123.金輝のコイン~破局の寸前
物語は時代、地域によって変化するもの。それはトロイア戦争の発端となった『パリスの審判』とて例外ではありません。
私が本で読んだのは『ヘラ』『アテナ』と『アフロディーテ』の三女神が一晩ごとにパリスのもとを訪れ。自分に黄金のリンゴを渡せばそれぞれ〈権力〉〈勝利〉と〈愛〉の加護を与えると交渉する神話でした。
しかし絵画では半裸の三女神が同時にパリスを“誘惑”するというバージョンが主流であり。物語バージョンで『パリスの審判』を知った身としては色々と突っ込みをいれたい。
ギリシャ神話のファンとしては「ふざけるな!」と怒りの声を上げたいです。
都市ウァーテルのスラム。その広場では茶番が催されていた。
一見すると両手足に枷をつけられた男が、牛の巨体に踏み潰される残酷なショーが行われている。
実際は怪物退治を念頭に鍛えられたシャドウに対し、弱体化された普通の肉牛が敵うはずもなく。
異様な舞台に興奮・混乱していたスラムの住民たちも、一部は冷静さを取り戻しつつあった。
そんな彼らにイセリナは不意打ちで言の刃をふりかざす。
「どうしたウェアル!貴様が牛に倒されれば“血の雨”がふる。
愚かな盗賊ギルドに協力に協力した者を殲滅する“盗賊狩り”が始まるぞ!!」
「「「「「・・・・・・・・・・・」」」」」
「「「「「なっ!?」」」」」
檻の中にいるシャドウを激励するフリをしつつ。イセリナは集まったスラム住民たちに対して宣言を行う。
その内容は言葉通りの“盗賊狩り”ではない。事実上の“疑わしい者を捕縛”であり。悪徳都市ウァーテルの陥落時には行われなかった、暴力の嵐が吹き荒れるということだ。
無論、“故買屋”が喜ぶ“略奪”をする気はないし。主人の気まぐれで“暴行”と同義語になる“奴隷狩り”など論外だ。
“暴行”?【女系種族】の姉上様が率いる軍勢でソレをやったらどうなるか。〈軍規で罰せられる〉程度と考えるモノは陸戦師団、シャドウのどちらにも皆無である。
「貴様らはスラムに潜り込んだシーフをあぶり出すための『待機命令』に逆らい。コソコソと小細工をして死にかけの住民を助けた。
よってこの『試しの議』によってスラムへの対応を決定する!!
貴様がその不利な状況から勝利をつかめれば命令違反の罪を許し。迅速にスラムへ市街地に準じる『富』をもたらそう」
「・・・・・」「やった・・・」「本当かよ?」「「「・・・・・」」」
「しかし惨めに敗北するならば。潜伏したシーフに時間を与えた罪を罰し。
スラムに潜んだシーフを殲滅する“盗賊狩り”を強行する!!」
「「「「・・・・・!」」」」「ふざけるな」「なあっ!?」「「「ヒィッ!」」」
〔『待て!!!』〕
その瞬間『声』が響く。『フォトンワード』『風音』のような術式による秘匿会話ではない。
純粋な意思が込められた魔力の波動。『念話』と言うには大きな咆吼がイセリナに叩きつけられる。
もっともその咆吼にイセリナを威圧する力はない。
「フッ、『“待て”ですって。下級シャドウのくせにずいぶん勇ましいセリフね。ウェアル』」
「・・・ア、その」
「『光術回線』」
檻の中で枷をつけられているウェアルに対し、イセリナは術式付与をかける。それにより低コスト、高速で『光術信号』を行える魔力のラインが形成された。
そうして事実上ウァーテルの宰相である彼女は恫喝を始める。
『“待て”とは私に言ったのかしら。その蛮勇に免じて聞いてあげる。
どういうつもりで私の宣言をさえぎった?』
『ウ・・・ア・・・』
唾を飲み込む。イセリナの詰問に怯えすくむ意思を感じたのは束の間。
次の瞬間、決意の言霊がイセリナに返される。
『どうかお慈悲を。スラムの住民たちもいずれは市民としてお上に従属する者たち。
寛大な処置をお願いいたします』
“盗賊狩り”それはかつてウァーテルを支配していた盗賊ギルドの“残党狩り”だ。密告が横行し、賞金目当てにならず者たちが暴力をふるう。周囲の迷惑を一顧だにせず、捜索のド素人たちが猟犬を気取る狂騒だ。
そしてスラム街で“残党狩り”が行われた場合。不法居住者であるスラム街の住民たちは何をされても泣き寝入りするしかない。“残党を探す・倒す”ためという狂騒は放火・殺害の罪すら高確率で“なかったこと”にしてしまうのだ。
つまりイセリナが“盗賊狩り”を命じたとたんにスラムは破壊し尽くされる。
『女子供や病人も少なくありません。御身の名声に傷を付けないためにも・・・』
『黙りなさいウェアル』
自分でもぞっとする冷たい魔力が『フォトンワード』を描く。
しかしイセリナにとってスラムの住民たちは守るべき民草ではない。盗賊ギルドの使い魔として他人の生き血をすすってきた。金で同胞狩りに協力してきた“妖魔”にすぎない。
忠誠を誓い働くならば過去の罪をいつまでも追求はしないが。逆に言えば盗賊ギルドに協力し、人の不幸で糧を得ることを継続するならば。シーフと同様に殲滅あるのみだ。
『下級シャドウに私の名誉を心配されるいわれはない』
『ッ!!申し訳ございませんっ!』
まして偉大なる姉上様の善政を嘲る。“甘ちゃん”と嘲笑したあげく、略奪放火を禁じる軍規を侮るなど愚劣の極み。よってイセリナはウェアルvs牛の戦いがどうなろうとスラムを破壊する作戦を立てていた。
ウェアルが負ければ“スラム破壊”を行い。勝てば“水路を作るのに必要”という理由で、邪魔な建物を取り壊す。そこに住む者が気に入らなければ端金すら与えず追い出す。
そうして周辺諸国の軍団と同じように略奪を行えば、嘲りの声も静かになるだろう。
そんな非情な軍師と化していたイセリナに冷水が浴びせかけられる。
『恐れながら申し上げます。聖賢の御方様。その妹君である貴女様に万が一の事があっては一大事です。
【魔導の黄金】に綻びが見られる以上。これ以上の強行策は危険であると愚考いたします』
「…!!!?」
その瞬間、二つの殺気がぶつかりあった。一つはイセリナの配下であるチャクラム使いのマイア・セレスターが、ウェアルの口を封じようと戦輪に手をのばし。それを迎え撃つべくウェアルの姉・桐恵が邪剣の発動準備を行う。
『待ちなさい!!マイア!彼に手を出しても、何の解決にもならない。
桐恵殿も剣を収めてくれるかしら。【ソロモンゴールド】はもはや私一人だけの魔導ではない』
一触即発の殺気を間一髪のところで止められたのは、半分以上が強運のなせる業だろう。
もう一度同じ状況になったら絶対におびただしい血の雨がふる。いくらイセリナがスラムを壊滅させたいとはいえ。さすがにそれは望むところではない。
「・・・・・」
『その目を見る限り、この場で論争をするのは時間の浪費ね。
だけどウェアル。それを言ったらもう平穏な世界では生きられない。貴様に、貴方たちにその覚悟はできているの?』
「…ッ」
『望むところだ。いかなる障害も私の鎌が排除する』
家族も巻き込むことに口ごもるウェアルを押しのけて、桐恵が傲然言い放つ。その姿にイセリナは“コンプレックス”に関して指摘したくなったものの。
それを飲み込んで『誓約』をウェアルたちと交わす。
『いいでしょう。七級光属性C.V.イセリナ・ルベイリーの名に懸けて。金に輝くコインを回す。
現在のスラム住民たちを準市民とし、段階的に正市民へと昇格させる。全員は無理だが、誠実な施策を行うことを誓おう』
『ありがとうございますイセリナ様』
「フンッ」
『ただし!最低条件として貴様の眼前にいる肉牛を仕留めなさい。
それも貴様自身の術式能力を使ってね』
シャドウ一族の『旋風閃』、ヤサシイ姉の『鎌』を使わずウェアルの力を示せ。
そんなイセリナの要求に対し、下級シャドウの若者は姉と同じ凶悪な笑みで応えた。
愛欲を司るアフロディーテはともかく。ギリシャ神話のトップに君臨する『女王神ヘラ』『処女神アテナ』が英雄ですらないパリスに“半裸”をさらす。それぞれ『貞淑』『純潔』の女神としては恥辱の極みでしょう。
何より美の女神である『アフロディーテ』に対してヌード姿で誘惑対決をする。相手の土俵で戦うどころではありません。さらし者にされたあげく敗北の屈辱にまみれるのは確定している。
これでは『パリスの審判』は交渉・誘惑勝負の類ですらありません。『女王神ヘラ』『戦女神アテナ』の二大女神を一方的に“貶める”イベントです。
さらに書籍では三女神が一応、交渉・圧力をかけているのに対し。絵画では三柱の高位女神が水商売のように誘惑している。これを冒涜と言わずして何と言うべきでしょうか。
もっとも当時の画家たちが聖者や貴族の半裸姿を安易に描いたら今で言うところの炎上する。下手をすれば物理的に抹殺されかねないわけで。自由にパロディを描くとしたら多神教を題材にするしかなかったのかもしれません。
まして私は世界中の伝承をアレンジした作品を散々楽しんできました。画家たちからすれば「オマエが言うな」の一言でしょう。




