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第三話 崩れ落ちる偽りの英雄

翌朝。

王都の最高級宿屋『金獅子の寝床』のスイートルーム。

羽毛布団の中で目覚めた勇者カイルは、身体に鉛を詰め込まれたような重苦しさを感じていた。


「……ん、ぐぅ……」


呻き声を上げて身を起こそうとするが、思うように力が入らない。

昨日までの、ベッドから飛び起きられるような軽快さが嘘のようだ。

昨晩の祝勝会で飲みすぎたワインのせいだろうか。いや、Sランクの冒険者ともなれば、アルコール分解耐性も常人を遥かに凌駕しているはずだ。二日酔いなど、この三年間一度も経験したことがない。


「おい、起きろお前ら。朝だぞ」


カイルは隣のベッドで大の字になって寝ているガストンと、ソファで丸まっているレナに声をかけた。

だが、返事がない。

ガストンは苦しげに顔を歪め、レナは脂汗をかいて震えている。


「あー……頭いてぇ……。魔力が、なんかスカスカする……」

「身体が……石になったみてぇだ。なんだこれ……」


二人がゾンビのように起き上がってくる。

その顔色は土気色で、目の下には隈ができていた。

昨日のアビス・ガーディアン討伐の英雄とは思えない惨状だ。


「ちっ、だらしねぇな。昨日の疲れが残ってやがるのか。マリエル! 朝飯だ! 回復魔法もかけてくれ!」


カイルが呼び鈴を鳴らすと、別室からエプロン姿のマリエルが小走りでやってきた。

彼女の顔色も優れないが、それでも健気に笑顔を作っている。


「おはようございます、カイル様ぁ。朝食、できてますよぉ」


ワゴンに乗せられて運ばれてきたのは、ふわふわのパンケーキと、新鮮なフルーツ、そして香ばしいコーヒーだ。

見た目も美しく、甘い香りが部屋を満たす。

以前のクロードが出していた、あの無機質な泥ブロックとは天と地の差だ。

だが。


「……いただきます」


カイルたちはパンケーキを口に運んだ。

美味い。間違いなく美味い。

だが、飲み込んだ瞬間、胃袋が強烈な違和感を訴えた。

『これじゃない』と。

身体の奥底にある渇きが、この食事では癒やされない。

まるで砂漠で喉が乾いている時に、乾いた砂を飲まされているような感覚。

満腹感はあるのに、力が湧いてこない。


「マリエル、回復魔法だ。身体がダルい」

「は、はいっ! 『ハイ・ヒール』!」


聖女の魔法が三人を包む。

温かい光。擦り傷程度なら一瞬で塞がる上級魔法だ。

しかし、カイルたちのダルさは一向に解消されなかった。

身体の重さは変わらず、筋肉の奥にある倦怠感が居座り続けている。


「……効かねぇな。どうなってんだ?」

「私の魔法が効かないなんて……そんなはずありません! きっと、昨日の激戦の疲労が予想以上に深いんですぅ」


マリエルが必死に弁明する。

カイルも舌打ちをして、それを認めるしかなかった。

まさか自分たちの身体が『弱体化』しているなどとは、微塵も思っていないからだ。


「まあいい。身体を動かせば調子も戻るだろ。今日はリハビリがてら、近場のBランクダンジョン『翡翠の谷』に行くぞ」

「えぇー? 今日は休まない?」

「バカ言え。クロードを追放した直後だぞ? 俺たちが『マリエルが入ってさらに強くなった』ってところをギルドに見せつけなきゃなんねぇんだよ」


カイルは強引に立ち上がり、装備を身に着けようとした。

愛剣『聖剣・ガラティーン』。

オリハルコン製の刀身を持つ、国家予算並みの価値がある伝説の剣だ。

カイルはそれを片手で掴み――


ガシャアンッ!!


手から滑り落ちた剣が、床板を砕いた。


「……は?」


カイルは自分の手と、床に転がる剣を交互に見た。

重い。

異常に重い。

いつもなら羽根のように扱えるはずの剣が、まるで鉄塊のように感じられた。


「お、おいカイル、何やってんだよ。床が抜けちまうぞ」

「う、うるせぇ! 手が滑っただけだ!」


カイルは顔を真っ赤にして、今度は両手で剣を拾い上げた。

なんとか持ち上がる。だが、ずっしりとした重量感が腕にのしかかる。

(なんだ……? 剣の呪いか? いや、俺の握力が落ちてるのか?)

一抹の不安が脳裏をよぎるが、カイルはそれを必死に打ち消した。

気のせいだ。寝起きで本調子じゃないだけだ。

俺はSランク冒険者。選ばれし勇者だぞ。


「行くぞ! グズグズするな!」


カイルは虚勢を張り、仲間たちを急かして宿を出た。



『翡翠の谷』。

王都から馬車で一時間の距離にある中級ダンジョンだ。

出現する魔物はオークやホブゴブリンといったC〜Bランク帯。

昨日の『銀の翼』であれば、鼻歌交じりで散歩できる程度の難易度である。


「見ててね、カイル様! 私、バフ魔法も得意なんですからぁ! 『ブレス・オブ・マイト』! 『ヘイスト』!」


ダンジョンの入り口で、マリエルが補助魔法をかける。

カイルたちの身体が淡い光に包まれた。


「おお、力が湧いてくるぜ! さすが聖女様だ!」

「これよこれ! クロードの地味な料理とは違って、魔法は派手でいいわね!」


ガストンとレナが喜ぶ。

魔法による強化値は通常比1・2倍程度。

クロードの『概念料理』による常時強化(通常比50倍+限界突破補正)に比べれば誤差のような数値だが、彼らはその差に気づかない。

なぜなら、クロードの料理は「食べた瞬間に劇的に強くなる」のではなく、「基礎ステータスそのものを底上げして固定する」タイプだったからだ。

彼らは今の自分の弱体化した状態(本来のステータス)に、マリエルのバフが乗った状態を「強い」と錯覚している。


「よし、敵のお出ましだ!」


草むらから、三体のホブゴブリンが現れた。

身長二メートルほどの筋肉質な鬼。手には錆びた鉈を持っている。

カイルは鼻で笑った。


「雑魚が。俺の剣の錆にしてやるよ」


カイルは地面を蹴った。

いつもなら、この踏み込みで瞬時に敵の懐に入り、首を刎ねているはずだった。

だが。


(……遅い!?)


景色が流れる速度が遅い。

身体が思うように前に進まない。

イメージと現実の動きに致命的なラグがある。

それでも腐っても元Sランク(自称)、ホブゴブリンの目前までは到達した。

カイルは聖剣を振り上げる。


「死ねぇっ!!」


渾身の一撃。

しかし、その軌道は鈍重で、切れ味も鋭さも欠けていた。

ホブゴブリンはニタニタと笑い、半歩後ろに下がるだけでその剣を避けた。


「なっ!?」


空振った勢いで、カイルの体勢が大きく崩れる。

重すぎる剣に振り回されたのだ。

そこに、ホブゴブリンの反撃が迫る。

錆びた鉈がカイルの脇腹を狙う。


「ふん、当たるかよ!」


カイルは身を捻って避けようとするが、足がもつれた。

ドスッ!

鈍い音と共に、脇腹に激痛が走る。


「ぐあああああああっ!?」


カイルは無様に吹き飛び、地面を転がった。

信じられない光景だった。

以前なら、ホブゴブリンの攻撃など皮膚で弾き返せたはずだ。

『鋼鉄の皮膚』という概念が付与されていた頃なら、蚊に刺された程度だったはずなのだ。

それが、錆びた刃物が肉に食い込み、血が噴き出している。


「カイル!? 嘘でしょ!?」

「カイル様ぁ!」


レナとマリエルが悲鳴を上げる。

ガストンが盾を構えて前に出る。


「俺が守る! オラァッ!」


ガストンは巨大なタワーシールドで体当たりを敢行する。

だが、別のホブゴブリンがその盾を正面から棍棒で殴りつけた。

ガギィンッ!!

金属音が響き、次の瞬間、ガストンの巨体がくの字に折れ曲がって後方へ吹っ飛んだ。


「ぐほぉっ! 重っ……腕が……折れ……」


ガストンは泡を吹いて気絶した。

彼の怪力を支えていた『剛力』の概念が消失し、装備重量過多オーバーウェイト状態で攻撃を受けたのだ。支えきれるはずがない。


「ひ、ひぃっ! 嘘よ、なんで!? なんでこんな雑魚に!」


レナが杖を構える。

だが、その手は恐怖で震えていた。

魔力の収束が遅い。詠唱に時間がかかる。

クロードの料理に含まれていた『魔力回路最適化』の恩恵が消え、彼女の魔法発動速度は一般の魔導師レベルまで落ち込んでいた。


「『ファイア・ボ……』」


詠唱が終わる前に、ホブゴブリンが目の前に迫る。

汚い息がかかる距離。

レナは悲鳴を上げて杖を投げ捨て、背を向けて逃げ出した。


「いやぁあああ! 来ないでぇえええ!」


戦線崩壊。

Sランクパーティ『銀の翼』が、たかだかホブゴブリン三体に蹂躙されている。

カイルは脇腹を押さえながら、脂汗を垂らして這いつくばっていた。

(ありえない。これは夢だ。俺たちが負けるはずがない……!)

だが、迫りくるホブゴブリンの殺意は本物だ。


「撤退だ!! マリエル、目くらましを使え!! 逃げるぞ!!」


カイルはプライドも何もかもかなぐり捨てて叫んだ。

マリエルが泣きながら閃光魔法を放つ。

目が眩んだ隙に、カイルは気絶したガストンを引きずり、レナと共に泥だらけになって逃走した。

背後から聞こえるホブゴブリンたちのゲラゲラという嘲笑が、いつまでも耳にこびりついて離れなかった。



その日の夜。

王都の酒場の個室には、お通夜のような空気が流れていた。

カイルたちはボロボロの姿で、テーブルの上に並べられた豪華な料理を睨みつけていた。

最高級のドラゴンステーキ。希少なエルフ野菜のサラダ。年代物のワイン。

なけなしの貯金を叩いて注文した、一食で金貨十枚もする超高級ディナーだ。


「……食うぞ。食って、力を戻すんだ」


カイルは血走った目でステーキにナイフを突き立てた。

ガツガツと貪るように食べる。

美味い。とろけるような脂。濃厚なソース。

だが、食べれば食べるほど、焦燥感が募っていく。

(違う。これじゃない。味がするだけのゴミだ)

身体が求めているのは、あの泥だ。

無味乾燥で、喉に詰まるような、あの不味いブロックだ。

あれを食べた後に身体の芯から湧き上がってくる、あの全能感が、この高級ステーキには欠片もない。


「なんでだよ……! なんで力が戻らねぇんだよ!」


カイルは皿を床に叩きつけた。

ガシャーン!

散らばる高級肉。

レナが涙目でカイルを見る。


「ねえ、カイル。もしかして……クロードの言ってたこと、本当だったんじゃ……」

「言うな!」


カイルが怒鳴る。


「あいつの飯ごときで、俺たちが強かったなんて認めてたまるか! 俺たちは選ばれた勇者だ! 才能の塊なんだよ!」

「で、でも現に、ガストンは盾も持てないし、私も魔法がいつもの半分も出ないのよ!?」

「うるせぇうるせぇ!」


カイルは頭を抱えた。

認めたくない。だが、現実は残酷だ。

彼は震える手で、自分のステータスカードを取り出した。

ギルドカードには、現在の能力値が数値化されて表示される。

今朝は見なかったことにしたが、今は確認せずにはいられない。


名前:カイル

称号:勇者(仮)

LV:65 → 42(STATUS DOWN)

筋力:S → D

魔力:A → E

耐久:S → D

状態:栄養失調(概念欠乏症・重度)、筋繊維萎縮、魔力回路閉塞


「……は、はは……」


乾いた笑いが漏れた。

下がっているどころではない。

冒険者になりたての頃の数値まで落ちている。

いや、『状態異常』のせいで、実質的な戦闘力は一般人以下かもしれない。

栄養失調? 概念欠乏症?

そんなふざけた病名、聞いたことがない。

だが、事実としてそこに刻まれている。


「クロードの料理は……ただの飯じゃなかったんだ……」


ガストンが呆然と呟く。

彼らはようやく理解した。

あの不味いブロックこそが、彼らをSランクという高みへ押し上げ、維持していた生命線だったのだと。

そして、それを自らの手で切り捨てたのだと。


「……全部、お前のせいだ」


カイルの視線が、震えているマリエルに向けられた。


「え……?」

「お前が! お前が『あんな泥食べる必要ない』とか言うから! 美味しい料理があればいいとか唆すから! 俺たちはクロードを追い出したんだぞ!」


カイルがマリエルの胸倉を掴む。

完全な八つ当たりだ。

決定を下したのはリーダーであるカイル自身であり、マリエルはただ同意したに過ぎない。

だが、今のカイルにそんな理屈は通用しない。

自分以外の誰かを悪者にしなければ、精神が崩壊してしまうからだ。


「い、痛いですぅ! カイル様、離してください!」

「うるせぇ! この役立たず! お前の飯なんか、ただ味がするだけのゴミだ! 栄養ゼロの毒なんだよ!」

「ひどい……! 私の料理を美味しいって、あんなに褒めてくれたのに!」

「黙れ! 責任取れよ! 俺のステータスを戻せよ! 聖女なんだろ!?」


醜い罵り合い。

レナは頭を抱えてテーブルに突っ伏し、ガストンは虚空を見つめて現実逃避している。

かつて『銀の翼』と呼ばれ、民衆の憧れだった最強パーティの姿は、そこにはなかった。

あるのは、力を失い、責任を押し付け合う、弱くて醜い人間たちの姿だけ。


「……クロード」


レナがポツリと、追放した男の名前を呼んだ。

今頃彼はどうしているだろうか。

野垂れ死んでいると思っていた。

自分たちがいなければ、何もできない無能だと思っていた。

だが、無能だったのは自分たちの方だった。


「連れ戻さなきゃ……」


カイルがマリエルを突き飛ばし、狂気じみた目で呟いた。


「そうだ。あいつを連れ戻せばいい。謝って、また飯を作らせればいいんだ。そうすれば、また俺は最強に戻れる」


カイルの顔に、歪んだ希望が浮かぶ。

彼はまだ分かっていなかった。

一度壊れた信頼は、二度と元には戻らないということを。

そして、概念を操る料理人が、裏切り者に対してどれほど冷徹になれるかということを。


「探すぞ。クロードを。……そして、あの泥を食わせろと命令してやる」


カイルはステータスカードを握り潰した。

外では冷たい雨が降り始めていた。

彼らの没落は、まだ始まったばかりだ。

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