16 クッキー
「アイリスも大変なんだな……」
「私はまだある程度の自由が許されてる。勇者だし」
えっへん、と無表情に胸を張る。誇れることなのか、いまいち分からない。
「もしこの世界に居続けるにしても、私ならメルの面倒を見る、よ?」
「はは……。そうだな。アイリスなら事情の説明もいらないし、楽そうだ」
「なら」
「だめだ。そういう対象として見れない。やっぱり好きな人と結婚するべきだ」
「ん……。理想、だね」
アイリスには叶わない願いだからだろうか、いつもの無表情だがどこか寂しそうに見える。修司は何を言っていいのか分からなくなり、思わず視線を逸らしていた。
「あー……。散歩してるんだけど、来るか?」
「ん。行く」
何故か散歩に仲間ができてしまった。別に何かと戦う予定なんてないが、とても心強い仲間だ。もちろん、物理的な意味で。
雨の中、二人並んでのんびり歩く。やはり目的地などないので、ゆっくりとした足取りだ。
修司としてはこうした散歩は好きなのだが、アイリスは大丈夫だろうか。そう思ってちらと振り返ると、視線だけがあちこちへ動いている。その視線が不意に修司と合って、首を傾げられた。
「えっと……。楽しいか?」
「それなりに」
「そうか……」
自分に気を遣っているのかそうでないのか、それすら分からない。
「ところでシュウ。メルは学校?」
「ああ。いつも給食を食べてから帰ってくるから、すぐだぞ」
「給食……」
くう、と何かが鳴った。いや、何かは分かる。分かるが、反応してはいけない気がする。だがそれでも無視するのもどうかと思い、少しだけ振り返ってみる。
目が合った。
「シュウ」
「な、なんだ?」
「お腹減った」
「自分から言うとは思わなかったよ」
気を遣った意味がない。少々呆れるが、シュウもそろそろ空腹を感じてきたのであまり言えない。スマホを取り出して時間を確認してみれば、もうすぐ正午だ。
「昼の二時前にメルたちが帰ってくるから、それからにするつもりだったけど……。耐えられないか?」
「私も一緒でいいの?」
「いいさ。メルも懐いてきてるし」
アイリスは二日に一回はメルと一緒に遊ぶようになっている。主に学校帰り、公園で遊んでいるそうだ。メルとアイリスが一緒に帰ってきた時は本当に驚いたものだ。
アイリスについては、院長には説明してある。メルだけを無理矢理連れ去るようなことはしないだろうと判断しているため、あまり警戒はしていない。メル自身、アイリスのことを今では信用しているようだ。
アイリスと一緒にご飯に行く。メルならきっと喜ぶだろう。
メルたちが帰り道にいつも通る公園で待つことにする。小雨とはいえ雨のためか、人影は少ない。ベンチの水滴を払って、そこに座る。アイリスも隣に座った。
くう、とまた隣から音が鳴る。今度は遠慮無くそちらを見るが、アイリスに変化はない。おそらく腹の音だと思うのだが、ただの聞き間違いではと思ってしまう。
修司はため息をつくと、小分けのされたクッキーを取り出した。メル、そして時折一緒にいる友達用のお菓子として持ち歩いているものだ。そのうちの一つをアイリスに渡した。
「ほら」
「ん? なに?」
「繋ぎ、かな。それで我慢してくれ」
「ん……。ありがと」
クッキーを受け取り、ぱくりと口に入れる。しっかりと噛んで砕いて、呑み込んで。うん、とアイリスは頷いた。
「美味しかった」
「そっか」
「でも余計にお腹が減った気がする」
「…………。だよね」
空腹の時に中途半端に食べ物を腹に入れると、空腹感は増すだけだ。そのことに今更ながら気が付いて、修司は少しだけ反省した。
そのまま待つことしばらく。お互いに無言で静かだったが、嫌な空気ではなかった。これはこれで、悪くない。特に最近は騒がしいことが多かったために、こうした静かな時間も悪くないと思える。退屈だろうに付き合ってくれているアイリスには感謝だ。
そんなことを考えていると、
「あ、おとうさん!」
いつもの元気な声が耳に届く。低学年の一団からメルだけが走り出してきて、迷いなく立ち上がった修司の胸に飛び込んできた。
「おかえり、メル」
「ただいま!」
にこにこと、嬉しそうな笑顔。こちらも嬉しくなってくる。
あ、とメルが声を上げて、修司の後方、ベンチに座ったままのアイリスに気が付いた。
「こんにちは! アイリスおねえちゃん!」
「ん……。こんにちは、メル」
アイリスにも抱きつくメル。こうして見ていると、美少女二人が仲良くしている光景はなかなか絵になる。そう思ったのでスマホで写真を撮っておく。誰かに見せる予定はないが、なかなか良い写真になった。
「あ、おとうさん! 何してるの!」
「写真。ほら」
メルに見せてやると、わあと歓声を上げて喜んだ。続けてアイリスにも見せられて、アイリスには少しだけ冷たい視線を向けられてしまった。反省はしない。
「メル。今日のクッキーだ。友達とわけておいで」
「わあい! おとうさんありがとう!」
ピンク色の小袋に入ったクッキーを受け取って、メルは友達のところへと駆けていく。メルの友達は四人。つまりはメルを入れて五人のグループだ。そのうちメルを含めた三人が施設の子となっている。
「修司さんありがとう!」
「おう」
子供たちからの笑顔のお礼。暇つぶしとはいえ、作ったかいがあるというものだ。
余談だが、男親である修司が手製のクッキーを配っているためか、他の子の母親たちが負けてられないとばかりにお菓子作りがちょっとしたブームになっていたりする。たまにお裾分けをもらうが、やはり本職の母親はすごいと思う。
「クッキーしか作れない人間にケーキで勝負をしかけてくるのはひどいと思う」
「ん? 何の話?」
「いや、こっちの話」
ケーキ片手に、勝負よ! と施設を訪ねてきたとある母親を思い出し、修司は渋い表情になっていた。