いしましょう」
「用件も何も、お伝えしたではありませんか。私は家出をした自分の娘を迎えに来ただけですよ」
「家出、ね。家出するにはそれ相応の理由があると思うけど?」
修司が言うと、ディーネはあら、と手を頬に当てて、
「それは家庭の事情というもので、あなたには関係ないと思いますよ? それに、家出なんてよくあることでしょう。あなたも、経験ぐらいあるでしょう?」
「あー……」
確かに、ないとは言えない。全ての子供がそうとは言えないが、家族と喧嘩して家を飛び出す子供は少なからずおり、修司自身も経験があることだ。ただ、少なくとも修司は、その日のうちの解決している。お腹が減って家に帰って、謝って終わり、というものだ。
ただの家出だと言われると、なるほどそうとも言えるかもしれない。家出して、お腹を減らして帰るところで、修司が保護した。だからここに留まっている、と。
「なるほど」
納得二割で頷いた。途端にメルが縋るような視線を向けてくる。心配しなくても、八割は納得できていない。
「家出程度で世界を跨ぐのか? 壮大な家出だな」
「その子は魔法の才能に恵まれていますから。簡単に転移魔法を使えてしまうんです。家出の手段として、見つかりにくい転移魔法を使うのは当然ではありませんか?」
「いや、知らないよ。この世界に転移魔法なんてないし。え? アイリス、家出には転移魔法が当たり前なの?」
「そんな非常識な当たり前はない」
振り返ってアイリスへと聞けば、ばっさりとアイリスが切って捨てた。わずかに目を細めるディーネに、アイリスが続ける。
「そもそも転移魔法そのものが、簡単に使えるものじゃない。シュウの側にいるのが私たちだから感覚が狂ってると思うけど、魔法の天才でも儀式が必要になる大魔法」
「俺たちは魔力量に物を言わせて行使しているだけだ。家出程度に使えるものではないし、協力する馬鹿もいない」
「…………。私が全部言うつもりだったのに」
ケイオスが補足して、何故かアイリスとケイオスが睨み合った。何がしたいんだこいつらは。
「ですから、前提条件が違うのです。メルはその転移魔法を簡単に使えてしまうからこそ、家出に使った、という話ですよ」
「ん……」
「ふむ……」
異世界組二人が口ごもる。何というか、頼りになりそうで、ならない。
「というよりもですね、そんなに難しく考えることでしょうか? 家出して保護されていた子供を、母親が引き取りにきた、というだけのことですよ? 何故拒むのですか? 子供は母親と一緒にいるものでしょう」
「それは、まあ……。そうだな……」
修司としても、本来なら実の両親と共にいることが最善だとは思う。理由があって行き場をなくした子供がここにいるべきなのであって、親にその気があるのなら、やはり親子は一緒にいるべきだ。少なくとも、修司はそう思っている。
「お待ちいただけますか?」
黙って成り行きを見守っていた院長が口を挟んできた。全員の視線を受けた院長が続ける。
「そもそもとして。何故この子は家出をしたのですかな?」
「あー。そうだな。何よりもそれだな」
そうだ。当たり前のことだ。確かに親にその気があるのなら親子は一緒がいい。だがそれは、まともな親なら、ということだ。メルが頑なに帰ることを拒むということは、それ相応の理由があるはずだ。
「ちょっとした口論の結果ですよ。それぐらいの子供が頑なになることなんて、よくあることでしょう?」
それは否定できない。だが、メルはこの年にしてはしっかりしている。一時の感情で家出して帰らない、なんてことをする子ではない。
しかしそれは、結局のところ感情論だ。修司としてはこの女にメルを任せるつもりなどないが、しかし今のところこの女が正しいとも思える。だからこそ、院長も口を挟まずに苦い表情を浮かべているのだから。
「メル」
修司が名前を呼ぶと、メルは体を大きく震わせた。怯えている、と一目で分かる。やはり、この女に任せることはできない。
「俺はメルが大切だ。ずっと一緒にいたいと思ってる。その気持ちに偽りは、ない」
「あら。それが作られた感情でも、ですか?」
「だから……。何だって?」
壁|w・)いろいろなネタばらし回が続きます。
一行目、一文字下げてないのは元々です。実は前話の最後の一文と同じ段落なのです。
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ではでは。