163.歓楽の街~『分割払い』の波
北欧神話でも屈指の人気を誇る『トール神』。雷神、戦神であり農業の神としての面を持つ。
しかし私は『農業の神』としての面に疑問を持ちます。美しい金髪を切られ、それが再生したのはトール神の『妻』であり。農業は彼女が司る・・・と愚考します。
とはいえ『トール神』を信仰する北欧ヴァイキングが海賊と農家を兼ねるなら。『トール神』も農業を守護することを求められたのかもしれません。
もっとも『トール神』には因縁があり。世界蛇『ヨルムンガンド』との激闘を考慮すると、『トール神』はもっと別の事を司っていたと思うのです。
『光術筆記』という術式がある。その名前とは裏腹に、現状は『インクの誤字』を一度だけ消す。一回修正する機会を付与する術式にすぎない。
1)契約書を『光術付与』の術式で覆う。
2)その上からインクで必要事項を記す。
3)誤字があればペンに『修正』の術式付与を行い、間違いを書き直す。
4)『修正』が終わったら、『光術付与』を解除してインクを契約書に定着させる。
(5:最後に偽造防止のため、『特殊インク』で契約書を作成した日時・土地を記入する)
『フォトンライター』とはこれだけやって、3)に一度だけ誤字の『修正』を行う術式にすぎない。ぶ厚い『魔導書』を記す大魔導士からすれば、鼻で笑うような『神秘ではない魔術』だろう。
ただし書類仕事に縁遠い者の、誤字を訂正できる。激務・残業に苦しむ文官の労力を『チェック一つ』で大幅に軽減できる。古代文明が封じられた世界で、『光術筆記』は書類仕事を軽減する可能性があった。
「冒険者の皆さん、強制依頼を出します!!」
「「「・・・ッ」」」「また柔軟をやらせる気か?」「オイオイ、勘弁してくれ」
エルクの街の冒険者ギルド。そこでは受付嬢のクレリアが声を張り上げていた。
「依頼内容は混成の暴行亜人たちを殲滅すること。
その前哨戦として、近隣のゴブリン・オークたちは皆殺しです」
「「「「「・・・・・」」」」」
麗しい受付嬢から物騒な言葉がとび出る。その瞬間にクレリアの受付嬢としてのキャリアは終了した。冒険者ギルドの窓口が、ヤクザな姐御では困る。冒険で疲れた者たちを警戒・萎縮させるようなら、強面オヤジが受付をしているに等しいからだ。
「あのっ、クレリアさん?」
「皆さんも御存知のとおり。暴行亜人の類を生かしておく。
好きに活動させておくことは“異常性癖”の持ち主です」
「「「「・・・ッ!!」」」」「ッ!?+:*!!!!」「なぁっ!?」
「違うっ、俺はマトモだ。ノーマルで“変態性癖”じゃないんだっ!」
数日前の悪夢、再び。クレリアの言葉が冒険者たちの心をえぐる。一応、ソフト?に“異常”の言葉を使っているものの。過日のトラウマと良心をメッタ刺しにする言の刃に、冒険者ギルドにいる者たち全員が震え上がった。
たいていの者はいきなり暴行魔(の共犯)あつかいされて、心穏やかでいられるはずがない。ましてや目を背けていた事実を明らかにされればなおさらだ。
「ゴブリンの被害が出るまで放置する。オーク退治の報酬をねん出できない者が、身売りした依頼料でお酒を飲む。これらを何と言うのでしょう?」
「グッ!」「ちがうっ、違うんだ!」「そんなのっ・・・」「「・・・」」
もはや〔自由な冒険者だから〕〔暴行亜人の脅威など知らない〕という言い訳は通じない。
少なくともゴブリンの誘引で被害が出たり。オークが貪り喰ったせいで、農地が破壊され食糧が足りなくなれば。
根無し草の冒険者など、八つ当たりに何を言われるか知れたものではない。冒険者が社会的立場を得られているのは、モンスター退治のプロとして有用だからだ。無用となれば、危ない武装をしたチンピラあつかいだろう。
「安心してください。皆さん!冒険者ギルドは“盗賊”ギルドのように仲間を見捨てたりしません!」
「「っ!?」」「「オオッ!!」」「クレリアさん!?」
「これからはギルドがゴブリンの情報を集め、オークの討伐報酬を増額します!
さらに各地の村落と連絡を密にとり、有力者たちからも寄付を募る。みんなで暴行亜人を殲滅しましょう!」
「「「「「オオーーーッ!!」」」」」
加えて賢しげにゴブリン・オークを誘引・使役したり。“女性を使い潰した”者には一切容赦しない。地の果てまでも追い詰めて、己の所業を後悔させる。
「それでは本日、只今より、『連動依頼』を行います!
冒険者の皆さんは依頼場所への移動する際に、各地で暴行亜人の情報を集めてください。目撃情報はもちろん。木の実・魚や獣の数など奴等の痕跡は無数にあります。家畜が騒ぐ。河川の濁り。
あらゆる情報を精査すれば、奴等を見逃すことはありません!」
当然、それらの情報量・精度は冒険者の評価基準となり。冒険者ギルドも忙しい日々を送ることになるだろう。
おそらく初期は目撃情報を除いた、ほとんどの情報を活かすことはできない。
クレリアたち冒険者ギルドの職員は基本的に文官だ。地図を見て、地形を把握できる一流の指揮官ではなく。街暮らしで、野外活動の経験すら少ない。
〔当分の間は情報を蓄積し、それらの解析を(手探りで)行うだけでしょう〕
しかし〔被害が出て、依頼人が腰を上げるのを待つ〕=〔ほぼ手遅れになり、惨劇が拡大する〕となるのは明らかであり。それに“盗賊ギルド”が関わるとなれば、“異常性癖”どころではない地獄ができる。
〔私にこれだけ言わせたのです。サヘル様にはしっかり責任を取ってもらわないと許しませんよ〕
「ゴブリンの討伐報酬は増額しないのか?」
「増殖スピードの早いゴブリンの報酬は今までどおりです。ただし労力に報いるため、『お酒』や『浴場』のサービスを受けられるよう。調整しています」
『錬金光術』による『お酒』の精製に、『浴場』の清掃は進歩している。それらを金銭の替わりにするしかない。
何より“イケニエを使い潰して数を増やせる”ゴブリンの討伐報酬は、安直に増額できない。
採算があえば、“奴隷を使い潰して、ゴブリンの増殖を企む外道”が現れるリスクは、絶対に潰す必要がある。
そんな思考ができる自分に自己嫌悪を抱きつつ、クレリアは冒険者たちの対応を行い続け。
冒険者の一人がこっそり建物を出て行ったことに、気付けなかった。
エルクの街の地下。最深部に作られた昏い部屋で、盗賊ギルドの幹部たちが密談を行っていた。
「〔暴行亜人を放置するのは、女が暴行を受けるのを妄想して楽しむ。“変態性癖”の持ち主〕・・・か。言ってくれる」
「「「「・・・・・」」」」
〔山賊退治は財宝を奪えるから行い。ゴブリン退治は採算があわないから行わない〕
暴行亜人の被害にあった者たちにとって、そんな冒険者及びギルドは物欲まみれの薄情者でしかなく。当然、隔意を抱いているから、基本的に塩対応だ。それでも『対応』と呼べるものならマシであり。
〔我々は貧しいんだ。欲張り薄情の冒険者など、いいように利用してしまえ〕
そんな考えを抱く者は少なくない。おかげで盗賊ギルドはずいぶん、儲けさせてもらった。
依頼人をそそのかし裏切らせて、邪魔な冒険者を罠にはめたり。逆に依頼人の裏切りを糾弾して、賠償金を永続的にしぼりとる。他にも人間不信に陥った冒険者を、飼い慣らし手駒にする発端にするなど。
“暴行亜人の放置”はかなり旨味の大きいネタだった
「しかし怪光魔女のせいで、その儲けは消滅しつつある」
女系種族のカオスヴァルキリー。奴等が権力を握れば、“女尊男卑”の施策を行い。
〔民衆の支持を得られず、政権は早晩に崩壊する〕盗賊ギルドの参謀たちはそう予想していたのだが。
予想に反し、イリスの治政は確固たるものになりつつある。異種族らしい失敗も少なくないが。それ以上に盗賊ギルドへの攻撃が苛烈で、急所をついてくる。
ゴブリン・オーク退治に熱心なのもその一つであり。盗賊ギルドのテイマーが、安価に誘引できる戦力は急速に減りつつあった。
「それでも奴等の戦力を分散できるなら、しばらく様子見してもよかったのだが」
「冒険者共を巻き込む。異能者と大量動員の両方から、攻撃されるのはマズイ。本当にマズイぞ」
万が一にも暴行亜人のトレインがバレたら、世界中から盗賊ギルドは袋叩きにあうだろう。そこまでのヘマはしなくとも。
穀倉地帯に暴食亜人を誘導し、作物の収穫を台無しにする。そうして食料の値段が高騰したところに、蓄えておいた食料を法外な値段で売りつけ。
さらに金のない者たちを奴隷に落とす。それら莫大な利益を出す仕組みが危うくなる。
「うろたえるな!“自由”に冒険とやらを楽しむ連中にとって、ゴブリン共など路傍の石に等しい。一時的に狩りに熱中しても、必ず熱は冷める。そうしたら、また必要に応じて暴行亜人を増やせばいい」
低コストで速攻・ゲリラ戦を行うならゴブリンを使い。多少の手間はかかるが、戦力重視ならオークといったところか。
もし奴等が増えすぎたら冒険者に依頼して、処分すればいい。そうして冒険者の戦力が減れば、山賊団が活動しやすくなり。盗賊ギルドの勢力は拡大していく。
「しかし一時的にでも、奴等に手駒を減らされるのは面白くねぇ」
「わかっている。奴等の好きにさせるのは、最悪の場合だ。対抗策は考えている。
そもそも依頼料の『分割払い』が成立するかもあやしい」
「どういうことだ?」
「奴等が侮っている〔村人共はそんなに甘くは無い〕ということさ」
そう告げてエルク支部のシーフロードは唇を歪めた。
一方、その頃
「何者だっ!?この村に何の用だっ!!!」
「・・・・・・」
「初めまして。オレの名はサヘル。後ろにいるのはルサーナという。
冒険者ギルドのマスター、ビルナード殿に紹介状を書いてもらった者だ。村長に会わせてもらいたい」
「わかった。ここで待っていてくれ」
そう告げた村を守る門番は、槍を捨てて走り去っていった。
「無礼な!サヘル様をいったい何だと思っている」
「わかりやすく武力を持っている、都会人あたりじゃないか」
ルサーナの不満に、サヘルはそう穏便に答えておく。
二人の旅装はきれいに整っており。武装は護身用に腰に下げた手斧と剣ぐらいだ。言動は礼節に則っており。食料を生産する農村の住人を威圧・“侮る”愚行を行う気など、聖賢様に誓ってあり得ない。
「こちらです、村長!」「演習どおりに、いくぞ!」「落ち着け。弓矢を忘れるなっ!」
しかし村人たちはサヘルたちに、怯え警戒しており。その言動は完全に外敵を迎撃する時のものだった。
「・・・都会人・・・屠怪人?」
ルサーナのつぶやきが、耳に痛い。とはいえスピード重視の“恫喝外交”を行う。そのためルサーナに負担を強いて、重いものを運ばせたのだ。100倍の罵声だろうと、サヘルは甘んじて受けるべきだろう。
「ワシがこの村の長だ。ビルナードの紹介状を持っていると聞いたが。
いったいどういうつもりだ?」
「実はこの村に協力を頼みに訪れた。
そしてこれは、その挨拶がわりだ。新鮮なうちに村で食べてくれ」
「どうぞ。お改めください」
そう言ってルサーナは強化した身体で、運んでいた『野猪』をゆっくりと地面に降ろす。
以前、アヤメ様の指揮で狩った『魔猪』と比べ、はるかに小ぶりだが。それでも大人三人分のサイズは余裕であり。
それを余裕で運んだルサーナは、怪力の魔女か。あるいは女悪魔が人間に化けたモノと、村人たちは考えたのだろう。彼らが怯えを隠し、臨戦態勢なのは仕方ないかもしれない。
サヘルにとってはたくさん可愛いところがあるC.V.なのだが。
「何をしている。調べろ」
「ええっ!?」「猪なんだから狩人の・・・」「ちょっ!?今日の門番係が・・・」
「さっさとせんか!!」
村長の指示に従い、村人たちがおっかなびっくり近づいてくる。そうして『野猪』を調べ、その重さに頬を引きつらせた。
〔皮ばかりの軽い猪で、虚仮おどしならよかったのに〕という希望が失われた顔に、あきらめの色が浮かんでくる。
「「「・・・・・」」」
「どうだろう。最新の技術で血抜きをしているから、生臭くないだろう。
(『錬金光術』)これなら美味しい肉を、たっぷり食べられるでしょう」
村人を手伝うために、サヘルはイノシシの巨体をひっくり返す。その際『錬金光術』の『浮遊する怪光』を猪の全身にかけ。重さを軽減することで、軽々と巨体を動かして見せた。
無論、日中の光に『怪光』を紛れさせ。魔術嫌いな農村の住人に『力持ち』と誤認させるのも忘れない。
「「「・・・・・っ!?」」」
「それでっ、この村にいったい何の用だ‼」
村長の悲鳴交じりな問いかけが、繰り返された。
サヘルとルサーナの戦闘力アピールにより、格付けは済んだ。余程、無茶な要求でない限り、村人たちはサヘルの提案を受け入れるしかない。
冒険者ギルドへの依頼料を『分割払い』にする提案を受けるしか、選択肢はないのだ。
正直、不本意な“恫喝外交”だ。とはいえ盗賊ギルドの動きに対抗するため、今回は速さ最優先で『分割払い』の交渉をまとめる必要がある。
〔すみません。許してください。申し訳ございません。絶対に損はさせないと誓います〕
サヘルは胸中で謝罪の言葉を連呼するも。そんな自己満足が、村の住人に聞こえるはずもなく。せめてイノシシ肉でご馳走を作ろうと、『思考加速』に没入した。
その後ろ姿を、ルサーナは静かに凝視していた。
世界蛇『ヨルムンガンド』。幼いころ、『海』に投げ入れられ。世界を囲んだとも言われる、最大級の超魔獣です。
そして『トール神』には『ヨルムンガンド』を釣り上げるのを“失敗した”という神話があり。『ヨルムンガンド』は【海】に関連する大怪物だと愚考します。
だったら『トール神』が司るのは『海』と戦うもの、挑む者であり。船やそれに関連する道具を、手に持つ『鎚』で作った。さすがに鍛冶神ではないので、長持ちする加護を与えた。
大海に挑む船乗り・ヴァイキングを守護した。それが『トール神』の司ったものだと思うのです。
もっとも航海の命運を左右する『食糧』を司った神格というつながりで。『農業』も司った『トール神』という見方もあり得ますけど。




