24.セイバーフォトン 2
剣術の奥義?・イメージには〔剣を己の体の一部としてふるう〕というのがあるそうです。
しかし私はそのイメージから、最強を連想できません。修練の一環・工程として修めるならともかく、『英雄・勇者』の武術ではないと愚考します。
手刀を使えない。使えても剣術・打撃のついでに会得している武人の実力で、『槍術』とのリーチ差を覆すのは難しい。たいていの人がその想像すらできないくらい、『槍』と『拳』のリーチ差は絶対的であり。
何より鍛冶師が心血を注いで『鍛造した剣』を、安易に取り込めると考える。そんな武人の傲慢さを、私は認められないのです。
「行くよっ、“グラんドカリバー”」
イリスの掛け声とともに、『長剣』が大上段にかまえられる。同時に大剣を模る『光の柱』が光量を増大させ。攻撃力はゼロに近い『発光術式』が、天を衝くかのように『魔力光』を辺りにばらまく。
「ッ!?大技がくるぞっ!」「ひるむなっ!あの光剣に実体も攻撃力もない!」
「だったらテメェが仕掛けろ!奴の持っている長剣は本物だぞ」「囲めっ!囲んで倒せ!」
腰が引けている者が、虚しく口を開閉させ。威勢がいい者は、他人に前衛を押しつける“セリフ”を発する。切り殺されたものを横目に、『光芒の剣』から距離を取ろうとする者が『観察』を行い。
それら三者三様のセリフ・行動をとるものたちは、もはやイリスにとって障害ではなかった。
破壊の魔力など欠片も込められていない『偽り』の必殺剣を振り下ろす。それとほぼ同時に、『長剣』は下段から弧を描く斬撃となり。
「「「「・-;~っ!」」」」「ガッ」
振り下ろされた『セイバーフォトン』は地面にあたり。『光芒』は四散して、全方位に『光線』を乱舞させた。それらは包囲陣の『視覚』を封じ。
『視覚』に依存している者たちの、判断を狂わせていく。
「おい、こっちに来るぞ!?」「なっ!?し、死ねぇ!」「バカ`・、危なっ^!」
全員の『目』をくらませる必要はない。何よりそんなことをすれば、魔力を浪費したあげく大きな隙となる。
重要なのはこちらの流れ・ペースを途切れさせないこと。数の有利を生かせないよう、かく乱し混乱を継続させることだ。そのためにイリスがすべきことは一つ。
『セイバーフォトン』
低コストの『魔術能力』を展開しつつ、縦横に斬撃をふるい続けることだ。
戦いとは常に『情報戦』の連続であり。とくに賢い魔術師や、自分たちは目端が利くと思っている賊たちはその傾向が強い。
そのためイリスを包囲しているシーフたちは、『セイバーフォトン』の正体を見極めることに執心してしまい。できるだけ無傷で勝利して、あわよくばその力を奪おうと狙いを定める。勝利より、自らの物欲を優先し。仲間との連携より、他者を出し抜くことに血道を上げる。
戦場の手柄争いでは、イリスも目の当たりにすることであり。それを“醜い野望”とは言わない。
ただしイリスには、欲望で“濁った瞳”を観覧する趣味はなく。そういう賊には、早々に退場してもらうと決めている。
「行くよっ、『スイングレイ』!」
わずかに赤色の『光』を帯びた『セイバーフォトン』が、左斜め上から広範囲に振るわれる。そうして盗賊兵士たちの注意をひきつつ、反対の右側から横薙ぎに『長剣』がふるわれ。また包囲陣の一画が崩れる。
「今だっ、やれっ!」「一斉にかかればっ!」
そんなことは不可能だ。『セイバーフォトン』に実体・殺傷力はなく。『視覚』を封じる強烈な『光』を放出する、『術式』も込められていない。条件付きで目くらましくらいは可能だろうが。
「「「・・・ッ」」」「・`;へっ!?」
しかし『視覚』に依存した人間が、『燐光』を無視するのは不可能であり。さらに長大な『光芒の剣』は、遮蔽物と化してイリスの動作を隠す。
その結果、『燐光』に注目する“賊”たちを、イリスはたやすく切り捨てていく。
さらに未知の『遮蔽物』と相対した、盗賊たちの足並みはそろわず。
「「・/:`/*`--」」「痛てぇ、痛てぇよお」「腕がっ!オレの腕がぁ!」
かくしてイリスは包囲網を蹂躙していく。
『セイバーフォトン』の光に魅せられ。さらに疑い深いシーフ連中は、〔『セイバーフォトン』に攻撃力が無い〕という情報を信じられず。猜疑心に捕らわれ、『光芒』に対し無駄な観察を続け。
その結果、盗賊兵士のふるう刃はイリスにかすりもせず。時間の経過と共に、盗賊兵士たちは疲労は増大していく。さらに攻撃の方向をずらせば、包囲の穴は広がっていき。
『燐光』のゆらぎを見れば、動作のタイミングが明らかになり。『燐光』にさらなる魔力を追加すれば、『眼球』に負荷がかかり。たまらず盗賊兵士たちの足並みが乱れる。
「バカなっ!こんな・:-こんなことがっ!!」
足並みの乱れた集団に、イリスは身体を潜り込ませ。『長剣』で文字通り傷口を広げていく
連中は可視光線の『セイバーフォトン』が〔目に当たらなければ大丈夫〕とでも思っているだろうが。それは戦闘が始まったばかりのころである。今や包囲陣は『光芒の剣』という、指揮棒に操られる烏合の集と化していた。
もっともこれは『武術、鍛冶』の技を全く使えない、モヤシの戯言です。
拳聖ほどの実力者が『剣術』をふるうとしたら、〔剣を手の延長としてふるう〕のはありでしょう。鍛冶師としても剣を身体の一部としてふるうのは、〔剣を大事にする一歩〕と考えるかもしれません。
ただし私のような臆病者は〔帯剣しているモノが、キレてが凶行に走るとき〕、『剣を己の体の一部』と考えることは危険極まりない。殴る感覚で剣を抜き、怒りのままふるうリスクが高いと愚考します。




