表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/15

そして、音楽へ

 僕はこう見えて、幼い頃から音楽に触れ続けた人間だった。両親が音楽関係の仕事をしていて、家に出入りする大人達はいつも音楽の話題ばかり好んでいたし、次第に僕もその恩恵を受けることになり、ピアノを習い始め、ギターを教えられ、仕舞いには弾き語りをやったり、未熟ながらも作詞・作曲などにも精を出すようになった。

 僕は僕のやり方で音楽を理解して、つたない技術と声で持って自分の世界を他の人に理解してもらおうとしたんだ。

 でも、どんなに巧みな技術を獲得しても、常に何かが欠如しているという感覚に襲われていた。歌がうまくても、演奏技術が素晴らしくても、そこに魂が篭もっていなければ、それはただの精巧にできた外殻でしかない。

 だから、僕は彼女に出会って、あの声を耳にしてから、到達すべき唯一の目標として、彼女を位置づけたのだ。

 彼女の歌声には、絶大な魂が篭もっている。無数の瓦礫に埋もれるだけの僕が、彼女の魂の灯火を少しでも分けてもらうことで、生まれ変わることができるんじゃないかと期待したんだ。

 きっと彼女は自覚してないかもしれないけれど、間違いなく天才だ。才覚や技術、天から授けられたその声、すべてを超える何かを彼女は持っている。

 その何かを直感で理解しても、僕の愚鈍な脳みそでは言語化することはできない……だから、僕は彼女の持っているそれをもう一度見てみたいんだ。

 歌うことで、演奏することで、彼女が自分の中に秘めている夢に気付けるようにと。だから、僕はもう一度歌って、ギターを弾いて、そして――。


 碧外村から列車に乗って数時間、花の匂いが漂う線路の上を移動していくと、やがて山のトンネルをくぐり、近年人口が伸びてきた碧内市へと到着する。

 その町では音楽が流行っていて、楽器店やライブハウスがたくさんあり、僕も幼い頃、父親に連れられて楽器店を回ったことがある。素朴な思い出の一つ一つが、今の僕を形作っているのは言うまでもない。

 昔の思い出をふつふつと思い出しながら駅に降りたのが十時頃で、まず最初に僕らは楽器店を巡って、適切な価格のギターを買うことにした。そうしているうちに、いつの間にか日が暮れ、ようやく七時頃になってお目当てのギターを見つけた。

 ホテル探しへと移り、近場にあったビジネスホテルへと入ってフロントに行くと、何故か胡散臭い目で見られた。

「君達、本当に大学生?」

 従業員の男性は僕らをじろじろ見つめながら言う。確かに、僕らは別段大人びて見える訳ではないので、歳相応だと思われてしまうかもしれない。

「確かに外見は幼く見えるかもしれませんが、そういうこと言うのは失礼だと思います」

 演技だろう、音葉さんが唇を尖らせてそう言う。うーん、そんなこと言ってもねえ、と男性は渋るが、その時、横から若い女性従業員が「支配人」とつぶやいた。

「ん?」

「彼女達は私の知り合いです」

 僕らは顔を見合わせる。知り合い? まじまじとその女性を見つめるが、見覚えはない。隣へ視線を向けると、音葉さんも目を丸くしている。

 けれど、音葉さんはすぐに何かを察したようにうなずき、「久しぶりですね」と律儀に女性へ頭を下げた。

 僕がきょとんとしていると、音葉さんが靴先を蹴ってきた。とりあえず僕も朗らかな笑顔を形作って、「久方ぶりですね」と頭を下げる。

「あ、なんだ、知り合いなの?」

 男性はびっくりした顔をして、女性従業員に、僕らが近辺の大学に通う学生であることを説明されて、「なんだ。疑ったりして申し訳なかったね」とその女性に案内を引き継がせ、離れていった。

 女性従業員は無表情で僕らを交互に見て、「じゃあ、そういうことだから」と手続きを進め、あっという間に部屋の鍵を渡してくれた。

「あの……ありがとうございました」

 声をひそめて言って、頭を下げる音葉さんに、女性は軽くうなずき、「音楽やるの?」と突然聞いてきた。

 僕らは顔を見合わせて、うなずく。

「まあ、頑張って。きっと誰かが君たちのこと、見守っているからさ」

 彼女はそんな言葉を残して、「元気でやれよ」と僕らを送り出した。


 部屋に荷物を置いて夕食を摂った後、ギターのチューニングを行い、そうして僕は軽く彼女に歌ってもらうことにした。

 あの歌声がまた聴けると思うと、鼓動が早鐘を鳴らし始め、どうしても彼女に期待の眼差しを向けてしまう。しかし、彼女は目を伏せて、何故か曇り顔だった。

 弾き語りで人気がある曲をいくつか挙げると、彼女は「レミオでいい」と言ってそっとベッドに腰掛ける。彼女と向かい合って、化粧台に浅く腰掛けた。ギターストラップを肩にかけ、太ももを水平にして足を組み、ボディーのくびれを右足の上に置く。

 そうして軽く深呼吸する。しっかり彼女を支えられる演奏をできるのか、緊張が走る。僕はゆっくりと彼女と視線を合わせ、「君の心を歌に乗せてくれ」とつぶやく。

「君は君だけの、願いを歌に込めて表現すればいいんだ。下手でもいい、とにかく心を込めて、自分の感情を乗せて歌えばいい。僕は、本心からの声が聞きたいんだ」

 僕はそうしてその瞳をまっすぐ見つめる。出会ってから一度だって見せたことがない、思い詰めた表情で彼女は見つめ返してきて、けれど最後には、こくりとうなずいた。

 彼女の手が激しく震えているのがわかる。あの夜に見せた彼女の怒りはきっと、自分の歌に自信がないことからきている。だからこそ僕は、彼女の疑心暗鬼を取り除くんだ。

 僕はそっとピックをつまみ、ギターに当てた。そうして一呼吸した後、弾き出す。

 旋律の上を、彼女の歌声が蝶が羽ばたくように舞っていく。両親の罵声におびえる子供のような、喉の潰れた声。それにはあの時に聞いたような、ムーサの降臨を垣間見るような絶大な存在感はないけれど、それでもこれは彼女の歌声だ。

 僕にはわかる――そのシルビアシジミの羽が、焼け付くような太陽と、砂埃を運ぶ強風に炙られながらも、懸命に飛び行く様を。その軌跡には、確かに彼女の想いがたなびいている。

 体中の血流が沸き立ち、その福音に、演奏の限界点を超せるような気がしてくる。指が、彼女の声と繋がって、ホテルの一室を熱の篭もった旋風で七色に彩っていく。

 僕らの到達点はこんなものじゃない。僕は指を動かせながら、そっと顔を上げる。彼女も薄く微笑んで、僕らの視線は溶け合って、やがて静寂だけが僕らを支配する。

 それでも全身の中で、血流と一緒に音楽が跳ね回っていた。僕らはその余韻をお互いの肌で理解し、そうして情熱という名の衝動を胸に抱く。

 人魚が、踊っている。繰り返す波の上を舞い、重なり、そうして僕らは光になれる。


 その夜は、ネットで弾き語りのスポットを検索して、ひたすら最適な場所を探すことに集中した。そうして朝になると、僕らはすぐに練習を始める。即席ではさすがにメジャーな曲を選択するしかなかったけれど、彼女の声がありさえすれば、僕らの音楽は一歩も二歩も限界点を引き上げることができる。

「本当に大丈夫なの?」

 夕方に目的地へと向かいながら、彼女がどこか不安げな面持ちで僕を見つめてくる。すぐに何を言いたいのかわかった。

「大丈夫だよ」

 僕は笑ってうなずく。

「緊張して、喉に力を込めすぎちゃってるだけだから。僕はありのままの君の声が好きなんだ。緊張が解ければ、すぐに才能が君を引き上げてくれる。それが例え下手でも、心の篭もった声なら、それは僕らの音楽だ」

 すると、彼女の表情がいくらか和らいだ気がした。彼女はそっと僕の服裾を握ってきて、「ありがとう」とぽつりとつぶやく。

 僕は微笑んで、清々しい気分になってロータリーを歩いていたけれど、ふと足を止めて振り返った。背後を歩く男性に視線が向く。

「どうしたの?」

 音葉さんが聞いてくる。

「いや……さっきから見られてる気がして」

「あの人?」

「わからないけれど、ずっと視線を感じるんだ」

 そう言って僕は再び歩き出す。それでも視線が背後から追ってきて、僕は路地裏へと彼女を促した。けれど、しつこくずっとついてくる。いい加減声をかけようとしたその時、その姿はどこかの建物へと消えていった。僕らは同時にほっと息を吐く。

「やっぱり気のせいだよ」

 音葉さんはそう言って、「変なの、光彦ったら」とくすくすと笑う。僕は苦笑して頭を掻きながら、それでもどこか違和感を感じていた。

 僕の、思い過ごしだろうか。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ