112.四凶刃の火~微風の姐御
上半身が美貌の海精霊で下半身が六頭の犬が連なった海魔『スキュラ』がギリシャ神話に登場します。この『スキュラ』は上半身、下半身にそれぞれバリエーションのある奇怪な海魔ですが、神話の六頭犬が連なった下半身タイプこそ異形の最たるものだと思います。
そもそもスキュラの下半身は何故、陸上生物の『犬』なのでしょう?海のモンスターは海洋生物が怪物化したもの。あるいは海難が擬人化した。不定形・人型な水の精が地域の影響を受けて特徴を持つ。海魔の大半はそういう存在です。ですから下半身が無数の触手で構成されている現代版のスキュラのほうが、海魔らしいと言えるでしょう。
それなのにスキュラは人間より泳ぎが下手な『犬』で構成され、六つもの『多身』なのでしょう。人喰いの怪物ならサメ、狼に蛇とふさわしい獣がいくらでもおり。『蛇竜』ならともかく獣で六『頭」どころか六『身』が混ざっている。キマイラ、ケルベロスの三頭合成獣を軽く超えています。あげく人間にとって親しい動物の『犬』を人食い海魔にするなんて。
アレンジしなくても『スキュラ』は恐怖神話の怪物でしょう。昇華無しでは海底神殿に出入りさせられない。味方になる可能性があるクリーチャーなら無数の触手持ちに改良するのは賢明だと思います。
『アルケミックキューブ』という術式がある。かつて仙薬を錬成した『八卦炉』の下位互換・・・と言うには未熟過ぎる魔術だが。それでも主君イリス様はその価値を認め、藤次に報奨を与える。
その報奨とは『アルケミックキューブ』をシャドウ一族の力にするための【流れ】だ。現在のシャドウ一族では人員、資金に技能他にも『アルケミックキューブ』を完成、使いこなすための何もかもが足りない。
そこで一旦『アルケミックキューブ』をC.V.に献上した功績・資金を比較的に難易度の低い魔術の開発に投資する。『旋矢』、『操線』に『装繊(水霊糸)』を開発→完成させることでシャドウ一族の力を高め。一族における藤次の発言力を増大させることで、世代を越えた『アルケミックキューブ』を開発する【流れ】を作ろうというのだ。
「単に大金や装備を与えるより、藤次の役に立つ報奨ね。[おめでとう]と言っておくわ」
「おそれいります」
シャドウ一族が掌握しているウァーテルの区画。その建物の一室で藤次は片膝をついて、アヤメ様に服従の意思を示していた。
侍女シャドウのトップと火の四凶刃である藤次。対外的な地位ではシャドウの四天王にあたる藤次のほうが一段上だが、実際はこんなモノである。この密会がバレれば全ての責めを藤次が負うのは確定事項だ。
「それで勇馬様の安否は確認できたのかしら」
「はい。〈報奨をどうするか?〉という質問にまぎれて教えてくださいました」
まぎれてというか、C.V.の婚前事情についてはっきりとイリス様は教えてくださった。その一言一句を加速言語で伝えてから、藤次は所見を述べる。
「勇馬様の安全については保証されていますが。拠点を支配するC.V.領主の・・・一夜の恋人役を務めないと帰還は許されない。
拠点のC.V.たちは跡継ぎ問題で色々と追い詰められており、イリス様でもその行動を制止することはできない・・・という感じでした」
実際のところイリス様が本気で力を振るえば、勇馬、藤次と同格なC.V.集団など敵ではないと断言できるが。
イリス様としてはシャドウ一族の長をこのまま扇奈様に継続させたい。実力・実績で勝り、気心も知れた扇奈様を正式なシャドウのトップに確定させて。
一応幹部になれる実力はあるが、悪徳都市とその背後にいる全てと戦うには心許ない長男の勇馬。彼にはC.V.勢力への人質として留学生活を楽しんでもらい。
ぜひとも生殖能力が低いC.V.の悩み解決に協力してもらいたいのだろう。
「私たちシャドウを甘く見ている所業ね」
「・・・・・・・・・・」
とはいえそれで侍女頭のアヤメ様が納得する。人質詐欺に等しい、勇馬の“一夜”を認めるのかは別問題だ。貴族と同様に庶子が増えて跡目争いにつながるリスクも高く。
何より男性シャドウがC.V.にさらわれていく慣習など、藤次としてもまっぴらゴメンだ。『アルケミックキューブ』が完成する【流れ】の報酬でも割に合わない。
「やはり正式に先方へ抗議を・」
「・・・ッ!」
「姐御?」
「[お話]はここまでね。来たわよ」
“何が?”などと問わない。シャドウの幹部二人が極秘の話をしている場に来るモノなど敵に決まっている。
賊はもちろん中級以下のシャドウにも聞かせられない。〈勇馬の状況〉について密談するのだ。時、場所は厳選したが、今回のように探られている。
そもそもユリネと『水那』の二人が先日、摘発した魔薬の集積場にしても戦力が多すぎた。本来、用心棒として二、三人もいれば良いはずのアジトに、異形へと変わる賊が大挙しているなどあり得ない。
だが今のウァーテルでシャドウ幹部の動きを把握し、待ち伏せまでするのは不可能に近いはずなのだが。
「実際にこうして襲撃されている。何らかの『仕掛け』か『魔術』があるのでしょうね」
「オレにはわかりかねます。情報分析や手品の種を見透かすのは苦手ですので」
「・・・その丁寧なコトバ遣い、戦闘中はやめていいわよ。藤次には似合わないわ」
「ヒデェ、あんまりだ!」
人の耳目があるからと言って、強制的に矯正された日々が走馬灯のように藤次の脳裏をよぎる。
その瞬間、部屋の壁を破壊して、凶器の先端が飛来した。
ウァーテルの一画。その破壊された建物から二つの人影が転ぶように飛び出てくる。一つは少し小柄な男であり、もう一つは細身の黒い影だった。後者はかろうじて人型をとどめており、片足が無くなっているという有様。
それでも何とかこの場から離脱しようと跳びはね・・・
「絶対に逃すなっ、殺せっ!!」
その叫びが終わる前に、投げナイフが殺到する。明らかにナイフの投擲距離を超えて、魔力を帯びた刃が無数に飛び交い。それらのほとんどは小柄な人影に突き刺さり、数本は細身の影を刺し貫く。
「ギャーーー~~~~!イタい、痛い、イダい、痛いーッ^^」
『そこのバカ者。即刻、三文芝居をやめるか。人生終了するか選びなさい』
周囲に響き渡る苦痛に満ちた悲鳴。その絶叫を『風星』で飛ばされたアヤメ様の声が断ち切る。
そうして一瞬の沈黙後に建物を包囲する盗賊の一人が瞬時に火ダルマと化した。
「なっ!?」「バっ・・・」
「悪いがキサマ等と遊んでいる暇、捕虜を取る余裕も無くなった。オレの心身両方の安全のために消えてくれ」
そのセリフと同時に細身の影は『ミミックキューブ』を連結させた人型の正体を現し。その内部に詰められた『黒い怪火』とともに消滅する。
続けて全身に魔術ナイフと矢を生やしていた藤次が何事もなかったように立ち上がった。
「バカな・・・ボウガン以上の威力を持つ魔術ナイフだぞ。それが刺さったのだぞ。
なのに何故立ち上がれる!!」
「ん~~?そりゃオレの身体強化が『旋風閃』では無く、攻撃特化の火術でも無い。
オレの身体強化は・・・『ミミックキューブ』!」
「ッ!?」
また火ダルマにする攻撃を警戒するシーフ連中が身構える。その眼前で藤次は自らを『結界』で覆い、背面に『怪奇の百火』を発動させた。『怪火』は『結界』の効果で爆炎と化し、藤次の身体を『吹き矢の矢』も同然に撃ち出す。
「ッ!?ガッ、ゴォッ!!!?」
その生きた吹き矢に度肝を抜かれたか、反応が遅れたのか。棒立ち、死に体のシーフに藤次は射出の勢いのまま肘打ちを叩き込む。
「こうやって『ミミックキューブ』を“間違って”発動した時に自爆しないよう。火傷しないよう耐火能力に優れているわけだ」
「「「ガァァァーーー!!!!!」」」
合言葉無しで周りの建物内部に設置していた『ミミックキューブ』を連続で発動させる。
それにより『キューブ』に封じられていた『不可視の怪火』が近くの呼吸器を灼いていく。断末魔を叫べた者は半数もおらず。
「何をしたっ。いったいキサマはナニをしやがっァアアアアーーー」
「戦闘中におしゃべりをするんじゃねぇよ。でないとすぐに死んじまうぜ?」
半狂乱になったシーフの短剣が空しく藤次の身体をたたき。その間隙に逃げようとした連中が動きを止めて硬直している。
その向こうには『旋風閃』で一人撤退したはずのアヤメの姐御が、配下のシャドウを加速させて新たな包囲陣を完成させていた。
『犬の子』という意味もあるスキュラ。六頭の犬が混ざったその下半身を分析するとき、『ケルベロス』『猟犬星座』をはじめとする間違いなく『犬』のモンスターについて考察するべきです。
端的に言えば、モンスター『ドッグ』は嫌われていると思います。人食いアンデットのいないギリシャ神話で冥府の番人をするケルベロスは日陰の存在であり。死者の蘇生を妨害する怪獣にすぎません。呪いのためとはいえ、主の狩人を噛み殺した『猟犬座』は論外でしょう。
狩りの相棒であり、番犬も務める『犬』たち。それなのに犬のモンスターはかなり嫌悪されていると思います。
そんな犬モンスターを嫌う人々は誰なのか?盗人、海賊に墓荒らし。あるいは聖域荒らしの尖兵である密偵だと愚考します。連中は『侵略の神』『盗賊の神』の加護をいただく勇者なのですから。その活動を妨げる『優秀な番犬』たちは忌まわしい怪物にすぎません。
盗賊、勝利した賊の類たちが『犬』を中傷した。地下の富を守る守備兵、豊かな島の巫女と護衛を怪物へと貶めたのが犬のモンスターだと思うのですが・・・・・
世の中には様々な視点があるわけで。鉱山(冥府)とその富で雇われた私兵。海賊行為と海洋貿易の兼任で荒稼ぎをする海賊。そういう横暴な連中をモンスタードッグとして扱った可能性もあるのかなあ・・・と愚考します。




