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第四話 再会、あるいは絶望の晩餐

国境の街、オーベン。

未開の地「大樹海」への入り口として栄えるこの街の冒険者ギルドは、今夜も荒くれ者たちの熱気でむせ返るようだった。

だが、今夜の熱気はいつもとは少し種類が違う。

酒と喧嘩の騒ぎではなく、強烈な「食欲」の波がギルド全体を支配していたのだ。


「おい大将! こっちにもその『スタミナ串』くれ!」

「こっちは『魔力回復スープ』だ! 金なら払う、おかわりをくれ!」

「順番だ順番! 押すんじゃねぇ!」


ギルドの酒場スペースの一角、臨時に設けられた屋台の前には長蛇の列ができていた。

その中心に立ち、手際よく中華鍋を振るっているのは俺、クロードだ。

そして、その隣で給仕――というよりは、つまみ食いをしながら客を威圧して列を整理している銀髪の美少女がフェルである。


「はい、お待たせ。『オークキングの角煮丼』だ。概念付与は【活力】と【満腹】。食えば三日は不眠不休で動けるぞ」

「うおおおお! これだ、この香りだ! いただきまさァ!」


皿を受け取った巨漢の戦士が、涙を流しながら肉にかぶりつく。

トロトロに煮込まれたオークキングの肉は、箸で触れるだけで崩れるほど柔らかい。

口に含めば濃厚な脂の甘みと、スパイシーなタレの味が爆発し、同時に胃の腑から熱い力が湧き上がってくる。


「うめぇ! しかも古傷の痛みが引いていくぞ!?」

「クロードさんの料理は魔法の薬より効くぜ!」


歓声が上がるたびに、チャリンチャリンと硬貨が俺の元へ積み上がっていく。

ここ数日、俺はフェルと共に狩りをした獲物をギルドで振る舞っていた。

最初は「元Sランクパーティの荷物持ち」という肩書きを馬鹿にする者もいたが、一口食わせれば全員が虜になった。

今の俺は、カイルたちに提供していた時のような「効率100%・味0%」のブロックは作らない。

味70%、効率30%。

それでも一般の冒険者にとっては劇薬レベルのバフ効果があり、何より「美味い」。

料理人として、客が笑顔で皿を空にするのを見るのは悪くない気分だった。


「マスター、私の分は? もうお腹と背中がくっつきそうです」


フェルが背後から俺の腰に抱きつき、上目遣いで訴えてくる。

彼女は人化していても食欲はフェンリルのままだ。

俺が稼いだ金の半分は彼女の食費に消えていると言っても過言ではない。


「分かってるよ。今日のメインディッシュはこれからだ」


俺はニヤリと笑い、アイテムボックスからとっておきの食材を取り出した。

ドスンッ、と調理台が軋む。

それは、昨日フェルが仕留めた『レッドドラゴンの尾肉』だ。

Sランク級の希少食材。市場に出せば城が建つほどの価値がある。


「うわぁ……! それ、焼いてくれるんですか!?」

「ああ。今日は特別だ。最高の概念を込めてやる」


俺は巨大な包丁を振るい、分厚いステーキ状にカットする。

フライパンに牛脂を引き、強火で表面を一気に焼き固める。

ジューッ!! という激しい音と共に、肉の焼ける暴力的な香りがギルド内を蹂躙した。

ざわついていた冒険者たちが一斉に静まり返り、ゴクリと喉を鳴らす。


「すげぇ匂いだ……」

「ドラゴンの肉なんて、王族でも食えねぇぞ……」


俺は集中する。

ただ焼くだけではない。

この肉にふさわしい概念を、世界そのものから抽出して書き込む。

【龍の力】、【絶対的優越】、そして【極上の旨味】。

仕上げに、赤ワインと蜂蜜、数種類の香草を煮詰めた特製ソースを絡める。

完成だ。

『レッドドラゴンの概念ステーキ〜覇者の晩餐〜』。


「さあ、食えフェル」

「はぁい! いただきますマスター!」


フェルが目を輝かせてナイフとフォークを構えた、その時だった。


ギィィィィィ……。


ギルドの重厚な扉がゆっくりと開き、冷たい雨風と共に、泥とカビの混じったような異臭が流れ込んできた。

美味しい料理の香りに満ちていた空間に、不快なノイズが走る。

冒険者たちが眉をひそめて入り口を振り返った。


「なんだ? 乞食か?」

「くせぇな……どこの浮浪者だよ」


入ってきたのは、ボロボロのローブを纏った三人の男女だった。

泥にまみれ、雨に濡れ、その姿は生ける屍のようだ。

先頭を歩く男は、杖のように剣を突き、足を引きずりながら歩いている。

かつて黄金に輝いていた鎧は泥で汚れ、ところどころ凹んでいる。

その顔は頬がこけ、目は落ち窪み、焦点が定まっていない。


だが、俺には分かった。

見間違えるはずがない。

数日前まで、俺が全てを捧げて支えていた「英雄」たちだ。


「……クロード……」


男――カイルが、掠れた声で俺の名を呼んだ。

その声に覇気はない。

あるのは底なしの疲労と、飢えだけだ。

後ろに続くガストンはげっそりと痩せ細り、自慢の筋肉は見る影もなく萎んでいる。

聖女マリエルに至っては、自慢の銀髪は泥で固まり、虚ろな目で何事かブツブツと呟いている。


「クロードぉ……! やっと、見つけたぞ……!」


カイルがよろよろと近づいてくる。

周囲の冒険者たちが、その異様な姿に道を空ける。


「おい、あれ『銀の翼』のカイルじゃねぇか?」

「嘘だろ? あのSランクの? なんであんな浮浪者みたいになってんだ?」

「噂じゃ、この間の遠征でホブゴブリンに負けて逃げ帰ってきたらしいぜ」

「マジかよ……落ちぶれたもんだな」


ひそひそ話が聞こえてくるが、今のカイルには届いていないようだ。

彼の視線は、俺……いや、俺の手元にあるドラゴンステーキに釘付けになっていた。


「肉……。肉だ……」


カイルが調理台に縋り付くようにして手を伸ばす。

泥だらけの手が、真っ白い皿に触れようとする。


「待て」


俺は冷徹に言い放ち、包丁を突き立てて彼の手を遮った。

ダンッ!

刃が木の台に食い込む音に、カイルがビクリと肩を震わせて手を引っ込める。


「……汚い手で触るな。客の商品だ」

「客……? 何を言ってるんだクロード。俺だ、カイルだぞ!」


カイルが血走った目で俺を睨む。

かつての威圧感は欠片もない。ただの駄々っ子のような目だ。


「俺たちをこんな目に遭わせて、お前だけぬくぬくとこんな場所で料理番か? ふざけるなよ……!」

「こんな目、とは?」

「見れば分かるだろ! ステータスが下がったんだ! お前のせいでな!」


カイルが叫ぶ。

その声は悲痛で、そしてあまりにも理不尽だった。


「お前が変なスキルを使ってたせいだ! 俺たちの身体をおかしくしやがって! 責任取れよ! 元に戻せよ!」

「変なスキル? 俺は最初から説明していたはずだ。『概念料理』でステータスを底上げしている、とな。それを『不味い』と否定し、捨てたのはお前たちだ」


俺は淡々と事実を告げる。

感情を込める価値すらない。


「う、うるせぇ! 味なんかどうでもいいんだよ! 今すぐあの泥を作れ! あれを食わせろ!」

「そうだクロード! 私たち仲間でしょ!? 盾役がいないと困るだろ!」


ガストンも横から割り込んでくる。

彼らはまだ、自分たちが「客」としての立場すら失っていることに気づいていない。

命令すれば俺が従うと思っている。


「……お断りだ」


俺は短く拒絶した。


「は……?」

「俺はもう『銀の翼』のメンバーじゃない。ただの料理人だ。そして、俺の料理は金と敬意を払う客にしか提供しない。お前たちのような無銭飲食のゴロツキには、水一杯やる義理もない」

「なっ……! 無銭飲食だと!? 俺は勇者カイルだぞ! 金なら……金ならある!」


カイルは懐を探る。

だが、出てきたのは数枚の銅貨だけだった。

昨晩の高級ディナーと、ここまでの旅費で使い果たしたのだろう。


「……ツケだ! ギルドに請求すればいくらでも払える!」

「信用がないな。ホブゴブリンに負けるようなランク落ちのパーティに、ツケを許す店があると思うか?」


周囲から失笑が漏れる。

カイルの顔が赤黒く染まる。恥辱と怒りで震えている。


「ふ、ふざけるな……! 誰のおかげで今まで飯が食えてたと思ってるんだ!」

「そっくりそのまま返そう。誰のおかげで、お前らはSランクでいられたんだ?」


俺の言葉が、カイルの心臓を刺す。

彼は言葉を詰まらせ、視線を泳がせた。

認めたくない事実。だが、今の身体の重さが、それが真実であることを証明し続けている。


「……くそっ……マリエル! お前からも何か言えよ! お前のせいでこうなったんだぞ!」


カイルは矛先を聖女に向けた。

マリエルはビクリと震え、涙目で俺を見た。


「ク、クロードさん……ごめんなさい……。私、知らなかったんですぅ……。お願いです、一口でいいんです……。あのブロックを、私にも……」


マリエルが懇願する。

かつて俺の料理を「泥」と笑い、「家畜の餌」と蔑んだ女が、今ではその泥を何よりも欲している。

滑稽な喜劇だ。


「マリエル、お前は言ったな。『美味しい料理があれば幸せ』だと」

「そ、それは……」

「今の俺は、美味しい料理を作っているぞ。見るか?」


俺はフェルに出したドラゴンのステーキを指差した。

湯気が立ち上り、極上の香りが彼らの鼻腔をくすぐる。

マリエルがゴクリと唾を飲み込む。

カイルも、ガストンも、そのステーキから目が離せない。

本能が理解しているのだ。

あれこそが、自分たちを救う唯一の特効薬だと。


「う、うまそうだ……。なんだそれは……」

「レッドドラゴンのステーキだ。概念効果は【全ステータス大幅上昇】と【状態異常完全回復】。お前らの今の症状なんて、これを一切れ食えば完治するだろうな」


その言葉を聞いた瞬間、カイルたちの目の色が変わった。

欲望。純粋で醜悪な欲望。


「よ、寄越せ……! それを俺に寄越せぇぇぇっ!!」


カイルが理性を失い、ステーキに向かって飛びかかった。

もはや交渉ではない。強奪だ。

なりふり構わず、手掴みで肉を奪おうとする。


「させないよ」


冷ややかな声と共に、銀色の閃光が走った。

ドガァッ!!

鈍い衝撃音が響き、カイルの身体がボールのように吹き飛んだ。

彼がギルドの壁に激突し、ずり落ちる。


「がはっ……!」


カイルを蹴り飛ばしたのは、フェルだった。

彼女はステーキ皿を片手で優雅に持ちながら、もう片方の足で美しいハイキックを決めていた。

スカートが翻り、すらりとした脚線美が露わになるが、そこから放たれる殺気は凄まじい。


「汚い手でマスターの料理に触るな、下等生物」


フェルが見下ろす。

その瞳は、獲物を見る捕食者の目だ。

カイルは床に這いつくばり、激痛に呻いている。

一撃。

たかだか少女の蹴り一発に、かつての勇者は反応することさえできなかった。


「な、なんだあいつ……!?」

「カイルが一撃で……!」


ガストンとレナが腰を抜かす。

俺はため息をつき、フェルの頭をポンポンと撫でた。


「行儀が悪いぞ、フェル。食事中に暴れるな」

「むぅ……すみませんマスター。でも、このお肉は私のですよね?」

「ああ、お前の分だ。冷めないうちに食え」


フェルは嬉しそうに尻尾を振り、俺の目の前で、カイルたちが喉から手が出るほど欲しているステーキを頬張った。


「ん〜っ!! 美味しいぃぃぃ!!」


とろけるような笑顔。

肉汁が溢れ、彼女の中に力が満ちていくのが分かる。

その光景を、カイルたちは絶望的な目で見つめていた。

自分たちが手放したものが、どれほど価値のあるものだったのか。

そして、それが二度と手に入らないことを、まざまざと見せつけられているのだ。


「あ、あぁ……」


カイルが這いずりながら近づいてくる。

プライドも、羞恥心も、もうない。


「頼む……クロード……。泥でいい……あの泥でいいんだ……。味なんかしなくていい……。俺に、俺たちに力を戻してくれ……!」


土下座。

ギルド中の冒険者が見ている前で、元Sランク冒険者が、かつて追放した荷物持ちに額を擦り付けている。

「不味い」と捨てた料理を、「泥でいいから食わせてくれ」と乞うている。

なんと哀れで、そして遅すぎる願いだろうか。


俺はしゃがみ込み、カイルの目線に合わせた。

そして、調理台の下にあったバケツを指差した。

そこには、野菜の皮や泥のついた根っこ、失敗したソースの残骸などが捨てられている。

正真正銘の生ゴミだ。


「欲しければ、それを食え」


俺は冷たく言った。


「な……」

「お前らが俺の料理をどう扱ったか忘れたわけじゃないだろう? 地面に叩きつけ、ゴミ扱いした。だから俺も、お前らにはゴミしか提供しない。等価交換だ」

「そ、そんな……。俺たちは仲間だったじゃないか……!」

「俺にとってお前らは、もう赤の他人以下だ」


俺は立ち上がり、周囲の冒険者たちに向かって声を張り上げた。


「さあ、今日の営業はここまでだ! この場所が少し『臭く』なってきたからな!」


ドッと笑いが起きる。

誰もカイルたちに同情しない。

実力もないのに威張り散らし、恩人を裏切った報いだと、誰もが知っているからだ。


「行こう、フェル」

「はい、マスター! ごちそうさまでした!」


俺たちはカイルたちを跨ぎ、出口へと向かう。

アイテムボックスに屋台道具を一瞬で収納し、身軽になった俺の足取りは軽い。


「ま、待ってくれ……! クロード! 置いていかないでくれ!」

「嫌だぁ……! もうあんな弱い身体に戻りたくないぃぃ!」

「俺が悪かった! 何でもするからぁ!」


背後から聞こえる慟哭。

カイルが俺の足首を掴もうと手を伸ばすが、届かない。

俺は一度だけ立ち止まり、肩越しに彼らを見下ろした。


「忠告してやったはずだ。『後悔してももう遅い』と」


それだけを言い残し、俺は扉を開けた。

外の雨は止み、雲の切れ間から月が顔を覗かせている。

新たな道が、月光に照らされて輝いているように見えた。


「さて、明日はどのダンジョンに行こうか、フェル。美味い食材を探しにな」

「はい! ドラゴンの次は、ベヒモスなんてどうですか? 脂が乗ってて美味しいらしいですよ!」

「ハハッ、そいつは楽しみだ」


俺たちの笑い声が夜空に吸い込まれていく。

背後のギルドの中では、かつての栄光にすがりつき、生ゴミのバケツを見つめて呆然とする三人の男女が残されていた。

彼らが再びSランクに戻ることは、永遠にない。

スライムにすら怯え、日銭を稼ぐことすらままならない絶望的な日々が、明日から始まるのだ。


俺の作る「泥」の味を、一生悔やみ続けながら。

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