35.昔のようには逃げられず
魔術師は様々な呪文を唱え神秘に干渉し魔術をふるいます。その呪文は魔術よりも多岐にわたる神秘の鍵と言えるでしょう。
しかし一つだけ好きになれない呪文のフレーズがあります。それは「万能なる〇ナよ」の呪文。
確かに魔術を使えない者からすればマ〇はそこそこ万能に近い。迷信深い浅学のものには万能に近いイメージを抱くものかもしれません。
ですが魔術を使えても常勝不敗にはなれません。病を治すのは施療院と薬の力によるものが大きく。
失せもの探しは便利屋か犬のほうが有用な場面が珍しくない。
この現実から目をそらして賢者が「万能なる〇〇」などとトリップするのは成長を放棄するのと同義だと考えます。そういうのは正魔術師・導師に昇格したあたりで卒業しないと残念な人扱いされかねません。
悪徳の都市ウァーテル。闇の秩序に支配されてきたその都市はわずかな時間で騒然としていた。
混沌ではない。混沌とは都市の住人全てがまきこまれたあげく。侵略者と既存の勢力が一進一退の攻防を繰り広げる。どちらかの集団が切り札・奸智に長けた策を使えば勝敗がわからなくなる状態をさす。
しかし現状、趨勢の天秤は覆しようもないほど一方に傾いていた。
『旋天・小飛竜』
シャドウたちを束ねる最上級のシャドウ姫、扇奈。正門の門番隊に蹂躙の限りをつくした彼女は風メインの属性所持者としてその本分を果たそうとしていた。
普段は静音詠唱によって隠蔽を重視する魔導の術式を広域に全開で放ち。配下のシャドウたちの戦況・情報収集を行いつつ術式による援護も行う。必要ならば飛翔して自ら援軍を務めなければならないとも考えていた。
何しろ現在、行われているウァーテルに対する攻撃は主のイリスが独断で始めたものである。
攻略失敗など論外。味方の損害が大きくても駄目だし、後日の占領で問題が発生してもイリスの失策とされるだろう。
よって扇奈としては現状、ウァーテルの最大勢力である盗賊ギルドの心をへし折っておきたかった。圧倒的な戦力を見せつけるのはもちろんのこと。シーフ連中にはしっかり無様をさらしてもらい面子をつぶす。ウァーテルの住民を支配し富をかき集めるのに必要な【顔】を台無しにするのだ。
そのために必須の戦況・勝利を作り上げる下準備として扇奈は術式能力による情報収集を開始した。
「退けっ!俺たちが束になってもかなう相手じゃねえ!」
「かたまるな。散って逃げるぞ!」
そう言って仲間に逃走を指示するシーフはましな人材なのだろう。チンピラ集団の半数は苦痛にうめくか意識を刈り取られて地に伏している。
そうして残りの半数は戦うか逃げるかを考えているつもりで思考停止に陥っていた。棒立ちになっている連中は数の優位が通用しないことが認められず。あるいは組織の報復・暗殺に怯える様子もないシャドウたちの存在が信じられないのだろう。
「・・・ッ・・・ッ」
そんな盗賊ギルドのメンバーを一顧だにせず行動する者たちがいた。彼らは組織に牙をむいた愚か者の情報を上に知らせる伝令である。そして同時に仮にも仲間を見捨てて逃げ出す臆病者だ。捨てゼリフすらなく逃亡に全力をかけるその姿はまさに盗賊と言えるかもしれない。
「おいおい、もう逃げるのかよ」
そんな盗賊ギルドのメンバーにシャドウが安い挑発の言葉が投げかける。もっとも戦況・戦力差を考えれば逃げるのは当然というのがシャドウの本音だろう。その挑発に侮蔑の色は皆無だった。
しかし今現在、ウァーテルを支配するのは盗賊たちでありシャドウたちはその腹の中にいる害虫に近い。排除されて当然の暴漢・犯罪者がこの町におけるシャドウの身分だ。
そんなシャドウから逃げ出すなどギルドの暴力が劣ると言っているに等しい。ウァーテルの盗賊たちは権力を得るのと引き換えに、貴族のように名誉を守らねばならないのだ。
「シーフの武器は逃げ足」「昔と同じように逃げただけ」などというのは通用しない。騎士のように戦う必要はないが、リーダーの号令なしに戦闘離脱することは制裁の対象だ。
住民に目撃されず逃げるのが可能なら別だが。無論、そんなことは不可能である。
イリスの意を受けて指揮を引き継いだ扇奈は盗賊ギルドに【次】などという再戦をさせる気など毛頭なかった。
『総員に通達、これより主要道路に竜域を発動させる。そこにシーフどもを追い込め。
それと身体強化の使用を一部の者たちに許す。もはや高所に跳躍しての曲芸をする必要はない。その武をもってゴロツキどもを壊滅させよ』
こうして盗賊狩りが始まった。
まあ古代語だから魔術師以外には呪文の内容などわからないだろう。下手に考えるよりトリップしてでも魔力を高めないと敗北・足手まといになる。
そういう計算や熟慮のうえで「万能なる〇〇」と唱えて星を探しているなら外野が賢しげに言うべきではないでしょう。
それでも魔術師が本業の者以外に「万能なる〇〇」などと唱えているのを私だったら聞かれたくありません。特に喧嘩をしたくないパートナーには絶対に聞かれたくないです。




