そして、狼は、
「海さん」
「んー?」
「今日あたしのまかないのエビフライ、食べましたよね」
夏休みに入ってまだ間もない土曜日。たまたま、バイト上がりの時間が重なった。ウソ、重ねた。隣を歩く海倉さんは、悪戯っ子のように屈託なく笑う。
笑うと右頬に出来るえくぼが、あたしは好きだった。
「お前があのタイミングでトイレに行くから悪い」
あたしよりも二十センチ以上も高い海倉さんを見上げると、夕日に照らされて、雲が赤く溶けているのが見えた。
「店長にまで聞いて、せっかく楽しみにしてたのに」
あたしが膨れると、海倉さんの大きな掌があたしの頭に乗ったようだった。
「ごめんって。今度同じの出たら俺のやるから」
ぽんぽん
優しい声と、優しいぬくもりに、意味もなく、泣きそうになった。
焦がれている。焦がれている。夕日が映える、この人に。
そして、あたしの口は言葉を紡ぐ。
突然、紡ぎ始める。
「海さん」
「ん」
「あかずきん、って、あるじゃないですか」
「ん、ああ、赤ずきん?昔話の?」
「そうです。あたし、あれは恋の話だと思ってるんです」
え?と言って海倉さんは笑った。笑顔の可愛い人だった。
「狼は赤ずきんを好きだったと思うんです」
そう、狼は赤ずきんを愛していた。
自分の一部にしたいと思う程に。
「でも」
海倉さんは言った。
結局。
「食べてしまった」
不器用な狼は愛の伝え方を知らなかった。だから。
「海さん」
あたしは海倉さんを呼んだ。
「どんなにおいしそうなりんごでも、毒りんごだと分かっていれば食べないでしょう?それと同じです」
海倉さんは首を傾げて難しそうな顔をした。
「自分が赤ずきんに確実に嫌われていて、確実に恐れられていると分かっていたら、食べなかった」
「へえ、じゃあ赤ずきんは、」
―――赤ずきんも狼を想っていた。一つになろうと決心した。だから。
「両想い、だったんです」
ふうん、と一言そう言って、海倉さんは赤く輝く夕日を見上げた。
「いい話じゃん」
微笑んだ。
「海さん」
「なに、」
「明日、何時上がりですか」
「明日?」
ちょっと、嫌な気は、したんだ。
「明日は俺、入れてないの」
「紫さんですか」
必死の冗談に笑顔で頷かれて、また泣きそうになった。
夕日が、映えすぎて。
狼に食べられない赤ずきんは、赤ずきんじゃない。
こんなに想っているのに。
こんなに願っているのに。
―――どうしておばあさんのお口はそんなに大きいの?
一つになりたいと、思っていた。
心のどこかでは、少し期待していたんだ。
―――それはね、赤ずきん。お前とたくさん話ができるようにするためだよ。
「何か相談でもあった?」
申し訳なさそうに、海倉さんはあたしの顔を覗き込む。
海倉さんの大きな瞳に、あたしの冴えない顔を見る。
雲なんて一つも無い。
こんなに澄んでいるもの。
「ううん、何でもないですよ。デート楽しんでくださいね」
あたしはその間がっつり働いてますけど、と結んで、それからあたしは悪戯に笑った。
食べられずに、大切にされ続けて、赤ずきんは焦がれている。
そして狼は、赤ずきんを食べなかった。
狼が食べたのは、かわいらしい羊だった。ただそれだけのことである。
↓
終。
結構前に制作したやつですが、シリアス続きだったので、一息つけるような短編をのっけてみました。
赤ずきんって好き^^