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混浴風呂

 本当にバッサリとやった。「男になる」と大見得を切って言っていただけあって、彼女はかなり短くすることを要求してきて、僕の方が未練を断つのに苦労したくらいだ。

 カットが終わると、彼女は鏡の前で、自分の髪をなでつけながら様々な方向から眺めて、「うん、このくらいでよし!」とうなずいた。

「これで、男の子の格好すれば、変装はバッチリかな」

「ちょっと、やりすぎたんじゃないの? 後頭部とか、スポーツ刈りというよりは五厘刈りに近いよ、これ」

「いいのよ、このくらいで。うん、スースーして気持ちいい!」

 彼女はしきりに頭をさすってその感触を確めている。まあ確かに、女の子にとってこのくらいの髪の長さはいっそ新鮮なんだろうけど。

「このシャリシャリ感が病みつきになりそう。君も、私くらいの長さにすれば? それで二人で触りっこしよう」

 彼女が僕の頭に手を伸ばしてくるので、僕は避けるように立ち上がって、浴衣一式とタオルを持って歩き出す。

「ちょっと待ってよ。どこに行くの?」

 びしっと彼女が服の裾をつかんできて、それでも構わずに歩き出そうとすると、彼女は匍匐前進するようにずるずると引きずられながら粘り強く追ってくる。

「お風呂だよ。君も入ってくればいいだろ」

「私も行く! 一緒に入ろうよ!」

「なんでそうなるの?」

 でも、少し期待がもたげてきてしまう。その欲求を体の奥へとねじ込もうとする僕。

「今日のお礼に、背中を流してあげるから。だから、一緒に入ろ?」

「なんでそんなにしつこいの?」

「誰かと一緒にいないと、心が潰れてしまいそうだからだよ」

 そのどこか震えた声が聞こえてくると、それまでの動揺は掻き消えてしまう。

「……お願いだから」

 僕はゆっくりと振り返り、その不安げに揺らぐ瞳を見つめる。

 そんな目をされて、断れる訳ないよ。

 僕は大きく息を吐き、「わかった」とうなずいた。


 どうして混浴風呂に入るようになったのは定かではないけれど、気付けば彼女と肩を並べて湯船に浸かっていた。貸切の露天風呂ということもあって、辺りは静まり返っていて、わずかに漏れる彼女の息遣いが、妙に艶かしく聞こえる。

 僕は緊張でガチゴチになり、視野狭窄に陥った視界の中で木目調の壁をただひたすらに見つめ、思考を巡らせる。

 この温泉はメタケイ酸の数値が101.4mgあって、美肌に良いとされるちょうどよい数値を保っていて、風呂上りには肌はすべすべで滑らかになるし、ニキビや肌荒れにも効果があると言われている。五十肩・うちみ・くじき・冷え性・切り傷にも、もちろん効果が、――その泉質はカルシウム・ナトリウム、塩化物泉などからできて、まさに奇跡の産物といってもいい。呼吸器障害・心臓病・貧血などの病状改善にも一役買うらしいし、なによりこの無色透明の水は、見ているだけで心が洗われるようで……。

 いや、そんなことよりも。この異常な血圧上昇をどうにかできないものだろうか。今、僕の頭は前代未聞にテンパっている。

 そんな中、僕は無性に気になっていたことをぽつりとつぶやいた。

「どうして、真っ裸なの?」

 視界の隅で、彼女が首を傾げるのがわかった。ついでに、湯船にぷかぷかと浮いている、小ぶりなその『シルエット』もわずかに見える。

「どうして裸じゃいけないのかな?」

「いやだって、よく知りもしない男に、素肌を晒して嫌でしょ?」

 それって絶対におかしいよ。でも、彼女は飾った様子もなく、「嫌じゃないよ」とぽつりとつぶやいた。僕は思わず体を硬直させて、まじまじとその横顔を見つめてしまう。

「君が私の『命をくれ』って言ったんじゃない。命を明け渡すってことは、私の全てをあなたに託すってことでしょ? 裸ぐらい、いくらでも見ればいいんじゃないの? 見たくないなら、目を塞ぐなり背を向けるなりすればいい」

 そう言われても、優柔不断な僕は中途半端に壁を見つめるばかりだった。すると突如、ぽちゃんと水を弾く音がして――。

 彼女が僕の正面に回りこんできた。その透き通るような肌へ否応なしに目がいく。それだけではなく、彼女は立ち上がって、惜しみもなく全身を晒してきた。

 彼女のすべてを目の当たりにして、僕の頭は盥を落とされたように、大音を反響し始める。

「ちょ、何してるの!」

 すると、彼女はくすりと悪戯っぽく笑った。

「証をあなたに見せ付けてるの」

 僕の視線は彼女の肌に吸い寄せられたままだ。そうして、僕はすぐにそれに気付く。

 彼女の体のいたるところに、大小の傷が刻まれていた。既に治っているものも多いけれど、それでもはっきりとその痕を認めることができる。

 そして、最も深いそれが、鎖骨の上に走っていた。

「それ……」

 僕がつぶやくと、彼女は「ああ、これね」とそれをなでた。

 その顔に浮かんだ表情に、僕は激しく戸惑う。傷を忌み嫌うことなく、むしろ喜ばしいものとでもいうかのように、いとおしげに撫でている。

 その恍惚とした表情を見ていると、胸が激しくかき乱される心地がした。

 なんで、そんな顔をするんだよ。痛みを感じているはずなのに、それが幸せとでもいうかのように。

 彼女はどこか懐かしそうに話し始める。

「あの思い出があるから、私は今まで生きてこれたんだ」

 彼女がそう言って、そっと振り向く。僕はよっぽど浮かない顔をしていたんだろうか、彼女は僕の顔を認めた途端に表情を曇らせて、視線を水面へと落とした。

「ちょっと気味悪いもの、見せちゃったかな」

「いや……」

 僕が視線を逸らせて黙っていると、彼女は再び湯船に体を浸かわせて深い吐息を零した。

「こんなにゆっくりお風呂に入るの、何年ぶりだろうな」

 彼女がそっと視線を空へ向ける。

 僕はちらりと彼女を見て、どこか躊躇いがちに言う。

「家を飛び出してきたのも、その傷と関係あるの?」

「かもね」

 僕は押し黙った後、立ち上がって、「もう出るよ」とお風呂から足を出そうとする。すると、腕をつかまれた。

「もう少しゆっくりしていこうよ」

 その瞳があまりにも切実で、孤独に震える幼子のそれに似ていて、僕は思わず足を止めてしまう。

「一緒にいて。……お願い」

 その潤んだ瞳と数秒見つめ合い、やがて僕は元の位置に座り直した。彼女の為ならなんでもやる、と誓ったのは他でもない僕だったから。すると、彼女の顔に笑みが浮かぶ。

 彼女は浴槽の枠にもたれかかって、熱い吐息を零していた。もやもやした気持ちが一体何なのかわからずに、僕は押し黙って水面を見つめる。

 そうして長いこと経った時、突然「お願いだから、ずっと一緒にいてよ」と声がした。

 振り向くと、彼女はどこかぼんやりした顔で、とろんとした瞳を水面へ向けていた。

「音葉、さん?」

 突如彼女の頭が傾ぎ、僕は慌ててその肩を支える。その顔が、熟れた果実のように真っ赤になっている。もしかして、のぼせたのか?

 そのまま彼女は寝入ってしまった。僕は彼女の体を抱えながら呆然とするしかない。

 僕が事後処理やらないといけないのか? おい、どんな悪夢だよ!




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