3.説明会~この世界の魔術
魔力。それは金銭に近い点が多い。金という対価を払えば物々交換よりはるかに大量、多様な取引ができる。同様に魔力を使いこなせれば物理法則ではありえない現象を引き起こせるだろう。
そして魔力は金と同様に万能ではない。大金があっても買えるのは売っているものだけ。人が作って販売しているものだけが金で自由にできるモノだ。予約が入っている等、売られていないものは金で自由にできない。「金で非合法な手を使えば何でも得られる」とか言う人もいるが、そんな手段には無駄な大金とリスクがつきまとう。金の力とはそういうものだ。
そして魔術の力も同様である。物資と時間をかけても人が成し遂げられないこと。空間操作や死者復活は魔術でも【不可能】なことだ。つけ加えるなら金と時間が膨大に必要なことは、魔術でも魔力を大量に要する。邪法に無駄な魔力と破滅がつきまとうのは、そのためだ。
よって「万能なるマナ」などと唱える魔術師の実力は二流と言っていい。そんなありもしない戯言を唱えて、トリップしないと妖術も使えない。その程度の魔術師ということだ。
しかしその賢者はまっとうな人間だとも言える。魔力の消費を抑え、物理法則の隙をつき、己の意のままに世界に干渉する。それは化け物ではない。人を獲物とする化け物すら蹂躙するナニかだ。これから始まる物語はそのナニかについての物語かもしれない。
ここからは固有能力に似て非なるデザイン・アーツについて記します。ただし一部不適切な表現があります。何故かというと固有魔術や個人専用の異能。それらの欠点、弱点を念頭において対策を取って編み出されたのがデザイン・アーツです。
〔知識の巨人の肩に乗った〕踏み台にしたとも言います。
その性質上どうしても先輩諸氏が書かれた、固有スキルに関しての不満を書かなければなりません。
「若造が生意気言うな」「固有の能力こそ至高」と考えるかたは読まないでください。
たった一匹一種類のモンスター。それは強力であっても弱い存在だ。何故か? それは「闇討ち」専用に堕ちるから。社会性、連携能力が欠落しているからだ。
異能持ちの殺し屋には、こんなことを言う者がいる。
〔オマエラの能力は知れ渡っていて対策を立てるのも容易だ〕
確かにこの言葉は正しい。1対1の戦い、決闘なら真理と言っても過言ではないだろう。
しかし自慢できるような法則ではない。そいつの言ってることは「オマエが能力の分析を行ってとまどっている間に、攻撃するオレが強い」と言っているに等しい。正々堂々が尊いなどとは言わないが誇れる話でもない。きっと心理戦の一環として言ったのだろう。
それにこの不意打ち戦法には重大な欠陥がある。異能の情報を隠している者は、不気味がられ信頼されない。信頼されないどころか正体不明の化け物としてあつかわれる。その結果、致命的なのが自らの能力を研ぎ澄まし成長させることが極めて困難になるということだ。
他人に固有魔術の情報開示ができないから、欠点を指摘されることも可能性を見出されることもない。すべて独学で研鑽しても必ず限界が訪れるだろう。最悪の場合は破滅するまでその限界にすら気付かず“オレは無敵”などとトリップするものも珍しくない。
そうなると人格や分析能力にも問題が発生して、能力が劣化・退化しかねないのだ。
それに対し特殊能力の情報開示が適切になされている場合は様々なメリットがある。成長の可能性が増えるだけではない。戦争に勝てる。協力して格上の魔王を倒せる確率が増大するのだ。あるいは集団となって戦いを始められるというべきか。
戦というのは実戦の殺し合いだけをさすのではない。訓練、技術開発はもちろん広報、補給に休養まで含めて戦いなのだ。それらを行うにあたって、能力不明の魔術師など怪人に等しい。到底、戦の準備を一緒に行える戦友にはなりえないだろう。
そんな結論に至った集団にカオス・ヴァルキリーを名乗るものたちがいる。彼女たちは刺客として生きるより戦場での死を。術技の独占より交流を選択した。
その結果、カオス・ヴァルキリーの魔術やデザイン・アーツは大いに発展する。浅はかな能力対策の網を破る狂猛な刃を得て。〔情報を開示する〕という広報戦によって信頼を勝ち取り様々な取引を行って。
カオス・ヴァルキリーの戦闘に特化した上位能力者は、それらを超える理不尽なバケモノ・蹂躙者と化した。
長々とした説明会を読んでいただきありがとうございます。要は「強力なチート能力にも長所と短所を」ということです。あるいは異能持ちでも大手をふって生きていくのにメリットがあるということでしょうか。