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「どう?」
アイリスが修司の隣に立つ。修司はどう答えていいのか分からずに少し言葉を考えて、
「素直に、すごい。いや、本当に」
「そう……?」
「うん。すごいな、アイリスは。驚いたよ」
「ん……」
アイリスの頬が緩む。褒められて嬉しそうにしている姿は年相応のものだ。自分に褒められた程度で何を喜んでいるのだろう、と思いながらも、未だに走り回るメルを止めるために奥へと進む。
「勇者、お前まさか本当に……」
「黙れ」
「ぐふう!?」
「おお!? 今何か変な声がしなかったか!?」
くぐもった悲鳴のような声が聞こえて振り返ると、ケイオスがうずくまって震えていた。おそらくケイオスが余計なことを言ったのだろう。少し呆れつつ声をかける。
「何やってんだ?」
「何でもない」
「いや、でも……」
「何でもない」
「あ、うん。分かった」
触らぬ神になんとやら、だ。先ほどとは違って威圧感を覚えるアイリスから逃げるように、修司はメルを追った。
テントの中に荷物を置いて、修司はメルとともに川に来ていた。川は広いが深くはなく、修司の膝にも届かない。ただ地図に書いている説明書きには、南側には一部深い場所があるので注意、と記載されていた。一応ネットや柵などは用意されているそうだが、泳ぐのは推奨されないとのことだ。
もっとも、メルはどうやら浅い川で満足しているようなので、心配なさそうではある。
「つめたい!」
この日のために購入したワンピースの水着で、メルは川を走り回っている。修司にとっては浅くても、小柄なメルでは足が全て水の中だ。警戒は怠れない。
「メル。あんまり遠くに行くなよ」
「はあい!」
元気な返事はしてくれるが、戻ってくるつもりはないらしい。肩をすくめて、修司もメルの後を追う。
ふと、残してきたアイリスとケイオスが少し心配になった。何もしていないだろうか。夕食の準備をするとアイリスは残り、ケイオスは親子水入らずを邪魔するつもりはないとやはり残ってしまったのだ。気を遣いすぎだと思う。
「おとうさん! かに! かにがいるよ!」
「ん?」
視線を戻すと、メルが川辺で石を持ち上げていた。どれどれと見ると、なるほど確かに小さなカニがどこかへと逃げようとしていた。
「サワガニってやつかな」
「さわ!」
「うん。さわ。確かテレビでは食べられるってやってたけど……」
「え……」
サワガニをつついていたメルが動きを止めた。さすがに食べるという発想はなかったらしい。修司は噴き出しそうになるのを堪えながら、メルの頭を撫でてやる。
「まあ、食材はあるからな。あまりいじめてやるなよ」
「うん!」
メルに笑顔が戻る。やはり笑顔が一番だ。
他にもいないかとサワガニ探しを始めたメルに、修司は薄く笑っていた。
・・・・・
「いつからだ?」
魔王のその問いかけに、アイリスは面倒そうに顔をしかめました。
修司とメルが川遊びに向かった後、アイリスは夕食のために野菜を切り始めていました。今日はカレーライスにするつもりなので、煮込む時間を作るために早めに調理を始めています。
そのアイリスの隣には、じゃが芋の皮を剥いてくれている魔王ケイオス。暇とのことなので、こうして手伝ってもらっています。それに、何か話をしたそうにしていたので。
そうして二人で黙々と作業をしていると、不意に魔王が聞いてきたのがその内容でした。
「ん。意味が分からない」
「惚けるな。分からないはずがないだろう」
魔王がこちらを睨んで来ます。アイリスは肩をすくめると、
「覚えてない。何となく、いつの間にか、気になってた」
「そう、か……」
魔王が難しい表情で黙り込みます。何を考えているのか、残念ながらアイリスには分かりません。アイリスは皮のむき終わった野菜をまな板の上に並べると、人差し指を軽く振りました。
イメージするのは包丁。求める結果はざく切り。一瞬で野菜は切り終わりました。
「勇者よ。この世界の一般人は指で野菜を切るなどできんぞ」
「…………」
アイリスが動きを止めました。しばらく自分で切った野菜を睨み付けるように見つめた後、諦めて鍋に投入します。切ってしまったものは仕方がありません。次は気をつけます。
「恋、か。俺には分からん感情だな。そんなにいいものか?」
「私のは、いらないやつ」
「ほう?」
正直なところ、アイリス自身は自分の気持ちが恋なのかどうかすら分かりません。ただ、修司とメルという親子を見ていると、心が暖かくなるのと同時に、少しだけ苦しくもなります。嫉妬、というものなのでしょうか。アイリスとしても初めての経験なので、やはりいまいち分からないのです。
「それで? どうするつもりだ?」
やることがなくなった魔王が、暇を持て余しながら聞いてきます。アイリスはやはり面倒に思いながらも、答えます。
「何もしない」
「なに?」
「私は異世界の人間だから。無駄なことは、しない」
修司たちにこの世界での生活があるように、アイリスにもあちらの世界で、勇者としての役割があります。例え自分で望んでなったものではなく、聖剣に選ばれてしまったことが理由だとしても、今のアイリスは人間を救う者なのです。その役割を放り投げるわけにはいきません。
ですが、他でもない、敵対者であるはずの魔王が呆れた目を向けてきました。
「それこそ父上殿を連れて行けばいいだけだろう。お前が愛し子の母親になればいい」
「ん? 母親?」
「そうだ。父上殿と、結婚だったか? それをして、愛し子の母親になればいい」
結婚。それを一瞬だけ想像してしまって。あっという間に、アイリスは顔を真っ赤にしていました。うあ、と意味の無い声を口から出して、手が妙な動きをしています。簡単に言えば混乱です。
「くく。感情の希薄なやつかと思っていたが、なんだ、そんな顔もできるのか」
「……っ!」
「おっと。怒るな怒るな」
アイリスが殴りかかると、魔王は笑いながらそれを受け流しました。集中していなかったとはいえ、むかつきます。
「もっとも、俺には関係のないことだ。俺は今まで通り、父上殿と愛し子を勧誘するだけだ。俺が彼らの親になってもいいわけだからな」
「むう……」
「ふはは。精々悩むがいい。どれ、俺は散歩にでも行くとしよう」
そう言うと、魔王は立ち上がって、何が楽しいのか笑いながら歩き去ってしまいました。
残されたアイリスはその背中を睨み付けていましたが、やがて小さくため息をついて、調理へと戻ったのでした。
・・・・・
壁|w・)ちょっとだけ恋愛要素。彼女の内面はまたそのうちに。
ちなみにハーレムにはなりません。
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ではでは。