103.閑話~水を飲む火蛇
一つだけの違和感は目立ちますが、異常事態が連続するとささいな事件は認識されない。気付かれない確率が高くなります。
英雄ペルセウスの神話はその一例でしょう。『メドゥーサ退治』に『アンドロメダ姫の救出』。大冒険が続くことで、本来なら指摘されるはずのことが認識されない。
ペルセウスは“マザーコンプレックス”なのではないか?という疑いがスルーされていると思うのです。姫君、ヒロインの愛を得るため旅立つ英雄は数あれど。〈母親への求婚を妨害するため〉旅立つ若者というのはかなり珍しい。メジャー神話ではペルセウスぐらいだと考えます。
悪徳の都だったウァーテル。カオスヴァルキリーが支配する都において、今最も価値のある情報と言えば。C.V.陣営がふるう異能・魔術に関する情報だろう。
闇ギルドの強みである数の暴力、暗殺の技を打ち破った混沌の術技。それらの打倒なくしてウァーテルを闇の勢力が取り戻すのは不可能だ。
「・・・ッ・・・ッ・・・ッ」
そんな状勢において『水蛇蒼泉』『水渦双泉』という秘術の情報を得られたのは幸運と言える。
精鋭シーフ、大量の魔薬など代償は大きいが、その損失を考えるのは幹部の仕事であり下っ端の自分が考えることでは無い。
『水蛇の群れを操る』『魔術封じを無効にする』
闇ギルドに属する者として、何としてもこれらの情報を持ち帰る。そうして情報屋として闇の世界で名を上げるのだ。
そんな野望を抱く男の足がもつれる。たたらを踏んで体勢が崩れる。
「ッ!?」
その首筋を冷たいナニかが通り過ぎていった。それとほぼ同時に進行方向の地面に矢が突き刺さる。矢羽根が震えるそれは、飛び道具の威力を能弁に告げていた。
「ヒッ・・・」
叫びそうになった口を閉ざし、男は速やかに進行ルートを変える。人込みに紛れれば矢を射かけられることも無いだろう。略奪放火もしないセイギの味方は甘ちゃんで、隙を突くのもたやすい。
「チッ、熱っ!?」
そんなこと考えた男の片足首に熱が走る。普通ならどうと言うことも無いはずの、煮立てたスープ程度の熱さ。
しかし現状を鑑み、熱が足首から這い上がってくるとなれば・・・
「ま、まさかっ・・・」
太股のあたりで、熱が迷うように止ったことに肝が冷える。だが熱源のナニかはヘソをかすめ背中を這い上がってくる。
「まさか、コレは、まさかっ・・・」
その正体に熱せられたはずの背筋が冷えてくる。服に潜り込んだソレは首筋から鎌首を持ち上げたのに、上半身にからみついたままであり。
「:*ッk!?、ヒッ・・・なぁっ!!!」
赤色の蛇体が男を見下ろす。からみついた感触から、蛇の長さは男性身長の半分程度か。開いた瞳孔から感情は読めず、頭部顔面から表情は読めない。
にもかかわらず裏の住人としての勘が“見下ろし”“見下して”いると告げていた。
「てめぇ、離れろっ!」
ヘビごときに侮辱されている。その怒りが蛇への恐怖を一時的に忘れさせて。男は蛇の首につかみかかった。その両手は赤色の蛇体をつかみ取り・・・
「えっ?」
飛来した矢によって両腕を串刺しにされる。同時に蛇体が赤熱を帯び、両の手指を焼き焦がす。
「ヒッ、ギッ、ィャャアアアアアアアアア!?」
男の喉から絶叫が絞り出される。蛇への嫌悪、赤熱から連想する火が本能的な恐怖を呼び起こした。
「ア・・・」
だがそんな恐怖など知らぬとばかり、無情の矢が男を貫く。回りは壁に囲まれ、射手の姿は見えない。どこから、どうやってこの矢は射られたのか。あるいは理不尽な魔術の仕業か?
「探ってやる。見破ってヤ・・・」
その呟きを最期に男の意識は永久に途絶えた。
「盗み見るモノの死亡を確認。さすがですわね、タクマ」
「恐れ入ります、カヤノ様」
情報収集をしていたシーフが倒れている場から数軒離れた建物の屋根上。そこで弓矢による狙撃モドキをしていた男女のシャドウが離脱を開始する。
男の名はタクマと言う。先程までウォッチャーに観察されながら、闇ギルドのアジトを壊滅させていたユリネの兄であり下級シャドウの一員だ。
そして女性のほうはシャドウを束ねる扇奈に仕える侍女シャドウであり。友人であり今のところまだユリネの同僚でもある。『水那』を創る際に色々やらかしたユリネは降格が確定しているため、遠からず所属も変わるだろうが。
そんな身分差がある二人が何故、目撃者の口封じをしているのかと言えば。
「【カ・ヤ・ノ】と呼んでくださいまし。
私たちは逢い引きの最中、偶然にも不審者を見つけたのです。そうして逃げられそうになったから『旋矢』を放ち、当たり所が悪く射殺した。
聖賢の御方様にはそう報告しますのよ。“様”などつけないでください」
「・・・・・・・・・・承知しました」
【カヤノ】の名を呼ばないことで、タクマはささやかな抵抗を試みる。加えてどこからツッこめばいいのか視線で問い掛けた。
逢い引きの最中にタクマが弓矢を背負っていること。ウォッチャーが観察をする以前からユリネと『水那』の二人を監視していたこと。あるいは盗み見をしていた賊の遺体を放置してどこに向かうのか?等々
そんなタクマの疑問にカヤノ様はいくつか返答していく。
「タクマは悲観しているけど、『旋矢』は私達シャドウにとって有用な術技ですもの。いつ名を上げる機会がきても使えるよう、弓矢は持っていないと。
『水那』を監視していたのは安直に戦場で“捕食”をしないか確認するためですわ。私たちシャドウも人なのですから、天敵の魔物がいては怖いですもの。
そして賊の遺体を放置したのは時間が惜しいから。ユリネたちを出し抜く時間稼ぎのためですの」
「それっていったい・・・」
「さあ、つきましたわ。身だしなみはよろしいかしら」
「なっ!?ここは・・・ちょっ!」
カヤノがタクマを連れてきた場所。それは都市の顔である政庁であった。
もっと言うなら、主君と姫長のお二人がいらっしゃるウァーテルの中心である。下級シャドウのタクマが呼ばれもしないのに、入っていい場所ではない。不用意な接近、感知能力の使用だけでも厳罰ものだ。
「問題ありませんわ。緊急で会見を申し込むための道具は下賜されていますもの」
そう言ってカヤノは懐から『紙片』を取り出す。指をかんで血を滴らせ、魔術文字を刻み。続いて燐火で文字をなぞると『紙片』は赤い蛇と化して政庁へと入っていった。
それから待つことしばし。
「お館様がお会い下さる」
「手数をおかけしますわ」
「・・・・・」
侍女シャドウを束ねるアヤメ様がカヤノを迎えにくる。そうしてタクマは雲の上におわす主に拝謁する機会を得た。
心底、辞退したい。だがタクマはその発言すら許される立場ではなかった。
「それで?いったい何の用かな?」
「お館様にお願いがあって参りました」
平伏するタクマの横でカヤノが堂々と告げる。カオスヴァルキリーは実力至上主義で、相応の〈戦果〉を出せるなら礼儀作法には厳しくない。
だが魔力が高く侍女を務めた優秀な妹と比べ。下級シャドウにすぎない不肖の兄からすれば、お館様の眼前など裁きの場に等しい。心身が削られる法廷に、タクマは気が遠くなる。
「ふうん。言ってごらん」
「実はこちらのタクマ殿と逢い引きをしていると、ユリネたちが賊の拠点を制圧するところに遭遇しました。もちろん『蒼泉』を使いこなすユリネたちの敵ではございません。」
「・・・・・」
「・・・・・それで?」
「そこで私は有用な術式を目の当たりにしました。水蛇『装繊』と『操線』でございます」
数種類の水糸、粘体をより合わせ鬼の上半身を作りまとい怪力を得る『装繊』。
空気中の水分に魔術で〈重さ〉〈弾性〉を付与する。重い水分で敵の動きを阻害し、自らは水の弾性を利用して制動、体捌きを行なう『操線』の術。
「『装繊』に『操線』か。確かに有用な術式だね。
それで?キミがのぞき見したモノに値段をつけろというのがオネガイなのかな?」
「お戯れを。お館様がそのようなことを嫌悪なさっていることは周知のことですわ」
「別にボクがニガテだからと言ってみんなまでそれに合わせる必要はないよ。ネガうだけなら自由だしね」
セリフとは裏腹に聖賢の御方様は不機嫌を隠す努力を放棄している。その事実にタクマは心底、震え上がった。
お館様の不機嫌イコール姫長様の怒り、死地への突撃である。下級シャドウにとってそれは死刑宣告に等しい。
「お許しいただきありがとうございます。では申し上げますわ。
このままでは『装繊』『操線』の二大術式が失われます。早急に確保を要望いたしますの」
「どうして?ユリネちゃんは『水蛇蒼泉』のアレンジをしてそれらを編み出した。然るべき予算、時間をかけてサポートを行なえば術式は完成すると思うけど」
資金に加え、人員まで回すと仰る。妹の術式が評価されたことに、兄としてタクマは喜ぶ。
しかしカヤノの意見は異なるようだった。
「それはユリネが開発予算を申請した場合の話ではございませんか?」
「そうだけど・・・」
「おそらく彼女は『装繊』と『操線』二つの術式を死蔵する。
【魔竜鬼】の水那を育て、魔術繊維の振興を行うことを優先して。術式開発に手を広げることは避けると思いますの」
「・・・・・」
そう告げてカヤノは傍らに控えるアヤメ様に視線を投げかける。その目は〈貴女と同じようにね〉と雄弁に告げていた。
「もったいない・・・とは言えないか。ボクだって容量があるし、優先順位を誤っては全てを失う。
正しい判断と言うべきなんだろうけど・・・」
「『装繊』はともかく『操線』は絶対に押さえるべき術式です」
「『旋風閃』の指導役を務めるアヤメとしては当然の意見ですわね。だけど都市ウァーテルで活動するのに、加速能力だけでは不安ですわ」
下級シャドウにとって雲の上な会話が交わされる。できれば“帰ってよろしいですか?”の問いを投げかけたいところだが。タクマの階級では発言の自由すらない。
「『装繊』は陸戦師団と共同研究でイセリナに資金、人材を出させよう。
『操線』のほうは魔力持ちのシャドウを選抜して開発かな」
「異論はございません」
「よろしいと思いますわ。ですが私が“のぞき見”していた事実を抹消する〈儀式〉が必要ではございませんか?」
「それは・・・・・ボクが命・・・」
「カヤノ・・・何か策があるのかしら」
「ええ。取って置きの計画がございますわ」
その瞬間、タクマの背筋に悪寒が走る。火属性の怪物に襲われているのに寒気を感じ、勘働きが警鐘を鳴らした。
「ここに控えるタクマの弓術『旋矢』も同時に開発するのです」
「「・・・・・」」
「ッ・・・・・」
お館様たちが憐れみの視線を寄こしてくる。それでタクマは警鐘が遅すぎると確信した。
そもそも古代世界において王の求婚は破格な条件の縁談です。飢えを免れ、安全を確保できる。父親の神が名乗って、責任を取っているならともかく。“金の雨”でヤリ逃げ状態となればなおさらです。
まして島に流れ着いた元姫君にとって、得難いチャンスでしょう。ペルセウスが元気に育っているのですから、島国をまともに治める能力はあったはず。
そんな良縁をぶち壊し。兄王の勢力を壊滅させてから、母親を連れていった。色々と恩のある弟王とのフラグもへし折ったように感じるのは私だけでしょうか?
ちなみにペルセウスの祖父殺し。祖父の顔も知らない昨今ver.は一応誤射の言い訳が通じますが。私が初めて読んだver.は“和解した祖父王に誤射した”という言い訳が厳しい内容です。
英雄にとって引退した老人など殺す価値はないでしょう。ですが母親想いの若者?にとって、祖父王は“監禁”“海流し”をやらかした外道であり。円盤を“誤射”する動機は充分だと愚考します。




