110.四凶刃の火~キューブへの報酬
ギリシャ神話には『スキュラ』という海魔妖獣がいます。強制変身の神話は数あれど。呪毒を使われ、半端に上半身を残され。強制変身の神話の中で最悪と言っても過言ではないオハナシでしょう。
ですが『スキュラ』の悲惨さは怪物へと変えられた海の精霊だけにとどまりません。古代世界において神聖な『沐浴する水場』が穢された。加えて神話の中で『スキュラ』の種類(ver.)が他のモンスターと比べ多い。
この連鎖は悲惨な歴史を暗示していると推測します。
『ミミックキューブ』という固有に近い術式がある。さらにその改造版として『アルケミックキューブ』という錬金術【炉】の秘術が存在する。
まず『ミミックキューブ』は術式二つの連鎖だ。様々なアレンジが可能だが出力に劣る千変万化の火術式。火術式を増幅しつつ、同時に熱・火術を封じる箱形結界。
それらを連動させることで、箱形結界の中でのみ様々な火術を高出力で発動できる。『箱』の中に捕捉したものを、様々な火術で焼き炙り熱変化させることも可能となる。
結界マスターのように消滅は無理だが、それなりのダメージを与えられ。火属性がメインの『錬金術』も使えるようになれたかもしれない。
「しかし現在の『ミミックキューブ』は単なる攻撃魔術の一種でしかない。オ・・・ワタシが使う変わった『火箱』でしかありません」
「藤次君。ここにはボクたち二人しかいないから〈オレ〉でいいよ」
「アリガトウゴザイマス」
「まだちょっと固いかな。敬語も無しにしようか」
「“オレ”呼びだけでご勘弁願います」
会談前のやり取り。イリスとしては準備運動な軽口のつもりだが、藤次君の口調は固い。
普段は軽口をたたく四凶刃の火属性も、シャドウの一員であり幹部の責任を担っている。
[可能な限り望みを叶えてあげる]という報酬の内容を相談する、この場は藤次君にとって戦場に等しいのだろう。しかも会談の経験などろくに無い藤次君にとって丸腰で未知の戦場に放り込まれたようなものだ。
「それじゃあ藤次君が開発した『アルケミックキューブ』の報酬だけど・・・」
「お待ちくださいイリス様。オレは確かに『アルケミックキューブ』を使いました。
ですがあれは他力本願で魔力をかき集め、“一度のみ”を条件に使用した“一発芸”も同然の技でございます。
求めた成果を得られたならともかく。失敗した術式に特別報酬など出されては困ります」
『アルケミックキューブ』
それは連鎖術式である『ミミックキューブ』をさらに多段で発動させ。たくさんの素材・触媒を、それぞれに適合した『魔術の火』で熱変化させて一気に調合する。
『魔女の釜』『ガラス器具』を使ったそれらとは異なる錬金術であり。古の老仙人が『八卦炉』で仕上げたとされる丸薬を復活させる試みでもある。
「『アルケミックキューブ』の術式は完成されていない。『一度のみ使用』の誓約によって、二度と使えない。
何よりボクの魔術抵抗を突破できる『特製霊薬』を調合できなかった。だから評価に値しない・・・と?」
「然り。仰る通りでございます」
竜滅、破軍の力を得るイリスの身体強化は多大なデメリットも抱えている。その中に〈治癒の霊薬を身体が拒絶する〉というものがあり。
藤次君は・・・。藤次たちシャドウの有志は自らの【可能性】を代価・燃料にして『アルケミックキューブ』を発動させ。イリスの過剰な抵抗力を【一度だけ】突破して特製霊薬による回復を試みたのだが。
「失敗した以上、特別報酬をいただくわけにはいきません。
我々シャドウは“ガンバッタ”から“任務失敗”を無かったことにする。そんな恥知らずとは違いますから」
「よく知っているよ。結果が全てとは言いたくないけど。
ボクだって“ガンバッテ”過ごせば横暴が許される。他人の夢、命に尊厳まで破壊しておいて“ガンバッタ”から安易に“必要悪”とのたまう連中を認める気はないよ」
「でしたら・・・」
「ただし!それと『アルケミックキューブ』のもたらす物を無視する。『炉』による錬成技術を盗み取っていいというのは話が別だよ。
だから然るべき報酬を払ってボクの好きに利用したいというわけ」
火属性の製作イコール『鍛冶』という考えかたがあるが。イリスとしては太古を席巻した老仙人の秘術を復活させたい。不老不死の丹薬など必要ないが、エネルギーの凝縮や焼成など様々な【可能性】を失いたくない。
まして藤次の得るはずだった【可能性】を燃料として消費したとなれば。聖賢の御方と讃えられるC.V.のプライドにかけてお返しをする。そうしなければイリスは自分を許せない。
そんなイリスの意思が変わらないと悟ったのだろう。藤次君はようやく願いを口にする。
「オレの願いは・・・・・」
「却下」
「・・・・・やはり」
〈難しいのですね〉と続けそうになって、藤次はセリフを飲み込む。そうして『ミミックキューブ』の試作をするときのように、思考を加速させた。
[可能な限り願いを叶えてあげる]
そんな破格の恩賞を提示するイリス様は【聖賢の御方様】であり。藤次のような狭所で強いだけのシャドウとは見ているものが違う。
しかしそんなイリス様の聖賢を持ってしても「シャドウの身体強化に伴うデメリットの対策」は困難なのだろう。まして姫長の扇奈・セティエール様たち上級シャドウの“身体への負荷”を何とかできないか。
その望みはいくら何でも難易度が高すぎるに違いない。
「何を考えているかだいたい予想はつくけど。それは余計なお世話というものだよ。
仮にボクが火属性の身体強化は熱病のリスクを伴うからと言って。男性の領域に土足で踏み込んだりしたら。君たちはアリガタメイワクで済むかな?」
思考加速を停止。〈下手な考え休むに似たり〉どころでは無い。危うく『埋めた火箱』を踏み抜くところだった。
そんな藤次に対してイリス様は恩賞を提示する。
「急に言われても困ると言うなら。男の夢、ハーレムでも築いてみる?
莫大な持参金付きから、一夜だけの関係まで。より取り見取りの幸せを約束するよ」
「どうか却下でお願い申し上げます」
主君であり恩人の尊敬する御方の提案に対し、藤次は一瞬の間もおかず拒否の返答をする。
昔は藤次も愛妾を抱えることに夢を持っていたものだが。それが愚かで浅はかだとC.V.遙和に刻み込まれたのは何時のことだろう。
藤次は絶対に思い出したくない。主に精神の安定のために思い出したくない。
忘れたらそれはソレで危険なのだが。
「ふ~ん。人間は政略結婚で利益を最大限に引き出すのが正道になったと聞いたけど。
藤次クンの腕ならハーレムで幸せをつかめるんじゃないかな」
「勘弁してください」
笑って誤魔化すつもりが本音と逆になっている。そんな藤次の醜態を見て、イリス様は矛を収めてくださったが。
その目は笑っておらず諦めておらず。一瞬、藤次は〈ハーレム禁止〉を望みたくなる。
しかしそれを望めば他の四凶刃がどうなるか。『キューブ』の【連鎖】を試行している藤次はそんな危険を冒す。姫長、アヤメ姐さんたちの逆鱗に触れる【連鎖】を行うほど無謀ではなかった。
「・・・そうだ。勇馬の奴がヴァルキリーの城へ留学に行ってトラブルを起こしたとのことですが。
何かご存知でしたら教えていただくというのはいかがでしょう」
カオスヴァルキリーの名は伊達ではない。戦闘能力だけでも魔族より混沌としているが。その風習、プライベートには軍規が適用されない。他人様に迷惑をかけなければ、割と自由である。
百家争鳴、千差万別過ぎていちいち覚えていられないとも言う。そのため人質に出された勇馬は最低限の禁忌を犯さないよう知識を詰め込んだはずだが。
現在、弟の勇馬を迎えに行ったはずの、姫長様は一人でお戻りになり。あげく不穏な気配を発し質問を拒絶しているという有様。
藤次でなくても何があったか知りたいというものだ。
「ん~~~・・・。ソレを知りたいの?
『アルケミックキューブ』の対価としてはどうかと思うけど」
「イリス様にとっては価値が低くとも。俺達シャドウの行く末を左右しかねない重要情報です。
どうかお教えください」
そもそも『アルケミックキューブ』の価値はシャドウにとって低い。
シャドウ一族の主流は風属性であり、火属性の『ミミックキューブ』を使う者すら少数派だ。
加えて密偵稼業から脱却するのに必死で。錬金、鍛冶に陶芸モドキの混成である『アルケミックキューブ』を研究する余裕など無い。
エリクサーもどきの調合を試みたあれは【一度のみ】の誓約はともかく、魔力量でゴリ押しをした技とは呼べない一発芸である。
使う目処の立たない術式は大恩ある主君から対価をいただけるような代物ではないのだ。
「見解の相違というやつだね。その件はボクに関わる集落のことだから、四凶刃の君たちなら教えていいよ。
端的に言えば、扇奈が詐術にひっかかった。そのせいで勇馬君はプチハーレムの主に据えられると思う。
五体満足で返すのは約束するし。ハーレムを楽しむのも、一夜の夢と割り切るのも自由だよ」
“一夜の夢と割り切る”訳:“複数C.V.を捨ててもいい”
女性上位の現状でそんな話を信じるほど藤次はおめでたくない。仮に男女平等でも刺されるか、制裁されるか。男尊が絶対の権力者でもあるまいし。
藤次は胸中で勇馬に別れを告げた。
私はスキュラの下半身は『暗礁』を含めた様々な海難の化身であり。上半身の女性は『豊かな島』と“空想”しています。そして考古学では上半身の女性が複数種類あるとか。
つまり『スキュラ』とは単に暗礁に囲まれた〈島の一つ〉では無く。海賊以下の連中に“水場(聖地)を穢された島々”の化身だと推測します。
たいていの強制変身は女神、魔女が己の誇りである『魔術』によって、嫉みの対象を『獣』に変えます。毒薬、盃の中身を触媒に使うとしても、それらを浴びせるか飲ませればいいだけのこと。
そんな中で『スキュラ』の神話は“呪毒を水場に放り込む”という聖地破壊に始まり。人型にとって大事な下半身を『怪物』へと変えて生き恥をかかせる。いくらなんでも悪意がひどすぎます。
しかし平和な島に“海賊まがい”が襲来すれば。閉ざされた島で略奪放火のやりたい放題。水場を穢され、宝物?を奪われれば。スキュラのように発狂・絶望するような惨劇が起きた可能性もあるわけで。
剣を持つスキュラの絵。最期は『岩礁』となったスキュラの話を漏れ聞くと。ロクでもない“残酷物語”を連想してしまうのです。




