94.閑話~水蛇の検問
ギリシャ神話の英雄にして女狩人アタランテ。彼女の武勲である『カリュドーンの猪退治』は極めて異常な怪物退治の神話です。
何故なら件の猪は女神アルテミスがヒトを制裁するために放った眷属の獣。その怪物をアルテミスに大恩あるアタランテが討伐する。これを異常と言わずして何と表現すればいいのでしょう。
他人の命をパンや薪ぐらいにしか認識してない。そういう外道な策士たちが権力を握っていた悪徳の都ウァーテル。
そこを強襲した聖賢の御方様に仕えるシャドウたちにとって。占領を続けることは日々、激戦の連続だった。何しろ周辺勢力の陰を支配する連中の面子をつぶし、利権を奪おうというのである。
これで平穏を得られると妄想する指揮官は即刻クビにすべきだろう。
そんな状況で『水那』という人型にも変化できる『魔竜鬼』が担当したこと。それはウァーテル正門で衛士の真似事をすること。荷物検査を行なうことだった。
「ハイ、通っていいわよ。次の人~」
荷物、装備の内容を尋ねて、速やかに通す。ウァーテルの通行を妨げず。周辺各国の物流が滞ることがないよう、ゆるい検問を行なう。
それが『水那』に課された任務だった。
別に手抜きをしているわけでは無い。
そもそも『ドゥーガ』である『水那』が荷物検査の“真似事”をできるだけでも立派なことだ。
「ムムッ、怪しい奴メ!その顔、手配中の山賊に似てい・・・」
「ハイ、通っていいいぞぉ!!・・・・・水那サマ、お願いですからまじめに人相チェックなんてなさらないでください!」
「ハイハイ、わかったわよ」
下手に検問などすれば、こうやって下級シャドウに止められるという有様だった。
【どぶ川のお掃除】に【屋根上の巡回】
この二つに人員をとられ。ただでさえ少ないシャドウに正門へ人数を回す余裕はない。
ならば中途半端に検問を行なうよりも。
一夜で悪徳の都を占領という前代未聞のことに不安を抱いている者たち。そんな旅人、商人たちへ露骨な人気取りをするため、ザルに等しい検問モドキでスムーズに通行させているというわけだ。
とはいえ本当に誰でも自由に、正門の通過を許しているわけでは無い。
「ん~~~?『来たわよ、今(通った者)から5番目の馬車の集団。備えて』」
「「「「「ッ!!」」」」」
『水那』の発した霊糸の通信によって、門衛を務める下級シャドウたちに緊張が走る。『水那』の核である呪術式で編まれた装束から伸びた霊糸。そこから発された警告によりシャドウたちは瞬時に臨戦態勢に入る。
「ほらほら緊張しない。“まっとうな”商人、旅人を通過させるだけの簡単なお仕事なんだから」
「・・・かしこまりました」
馴れない検問の仕事に携わるシャドウ雑兵たちをねぎらうよう、『水那』は声をかける。
だが口調とは裏腹に、“絶対に逃がすな”という符丁・隠語を聞いて臨時門衛たちの緊張は高まるばかりだった。
『水那』たちが取り締まっているモノ。それは違法な“魔術薬物”である。
闇ギルドにとっては合法な資産であり、武器でもあった“魔術薬物”。だがC.V.やシャドウをにとって百害な“毒”の流通を許せるわけが無い。
それゆえ水属性の『水那』が正門で番を務めているのだ。
「そこの馬車、止まりなさい」
「何でございましょう。前の人たちは自由に通過されました。我々だけが止められるのはご無体というものです」
「口答えするな!いいから黙って言うことを聞け!!」
チンピラ同然の口調で怒鳴る門衛シャドウたち。それに被せるよう『水那』はセリフを紡ぐ。
「悪いけど、一定量の荷物はしっかり検査することになっていいるのよ。しばらくは優しい検問をする予定とはいえ。
大量の危険物が持ち込まれるのを許すわけにはいかないでしょう?」
「お説、ごもっともでございます。如何様にもお調べください」
その返答に鷹揚に頷き『水那』たちは荷物を調べる。急に始まった荷物検査に、人の流れが止まり。待たされる人々に、不満の表情が浮かぶ。
「先程までスムーズに通行できていたのに、自分たちは渋滞で待たされる」それに対し不公平を感じ不満を抱くのが人間というものだ。
それからしばらくして。
「…どうやら違法な品は無いようね。『申告したとおり、荷は酒のみね』」
「はい、もちろんでございます。よろしければこの樽の酒は皆様でお飲みください」
「けっこうよ。行っていいわ」
「ありがとうございます」
荷物の検査が終わり。短いやり取りを交わしてから、人の列が動き始める。その後は最小限の荷物検査のみで、旅人たちはウァーテルへと入っていった。
占領したばかりの『特別措置』ということで通行税も取らない、混成都市の大門。それを幸いと大勢の人々が通るのは、異様ですらあった。
ウァーテルに軒を連ねる酒場。その地下蔵にたくさんの酒樽が集められ、厳重に封を施されていく。そうして複数人の男たちが酒樽を持ち上げ、上下を反対に入れ替えて置き直した。
それにより酒樽の底に沈澱していた触媒が、タルいっぱいに拡散していく。
「急げっ、グズグズするな!」
「一滴たりともこぼすな。下手を打ったら承知せんぞ!」
闇ギルドのアジトの一つ。そこでは酒樽が錬金術の道具に変わり。検問の時には確かに酒だったモノが“魔薬”へと調合されていく。
その様子を監視しながら闇ギルドのメンバーたちは安堵の息をはいていた。
「うまく検問を抜けられましたな」
「ああ。正門の荷改めはザルだと、聞いていたが。呼び止められた時は肝が冷えたぞ」
裏社会を構成する各勢力が集う悪徳の都ウァーテル。そこを一夜でC.V.どもに陥落させられた組織連合にとってウァーテル奪還は必須事項であり。その一手として『魔術薬物』は極めて有用だ。
スラムの住民にばらまけば、治安を低下させ。クスリの取り締まりや治安維持に正義の味方どもは労力を裂かねばならない。
周辺の町にばらまけば。軍資金の調達と闇ギルドの健在を示せる一石二鳥だ。
そして来たるべきウァーテル奪還作戦において、『魔薬』は人外の力をもたらす兵器と化す。捨て駒のクスリ中毒者を暴徒化すれば。シーフもどきの攻撃を防ぐ、いい“盾”となるだろう。
「それにしてもこのウァーテルで密輸の手間をかけるはめになるとは」
「仕方あるまい。だが奪還さえ成功すれば、その功績で我々の地位も…」
『うるさいわよ。ネズミ風情が』
「待ちなさい、水那!」
「「ッ!?」」
とはいえアルテミスが狩りをしているのに、アタランテの狩猟を否定する。そんなダブルスタンダードは狩人神の誇りにかけてできないでしょう。まして某妖怪姫の主様のように自然破壊をやらかしていたら、狩りを止めるなど論外です。
もっとも並の人間たちにとって、神の怒りは理不尽の極み。『カリュドーンの猪退治』でアタランテに一番手柄が譲られ。それに対し参戦メンバーから反対意見がほぼ出なかった理由を考えると。
“女神のお気に入りであるアタランテならば、神の制裁を免れる”というもくろみがあったのかもしれません。
別に恥ずかしいことではないでしょう。目先の手柄にこだわって、眷族イノシシを殺された女神の怒りを買う。危機意識が無いほうが、よほど愚かというものです。アタランテとしては不本意な話でしょうが。




