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第一話 泥の味と絶縁状

「オラァアアアッ! これで終わりだ、深淵の守護者ぁッ!」


ドゴォオオオオンッ!!


大気を震わせる轟音と共に、巨大な光の刃が暗闇を切り裂いた。

ダンジョンの最深部、その空間を支配していた漆黒の巨躯――Sランク指定魔物『アビス・ガーディアン』が、断末魔の叫びを上げて崩れ落ちる。

分厚い装甲も、魔法を弾く鱗も、今の彼の一撃の前には紙切れ同然だった。

舞い上がる粉塵の中、黄金に輝く鎧を纏った金髪の青年が、勝者の笑みを浮かべて剣を振るう。

勇者カイル。

弱冠二十歳にしてSランクパーティ『銀の翼』を率いるリーダーであり、この国で最も将来を嘱望されている英雄だ。


「へっ、口ほどにもねえな。Sランク魔物っつっても、俺の本気の前じゃ準備運動にもなりゃしねえ」


カイルが剣を鞘に納めると、背後から仲間たちが駆け寄ってくる。

魔導師のレナが興奮した様子で杖を掲げた。


「さすがカイル! あのアビス・ガーディアンを一撃なんて、歴代の勇者でもありえないわよ!」

「ああ、全くだ。カイルの剣速、また上がったんじゃないか? 俺の目でも追いきれなかったぜ」


重戦士のガストンが豪快に笑いながらカイルの肩を叩く。

彼らは皆、自信に満ち溢れていた。

この三年間、彼らは負けを知らない。どんな強敵も鎧袖一触。傷一つ負わずに勝利し続けてきた。

自分たちが最強であることになんの疑いも持っていない。


俺、クロードは、そんな彼らから少し離れた場所で、黙々と巨大なリュックを下ろしていた。

戦闘には参加しない。俺の役割は荷物持ちと、野営の準備、そして――食事の管理だ。

カイルたちのステータスは異常だ。

通常の人間が持ちうる限界値を遥かに超えている。

筋肉の密度、魔力回路の太さ、反射神経の伝達速度。それら全てが、神の祝福を受けたかのように強化されている。

だが、彼らは気づいていない。

その異常な強さが、彼ら自身の才能ではなく、俺が毎日提供している『食事』によって維持されているということに。


「おい、クロード! 何ボーッとしてやがる。腹減ったんだよ、さっさと飯にしろ!」


カイルの怒鳴り声が飛んでくる。

勝利の余韻に浸っていた彼らの視線が、一斉に俺へと向けられた。そこにあるのは仲間を見る温かい目ではない。便利な道具を見るような、あるいは道端の石ころを見るような冷ややかな色だ。


「……分かっている。すぐに用意する」


俺は短く答え、アイテムボックスから携帯用コンロと鍋を取り出す。

そして、最も重要な『食材』を取り出した。

それは、見た目はただの黒っぽい泥の塊だ。

いや、正確には食材ですらない。

俺のユニークスキル『概念料理』によって、魔物の肉や薬草、鉱石、さらには『魔力』や『剛力』といった概念そのものを抽出し、極限まで圧縮・合成した高密度栄養体。

味覚、嗅覚、視覚的な美しさといった「栄養摂取に不要な要素」を徹底的に排除し、代わりにステータス上昇効果だけを限界まで詰め込んだものだ。

俺はそれを「完全栄養ブロック」と呼んでいる。

これを一欠片食べるだけで、消耗した魔力は瞬時に全快し、筋繊維は鋼鉄のように修復され、さらには永続的なステータスアップ効果が付与される。

カイルたちがSランク魔物を一撃で倒せるのも、三年間このブロックを食べ続け、基礎ステータスを際限なく積み上げてきたからに他ならない。


「はい、今日の分だ」


俺は調理――といっても、ブロックを適当な大きさにカットし、消化吸収を助けるための特殊な魔力水をかけただけのもの――を皿に盛り、三人に差し出した。

皿の上には、湯気一つ立たない、無機質な黒い直方体が鎮座している。

匂いはない。味もない。

強いて言えば、口の中の水分を全て持っていかれるようなパサパサ感と、飲み込む際に喉に張り付くような不快感があるだけだ。

カイルがその皿を受け取り、露骨に顔をしかめた。


「……また、これかよ」


低い声で呟くカイル。その額には青筋が浮かんでいる。


「チッ……毎回毎回、家畜の餌みてぇなもん出しやがって。今日はアビス・ガーディアンを倒した祝いの日なんだぞ? 少しはマシなもん作れねぇのか、この無能が!」


カイルが皿を地面に叩きつけた。

ガシャンッ、という音と共に、貴重な栄養ブロックが泥に塗れる。


「カイル、粗末にするな。そのブロック一つを作るのに、どれだけの素材と計算が必要か分かっているのか。それに、それを食べなければお前たちの体は……」

「うるせぇ!!」


俺の言葉を遮り、カイルが怒号を上げる。


「御託は聞き飽きたんだよ! 素材? 計算? 知ったことか! 俺たちが求めてるのは『美味い飯』なんだよ! お前のその泥団子じゃなくてな!」

「そうだわ、クロード。あなた、料理人としてのプライドはないの? こんなゴミみたいなものを食べさせられる私たちの身にもなってよ」


レナが軽蔑しきった目で俺を睨む。ガストンも腕を組み、鼻を鳴らした。


「全くだ。俺たちはSランクパーティ『銀の翼』だぞ? 王都の一流レストラン並みとは言わんが、せめて人間が食うもんを出せよ。お前のそれは、拷問道具と変わらん」


彼らの言い分は、一般論としては正しいだろう。

食事とは本来、空腹を満たすだけでなく、精神を安らげ、明日への活力を養うための行為だ。

味、香り、彩り。それらが揃って初めて「料理」と呼べるのかもしれない。

だが、彼らの肉体はもはや一般人のそれではない。

俺の『概念料理』による過剰強化に耐えうるよう、代謝機能が作り変えられている。

今さら普通の食事――ただの肉や野菜を焼いただけのもの――を摂取したところで、彼らの燃費の悪すぎる肉体を維持するエネルギーは賄えない。

ガソリン車に水を給油するようなものだ。

俺は何度もそれを説明してきた。

「味」というノイズを混ぜれば、バフの効果が薄れること。「美味さ」を追求すれば、その分だけステータス上昇値が下がること。

だが、彼らは聞く耳を持たなかった。

自分たちの強さは自分たち自身の才能であり、食事などただの燃料補給に過ぎないと思っているからだ。


「……味については申し訳ないと思っている。だが、今のダンジョン攻略にはこれが必要なんだ。アビス・ガーディアン級の連戦に耐えるには、効率を最優先するしかない」


俺は努めて冷静に言った。

感情的になっても意味がない。俺の仕事は彼らを生きて帰すことだ。

だが、俺の言葉は火に油を注ぐだけだったようだ。


「効率、効率、効率! お前の頭ん中はそれしかねぇのか! 気持ち悪いんだよ!」


カイルが俺の胸倉を掴み上げる。

至近距離で睨みつけられる。勇者としての威圧感。だが、不思議と恐怖はなかった。

俺には見えているからだ。

彼の体内を巡る膨大なエネルギーが、俺の料理によってギリギリのバランスで保たれている様が。

そして、その供給源である俺を排除しようとすることが、どれほど愚かな自殺行為であるかが。


「もういい。我慢の限界だ」


カイルは俺を突き飛ばすと、パンパンと手を叩いた。

それを合図にするように、岩陰から一人の少女が現れた。

純白のローブに身を包み、聖杖を手にした美しい少女。

長い銀髪が薄暗いダンジョンの中で淡く発光しているかのように見えた。

彼女の手には、湯気の立つ鍋が握られている。


「あ、あの……お邪魔しますぅ。えっと、カイル様、お料理、温め直しました」


鈴を転がすような甘い声。

彼女が現れた瞬間、その場に香ばしい匂いが漂った。

バターと香草、そして肉の脂が焼ける食欲をそそる香り。

カイルの表情が、先ほどの鬼の形相から一転、とろけるような笑顔に変わる。


「おお、マリエル! 待っていたぞ!」

「遅くなってごめんなさい。でも、美味しいシチューができましたよぉ」


マリエルと呼ばれた少女は、小走りでカイルの元へ駆け寄ると、愛おしそうに鍋の蓋を開けた。

ふわぁっ、と濃厚なクリームシチューの香りが広がる。

具材もしっかりと煮込まれており、彩りも豊かだ。

見た目だけで言えば、俺のブロックとは雲泥の差だ。

だが、俺の『鑑定』の目には映っていた。

そのシチューに含まれる栄養価は、ごく一般的な成人男性の一食分程度。

特別なバフ効果もなければ、魔力回復効果も微々たるもの。

ただの「美味しいシチュー」だ。


「すげぇ! うまそおおおお!」

「これよ! これが料理っていうのよ!」


ガストンとレナが歓声を上げ、マリエルの周りに群がる。

カイルは俺を見下ろし、勝ち誇ったように鼻を鳴らした。


「紹介してやるよ、無能。こいつはマリエル。先週、神殿から派遣されてきた新しい聖女様だ。回復魔法のエキスパートで、しかも料理の腕はプロ級だ」

「は、初めましてぇ。マリエルです。あのぉ、あなたが噂の……『泥料理人』さんですかぁ?」


マリエルは小首を傾げ、あざとく上目遣いで俺を見てきた。その瞳の奥には、隠しきれない優越感と嘲りの色が浮かんでいる。

彼女は俺が作った黒いブロックをチラリと見て、大げさに口元を押さえた。


「うわぁ……本当に泥みたい。こんなの食べてたら、お腹壊しちゃいますよぉ。カイル様たちが可哀想ですぅ」

「だろう? こいつには常識ってのがねぇんだよ」


カイルが同意し、マリエルの肩を抱き寄せる。


「さて、クロード。お前も薄々感づいてるだろうが、結論を言うぜ」


カイルは一拍置き、残酷な宣告を口にした。


「お前はクビだ。『銀の翼』から追放する」


予想通りの言葉だった。

驚きもなければ、悲しみもない。

ただ、胸の奥で何かが静かに冷えていく感覚だけがあった。


「……理由は、料理か?」

「それだけじゃねえよ。お前、戦闘じゃ何の役にも立たねえだろ? 俺たちが命がけで戦ってる間、後ろで隠れてるだけの寄生虫が。その上、飯まで不味いときたら、置いておく理由がねぇ」

「そうよ。マリエルが入ってくれるなら、回復役も料理役も彼女一人で十分だもの。アイテムボックス持ちなんて、街で雇えばいくらでもいるしね」


レナが冷淡に言い放つ。

俺は彼らの顔を一人一人見回した。

三年間、寝食を共にし、彼らの成長を陰から支え続けてきたつもりだった。

彼らが強敵を倒して喜ぶ姿を見るのが、俺にとっても喜びだった。

そのためなら、味覚などという些末なものを犠牲にしてでも、彼らを生かすための「最善」を尽くそうと決めていた。

だが、彼らにとって俺は、ただの「不味い飯を作る雑用係」でしかなかったのだ。


「……分かった。契約解除を受け入れる」


俺は淡々と答えた。

これ以上、何を言っても無駄だ。

彼らは既に結論を出している。そして、その結論に至るまでの過程で、俺の献身など一顧だにされなかった。

ならば、未練などない。


「荷物は置いていけよ。それから、手切れ金なんてねぇからな。今まで俺たちのおこぼれで散々稼がせてもらったんだ、むしろ感謝してほしいくらいだぜ」


カイルがゲラゲラと笑う。

俺は無言でリュックを下ろし、アイテムボックスから共有資産である予備の装備やポーション類を全て取り出して並べた。

自分個人の持ち物は、腰に差したナイフと、わずかな所持金、そして調理器具だけだ。


「おいおい、そんなガラクタ調理器具まで持ってくのか? マリエルの料理食べた後じゃ、二度と使うことなんてないと思うけどなぁ!」


ガストンの嘲笑を背に受けながら、俺は立ち上がった。

そして、最後に一度だけ、かつての仲間たちに忠告をしてやることにした。

これは元パーティメンバーとしての、最後の情けだ。


「カイル、レナ、ガストン。一つだけ言っておく」


俺の声色が、自分でも驚くほど低く、冷たいものになったのを感じた。


「俺の料理は、お前たちの身体を維持するための『概念』そのものだ。それを絶てば、これまで蓄積してきたステータスは急速に崩壊する。今の強さは、俺の料理があって初めて成立するものだということを忘れるな」

「あぁ? なんだその負け惜しみ。みっともねぇぞ」


カイルは聞く耳を持たず、マリエルから受け取ったシチューを美味そうに頬張っている。


「うめぇええ! やっぱこれだよな! 生き返るぜ!」

「ふふっ、たくさん食べてくださいね、カイル様ぁ」

「聞いたかよ、あいつの言い草。『俺の料理がないと弱くなる』だってよ! どんだけ自己評価高いんだか!」


誰も俺を見ていない。

彼らは温かいシチューと、新しい聖女の笑顔に夢中だ。

その光景を見て、俺の中で完全に何かが切れた。

情けも、未練も、義務感も。

彼らを繋ぎ止めていた『供給パス』を、俺は意識的に切断した。

俺のスキル『概念料理』は、食べた対象との間に微弱な魔力パスを繋ぎ、消化吸収の効率を最適化する機能がある。

それがあるからこそ、彼らはあの泥のようなブロックを毒としてではなく栄養として摂取できていたのだ。

だが、もう必要ない。


「……そうか。なら、好きにしろ」


俺は踵を返した。

背後からは、まだ彼らの談笑が聞こえてくる。


「やっと清々したわね」

「ああ、これで次の遠征からは美味い飯が食えるぜ!」

「マリエルちゃん、おかわり!」


その明るい声は、まるで断崖絶壁に向かって全力疾走している馬鹿者たちの歓声のようだった。

俺はダンジョンの出口へ向かって歩き出す。

一歩進むごとに、身体が軽くなっていくのを感じた。

今まで、彼らの異常な代謝を支えるために、無意識のうちに俺自身の魔力もリソースとして割いていたのだろう。

それが解放され、力が満ちてくる。


「……腹が減ったな」


ふと、そう思った。

誰かのためではなく、自分のために。

効率のためではなく、味のために。

俺は、俺自身が最高に美味いと思えるものを食いたい。

今の俺なら、どんな食材だって、どんな概念だって、至高の料理に変えられる気がした。


背後の闇の中に、かつての仲間たちを置き去りにして。

俺は一度も振り返ることなく、光の差す地上へと歩みを進めた。

彼らが絶望の淵に叩き落とされる時が、すぐそこまで迫っていることなど知る由もなく。

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