ただ気楽に、声に想いを乗せて
ホテルに戻ってからも、彼女はずっとシャワールームから出てこなかった。僕はベッドに腰掛けて、調子の外れたギターの旋律を弾き、口の中で歌詞を転がせていた。
彼女がもう歌わなくなるんじゃないかと思うと、弦の上の指が止まってしまう。彼女を歌わせるにはどうしたらいいんだろう……心から歌わせる為に。
物思いに耽って音色を奏でていると、そっと肩に手を置かれた。
僕は弦の固い感触を指に擦りつけ続けてぴくりと肩を震わせる。
「何の曲?」
僕はカントリーロックの代名詞である、その名曲を挙げた。ギターはただ断続的に波紋のように音を広げさせるだけだったけれど、それでも彼女はじっと耳を澄ませてくれる。
「……怒ってる?」
彼女が背中によりかかって、ぽつりと言う。
「どうして、僕が怒るんだよ」
「だって、あんなにひどい音楽……みんな白い目で見てたよ。私なんかじゃ、やっぱり無理なのかもしれない」
「どうしてそんなこと……僕は君の歌声が好きなんだ。他の誰でもあんな声は出せないよ」
あの掠れた歌声のことを言ったつもりだったけれど、彼女はあの夜のことを思い出したのか、視線を伏せて「あれは、」と言う。
「一人でいる時は、自分の心しか向き合うものがないから、素直な声が出せるの。でも誰かが側にいると、どうしても演技で歌っちゃうから」
彼女の肩がうなじに触れて、僕は冷たい体温を感じた。
「私はあなたのようには歌えないよ。所詮人形だから、父さんも母さんも、私に仮面を被ることを望んでいるから。だから私は、自分を捨てるしかないの、そういう歌い方しかできないから」
「君は絶対に歌えるよ」
僕は感情を込めて、弾き始める。そうして、そこに自分の声を乗せていった。
気楽に行こう、とつぶやく僕の喉には、哀しみや不安、悔しさが詰まっていて、声もよれよれに萎んだ情けないものだった。それでも、今の僕の心を如実に物語っている。
これが、僕の歌なんだ。どれだけ塞ぎ込んでいようと、哀しみに暮れていようと、その心を乗せて歌えば、それはその人の歌になる。技巧を凝らして、巧い人の真似をして、機械的に歌うことだけが歌じゃないんだ。
彼女は彼女の心を歌に乗せればいい。そうすればきっと、その心の震えは声帯に乗って周囲の人に伝わっていくから。
だから、僕らは歌い続けなくちゃいけない。音楽は心を通せなくちゃただの形骸化したものになってしまう。
それがただの道楽に音楽を志している、どうしようもなく相応しくない僕の答えだ。今の時点の、精一杯の答え……。
彼女が、僕の歌声にコーラスを入れる。
二つの掠れた声。それでも、僕らの心はそこにある。
気楽にいこうぜ、と歌い続ける。すべてを些末事として、自分の直感だけを信じて走り続けよう。
僕らの信じるものを音楽の上に築き上げる為に。
気楽にいこうぜ。気楽にいこうぜ――。




