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小説

ブレインロット

作者: ちりあくた
掲載日:2026/02/26

 夜中の二時、自室の天井は青く波打っていた。


 光源はスマートフォンの画面だった。液晶に映るショート動画は、僕の指によって次々とめくられていく。猫。イタリアン。三十秒でわかる宇宙の終わり。成功者の朝のルーティン。炎上。ラーメン。配信者の切り抜き。掲示板まとめ。ネタ動画ランキング。


 考える前に次へ。

 笑う前に次へ。

 怒る前に次へ。


 脳が柔らかい綿菓子みたいに、甘く溶けていく感覚があった。嫌な感じはまるでない。そもそも見始めた動機が、何となく明日を拒みたかったからなのだ。ろくなこともない、中身のない、退屈で苦しいだけの明日。その来たる可能性を考えずに済むのだ。


 ——ブレインロット。


 そんな単語をどこかで見た気がする。直訳だと「脳が腐る」という意味だろうな。けれど腐るなら、もっと臭いがするはずだ。もっと痛いはずだ。実際は逆で、むしろ心地いい。思考が削ぎ落とされ、重たい問いが消えていく。将来の不安も、学校での失敗も、人間関係のぎこちなさも、情報の波に呑まれて霧散する。


 もちろん、どこかでは寝なきゃいけないことを分かっている。どうせ起きていても明日は来るし、登校を拒むような勇気はない。でも僕は、真正面から現実を見られるほど大人じゃなかった。指が自動で画面を弾く。脳が指に従っているのか、指が脳を引きずっているのか、もうわからない。


 ふと、動画が止まった。


『充電が残り5%です。』


 その瞬間、部屋が静まり返った。冷蔵庫の低い唸り。遠くで鳴る救急車のサイレン。自分の呼吸。やけに大きい心臓の鼓動。全ての音が重く、僕の鼓膜を舐めるように侵入してくる。世界がこの画面の外にも存在していることが、今だけはひどく不快だった。


 何かに急かされるように布団を這い出て、充電コードをリュックの中から引っ張り出す。コンセントの近くに頭を寄せ、鈍い挿入音を聞いた後、胎児のように丸まり、再び画面を見つめ始める。あと十分、いや、五分、三十秒あれば満足だ。それだけ見たら寝よう……という建前を用意しておく。くるぶしほどの高さもない柵みたいなものだ。守る気なんてさらさらない。


 動画が再開する。知らない誰かが、満面の笑みでこう言う。


「あなたの人生を変える、たった一つの習慣!」


 ああ、助かった。

 考えなくていい。


 習慣も、幸せも、快不快も、彼らが脳へ届けてくれる。血と汗を払わなきゃいけないものなんて必要ない。正解は向こうから流れてくる。僕はただ、次へ次へとスワイプすればいい。麺に湯を注いで得られるくらいの代物で、今の僕には十分だ。


 犬。

 屋台グルメ。

 サッカー。

 宇宙。

 ランキング。

 キル集。

 芸人のネタ。

 vlog。


 また、指が上へ昇った。

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