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再会

 ようやく学校が見えなくなるところまで来て、再び田舎道の茂みの中へと片足を突っ込んだ。

 僕が膝小僧に手を当てて、息を切らせていると、

「だって、あの人達に顔見られたら、まずいからね。私のこと知ってる人いるかもしれないし……」

 さっきのボールをつかむ挙動といい、持久力といい、その運動神経は並外れている気がする。

 僕はそのことについて問いただしてみたいと思いつつも、どうしても胸に凝縮された鉛がそれを邪魔してしまう。

「で、ここら辺なの……?」

 音葉さんはそう言って、鍔つき帽をわずかに上げ、周囲を見渡した。

 辺りは一面、茂みに覆われている。まばらに生えた無骨な木の幹が新緑の絨毯に影を落としていた。

「こっちだよ」

 僕は途切れがちにそうつぶやき、歩き出す。彼女も無言で茂みを掻き分けて付いてくる。

 茂みの囲いを迂回して、最も丈が浅い箇所を見つけると、そこをさらに進んでいく。

 夏虫が飛び交い、四色混合されたうなるような羽音と鳴き声、それから雑草をすり潰したような虫の生活臭が鼻をついてくる。

 やがて僕達は行き止まりまで来る。彼女が鼻をつまみながら、「何もないじゃない」とつぶやいた。

 僕はそれには何も返さないまま、そっと背の高い茂みを掻き分け――その瞬間、輝かしい情景が視界一面に広がった。

 彼女が目を見開く。僕は立ち尽くす彼女の腕を引いて、その砂浜へと降りた。

 平坦な白い砂の上を、銀色にも見える薄青の波が広がっている。波打ち際で煌めく泡沫の先に見えるのは、どこまでも透き通った海面だった。青空が鏡に映ったような、そんな濁り気のない純粋な色合い。

 僕らはそっと波打ち際に立って、それを見つめる。

「どうして、こんなところに」

 彼女が唖然として言った。

「ここは岩肌に隠れて見えないから、人が寄ってこないんだ」

 その時、背後から楽しげに囁きあう声が聞こえてきて、彼女はびくっと肩を震わせた。声はすぐ間近に迫っている。

「誰も来ないんじゃなかったの?」

 彼女が僕の肩をつかんで、すごい剣幕で突っかかってくる。

「いや、そのはずなんだけど……」

 とりあえず、ここは戻った方がいいのか?

 そう思って彼女の腕を引いて歩き出そうとした時、茂みが揺れ、大きなバックを提げた数人の高校生が現れた。全員、水着の上に軽く上着を羽織った格好をしている。

 彼らは砂浜に突っ立っている僕らに気付くと、目を丸くし、そして、互いに顔を見合わせて、かなり困った顔をする。

「ここ、今まで誰も来なかったのに」

「とうとう見つかってしまったのか……」

「我らの聖地が」

 僕は「あの……」と声をかける。すると、一人の女子高生が前に出てきて、

「どうぞ、お構いなく! 私達はただ潜りに来ただけなので!」

「シュノーケル部?」

「そうなんですよ! どうですか、あなた達も潜りませんか!?」

「いや、いいよ」

 僕はその女子高生をじっと見つめ、何故か彼女を見た瞬間に、胸に暖かい感情が広がるのを感じた。

 意志の強そうな、活気に溢れた瞳。なだらかな線を描いた、くっきりと濃い太めの眉。それから、肩でなびくさらさらの茶色の髪。

「おやおや……もしかして見惚れてますか?」

 僕がじっと見つめていると、彼女は両頬に手を当て、顔を赤らめる。

「いや……そういう訳じゃ」

「いいんです、慣れてますから」

 すると、周囲の学生達が囁きだす。

「この少年、ただものじゃないぞ。会って早々、部長を落としやがった。部長を落とせるのは唯一、ペットのジャンガリアンハムスターの三郎だけだったのに」

「三郎と並ぶなんて、すごいな。我ら人間愛が部長の小動物への愛を超える日も近い」

 隣にいる音葉さんを見遣ると、彼女は何故か食い入るようにその女子高生を見つめていた。その驚愕の表情に、僕は面食らう。どうしたんだ?

 その時、女子高生がちらりと音葉さんを見やって、そして、同じように目を見開いた。

 二人の視線が絡み合い、沈黙が降りる。部員達も、何事だと言わんばかりに二人の様子を見守っている。

「もしかして……音葉なの?」

 女子高生が、水面に浮かび上がる泡のように、小さな声を出す。

「穂、夏?」

 音葉さんが唇を震わせる。その途端、女子高生の姿が消えた。

 周囲の人間が目を瞠る最中、ぼふんと砂浜に倒れ込む音がする。

「音葉ぁ~~~~! 会いたかったよぉ~~~~!」

 穂夏と呼ばれたその女子高生は、音葉さんをぎゅううと強く抱きしめて、その頬に顔を擦り付けている。

 音葉さんは彼女の細い腕の中で、状況が理解できないといったように目を見開いて、あわあわと口を動かしていた。

 男子部員達がにわかに色めき立つ。

「部長が、もう一人の少年に飛びついた! 頬擦りしている! 扁平な胸を彼の腕に擦り付けている!」

「いくら部長でも、これはやりすぎだ。やりすぎだが、羨ましすぎる」

 僕は「た、助けて……」と手を伸ばしてくる音葉さんに、すぐに止めに入ろうとするのだけれど、穂夏さんが砂場を転げまわってその手をかわすので、最後には脱力して座り込むしかなかった。

 なんなんだよ、本当に。なんかすごく面倒なことになった。


 ようやく音葉さんにかじりつくその奇天烈な女子高生を突き放し、僕は奇行の理由を問いただした。

「まあ、なんていうか、私達、親友なんですよ。……ね、音葉?」

 抱擁をやめたはいいものの、穂夏さんは今度は音葉さんの手を握って、それを自分の胸に置いて熱い吐息を漏らしている。親友というより、ペットと間違えているんじゃないのか。

「う、うん……」

 音葉さんは穂夏さんとは目を合わせずに、唇をわななかせている。どうしたんだろう……せっかく知り合いに会えたのに、これじゃまるで怯えているみたいじゃないか。

「ずっと会えなくて、ほんっっとうに寂しかったんだよ? 今までどうしてたの?」

 穂夏さんは音葉さんの首筋に鼻先を近づけて囁く。音葉さんはびくっと体を震わせて、助けて、と懇願の視線を向けてくる。そんなこと言ったって……僕にどうしろっていうんだよ。

「私にも、色々あって……」

 すると、その瞬間、穂夏さんの目が細まった気がした。僕の背筋に、氷雪を押し当てられたような震えが走る。

 見間違い、だろうか? でも、確かに今……。

 穂夏さんは天真爛漫な笑顔で、「そっか、色々あるよね! 私も波乱万丈紆余曲折あったもん! 我がシュノーケル部も、もうここまで大きくなったしね!」と部員一同を見渡す。

 すると、部員達はどこか居心地が悪そうに視線を逸らした。

「俺達、幽霊部員だけど。今日、部長に脅されてここまで来たんだけど」

「……一度も部員だなんて思ったことないけどな」

 すると、穂夏さんは両耳に手を当て、「聞こえない! 聞こえない!」と叫び出す。なんというか、お気楽な人だな。

「おお、もうこんな時間だ! とにかく早く潜ろう!」

 破天荒なその部長はそう言って起き上がると、バックを開いてシュノーケルの道具を次々と取り出し始める。他の部員も溜息混じりにそれに続いた。

 その時、ぎゅっと服裾を引っ張られた。振り向くと、音葉さんがどこか不安げな目でこちらをじっと見詰めていた。僕はうなずき、穂夏さんへと振り向いて、「じゃあ、僕達はこれで」と音葉さんの手を引いて歩き出す。

「待って」

 穂夏さんが不意にそう言った。その底冷えのする強い口調に、僕は自然と足を止めてしまう。部員達も何事かと振り返った。

 その時にはもう、穂夏さんの顔には無邪気な笑顔が浮かんでいて、「ちょいちょい」と人差し指を振って近くに来るように促してくる。

 僕は「何?」と穂夏さんに歩み寄る。彼女はそのまま茂みの側まで来ると、囁き始める。

「明日、会えないかな?」

「え?」

 僕はちらりと音葉さんへと振り返る。音葉さんはどこか不安げな面持ちでこちらを見つめていた。

「音葉さんに予定を聞いてみなくちゃわからないんだけど……」

「ちゃうちゃう。君に聞いてるの」

 僕は、え? と再び間抜けた声を上げる。なんで、そんなこと言うんだ?

 すると、穂夏さんは「驚いとる、驚いとる。明日の午後四時にここで会わない?」と囁く。

「えっと……どうして?」

「うーん、気になってるというかなんというか」

 僕はしばらく呆然とする。彼女の言葉が信じられずに、「熱でもあるの?」と機械的につぶやいてしまう。

「私は昔からずっとその人にだけはお熱だったのです」

 そんな謎の言葉を残して、「じゃあ、よろしくね!」と穂夏さんは離れていく。その背中を食い入るように見つめていると、音葉さんが近づいてきて、「何を話してたの?」と聞いてくる。

「いや、ええと、その……」

 すると、仕舞いには彼女は地面に視線を落としてしまう。

「とにかく、行こう」

 彼女はそう言って歩き出した。僕も黙ってその背中を追うしかなかった。

 「潜るぞ、みなの衆!」と穂夏さんの掛け声が聞こえてきて、「おおぅ」と控えめな部員達の声がそれに続いた。


 喫茶店でランチを頼み、パスタとブラックコーヒーを口に運ぶ彼女は、終始無言だった。僕も言うべき言葉を見つけられず、ただ無為な時間を過ごした。

 本当に、情けなくなってくる。あんなことを豪語しておいて、この有様だ。彼女を元気付けることさえできない。いっそ首に石臼をくくりつけて、海へと沈んでしまいたい気持ちに駆られる。

 そうしてやがて彼女は席を立ってしまい、店を出てからも行き先を言うことなく歩き続けるだけだった。

 僕はただその幾許も小さく見える背中を追って、金魚のように口を開け閉めするしかない。

 やがて彼女は「行きたいところがあるから」とつぶやき、僕の前から姿を消してしまった。熱気でゆらゆら揺れる歩道を進んでいく彼女がそのまま見えなくなると、僕はそこに座り込んで、額に手を当てて溜息を吐いてしまう。




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