四、 天女に会う
「うわああ」
「きゃあああ」
「ひいい」
こどもたちは悲鳴を上げて板塀の向こうに引っ込んだ。
お照は大門に急いで戻った。大門のそばに番所があったからだ。
番所に駆け込んでみたが、誰もいなかった。
「せ、千太郎おじさん、どこ!」
誰か信用できるおとなのひとに確認してもらいたかった。二間以上距離があったから、もしかしたら見間違いかもしれない──
馬鹿だなあ、人形を見間違えるなんて、そう笑い飛ばしてもらいたかった。
今のお照が頼れるのは千太郎おじさんしかいない。
仲之町に戻ったが千太郎の姿はない。昼見世目当ての客がぽつぽつと歩いているだけだ。
こうなったら誰でもいい。
たまたま通り掛かった二本差しに駆け寄った。黒い羽織。同心だ。
「あの、すみません!」
だが男は呼びかけに反応しない。上の空だった。
「お侍さま……?」
男がなにかに気を取られていると悟ったお照は男の視線を追った。
その先には、仲之町の桜並木にそって、ふわりと浮かぶようにゆっくりと歩いてくる女性の姿があった。
傘を差し、派手な着物を身につけている。
これが噂の花魁道中か。見物している場合ではないにもかかわらず、お照は目が離せなくなった。
というのも、花魁が異様な風体をしていたからだった。
道中を見るのが初めてのお照ではあったが、地本問屋の店先で花魁の錦絵くらいは目にしたことはある。
身体の輪郭が丸くなるくらいに豪奢な着物を重ね着して、派手な前帯をして、高下駄を履くものだと思っていた。
禿や新造といったお付きの者はどこへいったのか。いや、そんなことよりも──
「南蛮人の花魁がいるなんて」
お照は花魁の顔貌に釘付けになった。
磁器のような白い肌、空を掬い取ったような青い瞳、高い鼻梁、紅い唇。
瓜実顔の美人である。
高く結いあげた髪は金色で、簪代わりに桜の枝と孔雀の羽を挿している。
身につけているものは、よくよく見たら着物ではなかった。
見たことのない異国の服だ。生地は縞格子の絹織物だが、帯がない。腰をきゅっと細く縫いこんでる。腰の細さとは対照的に、臀部の布は横に出張っている。なかに井桁でも入れているのだろうか。
広く開いた襟元や袖口には紗のような薄い生地をくしゃくしゃと寄せて縫いつけてある。
へんてこな格好。だが目が離せなかった。
お照が唖然としていると花魁は微笑みかけてきた。
「ごきげんよう」
言葉が通じる。お照はゴクリと唾を飲んだ。
「はい、あの……」
「どうかしましたの。ずいぶんとドウヨウしているようだけど」
花魁はわずかに小首を傾げてお照を見やる。
「困ってて……あの……」
「ユーレイでも見たような顔ね、おほほほ」
大輪の牡丹が咲き誇るような、艶やかな微笑みだった。うっとりするような良い香りがお照の鼻腔に流れ込み、視界はキラキラと煌めいた。
心の臓が破裂する。お照は胸をおさえた。雷に打たれたように身体が硬直した。
この花魁は人間ではない。
天空から舞い降りた天女に違いない。
お照は後退った。本能的な畏れだった。
それほどに自分とは異なった生き物だと直感が告げた。
このような高貴な存在に「お歯黒どぶで死体かもしれないものを見た」などと戯れでも伝えることはできない。お天道様の罰が当たる。
お照は頭を下げながら後退した。
「道をふさいですみま──」
そう言いかけたときだった。
「お母さま、大変。すごいもの見つけちゃった!」
シャルルが突然現れて、花魁の細い腰に飛びついた。
「あらあら、シャルル。お母さまはもうカエルくらいでは驚きませんよ」
「カエルじゃなくて、ねえ、来て!」
シャルルは花魁の手を掴んでお歯黒どぶの方向に引っ張っていこうとする。
お照の口はとっさに言葉を放っていた。
「待って、シャルル。奉行所の役人を呼びましょう」
そばにいた同心が、伸びていた鼻の下を引き締めてお照に顔を向けた。
「おれに用か? 同心の東半兵衛、吉原の番屋に詰めている。なにかあったのか」
吉原の同心ときいて思わずすがりつきたくなったお照である。
「一緒に来ていただけませんか」
「かまわんが、たいていのことは四郎兵衛会所のほうで間に合うと思うぞ」
どこか怠そうな口ぶりにいらだち、お照は半兵衛の袖をつかまえて現場に引っ張っていこうとした。
そのとき、だれかが目の前に立ちふさがった。
「お照さん、いやあ、すまない。馴染みの女郎がいたもんでね」
見ると、千太郎が照れくさそうに頭をかいていた。
南蛮人の花魁に気づいた千太郎は顔をほころばせて揉み手になった。
「おや、こりゃ話が早い。お照、こちらの方が菓子舗の女将さんだよ」
「え」
すっかり花魁だと思い込んでいたので、菓子補の女将さんだと言われてお照は戸惑った。
菓子舗の女将には到底見えない。冗談を言っているのではないかとまじまじと千太郎の顔を覗き込んだが、そんな疑問はシャルルが吹き飛ばした。
「早く早く。どぶに女のむくろがあったんだよ。ねえ、ほんとだよ。このお姉さんも見てるんだから」
一瞬の間が空く。
「は、珍しくもねえ」
半兵衛が小さく舌打ちした。