13 愛し子
施設に夕食を食べてから帰るという連絡を入れて、修司は駅に近いレストランに入った。まだ少し早い時間なので客は少ないが、それでもやはり人の目も耳もある。違う場所の方がいいのではと思うが、アイリスとメルが言うには問題ないとのことだった。
店員に窓際の席に案内してもらう。修司とメルが並んで座り、アイリスは向かい側に座った。早速メニューを開き、目を輝かせるメル。今日一日で散財している修司はそろそろ財布の中身が心許ない。だが嬉しそうなメルを止めることもできずに悩んでいると、アイリスが言った。
「支払いは私がする。シュウも気にせず頼むといい」
「は? お金、持ってるのか?」
「ん。稼いだ」
アイリスがパーカーのポケットからおもむろに一万円札を取り出した。それを修司に差し出してくる。思わず頬を引きつらせる修司に、アイリスは首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、お前……。この金はどうしたんだ?」
「稼いだ」
「どうやって。どこも雇ってくれないだろ」
アイリスの見た目は良くて高校生だ。アルバイトをするにしても、親の確認が求められる。最初は誤魔化せるにしても、同意書なり身元保証なり求められるはずだ。
「苦労した。親のことでうるさかった」
「だろうな」
「だから変身魔法を使った。こう」
そう言った直後、アイリスの姿が変わった。スーツをきっちり着こなしたできる大人といった女性だ。なるほど魔法。ここでも魔法。いい加減にしてほしい。
「でもそれはお前が自分で稼いだ金だろ? ここは俺が出すよ」
「お前じゃない。アイリス」
「あー……。うん。そうだな。アイリスが稼いだお金だろ?」
「構わない。使い道がない。むしろこのために稼いできた。使わせてほしい」
そこまで言われてしまうと断るのも難しい。修司はため息をつきつつも、有り難く使わせてもらうことにした。心のメモ帳に、アイリスに一万借りる、としっかり記してはいるが。
メルがお子様ランチ、修司とアイリスがカレーライスを注文する。アイリスは修司の注文に、じゃあ私もそれで、と被せてきた。まだこの世界の料理に詳しくないので何でも良いらしい。
料理が運ばれてくるのを待たずに、アイリスが言った。
「話を戻す。私はその子を、愛し子様を迎えに来た」
メルの表情が硬くなる。それだけで、メルが望んでいないことが分かる。安心させるようにメルの頭を撫でてから、修司が言う。
「まずはその話をする前に、愛し子様について聞こうか。それはなんだ?」
アイリスの目が怪訝そうに細められ、次にメルへと向いた。今度は気まずそうに目を逸らすメルに、アイリスはさらに半眼になる。なにやら二人で通じ合っているが、修司としては面白くない。
「説明」
修司の声が低くなったことを察したのか、メルがびくりと肩を揺らし、アイリスは頷いた。
「愛し子っていうのは、神様に愛されている子のこと。何をしてもうまくいくし、世界の全てが愛し子に味方する」
「それはつまり、ものすごく運がいいってことか?」
「運、だけじゃない。実際に、魔力が見える人が見れば一目瞭然。神様の魔力を纏ってる」
「例えとかじゃなくて現実にあるってことか……」
「それに、その子に関することで不思議なことはなかった? あなたが暮らす家で引き取る時とか」
思わず修司は言葉に詰まった。心当たりがある。ありすぎる。
身元不明の少女を引き取るために、院長が手続きをしようとして。そのほとんどが何の苦もなく、大した審査もなく、調べられることもなく、あっという間に受理された。あまりに不自然なことだ。
それを簡単に説明すると、アイリスはやっぱり、と頷いた。
「間違い無く、神様が干渉してる。この世界の人々の記憶をねじ曲げる形を使ったかもしれない。ただ、まあ、後遺症とかは出ないから安心してほしい」
それは安心できるのだろうか。思わず頬を引きつらせるのと同時に、ふと疑問に思うこともあった。
「俺と院長は何もないけど、それは?」
「推測になるけど、愛し子様に直接関わってるから。愛し子は神様にとても愛されてる子のこと。神様も、愛し子様が悲しむことは絶対にしない」
「なる、ほど……?」
なんとなくではあるが理解できた気もするが、それにしても曖昧すぎる。全てはどこにいるかも分からない、何を考えているかも分からない、価値観すらも分からない神様が基準となる。思わず修司が頭を抱えると、隣に座るメルが不安そうに見ていることに気が付いた。
じっと、こちらを見ている瞳は潤んでいて。それを見ただけで、自己嫌悪してしまう。
愛し子の話が事実かそうでないか、そんなものは修司には分からない。ただ、メルを引き取ると決めたのだ。今更、放り出すようなことはしない。
「大丈夫だ、メル。俺はちゃんと側にいるさ」
そう言って頭を撫でてやると、メルはぎゅっと抱きついてきた。
「仲が良い」
アイリスの声。顔を上げると、アイリスの表情は少しだけ柔らかくなっているような気がする。ほとんど表情が動かない子のようで、はっきりとは分からないのだが。
「あー……。話を戻そう。迎えに来たっていうのは?」
「そのままの意味。愛し子様を元の世界に連れて帰る」
ぎゅっと。メルが抱きしめてくる力が強くなった。あやすように背中を撫でながら、視線だけでアイリスに続きを促す。
「愛し子様の母君が、愛し子様が行方不明だと、人族の国家と、そしておそらく魔族の国家に連絡してきた」
「あんなやつおかあさんじゃない!」
強い拒絶だった。その言葉に修司だけでなく、アイリスも目を丸くした。
「母君から少し喧嘩したとは聞いたけど……」
「少し! !」
後半は、修司には聞き取れない言葉だった。理由は分かる。メルが、翻訳魔法を切ったのだ。メルは不思議な言葉で強く何を言っていて、アイリスもやはり似通った言葉で落ち着いた様子で受け答えしている。
メルが何故翻訳魔法を切ったのか。それは分からない。修司が知ってはいけないことなのか、それとも巻き込まないようにしてのことなのかは分からない。とりあえずメルの背中を撫で続けておく。
しばらくして落ち着いたのか、はっと我に返りこちらへと振り向いてきた。そしておずおずと上目遣いに言う。
「 」
もっとも、何を言ったのかは理解できなかった。
修司が首を傾げると、メルも首を傾げる。次にアイリスが何かを言って、メルが何かに驚いたのか絶句していた。
「えっと……。おとうさん、聞こえる?」
「ああ。聞こえる」
「良かった……。どうして翻訳魔法が切れたのかな……」