第1話:レンズ越しの共犯者
教室に入ると、いつもの光景が広がっていました。
窓際の席で、背筋をピンと伸ばして英単語帳をめくっている男子。
銀縁眼鏡の奥に理知的な瞳を潜ませ、周囲の喧騒をシャットアウトしている――「ガリ勉の櫻葉くん」です。
「おはよう、櫻葉くん」
恐るおず声をかけると、彼は単語帳から目を離さず、無機質な声で答えました。
「おはようございます、花咲さん。予習の進捗はどうですか? 今日は抜き打ちテストがありそうですよ」
(……やっぱり。昨日のあの態度は、私の見間違い?)
「可愛すぎてほっとけねぇ」なんて、あんな熱い体温を感じるようなセリフ、この鉄仮面みたいな彼が言うはずない……。
私は少しガッカリしながら、自分の席にカバンを置きました。
その時です。
クラスのムードメーカーの男子が、私の席にやってきました。
「おはよ、舞! 見てよこれ、昨日買ったスニーカー。超かっこよくね?」
「あ、本当だ! 似合ってるじゃん」
何気なく笑い合った、その瞬間。
――ゾクッ。
背筋に冷たい電流が走りました。
隣の席から、刺すような視線を感じる。
反射的に隣を見ると、櫻葉くんが眼鏡のブリッジを中指でクイ、と押し上げているところでした。
レンズが光を反射して、彼の表情は見えません。
けれど、彼がわずかに首を傾け、私だけに聞こえるような低い声で、ボソリと呟いたのです。
「……おい」
「えっ?」
彼がゆっくりと眼鏡を少しだけずらしました。
レンズの隙間から、昨日見たあの鋭くて熱い、剥き出しの瞳が私を真っ直ぐに射抜きます。
(……っ!)
心臓が跳ね上がる。
彼は一瞬だけ、唇の端を不敵に吊り上げて見せました。
「……朝から他の男とヘラヘラすんな。……ったく、危機感ねーんだよ、お前は」
それは、眼鏡をかけた「櫻葉くん」のままでは絶対に言わない、素の「春くん」の言葉。
「あ……」
私が声をもらす前に、彼は何食わぬ顔で眼鏡を位置に戻し、再び英単語帳に視線を落としました。
「……何か? 質問がないなら、自習の邪魔をしないでいただけますか。花咲さん」
完璧な鉄仮面。
けれど、眼鏡の奥に隠された彼の耳たぶが、ほんのりと赤くなっているのを私は見逃しませんでした。
この教室で、彼が「春くん」になる瞬間を知っているのは、世界中で私だけ。
眼鏡一枚を隔てた秘密のアイコンタクトに、私の心臓は授業が始まる前から、もう限界を迎えていました。




