72.ある魔神への刺客
身勝手な話を一つ。
昔は「魔法使い、杖が無ければただの人」などと考えていました。杖を装備した魔術師を虚弱、頭でっかちと考えて敬遠してしまう。魔術書や指輪を持つ魔術師なら良いのですが。
それから十数年後。身勝手にも杖無しで魔術をふるう術者が増えてさびしく感じています。あるいは魔術師の杖を持つ者の弱体化が著しいと言うべきでしょうか?
『緋水晶』という呪術式がある。この呪術の効果は燐光で被術者の視覚を封じることだ。
ただし何でも好き勝手ができるわけではない。呪術とは《魔術儀式》の一部ルールを代替したり隙を突いて発動する。主に射程、持続性に優れた邪法の一種である。
ルールの代替はイコール代償の増大に等しく。法則の隙を突くことは、法則の加護から外れるばかりか攻撃される危険をはらむ。
では《カヤノ》という侍女シャドウが行使する『緋水晶』はどうか?
(1)行使できる時間は夜間に限られる
(2)必要となる儀式場は【主君筋】の支配領域となる
(3)呪術式の対象となる相手は夜目、暗視能力を持たなければならない
(4)呪術を発動するには魔力と邪気を混合した【呪力】が必要となる。
(5)邪気とはカヤノの視力を封じることで発する陰気・歪んだ精気とする。
『使いにくい魔術能力ですね』
夜の闇につつまれたウァーテル。その建物の屋根上を疾走する三名のうちの一人。
フォトンワードで会話を交わす扇奈・セティエールの『緋水晶』に対する感想はそんな辛辣なものだった。
『緋水晶』は防衛を目的とした呪術である。(2)の使用場所の条件がそうさせてしまう。
そして偵察要員を兼ねるシャドウにとって守備の任務は少ない。
『私たちシャドウの戦場は〈前線〉や〈敵の勢力圏〉。
未知の戦場を感知能力で探り。迅速に状況に対応して攻撃するのが持ち味です。
緋水晶が活かせる防衛戦は少ないでしょう』
『・・・・・』
そんな光術信号を発する扇奈に対し。イリスの義妹である《C.V.》イセリナは沈黙を保つ。
イリスには光芒の剣閃を放ち、敵集団の視覚を封じる『スイングレイ』という魔術攻撃がある。
それと類似した邪法を敵が使ってこないと誰が言えよう。シャドウの訓練を行うのに『緋水晶』は有用な呪術式だ。
・・・という建前でイセリナの魔術攻撃に対抗するため、『緋水晶』は重要な呪術式である。
イリスの義妹で影武者も務めるイセリナ。彼女は当然、使う魔術もイリスに類似した光属性だ。
そんなイセリナや重騎士たちの後塵に配する未来。〈側近侍女〉のシャドウとしてカヤノが認められるはずがない。下級シャドウのうちから視覚に干渉する魔術への対抗手段を会得するのは必須事項だろう。
不毛な権力争いと言えなくもない。だがイセリナとしては配下とシャドウたちの権勢は同程度になるのが望ましく。『緋水晶』は充分に許容範囲だ。よってイセリナは別の疑問点をイリスに尋ねる。
『それで姉上。いったい《緋水晶》のどこに可能性を感じたのですか?』
『ん~。だから言ったじゃない。“魔神”を倒す可能性があるって』
『そうは仰られますが。魔導を行使する者の抵抗を脱ける呪力はございませんし。
巨人・邪竜系の視覚を封じてはどんな暴走をするか予測不可能。となれば・・・』
『・・・・・もしかして“アバドン”群れイナゴですか?』
扇奈の問いにイリスが片目のフォトンで応じる。それは正解を示していた。
『アバドン』魔神であり魔蟲の群れであり、終末の天使でもある。
あらゆるモノを食い荒らす魔物のイナゴ・バッタの群れを“アバドン”と言う学者が大勢だが。
魔蟲を産み出す奈落迷宮こそが“アバドン”を指す。否、草を食い尽くされ飢えた獣たちが魔物と化して暴走するのを含めて“アバドン”と言うべきだ。
いくつかの学説があるが、はっきりしていることが一つ。
どの“アバドン”だろうと人類共通の敵であり。それを利用しようとした者は全ての国を敵に回すということだ。
『最低でも片羽にライトの重しを付与して飛翔のバランスをとれなくしたいけど。
【緋水晶】で感覚器を灼いて全滅させるのは長い研究が必要かな。
当分はフォトンポイントを呪術式にアレンジ。そうして目印をつけての研究データ収集になるとボクは思うけど』
『なるほど・・・それは素晴らしいお話でございますね』
『・・・・・?』
確かに人類の天敵に一矢報いる呪術開発は素晴らしい。魔物集団の暴走を10回に1回だけでも妨害できる可能性は多くの命を救うだろう。
その希望のためカヤノというシャドウの一生を“アバドン”打倒に捧げさせる。実態すらつかめていない“イナゴ魔神”やその同類が棲息する魔境に彼女を送りこまなければならない。
それは大義と【イリスの本業】に比べれば些細なことのはずだ。
『まあ“ユメ物語”はこのぐらいにして、今は目の前の敵に集中しようか。
イセリナ!!シーフ連中とアレはもう少し泳がせておきたかったけど。少し早いけど今夜で退場してもらうとしよう。準備はいい?』
『っ!!承知いたしました姉上。それでは私は配置につきます』
了解の意を告げてイセリナは配下の騎士たちと合流すべく。
イリス、扇奈たちの隊列から外れて街路に着地して石畳の上を駆ける。そうしながら試しにつぶやいてみた。
「ようやくイリス姉様も上に立つ者らしくなられた。私たち配下を賭け札にして勝負される」
それを残念に思う者もいるだろう。だが参謀役のイセリナとして望ましいことだった。
シャドウもC.V.両者とも正義の味方ではない。
それらの上に立つ女王たるもの非情に徹し、そういう面も見せて権力を掌握する必要がある。
だから侍女シャドウのカヤノを“アバドン”への刺客として放つ。それは成否にかかわらず大事なことだ。
「師団長!騎士10名、いつでも出撃できます!」
「ご苦労、これより任務を告げる」
そう何度も自らに言い聞かせながら。イセリナはアレを討伐する作戦を開始した。
長く生きて知恵を蓄えた『長老の杖』。大樹を素材に作られた杖もこれに当たります。
長老のように長く生きた木には、年輩の方のように知恵がつまっている。
だから魔術師の知恵を増幅する効果があるとイメージされたのでしょうか。
先人に敬意を払うのは当然ですが、若い方にも知恵者がいる情報化社会。そこでは『長老の杖』の権威低下は避けられません。
さらに活発な若者の魔術師にとって、老人の歩行を支える木の杖は似合わないでしょう。鈍器がわりにふるって杖を折った魔術師?もいるくらいですし。
こうして昔ながらの木の杖は中年より若い魔術師の世界で衰退したと考えます。




