15 アイリス
「到着」
ふと気が付けば、施設の前にたどり着いていた。いつの間にここまで歩いていたのか。どうやら自分が思っている以上に、先ほどの不可思議な現象に混乱していたらしい。
「それでは、愛し子様。失礼します」
「愛し子様って呼ばないで。メルだよ」
「では私も、アイリスと」
「うん! アイリスおねえちゃん!」
「……っ!」
アイリスが一瞬だけ動きを止め、次に頬を緩めた。今までの無表情からは考えられないほどに相好が崩れている。気持ちはとても分かる。
すぐに我に返ったアイリスは表情を引き締めると、修司へと言った。
「シュウも。また」
「ああ。……ところで、ずっと思ってたんだけど、なんでシュウなんだ? 俺は修司なんだけど」
「呼びにくいから」
「あ、そう……」
それじゃあ、と小さく手を振って、アイリスは自宅へと帰っていった。
嵐みたいだったな、とありきたりなことを思いながら、修司もメルを連れて施設へと入っていった。
・・・・・
自宅のドアを開けて中に入り、ドアを閉めて。そこでようやく、アイリスは力を抜きました。
アイリスの自宅はワンルームのマンションです。入ってすぐに廊下があって、壁際に流しがあります。廊下の奥の部屋にはベッドと、テレビという不思議な家具。最近は仕事も何もない時はこのテレビでニュースやドラマ、アニメというものを見るのが趣味になっています。
元の世界にはない家具で、とても楽しめています。王様たちにばれると怒られそうです。
ベッドに横になり、リラックス。もうこのまま寝てしまいたくなりますが、明日はまたお仕事です。洗濯などしておかないといけません。
のろのろと体を起こし、玄関の側にある洗濯機へと向かいながら、今日の一日を振り返ります。
実は、とても緊張していました。これほど緊張したのは魔王と戦う時、いえ、それ以上かもしれません。なにせ、相手は愛し子様なのですから。
親代わりをしてくれている修司という青年はあまり深く考えていないようでしたが、神様に愛されているというのはそれだけで脅威となります。
帰り道、アイリスは自分が一番強いと言いました。その言葉に嘘はありません。単純な戦闘能力で言えば、元の世界でもアイリスは魔王と並ぶ強者となります。聖剣に選ばれるというのはそういうことです。
ですが、それはあくまで戦闘能力だけでの話。
もしも。あの子の性格からしてあり得ないと今なら言えますが、もしもあの子にアイリスが邪魔だ、いなくなってほしい、と願われてしまうと、それだけでアイリスは排除されます。どのような形になるかは分かりませんが、間違い無く二度とあの子の前には行けなくなるでしょう。
別の遠い場所への転移かもしれません。元の世界に戻されるかもしれません。もしかすると、即座に命を奪われるかもしれません。その可能性がある、というのが愛し子なのです。
だからこそ、各国は愛し子を手に入れようと躍起になるのです。
もっとも、アイリスはそんな国の方針が気に食いません。愛し子とて一人の人間です。あまりにかわいそうです。
その気持ちは、今日愛し子様と、メルと会って、さらに強くなりました。
笑顔でした。幸せいっぱい夢いっぱい、お父さん大好きの笑顔でした。神様とか関係なく、一人の女の子でした。
唐突に現れた自分なんて信用できないでしょうに、それでも最後は名前を呼んでくれて、おねえちゃんなんて呼んでくれて、笑顔を向けてくれました。とても、良い子でした。
それもきっと、あの青年がしっかりとメルを受け止めてくれているからでしょう。だからああして、無邪気に笑ってくれるのでしょう。
エルフから、母君から受けた仕打ちを考えれば、奇跡と言っても過言ではありません。
国からの命令なので諦めることはできませんが、それでも、もし連れて行くとしても、あの青年は必ず必要になります。その時があれば、絶対に、連れて行かないといけません。でなければ、咎を受けるのは間違い無くあの世界です。
と、そこまで難しいことを考えましたが、今は単純に。とても単純に。
またあの親子と会うのが楽しみになっていました。
あの愛らしい笑顔と、未だ微妙にぎこちない父親をしている青年を思い出しながら、アイリスは珍しく笑顔を浮かべていました。
・・・・・
アイリスと会ってから、一週間が経った。ついに今年も梅雨に入り、今も雨が降っている。その雨の中、修司はのんびりと散歩をしていた。
あれ以降、修司の休みは日曜と月曜で固定されたため、こうして昼間にのんびりと出歩いたりしている。メルも休みなら一緒に遊ぶのだが、月曜である今日は学校だ。メルが帰ってくるまでは、たまにはと散歩をしている。
しとしと。雨が降り続ける。出歩くのも面倒になるような強い雨ではなく、霧雨とも言える弱い雨だ。たまにはこんな日の散歩も悪くない。
散歩をしながら、今後についてのことを考える。散歩は考え事をするのにちょうどいい。
この先、メルのことを考えると、修司もいつまでもフリーターのままではいけないだろう。いずれメルも、父がフリーターであることを恥ずかしく思うかもしれないし、何よりも生活が立ちゆかなくなる。
今でこそ施設で世話になっているが、いつまでも院長の好意に甘えるわけにはいかない。メルと二人で暮らしていけるように、生活基盤を整えなくてはいけない。
そうするとやはり、ちゃんとした仕事で、アルバイトではなく社員になるべきだろう。そうすれば、少し大きめのマンションでもローンで購入することもできるはずだ。
ただ、社員になると融通もきかなくなる。メルに寂しい思いをさせてしまうことは簡単に想像できる。今なら修司が仕事に行っていても施設の子たちがいるのであまり寂しくないだろうが、引っ越しをすれば一人になってしまう。それもまた、問題だ。
「そうなるとやっぱり、いい人を探して結婚、かなあ……」
だが、子持ちのフリーターなど、誰も相手してくれないような気がする。いわゆる結婚活動なるものをしても無駄であることは明白だ。
どうにも、進退窮まっている気がする。修司が唸っていると、
「なら私とか、どう?」
そんな声が聞こえた。振り返り、案の定の人物を見て、小さく苦笑した。
「悪いけど、異世界に行く気はないよ、アイリス」
異世界の勇者アイリスは、それは残念と小さく肩をすくめた。
「あんまり自分を安く売るものじゃないぞ。俺が、是非にとか言ったらどうするんだ?」
「構わない。メルも連れて私たちの世界に行く。全て解決」
「いや、そういうことじゃなくて……。好きでもないやつと結婚なんてして、お前はいいのか?」
「……? 何もなければ、あっちの、好きでもない王子と結婚することになってる」
何を言ってるんだろうというアイリスの返事に、修司は頬を引きつらせた。なるほど、アイリスの世界ではそういうものらしい。王侯貴族がいる世界なら、確かに自由はできないだろう。
壁|w・)今日はここまで。
エルフや母親のやらかしはまたいずれ、なのです。
土日は夜勤のため3回目の投稿時間が今日以上に分かりません。
ブクマ、評価、感想などいただければ嬉しいです。
ではでは。