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デート

 行きたい場所があると言ってきたので、別行動を取ることになった。目的地がどこか気になったけれど、追求はせず、例の和菓子屋に寄って美咲さんのお土産を買って、時間を潰した。そして、待ち合わせの時間より少し前に、あの砂浜に到着する。

 岩の上に腰を下ろして、彼女が来るのを待つ。海のざわめきだけが鼓膜を濡らして、潮風が全身を洗い流していく。

 その時、ぽんと肩に手を置かれたので、僕は飛び上がった。僕の脳天と誰かの顎がぶつかって、互いに「うぐっ」「あぎゃっ」と声を漏らして背後に飛び退き合った。

「ううう……いきなり振り向かないでよ、光彦君」

 顎を両手でくるみ、涙目で睨んでくる穂夏さん。

「あ、謝るべきはそっちだろ!」

「……ごめんなさい」

 穂夏さんはすりすりと顎をさすりながら、僕の隣に腰を下ろした。

「結構早くに来てたみたいだね。いきなり誘ったりしてごめんね。会って間もないのに」

「いや、それはいいんだけど……」

 彼女は僕を見て、「うんうん」と何故かしきりにうなずいた。

「君は音葉の話が聞きたくてここに来たんでしょ? 私のことなんて、一ミクロンも気に掛けてないんでしょ?」

「ええと……そんなつもりじゃ、」

「まあいいんだけどね」

 そう言って穂夏さんは自分の膝小僧をぽんと打つ。

「別にこれといった話がある訳じゃないし、聞きたいことがあったらなんでも聞いていいよ」

 僕はその言葉を聞いて、一瞬逡巡した後、おずおずと言う。

「音葉さんのことなんだけど、」

「愛する彼女について、やっぱり聞きたいか! いいだろう、話してしんぜよう!」

 こほん、と咳払いして彼女は話し始める。

「まず、彼女は処女である」

 僕は「いや、そんなことが聞きたいんじゃなくて」と声を上擦らせる。

「あのね、音葉のプライベートだから、私が勝手に話していいのかわからないけど……君は音葉のアレだから、気負わず言うね。音葉が今悩んでいることがあるとしたら、」

 穂夏さんはまっすぐ僕を見詰めてきて、どこか真剣な面持ちで言う。

「音葉には昔、双子の姉がいたの。名前を奏って言ってね」

 え……?

「けど、彼女は交通事故で死んでしまって、その時から音葉は音葉でなくなったんだ。奏さんは音葉とは違って、ぶっきらぼうで人当たりが悪くて……正直周囲には疎まれていたんだけど、音葉と奏は本当に仲がよかった」

「……待って。それが今、音葉さんを悩ませていることなの?」

「それは私もずっと会ってないからわからないけど、間違いなくそれがトラウマになってると思うよ」

 すると、突然背中をバシンと叩かれる。僕は激しく咳き込んだ。

「君が音葉を支えてやれ! 彼女を救えるのは君しかいないのだ、少年!」

 そうして彼女は僕に満面の笑顔を向けてきて――。

 その顔が、いつか見た、誰かの笑顔と重なった。あれ……。

「光彦君?」

 彼女は目をきょとんとさせて僕の顔を見つめてくる。

「もしかして……僕達、昔会わなかった?」

 その瞬間、穂夏さんの顔に様々な感情が過ぎるのがわかった。表情がくしゃりと歪み、やっと、と彼女はつぶやく。

「やっと気付いてくれたんだね」

 そうして僕の脳裏にあの夏の日々が呼び起こされる。あの、太陽が燃え上がるような昼下がり、僕らは出会い、懸命に言葉を交わし合った。今でも心に残っている、オーロラオーラのように透き通ったあの感情。

 何故、会ってすぐに気付かなかったんだろう。あの破天荒な明るさが今でも彼女の中で輝き続けているじゃないか。

「久しぶりだね、光彦君。会いたかった」

 彼女はそう言って僕の手を握ってきた。その暖かい手の平は、いつか感じた温もりと重なって、僕は自然とその指を握り返す。

「最初、本当に光彦君だと思わなかった。だって、昔とは本当に変わっていたから」

 そう言って彼女は僕の顔をのぞきこんでくる。

「本当に、どうして今になって、君だけがここに戻ってきたのか、不思議だった。誰一人として、この縛りから解放されていないのに、君だけが自由に生きているから」

「え……どういう、こと?」

 すると、彼女は苦々しく笑って、「なんでもないよ」と言った。


 それから僕は彼女と少し村を散歩することにした。定食屋で昼食を摂り、色々昔とは変わってしまった土地を巡って、夕方まで色んな話をした。いやあ光彦君、これはデートだよ、と穂夏さんが笑いかけてくるので、僕は妙に意識してしまって、声も上擦っていたに違いない。

 あの日々を思い返すような、本当に楽しい一日だった。

 別れる際、彼女は背中で手を組んで、向日葵のような満面の笑顔を浮かべて言った。

「今日はありがとう。楽しすぎて、鼻血が出てきそうだった」

 そう言って、彼女は鼻を擦って、うぐうぐとさせているので、ティッシュを一枚あげると、「うむ、サンキュ」と鼻を拭う。

 なんというか、これではデートの雰囲気も台無しだ。でも、彼女のいつも自然体でいられる性格が、僕には本当に羨ましく思える。

「また何かあったら、ここに連絡したまえ」

 彼女はそう言って、バッグからメモ用紙を取り出すと、ボールペンを走らせて寄越してきた。

 僕はポケットに仕舞って、「ありがとう」と微笑む。

「それじゃあ、私はこれにて」

 そう言って彼女は手を振りながら、駆けていく。その背中が幼い頃の彼女のものと重なって、自然と弾んだ吐息が漏れていく。

 そのまま帰路につき、ひぐらしが合唱している田舎道を歩いて、旅館まで帰ってきた。そこで、何故か罵声が聞こえてきた。駐車場の方からだ。

 その声が、聞き慣れた女性のものだったから、僕は驚いて顔をのぞかせてしまう。

「だから、しつこいって言っているだろ! 会わないって何度言えばわかるんだよ!」

 美咲さんが、黒スーツを着たいかつい男達に囲まれて、顔を真っ赤にして叫んでいる。いつもの冷静さは欠片もない、切羽詰った表情だった。

「この間も、もう来るなって言ったよな? 迷惑なんだよ、本当に。警察呼ぶぞ」

「少しの間だけでいいんです。そのまま話を窺がったら、すぐにこちらまでお送りしますから」

 黒スーツが慇懃な口上で喋る。

「帰ってくれ」

 美咲さんはそう言って、舌打ちをついてその場を去っていく。彼女が建物の中へと消えていくと、黒スーツ達は首を振って黒光りする車の中へと入った。

 すぐに、吹き上がるエンジン。僕は物陰に身を寄せて、その車が去るのを見送る。

 なんだったんだ、今の。

「おい」

 突然首根っこをつかまれ、僕は飛び上がる。振り向くと、美咲さんが冷たい視線をこちらに向けて、仁王立ちしていた。い、いつの間に……。

「何してるんだよ、さっさと部屋に戻れ」

 そうして、ぐいぐいと否応なく背中を押してくるので、僕は抵抗できずに玄関の中へと入っていく。

「音葉が、部屋で待ってるぞ」

 それだけを言って、美咲さんは歩き去っていった。僕はその背中を見送って息を吐き、歩き出した。


「で、穂夏とのデートはどうだった?」

 突然銅鉾のような鋭い視線を向けられ、僕は体を硬直させる。はい?

「仲良く手を繋いで、まことに仲のよろしいことで」

 その笑顔があまりに恐ろしくて、僕は徐々に後ずさり、ドアに背中を打ち付ける。

「あ、あれは……僕からやった訳じゃなくて、」

「あれれ? かまかけてみただけなんだけど、手まで繋いだんだ?」

 な、なんでそんなに怒ってるの?

「やっぱり昨日、ひそひそ囁き合ってたのは、そういうことだったんだね」

 僕が口をもごもご動かせていると、身を乗り出していた彼女はやがて溜息を吐いて、すっと身を引く。

「別に君が何をしようが、止める権利はないんだけどね」

 その言葉を聞いた瞬間、僕は何故か激しく胸が掻き立てられて、「僕は」とつぶやく。彼女がどこか不安げな瞳を向けてくる。

「僕は、君を幸せにすると決めたんだ。何かして欲しいことがあったら、なんでも言ってくれればいいんだ。それがどんな頼みでも、僕は聞くよ」

 すると、音葉さんはただ「空っぽなんだ」とつぶやく。

「私の心はいつだってそうなんだよ。だから、どんな願いも希望も、夢も、私には手に入れることができないんだ。私の枝には、どんな鳥も止まってくれない。他の枝に美しい鳥が止まるのをただ、見ていることしかできないんだ」

 そう言って彼女は板張りの床に膝をついてしまう。

「……なら、輝けばいい」

 そこで、独りでに僕の唇が震え、言葉を紡いだ。何か大きな衝動が胸を突き上げてきて、手足が震える。この震えが、大地を切り裂いてしまうんじゃないかと錯覚するほどの、途方もなく大きなその衝動。

「君が木になる必要はないんだ。鳥になればいい。僕が、止まり木になるから。だから、」

 僕は彼女の見開いた瞳と向き合う。頭の中で、彼女のあの歌声が響いていた。音と音とが互いに共鳴し合い、新しい音を奏でるように、彼女の歌声の一つ一つが星の煌めきとなって、僕の夜空を流れていく。

「音楽をやろう、音葉さん」




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