105.閑話~火蛇の思惑
戦国時代の忍び。飛脚、マラソン選手を超えた脚力を持っているかは疑わしいと私は考えています。とはいえ戦国を生きる他の人々と比べ、長距離を疾走する足を持っていたことまで否定しません。
そんな忍者たちは疾走して何を運んでいたのでしょう?何でもかんでも、安易に運んでいたのでは命がいくつあっても足りません。
賞金をかけ、デマを流せば武装した農民が襲いかかってくるでしょう。戦乱の世、頻繁に敵地へ侵入すれば、対立する忍者一族が面子をかけて抹殺にかかります。
そのため忍者が運ぶ物は厳選し、敵勢力への侵入は極力避けるべきではないでしょうか。
『アルゴスプリズム』という魔導能力がある。それは術式に関する【認識】を変動させる能力だ。
鍛冶師が金属を解析し。料理人が調理の工程と完成をイメージして。
狩人が獲物とその痕跡に関する情報を鋭く知覚できるように。
『アルゴスプリズム』の洗礼を受けたシャドウは自らに適性のある魔術、技術を捉える【瞳】を与えられ。さらにそれらの長所、危険を認識するよう暗示をかけられる。
それにより中~下級シャドウたちは、盗賊ギルドを中核とする闇の組織を圧倒する力を得た。
「その力を何故、貴女はお館様に返したのかしら」
ウァーテルの中心部である政庁の一室。侍女シャドウを束ねるアヤメに与えられた部屋で、彼女は同僚のカヤノを詰問していた。
『術式変動』死蔵される可能性を放棄することを代償に、得意分野の能力を伸ばす。万人が望んでも得られない、才能を伸ばし他者を圧倒する力をもたらす『禁断の実』と言っても過言ではない。
主君イリス様を【聖賢の御方様】と崇拝させる智恵の魔導能力こそ『アルゴスプリズム』だ。
「『緋水晶』のせいですわ。この能力は成長すれば、私の視覚を代償に敵の目を封じる呪法となりますの。ならば尊い【瞳】の力を灼く前にお返しするのが忠義と言うものでしょう」
そう言ってハーブティーをすするカヤノをアヤメは観察する。その所作は落ち着いており、ゆらぐ様子はない。
とても成長の可能性を失った敗者ではなく。むしろ獲物を呑み込みつつも、次の獲物に狙いを定める捕食者の【瞳】をしていた。
『何を考えているの?カヤノ』
「ああ、申し訳ないのですけれど。少し込み入った話になるので『発光術式』を使うのはやめてくださるかしら」
[会話の秘匿性より内容を重視する]と告げるカヤノにアヤメは姿勢を正す。
「さてアヤメ。お尋ねしますけど。現在の戦況で『アルゴスプリズム』がもたらすデメリットがわかりますか?」
現在の戦況。お館様がウァーテルを占領し、闇組織と暗闘を繰り広げている。周辺勢力の裏組織が面子にかけて、ウァーテル奪還を行おうとしている。
だが、たったの一夜でウァーテルを陥落させられ闇の組織連合はプライドをズタズタされ。誇りを取り戻すため、武力によるウァーテル奪還を行おうとする勢力と。戦闘では敗北必至だと策謀をめぐらそうとする連中。情報収集や日和見を決め込む集団とで足並は揃っていない。
そんな状態で、イリス様の妹君であるC.V.イセリナ様がふるう魔導能力に抗えるはずも無く。
ウァーテル陥落時と同じ『仕掛け』によって、上級シャドウは各地の組織を壊滅させていた。
「私たちが圧倒的に有利な戦況。そんな中で『アルゴスプリズム』がもたらすデメリット・・・」
正直、アヤメは考えたこともなかった。この状況でシャドウの一族が破滅するとしたら、イリス様が暗殺される。もしくはC.V.の事情でお隠れになることぐらいだろうか。
それによって『アルゴスプリズム』が停止、没収されればシャドウの戦力は大きく下がり、滅亡の危機に陥りかねない。
「確かにその通りですけど。それは私たちが案じても仕方の無いことですわ。
私たち〈侍女〉が考えるべきこと。それはお館様が『アルゴスプリズム』をシャドウに〈継続〉して施術してくれるか否かだと、私は思いますの」
「お館様が私たちシャドウを捨てると言うの?」
「そんなことは申しません。私たちが忠誠を誓い、力を高める努力を怠らないかぎり。お館様は得難い主でいてくださるでしょう。
しかしそれと『アルゴスプリズム』を〈継続〉して付与するかは別問題だと思いますの」
シャドウ一族の才能を飛躍的に伸ばした『アルゴスプリズム』。だが今後、今までと同じペースで才能を伸ばし、優れた能力者が現れるかは難しい。
その理由は幾つかあるが、最大のそれは“盗賊ギルドが弱すぎた”ことだ。一夜でウァーテルが陥落したのに加え。“暗殺者”、“邪術士”が色々と逆襲の一手を企てていたものの。
幹部シャドウ【四凶刃】たちによって秘密裏に処分されてしまい。
現在の闇ギルドとの勝敗は既に決している。悪あがきの非道な計画は幾つかあるようだが。
万が一それらが成功しても、最終的に戦略的勝利を得る目処はついている。
「けっこうなことだけど。『アルゴスプリズム』を賜って成長する意欲は薄れるわね」
「ええ。貴女が指導している『旋風閃』を会得すれば充分、勝利を得られるとなれば。
わざわざシャドウに一族に『アルゴスプリズム』を付与する必要はない。それより旅人、降伏した者たちに『アルゴスプリズム』を与えた方が兵種を増やせる。配下の軍を増強できる・・・と主様はお考えになるかもしれませんわね」
「・・・・・そう貴女が結論づけた理由は?」
「先日『アルゴスプリズム』をお返しした時ですわ。
C.V.にとって誇りであるはずの魔導能力。“その加護をいらない”と言っているに等しい私の“無礼”を主様はお喜びになっていた。
そもそも主様にとって『アルゴスプリズム』により配下を精鋭化するなど造作もないこと。
それをなさらず『旋風閃』というシャドウ固有の術式開発を自由にさせている。主様が大半のシャドウに期待しているのは【予想外の変化・成長】だと思いますの」
「・・・・・なるほどね」
アヤメとしてはあまり気分のいい話ではない。シャドウは騎士とは異なる誇りを持つ兵士だ。
変化を楽しむ観賞用の草木、小動物の類ではない。
だがアヤメたちが生きるのは実力主義の世界であり。桁外れの実力を持つイリス様は〈シャドウの成長を観賞する特権を有する〉と認めるしかない。
それが嫌ならぬるま湯の世界に逃避する。もしくは自らの実力で〈イリス様が観賞する余裕を消失させる〉べきだろう。
「それでお館様のご期待に応えるため、『操線』『装繊』の術式開発をしようと言うのかしら」
「主様と【健全】な主従関係を築くためですわ。現在、私達は主様ご自身の資産から報酬をいただいておりますが。ウァーテル占領に伴い領地、利権を与えられる。ある程度、王と貴族のような主従関係になるでしょう。領地や利権を下賜され独自行動を許される。
その際、絶対に避けなければならないのは、貴族連中の性根を取り込むこと。
大義名分を振りかざし“弱い盗賊”を襲い続けることで、盗賊に襲われる民の被害を増加させる。それにより聖賢の御方様から不興を買うことだけは防がなければいけませんわ」
「・・・確かにね。貴族連中のように外面だけ取り繕って、弱肉強食のケダモノと化す道を断つ。
そのために硬軟併せた術式開発を行い、それらの術によってシャドウ一族を養う糧を得る。お館様にはその工程をご覧に入れて、『アルゴスプリズム』を付与するに値する一族だとアピールする。
その筋道をつけるというわけね」
「アヤメは話が早くて助かりますわ」
そう言って茶を飲むカヤノを視界に入れつつ、アヤメは平静を装う。そうして素早く胸中の“盗賊狩り”計画を粉微塵にした。自分では“選別”を“適切”に行っていたつもりだったが。
カヤノの話を聞いた後では冷や汗、羞恥の自決モノな愚行だったと断言できる。アヤメは始原に暴れ回ったという美食暴食の魔女ではないのだ。自分の増長に下級シャドウたちが毒されれば、その被害は甚大なものとなる。
「扇奈姫様の説得は私に任せてもらえるかしら。それと『旋矢』も開発するならタクマを中級に昇格させる名声も必要ね」
「・・・“私情に流されている”とは言いませんの?」
「隠しているつもりのようだけど・・・実力的には問題ないわね。それに矢玉を上空に打ち上げるのは雇われ兵でもできる・・・そういう風に策士連中に〈誤認〉させられるのも良いわ」
「あら、悪いお顔だこと」
そんなやり取りをカヤノとしつつ、アヤメは護衛計画を練り始める。対象は自分の重要性をわかっていない目の前の同僚だ。タクマの昇格を利用して警備を強化できれば良いのだが。
これはあの御方に相談すべき重要案件だろう。将来のシャドウを支える女宰相を守るために必要なことなのだから。
「善は急げよ。早速、姫長にお会いしてくるわ」
「お待ちなさい。せっかくのお茶なのですから残さずに飲む余裕を持って・・・アヤメっ!」
重要な話は終わった。後は微風を吹かせる拙速が大事な時間だ。
長距離を走れる忍者が運ぶべき物。伝えるべき情報は、【敵国が攻め入ってくる情報】でしょう。国の存亡に関する情報なら、普段は忍者を嘲る武将たちも無視できません。それに国境から味方の拠点へ続く道なら、一応自国ですから敵領地を走るよりは安全です。
そしてドラマだと〈敵国の侵略に関する情報〉は国のトップに伝えられますが。実際は国境から国の本拠地に至るまでに点在する砦・支城にも伝令を行う必要がある。廻り道になっても、有力な豪族たちに敵国の動きを伝えるべきで。
そういう情報伝達を担う忍者たちは千里を駆けると【錯覚】されるかもしれません。
ただし忍者一人の足に、国の存亡がかかった情報を運ばせるのは愚策です。事故、天災に刺客。それらで容易に情報伝達が遅れる仕組みに国の命運・防備を託せるでしょうか?
やはり国の存亡がかかった重要情報は、忍者集団が複数手段・ルートで運ぶ。リスク分散をするべきだと思うのです。




