境界の写真
はじめて投稿する短編小説です。楽しんでもらえれば幸いです。
何気なく立ち寄った写真展で見た、一枚の写真。
僕はこの写真に目を奪われていた。
大きなベッドに美しい白人の女性が幸せそうに眠っている。その女性の周りには、様々な種類の花が添えられていた。白黒の写真なので詳しい花の種類はわからないが、どの花も女性の美しさを際立たせている。
誤解のないように説明しておくと、僕は写真家でもなく、芸術が好きな人間でもない。ごく普通の学生だ。病気で入院している母のお見舞いに行った帰りに、写真展を行っているのを見かけたので、興味本位で入ってみただけだった。
それが、こんなにも惹きつけられる写真に出会えるとは思ってもみなかった。
僕はどちらかというと、あまり写真が好きではないからだ。
写真を見るのも程ほどにして帰宅したのだが、帰り道でもあの写真が脳裏から離れなかった。
いや、帰り道だけではない。その日はずっと、あの写真のことばかりを考えていたのだ。
翌日、僕は毎日の恒例となっている母のお見舞いに向かった。
母の容体は、あまりよくないらしい。具体的な病名はわからないが、内臓に疾患があり、体調を崩しやすくなっているようだ。手術をすれば治る見込みはあるようだが、母は生まれつき心臓が弱く、手術を行うのも難しいらしい。僕を産んでからはさらに心臓に影響が出てしまったようで、僕は母が家にいる姿を見たことがほとんどないほど、入院生活を続けているのだ。
「母さん、様子はどう?」
「今のところは、大丈夫よ……」
弱々しく母は答える。その姿を見ただけで、さほど良い状態でないのは察することができる。
「あまり、無理はしないでよ。苦しかったら、いつでもナースコールすればいいんだから」
「わかってる。でも、そう頻繁に呼ぶわけにもいかないでしょ」
迷惑をかけたくないという一心なのだろうが、それで母に何かがあっては元も子もない。
僕は手に持っている見舞い用の花を花瓶に生け、病室を出ようとした。
「さて、僕はそろそろ帰るね」
「もう帰っちゃうの?」
母は寂しそうにしている。病院の中では人とコミュニケーションをとることもあまりないだろうから、僕と話す時間は貴重なものなのかもしれない。
しかし、僕としては母になるべく負担をかけてほしくなく、ゆっくりと休んでいてほしいのだ。
「これから用事があるから」
「用事? どこかに行くの」
「うん。昨日帰り道の途中で写真展をやっているのを見かけてさ。良い写真があったから、また見に行こうかと思って」
「写真ねえ」
母は不思議そうな表情を浮かべている。
「どうしたの、そんな顔して」
「あなた、昔から写真はあまり好きじゃなかったじゃない。それなのに写真展にいくなんて珍しい」
「……確かに、そうかもね」
不思議な心情のまま、僕は病室を後にした。
帰り道の途中、僕は再び例の写真展の会場に来ていた。
写真があまり好きではない僕が、なぜこんなに写真展に行きたくなっているのか。
それほどまでに、昨日見た写真に惹かれているのだろうか。
昨日と同じように、写真を見ながら館内を回り始める。僕には芸術のことはよくわからないが、どれも素晴らしい写真ばかりだと思う。
そして、例の写真の前で止まった。
昨日見たままのその写真は、相変わらず不思議な魅力を持っているように見える。僕はいったいこの写真の何に惹かれているのだろうか。
「また、来たんだね」
不意に、声を掛けられる。声がした方向へ顔を向けると、そこには五十過ぎくらいの男性の姿があった。
「あ、はい……」
「突然声を掛けて申し訳ない。私はこの写真展の主催者でね、昨日も君がこの写真を見ていたのが気になったんだ」
この写真展の主催者。
それなら、この写真について聞いてみようか。
「この写真、なんだか不思議な魅力を持っているように思えて」
「君はこの写真がどういうものなのか、わかるかな?」
主催者の男性に尋ねられる。
この写真が、何を撮影しているのか、というのを聞いているのだろう。
「寝ている女性の姿を撮った写真ですか?」
「なるほど、君にはそう見えるんだね」
他にも違う見え方がある、ということなのだろうか。
「違うんですか?」
「……この写真はね、死後の人間を撮ったものなんだ」
「え?」
突然の言葉に驚く。
「ポストモーテムフォトグラフィーといってね。亡くなった人間をまるで生きているかのように写真に収めたものだ」
男性の話によると、昔は今ほど写真が身近ではなかったらしい。
ヴィクトリア朝の時代である1800年代にダゲレオタイプという写真法が発明された。露光時間をかけて写真を撮っていたため、当時は高価で上流階級の人間やイベントの記録等でないと使えないといわれている。
発明初期のダゲレオタイプは露光時間が数十分かかってしまうため、その間は動くことができなかったらしい。普通の人間が何十分も動かずに同じ姿勢をとり続けるのはなかなか難しいことだ。それ故に、当時の写真は不機嫌な表情のものが多いという。
ダゲレオタイプは1860年代になると、価格が下がって庶民でもなんとか支払えるものとなっていた。それでも高価なものには変わりなかったので、頻繁に写真を撮れるわけではなかった。
そうなると、庶民が写真に収めたいものはよほど大切なものということになる。それが、亡くなった愛する人なのだと、男性は語った。
亡くなった人間は当然動くことはない。それ故に、露光時間に数十分かかってしまうダゲレオタイプとは相性が良いと言えるだろう。写真家たちにとっても、やりやすい仕事だったのではないかという説もあるようだ。
20世紀になると、葬儀業者が出てくるようになって、かつ写真も簡単に撮れるようになった。その結果、次第にポストモーテムフォトグラフィーは撮られなくなってきた。
今では亡くなった人の写真を撮る行為は不謹慎だといわれるものとなっているが、当時は愛する人を失ったという現実を受け止め、それを乗り越えるものとして必要だった。現代とは価値観が違うのは当然だが、僕はその感情がわかるような気がした。
でなければ、これほどこの写真に惹かれなかっただろう。
「現代の人がこういった写真を見ると気味が悪いと思うかもしれない。しかし私はこの写真から、愛や悲しみといった感情が伝わってくるように思えるんだ。君ももしかしたら、そういった感情を掴み取ったんじゃないかな」
男性の言葉が真実かどうかはわからない。だが少なくとも、僕はこの写真を気味が悪いとは思わなかった。
「……そうですね。もしかしたら、その通りなのかもしれません」
僕は自分の心中を素直に吐露した。
帰宅した後、僕はずっとあの写真のことを考えていた。
人が死んだ後の写真。一見気味悪そうに見えるあの写真を、僕は美しいと感じた。
それは僕の倫理観が現代から外れているのか、あるいは別の理由があるのか。
主催者の男性は、しばらく写真展を行っているからいつでも来て構わないといってくれた。あの写真に秘められた魅力を知りたいと思った僕は、また見に行ってみようかと思ったのだった。
数日後、学校で授業を受けていた僕は突如職員室に呼び出された。
用件は何なのかというと、父親からの電話だった。
話を聞いてみると、どうやら母の容態が急変したらしい。あれから毎日お見舞いには行っていたが、確かに辛そうにしていたことを覚えている。
それでも母は口では大丈夫と言っていたが、やはり相当無理をしていたようだ。
僕は学校を早退し、急いで病院へと向かった。
病院へと着いた僕は、ロビーで待っていた父に詳しい話を聞いた。
容態が急変したのは三時間も前のようで、それまで父は仕事で中々連絡がつかなかったらしい。幸い手術は本人が同意すればできるようなので、先に手術を行い始めたとのこと。
後は、無事に終わることを待つだけだ。
正直、不安はある。
何しろこれまで手術を行わなかったのは、母の心臓が弱いためだ。なるべく母に負担をかけないために別の治療法を用いていたのに、結局は手術を行うことになってしまったのだから。
それに加えてあの写真のこともある。人の死後を撮影したという写真を見てから、僕は死を引き付けてしまったのではないかと考えている。今さらだが、あのとき写真展に行くべきではなかったと後悔している。
あれから何時間が経っただろうか。手術が終わり、父が担当医に呼び出された。
しばらくして、戻ってきた父は僕を引き連れて病室へと向かった。そこに横たわっている母を見ながら、こう語った。
「……手術は失敗したらしい。今すぐというわけではないが、覚悟はしなければいけないようだ」
「……そんな」
僕は愕然としていた。
父の表情は見なくてもわかる。矛先を向けようもない怒りが出ていることだろう。結果は最悪なものとなってしまったが、懸命に治療を行った医者を責めることなどできない。そんなことは頭ではわかっているが、そう簡単に整理できるものではないこともわかっている。
「……僕、この部屋に泊まってもいいかな?」
「……わからない。もしかしたら配慮はしてくれるかもしれん」
僕の心中を、父は察してくれたようだ。
父と一緒に病院側に頼み込み、何とか僕だけはこの病室に寝泊まりするのを許可してもらった。残り最後の時間を、一時も逃したくないという思いを汲み取ってくれたようだ。
病室に泊まり始めてから二日が経った。その間、僕は父が帰ってくるまでは一歩も外に出ることはなかった。父が病室にいるときだけ、トイレに行ったり食事を済ませたりしていた。
僕は寝ている母の顔を眺める。
生きているのか死んでいるのかもわからない表情だ。手術が終わってから母は一向に目を覚まさない。医者に確認してもらっても、まだ生きていると返ってくる。その言葉を信じるしかなかった。
「母さん……」
僕はこれまでの数日間を後悔していた。
なぜもっと長く母と会話をしなかったのだろう。僕と会話をすることで、母の命を延ばすこともできたのではないだろうか。そういった後悔ばかりが残った。
「……ん」
突然、母が声を上げる。
「母さん!」
「……ああ、来てくれたのね」
「よかった、意識が戻ったんだね」
母はしばらく黙った後、
「……手術は失敗したんだね?」
と尋ねてきた。
「……」
「……何も言わなくていい。自分の体のことは、自分が一番わかってるから」
かろうじて意識を取り戻した母だが、顔が青白くなっており、傍から見てももう長くないことがわかる。
「……ねえ、最期にお願いしてもいい?」
「……何?」
震える声で尋ねた。
「……写真を撮りたいの、一緒に。あなた写真に撮られるの好きじゃなかったでしょ。だから、最期くらい一緒に写真を撮りたいな、って」
「……なんだ、そんなこと。いいに決まってるよ」
僕はポケットからスマートフォンを取り出した。
「こんなものしかないけど、いい?」
「……いいよ。そっちの方が、永久に残るでしょ」
僕は母に寄り添い、スマホを上に掲げた。
「僕写真を撮るの下手だよ。あんま撮ったことないし」
「……いいよ」
その声は掠れていた。
僕はスマートフォンのボタンを押す。シャッター音が聞こえた後、写真が画面に映し出された。
「……どうかな、もう一枚撮る?」
母に確認をしようとして、顔を向けた。母の顔を見たとき、僕はようやく気付いた。
母は安らかな表情で目をつむっている。その顔からは、既に生気を感じることはできなかった。
「……嘘でしょ」
ほんの数秒前までは会話をしていたのに、現実が大きく変わっていた。
母は心臓が弱かった。衰弱しきっている今の母には、スマホのカメラのシャッター音ですら心臓に負担をかけてしまったのかもしれない。
そのことに気づかなかった僕は、酷く愚かな人間だ。
現実を受け入れられなかった僕は、そのままショックで気絶してしまった。
次に気が付いたとき、僕は自室のベッドで横たわっていた。
あれから何が起きたのかよくわかっていない。
リビングに行くと、忙しそうに電話をしている父の姿があった。
「……起きたか。体調はどうだ?」
電話を切り、僕の体調を気にする父。
「大丈夫だよ。それより、あれからどうなったの?」
父の話によると、僕が気絶してしまった後に様子を見に来た看護師の方が母の死を確認し、父に連絡を入れた。そして病院と話し合いをし、葬儀屋の手配をしてくれたようだ。
母の遺体は自宅の和室に届けられた。これは葬儀屋と病院側が配慮してくれたらしい。腐敗しないようにエンバーミングなどが施されているようだ。
「……数日以内に葬式をする予定だ。お前も最期のお別れをしておきなさい」
父は僕を和室に残し、部屋を去った。
僕は母の姿を眺めた。
病室で見た時とはちがい、その姿は人ではなく人形のように見えた。本当にもう死んでいるのだということが、一目見て伝わるほどだ。
「……母さん、ごめん」
僕はスマートフォンを取り出し、母の姿を写真に収めた。
ポストモーテムフォトグラフィー。
このことを知っていなければ、このような写真を撮ることはなかっただろう。
撮影された写真を見てみると、そこにはどう見ても死んでいる母の姿が写っていた。
「……なんで、僕には写真の技術がないんだ」
写真家を目指しているわけではないのだから、当たり前のことだ。しかしこのときの僕は、自分に写真をうまく撮る技術がないことを恨んでいた。
母が亡くなってから一週間が経過した。
この一週間に何があったのかというと、まず母が亡くなった翌日に通夜を行い、その次の日に告別式を行った。できるだけ早めに行いたいという遺族の希望を通してくれたのだ。
告別式が終わった後も、僕は学校を休んでいた。父からは好きなだけ休んでいいといわれていた。その言葉に甘えたわけではないが、まだ母の死を受け入れられていなかったので、学校に行く気力はなかった。
葬儀が終わってからは、スマホで撮った写真を見ることはなかった。
写真を見て母の死を思い出したくなかったからだ。
「……あ」
写真という言葉で、僕は写真展のことを思い出した。期間的にはまだ行っているはずだ。
今の心情であの写真を見たら、また違ったように見えるのだろうか。
学校に行く気は起きないが、なぜかあの写真展にはもう一度行ってみたいと思い始めていた。
気が付いたら僕は写真展の会場にいた。
中に入り、主催者の男性を探す。
今日は来ている日なのかはわからないが、何となく今日は会えるような気がした。
館内を探しても見つからなかったので、フロントにいたスタッフに本日は来ているのかを確かめた。はじめからこうしていればよかったのだが、興奮していて頭が回らなかった。
呼び出すからしばらく待っていてほしいといわれたので、僕は例の写真の前で待つことにした。
この写真は、はじめに見たときと全く同じように見える。やはりこの写真が持つ不思議な魅力は、今の心情でも色あせることはなかった。
「私に何か用かい?」
不意に、声を掛けられた。声の主はわかっている。
「……はい。何も言わずにこの写真を見た感想をいってもらってもいいですか?」
僕はスマホで撮影した二枚の写真を男性に見せた。
「……これは」
男性は察してくれたのか、それ以上は何も言わなかった。
「……君は、納得いっていないのかな?」
「……そう思いますか?」
「私は、いい写真だと思うよ。特に一枚目の写真は、この写真にも劣らない魅力を持っている」
僕はもう一度一枚目の写真を見てみた。
安らかな表情でめをつむっている母の姿が写っている。あのとき間近で見た母の顔からは生気を感じることはできなかったが、こうやって写真を通してみてみると、まるで健やかに眠っているように見える。
「君とこの人のことは詳しくはわからないが、これは二人で作った写真なんじゃないかな?」
二人で作った写真。
その言葉を聞いて、僕はあることに気づいた。
もしかしたら、母は僕のためにこの瞬間だけは表情を作ってくれていたのかもしれない。
「私にはこれは死後の写真というよりも、この瞬間だけは生きていたように見えるよ。まるで生と死の境で撮った写真のようだ」
生と死の境か。
それなら、この写真はポストモーテムフォトグラフィーというよりは境界の写真、とでもいうべきなのだろうか。
写真展からの帰り道、僕は最後に話した男性との会話を思い出していた。
「その写真はどうするのかな」
「……それは」
「もしかしたら、君や私と同じ感性を持つ人なら、その写真を評価してくれるかもしれない。でも……」
「気軽に見せていい写真でもないですよね」
男性は頷いた。
「今のところ、この写真を誰にも見せるつもりはありません。当然父にもです。でも、時間が経って僕と同じような人と出会うことができたら、その時はもしかしたら……」
その先の言葉はあえて言わなかった。保証はできなかったからだ。
本来なら、僕たちのような人間は現代には存在してはいけないのかもしれない。昔にはあった価値観でも、今の世の中ではタブーとして扱われているのだから、僕たちは世間の常識で言うなら異常者といってもいいのだろう。
この写真は残してはいけないものなのかもしれない。しかし、この写真を消すことはできない。なぜなら、写真展で見たあの写真よりも、美しく眠っている姿がこれには写っているのだから。
最後まで見てくださり、ありがとうございました。
よろしければコメントやレビューなどしてくださればと思います。