十三、 女将と語らう夜
どこか怯え腰の女房にお照はあらためて頭を下げた。
「ご亭主が怪我をしていたら、わたしが悪いんです。お戻りになったら教えてください。前借りして薬代も支払います。ですが女将さんやシャルルを悪く思わないでください。女将さんが近所づきあいしない理由は今度聞いときます。いろいろと誤解があるかもしれません。わたしは来たばかりで右も左もわからない新参者ですが、これから吉原の水に馴染んでいきたいので、ご指導、ご指南、ご鞭撻、どうぞよろしくお願いいたします!」
近所に聞こえるような大声を放った。
女はしげしげとお照を見やると、「こっちも悪かったよ」と苦笑を浮かべた。
女は千野と名乗った。芸妓として座敷に出るほか、女郎に踊りを教えているらしい。
亭主は付け馬なので「どっぷり吉原に浸かっている」のだという。
「向こうさんにも事情があるんだろうけど」千野は見えない女将に顎をつきだす。「ともかく感じが悪いんだよね。いや、気にしなさんな、ただの愚痴だよ。まあ、あんたが住み込むならちょっとは安心だよ。ところであんた、お照さん……」
「はい」
「道場にでも通っていたのかい。勇ましいね」
部屋に戻ると、女将さんが夜具の横に座っていた。
お照が近づくと、行灯の灯りがゆらりと傾ぐ。
「女将さん、どうしましたか」
「外がにぎやかでしたので目が覚めてしまいました。お照さんにお話ししておきたいことがあるのですが、今よろしいかしら」
「はい、もちろんです」
これは良い機会かも知れない。お照は女将に向き合う形で膝を揃えた。
「道場に通っていたのですか、お照さんは」
「あ、いえ、ちゃんと習ったことはありません。近所の悪童とごっこ遊びしてたくらいです」
道場を訪ねたことはある。入門したかったのだが、女は出入禁止だと言われて諦めたのだ。
悪童仲間のあいだではお照はいっとう強かったので悔しかった。道場の窓から中を覗くだけで我慢した。
我慢はしたが、こっそりと木の枝を振る日課は欠かさなかった。
「そうですか。わたくしとシャルルは一年ほど前にニホンに来ました。もともとニホンに来るつもりではなかったのです。乗っていた船がナンパしたのです。千代田のお城まで招待されてショーグンとエッケンしました。ショーグンはこうおっしゃいました。本来であればナガサキのデジマに身柄を送るところだが、キデンらは大切な人質である。ゆえに出国を許さないと」
「難破、謁見、人質……?」
「オーオクに部屋を与えられましたがとても不自由でした。ナンキンされていたテュイルリー宮殿よりもキュウクツなのです。みんながわたくしたちを監視していて……。ショーグンに文句を言いました」
「え、将軍さまに文句ですか?」
「ならばゴサンケの屋敷はどうかと言われましたが断りました。監視のうっとうしさはかわらないでしょうから」
「はあ……」
女将さんとシャルルはご公儀から人質として認められるほど価値がある人物なのだ。
となると、いつかフランスから参勤交代の行列がやってくるかもしれない。
神君徳川家康公は参勤交代を藩主に義務づけた。藩主は一年ごとに江戸と国許を往復しなければならず、江戸の屋敷に正室と嫡子を住まわせねばならない。
つまり人質である。
女将は藩主の正室に相当するのだ。
初めて女将を見たときに天女か菩薩かと錯覚したものだが、尋常な人間ではないと感得したのはあながち間違ってはいなかったようだ。
お照はいまさらに身のうちが震えた。
「どうせ革命派はここまでは追ってこれない。だったら市井に身をひそめてもよかろうと考えたのですが、ショーグンはわたくしたちのスミカを吉原に定めました」
女将はほうと細い息を吐いた。
革命派がなんのことだかわからないが女将たちの敵対勢力と考えて間違いはないようだ。
「それは極端ですね。女将さんが吉原で限られた人としか交流されてないのはわけがあるのですか」
一目で異国人とわかる風貌では身をひそめるのは、そもそもが困難だと思う。
ご公儀の目の届かないところに行かれても困るだろう。そこで吉原が選ばれたのだろうか。
女将は菩薩様のようなすべてを包み込むような笑みを浮かべてのたまった。
「あえてシモジモのものと交わることはないでしょう」
お照の息が詰まった。
「マンゾクはしておりませんけれど、ここはあくまで仮の宿。身を売る女が住む場所に押し込められるなんて汚らわしいと思っております。その女達にたかって生きる人間もね。女郎たちには大いに同情すべき点があるということはリカイしておりますが、わたくしから交流を申し出る理由はありませんもの。ショウフあがりの公式寵妃と張り合っていたのも、今振り返れば懐かしい思い出。あの女も貧しい家の生まれで、成り上がるには方法はひとつしかないと考えていたんでしょうね。チスジは覆せないのに、可哀想なひと」
女将の説明によると、公式寵妃というのは将軍の側室に花魁が選ばれるようなものだという。
しかも将軍が好みで指名するとか。
さすがにそれはありえない。
フランスはお照が想像していたよりも気ままな国らしい。だが同時に女将の気位の高さにも驚いた。
お照はついつい口をはさんでしまう。
「女郎はけして卑しくはありませんよ」




