36
夜。真っ暗なテントの中、修司はそっと寝袋を出た。修司が離れてもメルは起きない。ぐっすりと夢の世界を楽しんでいるらしい。幸せそうな寝顔だった。
持ってきたかばんの一つを持って、外へと向かう。途中アイリスの側を通ると、アイリスが目を開けてこちらを見つめてきた。急に視線を向けられると心臓に悪いのでやめてほしい。
「あー……。ちょっと晩酌に。メルを頼む」
「ん。飲み過ぎないように」
「ああ」
再び目を閉じるアイリスの側を通り、テントから出る。そうしてテーブルの方を見ると、寝る前に見たそのままの姿で、ケイオスが本を読んでいた。その彼が、視線だけでこちらを一瞥する。そのまますぐに、本へと視線を落とした。
「どうした、父上殿」
「ちょっと晩酌でもしようかなと。ケイオスもどうだ?」
「酒か。頂こう」
ぱたんと本を閉じてテーブルに置く。修司はケイオスの向かい側に座ると、かばんから缶ビールを取り出した。銀色のパッケージの、有名なビールだ。その一本をケイオスに投げ渡す。
「開け方は分かるか?」
「ああ。勇者に教わった」
「そっか」
二人でビールを開けて、中身をあおる。二人で一気に飲み干して、ぷは、と修司は声を上げた。
「ああ、うまい。久しぶりに飲むとまた格別だ」
「ふむ。普段は飲まないのか」
「仕事があるからな。それに、メルの視線もあるし」
でも今日ぐらいはいいだろ、と修司が言うと、ケイオスは薄く笑ったようだった。
「ビールしかないのか?」
「ん? あとは日本酒かな」
かばんから一升瓶を取り出す。地元のメーカーが作っている酒だ。開封して、一緒に持ってきた紙コップに注ぐ。ケイオスに渡すと、興味深そうにそれを見つめていた。
「見た目は水だな。アルコールの臭いはするが」
そうして一口。飲んだ直後に、ケイオスは目を見開いた。
「ふむ。美味い。俺はこちらの方が好みだ」
「そっか。じゃあ今晩はこっちにするか」
「む。いいのか?」
「一人で飲んでも寂しいだけだしな」
それに、男同士で飲むなんて機会はあまり得られない。修司がそう言うと、ケイオスは一瞬だけ目を見開き、そして細めて微笑んだ。
「そうか。そうだな」
「ああ」
二人で酒を飲む。さすがにこれは一気に飲もうとは思わない。少しずつ、味わって。
「この世界には慣れたか?」
飲みながら修司が問いかけると、ケイオスは少し考えて、それなりにと答えてくる。どうやらアイリスと違い、ケイオスはあまり馴染もうという意志はないらしい。
「父上殿。忘れてないか? 俺は魔族だ。今は人の姿を取っているが、実際は最初の姿だぞ」
「あー……。そうか……。そうだったね」
つい忘れそうになるが、ケイオスの姿は異形のそれだ。人間ではない。もしかすると、ずっと窮屈な思いをさせてしまっているのかもしれない。それは少し、申し訳ないと思ってしまう。
「気にするな。まあ、父上殿が愛し子と共に我が国に来てくれれば解決だがな」
「それは断る」
「残念だ」
くつくつと魔王が笑う。そこに邪悪さなど欠片も感じられない。修司から見ると、ケイオスはただの人のように見えてしまう。そう見せているだけ、というのは分かっていても、だ。
「でも、本当にメルを連れて行こうってまだ思ってるのか?」
修司が問うと、ケイオスはにやりと酷薄な笑みを見せた。背中が冷たくなるような、そんな笑みだ。
「当然だろう。力尽くでは愛し子に嫌われてしまうからしないだけだ。そうだな、良い機会だ。我が国の良い部分を朝まで語り尽くしてやろう」
「げ」
なにやら墓穴を掘った気がする。修司が頬を引きつらせるのと同時に、
「聞き捨てならない」
テントからアイリスが出てきた。
「む。勇者。何用だ」
「魔王がそのつもりなら、私だって考えがある。私の国の良いところを語り尽くす」
「面白い。ならばどちらが先に父上殿に興味を持ってもらえるか、勝負だ」
「上等」
俺を巻き込むな馬鹿野郎。そう思って、そして実際に口に出しても二人の態度は変わらず。結局修司は二人のお国自慢を朝まで聞くことになってしまった。
晩酌は一人でしよう、と心に誓ったのは言うまでもない。
朝。太陽が昇り始めた頃に、テントからもぞもぞと微かに音が聞こえてきた。未だお国自慢を続けている二人を残して、テントの中に戻る。テントの奥で、メルがぼんやりと虚空を見つめていた。
「おはよう、メル」
近づいて、頭を撫でてやる。メルは修司を見ると、ふんにゃり、という音が聞こえそうなほどにだらしない笑顔になった。
「おとうさーん」
ぎゅっとメルが抱きついてくる。よしよしと撫でてやれば、メルは幸せそうに頬を緩める。
「早起きだな。偉いぞ」
「えへへー。もっとほめてもいいよー? もーっと、なでてもいいよ?」
「仕方ないなあ!」
「きゃー!」
ちょっと強めに撫でてやれば、メルは楽しそうな声を上げる。そのままメルの両脇に手を差し込んで、持ち上げる。こてん、と首を傾げるメルを、かばんの側まで持って行った。
「まずは着替え。遊ぶのはそれから」
「はーい」
地面に下ろしてやると、メルはすぐに着替えを始める。着替えといっても、メルの服はシャツとスカートが一枚ずつという、女の子としてこれでいいのか、というものなのですぐに終わる。選びもしていない適当な服装なのに、素材がいいのかそれでもかわいく見える。
さすがは俺の娘。もちろん親のひいき目は過分にある。
新しい服に着替えたメルを連れてテントの外へ。そこにいた二人は、
「おはよう、メル」
まるで口論などなかったかのように、二人とも笑顔の挨拶だ。少々呆れてしまうが、何も言うまい。
「おはよー! 朝ご飯、もう待ってる?」
「まさか。勇者は先ほど起きたところだったぞ。ゆっくり作るといい」
「ん。そう。起きたところ。朝食、楽しみにしてる」
あの国自慢合戦はなんだったのか、あうんの呼吸で嘘をつく二人。何も言うまい。
「うん! がんばって作る!」
早速とばかりにメルは修司の手を引っ張った。
壁|w・)勇者と魔王が時々読んでいるのは実はラノベという裏設定。
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ではでは。