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恋愛・ヒューマンドラマ

奇跡の婚約破棄

作者: 二角ゆう

「私、ウィルソン・フォーリネスはカトリーナ・ルミナリスと婚約破棄します」


 ウィルソンは王の間で高らかに声を上げた。王の間の空高く伸びる天井に届くようにウィルソンの声が反響していく。


 王様や他の貴族たちは表情こそ変えてはいないが、ウィルソンからその目の前にいる私へ視線を動かすと静かに見守る。


 私はウィルソンを真っすぐ見ていたが、両手を胸の前に揃えるともじもじと動かしながら肩が縮こませた。


 誰もが私に同情なのか好奇の目なのか視線を注ぐ中、私は震える唇を動かした。


「ウィルソンさま、婚約破棄には合意出来ません⋯⋯」


 その言葉は小さい声だったけれど、高い天上の王の間でよく響いた。その言葉が貴族たちの耳に届いた頃。


「相手は王族だぞ」

「合意しないなんてことないだろう」


 驚いた貴族たちは次々と言葉を漏らした。


「⋯⋯この国の法律では、婚約破棄について、契約に明記がなければ一方が解除権を持たず⋯⋯双方の合意がないといけないとあります⋯⋯王族の方は例外なのでしょうか?」


 私は青ざめた顔に血色のない唇でなんとか言葉を紡ぎ出すとウィルソンと王様を交互に見た。


 王様はウィルソンと私を順番に見ると、少し眉をひそめて視線を落とし、そのまま目を瞑った。


「⋯⋯それなら婚約破棄までの猶予期間を設ける」


 王様は普段よりぐっと落とした声で静かに告げた。その言葉に貴族たちは驚きの隠せない顔をし始める。しかし王様の声音から察したようで貴族たちの中で声を上げる者はいなかった。


 その中でも一番驚いた顔をしていたのはウィルソンだろう。王様の宣言に素早く顔を上げると王様を長い事見つめていた。


 その後私の方へ向き直り、少ししか空いていたなかった私との距離を一気に詰めるとウィルソンは両手を上げて私の両肩を掴んだ。


「なぜ合意しない?」


 その顔はどこか諭すようにも心配するようにも見える。もともと私に対して優しかったウィルソンはこんなにも必死に訴えている。私は心に痛みを感じて目を伏せた。


「出来ません」


 口調こそ出来ないの一点張りだったが、私は緊張で震える身体も唇も止めようと下唇を噛み続けた。


 それは私が絶対に意見を変えない時の悪い癖。それでも今だけはこの癖のおかげで、私の決意がウィルソンへと伝わったことを心から感謝した。


 ウィルソンは短くため息をついて私への説得を諦めたのか、王様の方へ顔を向けた。


「猶予期間はどれくらいですか?」

「法律に則るなら二週間だ」


 王様は淡々と事実だけをウィルソンへ伝える。この時ばかりはウィルソンも眉をひそめて嫌悪を顔に出した。


「長過ぎます」


 そのウィルソンらしくない言葉に王の間は不穏な空気が一気に流れ込む。


 私は最悪のシナリオをいくつも頭に入れていた。ウィルソンが言ったことは、シナリオの内の一つだった。


 だからといって私に良い案がある訳ではない。私は王の間に声を響かせるように大きな声を上げた。


「短過ぎます」


 私の響いた声が消えるのを待つように、水を打った静けさだった。


 王様はいつもの温厚で仲睦まじいウィルソンと私とはかけ離れた姿に口を閉じたままだった。


 結局、ウィルソンは“長い”、私は“短い”とお互い一歩も引かなかったので、法律の通り二週間で話は事を結んだ。


 私は今までで見たことのないほどの鋭い目でウィルソンを見た。すると意図の読めない瞳を私へと向ける。


「ウィルさまは強情ですね」

「カトリーナこそ強情だな」


 私がこう言えば、ウィルソンはああ言う。


 私はウィルソンをじっと見つめていたが、形式的なお辞儀をするとくるりと向きを変えり王の間を足早に出て行く。その足取りはだんだんと早くなっていき扉につく頃には走っていた。


 私は王の間から消えていった。


 “猶予期間が二週間だなんて、間に合うかしら⋯⋯大丈夫よね?”



 ■



 私は王城から出ると、ルミナリス公爵家の家紋の着いた馬車であるところに着いた。


 それは魔導師の塔。


 私は塔の中へと入り螺旋階段を勢いよく登ると一番上に見えてきた扉を大きな音をたてて開けた。


 その大きな音に私の幼馴染のダットンが何かを覗き込んでいたが、驚いて顔を上げるとこちらを見た。


「カトリーナ、どうだった?」

「ダットン⋯⋯駄目だわ。二週間しかもらえなかった⋯⋯大丈夫よね?」


 私は重い足取りでダットンの近くの机までやってきた。私は机の上に腕組みした腕を乗せるとその上に力なく顎を乗せた。


 目の前にあるビーカーを上下ひっくり返したようなガラス容器の中にある薔薇を見つめていた。


 薔薇の蕾はまだぷっくりと膨らんできていない。


 あぁ、まだ蕾は開きそうにないわ⋯⋯。


「奇跡の薔薇はいつ咲くのかしら?」

「俺にも分からないな。一ヶ月後なのか明日なのか」


 私はダットンを一瞥すると、ガラス容器の薔薇に視線を戻した。私は眉をひそめながら、ガラス容器にそっと触れると、まだ咲く気配のない薔薇を見つめている。


「大丈夫よね⋯⋯これで大丈夫⋯⋯」


 私は自分の中にあるウィルソンとの思い出をこれでもかと頭の中に広がっていくと、目の前には昨日の出来事のように次々と鮮やかに思い出された――。



 ――――――



 ウィルソンが五歳の誕生日を迎えた日、ウィルソンの誕生日パーティーが盛大に開かれていた。私たち家族も招待されて王城へ来ていた。その中庭で初めてウィルソンと出会った。


 “ウィルソン王子って金髪で緑の瞳なのね。とても優しそうで素敵な方だわ”


 初めてウィルソンと出会った時の印象は私の中で優しそうから優しいに変わった以外は今でも変わっていない。


 私はウェーブのかかる深みのある金色の髪を手で触っていると、ウィルソンが近づいて来て声をかけてくれた。


 そこで見せたウィルソンの優しい笑顔に私も笑みを返した。


 その日を境にウィルソンは私の元へ数え切れないほど何度も訪れた。初対面の印象が良かった上に毎日の様に花束を持ってやってくるウィルソンのことがすぐに気になった。


 そのうちどこからか私がイチゴのケーキが好きだと言う情報を聞きつけて、その日から私の元へ毎日届けてくれた。


 だが、私だってレディだ。毎日美味しいケーキを頬張ってはいられない。


 私はウィルソンにぷうと頬を膨らませたまま怒って「このまま毎日美味しいケーキを頬張っていますとぶくぶくに太ってしまいます。太ったらどうするおつもりですか?」と聞くと、ウィルソンは、さも当たり前のように「責任をとる」と即答。


 それを聞いて私は顔を真っ赤にしたものだった。周りにいた侍女からも恋愛映画を見ている観客のような声が上がった。


 そこまでが五歳の出来事。


 今思えばその時にはもう、大人顔負けのウィルソンのキザっぷりに私は夢中になっていた。


 そしてウィルソンは六歳になる頃、私にプロポーズをしてきた。私は嬉しかったのですぐに頷いて「よろしくお願いします」と言った。


 両親と王様、王妃様は口を開けたまま2人を見ていた。


 そのプロポーズはあまりにも現実離れしていた。結婚するには六歳という年齢は若すぎる。


 両親と王様、王妃様は慌てて、「とりあえず婚約か両家の公認はどうか」と提案するとウィルソンはそれに頷いて、歩いてくると私の目の前に立った。


「カトリーナ、僕は君が大好きなんだ。将来お嫁さんになってくれる?」


 しっかりとした声音でそう話すウィルソンの身体は胸の鼓動と共に動いている。私はウィルソンが緊張していることが分かった。


 なので私は俯きがちにはにかんだ。


「もちろん。ウィルソンさま、約束ですよ」


 子どもながらに憧れだった“お嫁さん”と言われて、すぐに私は顔を真っ赤にした。ウィルソンは笑顔が込み上げる顔で私の方へ手を伸ばし両手をぎゅっと握ると「婚約してもいい?」と首を傾げた。私は頷いて返事をした。


 するとウィルソンは私の横へと移動すると頬にキスをした。私は顔を真っ赤にしてウィルソンの胸に痛いほど顔をぶんぶんと擦り付けた。


 それを見ていた王様も王妃様も私の両親や従者も春風が吹いてきたように微笑ましく私たちを見ていた。


 六歳で私はウィルソンと婚約した時から、隣にはずっとウィルソンがいた。そして私の思い出にはいつもウィルソンがいる。その優しい手は私を引いて舞踏会へ、お茶会へ、他国からの来賓との歓談へ⋯⋯いつも一緒だった。


 それからも私たちは順調過ぎるくらい何事もなく、愛を育んでいく。周りの誰もがこの二人は幸せな結婚をすると疑わなかった。


 それから十年の時が流れる―。


 誰がそのウィルソンから私へ婚約破棄を告げる日が来ると予想しただろうか。


 でも私はウィルソンがなぜ婚約破棄を言い始めたのかは分かっていた。


 分かっていたからこそ時間が無いんだと確信した。そして終わりを告げる時間が刻一刻と近づいていることも⋯⋯。


 もうすぐあの穏やかな顔を向けらることも優しい手でいつも私を引いてくれることも、私の目の前からいなくなってしまう。


 大切な時間が終わってしまう⋯⋯あなたと一緒にいられなくなるなんて耐えられない⋯⋯そんなことにはならないわよね⋯⋯大丈夫よね?



 ――――――



 背中に咲き始める不気味な黒い薔薇。


 死が近づいてくると背中に浮かび上がる黒い痣が薔薇のように見えてくる不治の病。


 その人が死ぬ頃にはその薔薇は満開に咲き乱れる『死の薔薇』。


 私はあの日扉の隙間から部屋の中を伺って見てしまった。ウィルソンの背中で咲き始めている『死の薔薇』に釘付けになる。目を閉じても瞳の裏にも浮かび上がってくるウィルソンの美しくも不気味な黒い薔薇。


 頭の中で何度も否定する。


 大好きなウィルさまが死ぬなんて考えられない⋯⋯。


 私はウィルソンの背中の『死の薔薇』を見つけたあの日、今いる魔導師の塔に駆け込んでいた。魔導師ダットンは壁沿いにある本を何冊もめくっては戻した。


 明くる日、私に見せてくれた本に書かれていたのは『死の薔薇』に効く【奇跡の薔薇】。


 その日からダットンはずっと奇跡の薔薇の研究をしている。

 そしてその努力の結晶である目の前のガラス容器の中の奇跡の薔薇。


 そこにはすやすやと眠っているかのようなまだ固い蕾。


 見た目は他の薔薇と変わらない。



 すると下の方が何やらうるさくなる。私とダットンは扉の方をじっと見ていると、なんとやって来たのはウィルソンの執事・ヨハンだった。


 ヨハンは私を見つけると、形式的な挨拶を短くした。ヨハンは私を見るとにこりとしてくる。


 ヨハンはウィルソンが生まれた時からのお付きだと言っていた。ウィルソンと同じくらい私とは付き合いが長い。


 さすがの私だってヨハンに話の続きがあるのが分かる。それにヨハンが言いたいことも。


「ヨハン⋯⋯ウィルさまとちゃんとお話になったほうが良いって思ってるの?」

「ふふっ、さすがはカトリーナ様です。今回ばかりはウィルソン様もやり方が良くなかったと思います。でも理由があるのです⋯⋯」

「知っているわ。ウィルさまは死の薔薇にかかっているのでしょう? それで婚約破棄をして私からそっと離れようとしていたのでしょう。私は分かっているから“短すぎる”と言ったのよ」

「⋯⋯カトリーナ様はご存知だったのですか⋯⋯」


 ヨハンは目を大きくして私を見たあと少し下を向いた。次にかける言葉を探しているのだろう。


 それを見て私は机にある【奇跡の薔薇】のガラス容器を慎重に両手で持つとヨハンの前に戻ってくる。


 ヨハンはガラス容器をじっと見ている。これが何であるのか探っている様子だった。


「ダットンがね、作ってくれたの。これは【奇跡の薔薇】。そうよね?」

「えぇ、一つしか作れませんでした」

「こっこれが【奇跡の薔薇】⋯⋯これさえあれば⋯⋯ウィルソン様は」


「「治る!」」


 私とヨハンは嬉しそうに声を上げた。それをダットンは満足そうに見ている。


「カトリーナ、早くウィルソン様と仲直りしてこいよ」

「えぇ、これからはもうずっとウィルさまの隣にいるんだから。あとは薔薇が咲くのを待つだけね。

 それとダットン、この薔薇持っていってもいい? ウィルさまに見せたいわ」

「あぁ、いいよ。でも慎重に扱ってくれよ」

「分かったわ。ダットンも後でウィルさまのところに来てね」


 私はガラス容器を抱えると扉から出て行った。


「あっ、カトリーナ! その薔薇は絶対容器から出さないでね。そうしないと――」


 ダットンは大声を出した。

 しかしダットンの言葉は扉から離れていく私の耳に届かなかった。


 馬車へと乗り込む。


 私は馬車へ乗る時、執事の添えた手を握ることさえ忘れて馬車へのステップを登っていく。


 一番上のステップを踏み外し、がたんと音を立てながら、馬車の中へと転がり込む。


「きゃっ!」


 私はガラス容器を抱えたまま膝を馬車の床について横に倒れる。


 私は目を見開いてガラス容器を見たが大丈夫だった。ふぅと大きく息を吐いた。


 大丈夫⋯⋯大丈夫⋯⋯。


 そして顔を出して従者へ声をかけると馬車はそろそろと出発して、馬の走る蹄の音の間隔は短くなっていく。


 地面を走るがたがたとした感覚が身体に伝わる。そして私は馬車の中のソファに座ると下を向いた。


 私は両手で大事そうに握り締めているガラス容器の中の薔薇を見つめる。


「ウィルさまに会ったら先ほどの強情なところを謝りましょう。それからずっとウィルさまのそばに居るんだから」


 王城に着くと、私はヨハンは私の抱えているガラス容器を代わりに持ってくれた。そしてヨハンの後ろをついて歩く。少しずつ近づいてくるウィルソンの部屋。


 行き慣れたウィルソンの部屋まで真っすぐ伸びる廊下を歩いていく。


 ヨハンはウィルソンの部屋の前で止まった。


 ウィルソンの部屋の扉をノックして扉を開ける。ヨハンに促されて私はウィルソンの部屋を覗き込みように顔を前へと出して部屋へと踏み込んだ。


 シャツにスラックスというラフな姿。

 ウィルソンは目を大きくさせて私の姿を見ている。


「カトリーナ?」


 そう言いながらウィルソンはヨハンを見る。少し目を細めて何があったのか分かった様子だ。


「ヨハンが呼んだのか」


 ヨハンは部屋の机にガラス容器をそっと置くと居住まいを正してウィルソンを見た。そのウィルソンを見る目は親が子どもを見つめるような慈悲深い温かみのある目だった。


「ウィルソン様、今回ばかりはやり方が良くないかと。ちゃんとカトリーナ様とお話をなさってください」


 ウィルソンはヨハンの返事に対して、沈黙という返事を返すとこちらを向いた。いつもの優しい瞳をしている。


 私は足早にウィルソンの目の前までやってくる。緊張で少し固い顔になる。見る人によっては怒っているようにも見えると思う。


「カトリーナ⋯⋯」

「ウィルさま、服を脱いでください」


 近くにいたヨハンが勢いよく咳込んだ。なかなか咳が止まらないようだ。


 こんなことを言うことは人生で初めて。あれ、私はその前にウィルさまに謝ろうと思っていたはずなのに⋯⋯順番を間違えたみたい。


 私はウィルソンとまだキスをしたことがない。それくらい奥手な二人なのに、私はその階段を一段も二段も飛ばしたようなことを言うもんだから、ウィルソンだけではなく彼の執事も驚いてしまうのだった。


 私の言葉にウィルソンは目を丸くしている。その探る目には私の奇行の理由を見つけられない。


「いきなりどうしたんだ?」

「ウィルさまが『死の薔薇』にかかっていることを私は知っているんです」


 すると途端にウィルソンはようやく私の行動の理由が分かり、一息つきながら罰の悪そうな顔をした。


 今日の私はもう引いてはいられなかった。


 前へと進む。


 私はウィルソンのシャツのボタンに指をかけた。


 ウィルソンの執事の息をのむ音が聞こえる。それはそうだ。淑女は人前で殿方のシャツのボタンを外そうなんてことを絶対にしない。それでも私はこの目で死の薔薇をちゃんと確認しないといけないと思った。


「⋯⋯むぅ⋯⋯ん」


 目の前のボタンを指で外そうと四苦八苦して思わず声が出る。私は不器用なのだ。


 それにしても全然、王子の服は脱がせられない。そもそもボタンを上手く外せない⋯⋯。


 ウィルソンはじっと私の様子を見ていたが、終いには笑みが溢れた。


「⋯⋯ふふっゆっくりでいいよ」


 それを見たウィルソンは愛おしそうに見ながら私の頭をなでている。


 私は頭を撫でられながら口を尖らせて自分の不器用さを呪った。⋯⋯次第に涙目になる。

 こんな時さえも大事なことが出来ない。


「ぅっ⋯⋯ぅぅ⋯⋯」


 悔しさのあまり私は目をぎゅっとつむって声を漏らす。


「カトリーナ⋯⋯君はこんな時さえも可愛いんだね。俺が脱ぐからちょっと待ってて」


 それを見て仕方なくウィルソンはボタンを外したシャツをパサリと床へ落とす。

 背中を私へ向けると、ウィルソンの背中には少し咲き始めた黒い死の薔薇。


「まぁ本当に痣が薔薇のようなのですね。

 ⋯⋯でもこれなら咲くのにもう少し時間がかかるのかしら?」

「それは分からない。でも咲き始めると思った以上に早く進むと聞いたことはある」


 私はウィルソンの胸に頭をつけた。そして顔をぶんぶんと振ると、ウィルソンがシャツを脱いでいたことに気がつく。


 顔を真っ赤にしてぷいっと顔を背けるとちらちらとウィルソンを見る。


「私、これからはウィルさまとずっといることに決めましたわ。今まで以上にずーっと隣にいるんですの。私の決意は固いのよ」


 そんな私へ愛おしそうな目を向けたウィルソンは私の頬を優しく撫でながら自分の方へ私の顔を向けさせる。


「可愛いカトリーナ。今日はごめんね。死の薔薇のことは知らないと思っていたんだ。だから婚約破棄をしてそっと離れたほうがカトリーナにとって良いかと思ったんだ」

「ウィルさまが婚約破棄なんて不自然すぎますもの。あの場にいた人は変に思っていましたよ⋯⋯私も今日のことはごめんなさい。でも婚約破棄は絶対にしませんわ」

「カトリーナ⋯⋯ありがとう。お父様に⋯⋯王様にも言わないとだね」


 私はウィルソンの手を握る。


 良かったわ⋯⋯もう少し時間があるなら奇跡の薔薇は咲きそうね⋯⋯まだ時間はあるわ⋯⋯。


 私は机に置いたガラス容器をウィルソンの方へ向ける。ガラス容器の中の薔薇はまだ膨らんでいない蕾のまま。


「それより見てください。これは奇跡の薔薇です。これが咲けばウィルソンさまは助かります」


 これで大丈夫なはずよ⋯⋯ウィルさまは大丈夫⋯⋯。


「カトリーナ」


 部屋の扉が開くと、入口にはダットンの姿が見えた。


 私はウィルソンの無事を確認して笑顔で薔薇の入ったガラス容器をダットンに見せる。


 私はもう自分の笑顔が無理矢理貼り付けたものだと心の奥で分かっていた⋯⋯はずだった。


 私は思っている以上に汗ばんでいた。安心したと思っていたけれど、不安も混ざっていた。その不安が私を緊張させて汗が手からでていたようだ。


 いつも以上に明るく振る舞う私の姿。

 私の不安を頭から出すように私はウィルソンと口喧嘩のように婚約破棄の騒動を起こし、ヨハンと嬉しそうに口を合わせた。

 それにダットンにとってとても大事な【奇跡の薔薇】を持ち出した。

 そのまま馬車で急ぐあまり躓いた。

 そしてウィルソンのシャツを無理矢理取り払った⋯⋯そのどれもが不自然に大袈裟だった。


 これがいつもならヨハンもウィルソンも普段の私じゃないとすぐに分かったはずだ。


 だが、今日は婚約破棄と言ういつもと違うことが起きた。それに隠れて私の空元気に振る舞う姿は影に隠れた。


 本当は心配で仕方がなかった。こうやって明るく振る舞えばなかったことに出来る。浅はかな思いだと分かっていた。


 それでもウィルソンの横に少しでもいられるなら⋯⋯少しでもいられるなら⋯⋯。


 その異変は私の手に出ていた。

 何度も思った大丈夫⋯⋯。

 大丈夫じゃない時に限って何度も思ってしまうのだ。


 そして私の汗ばんだ手からガラス容器が虚しくも離れていく。


 それは仮初めの希望が消えていくように⋯⋯。


「まずい⋯⋯」

 ダットンから絶望をはらんだ声が漏れる。


 宙に投げ出されたガラス容器は重力に誘われて、下へと向かう。


 私は小さく声を上げたが、間に合わず落ちていく容器を見ているしかない。


 あぁそうだ。ダットンが魔導士の塔を出る時になんか言っていたな⋯⋯。


 私は知らなかった。

 蕾が咲かないまま、ガラス容器から出てしまうと――。


 まるでスローモーションのようにその容器は地面に当たるのが見えた。ガラス容器は蓋の部分と容器に隙間ができて、蕾のままの薔薇が出てくる。


 薔薇は音も立てずに床に落ちた。

 間を置かず、ガシャーンと甲高いガラスが細かく割れる音がした。そしてガラスは四方へ散った。



「死神薔薇⋯⋯」



 奇跡の薔薇を見たダットンの口からは予想外の言葉が漏れる。



 この奇跡の薔薇は、別名【死神薔薇】。

 奇跡の薔薇の咲く前の状態が死神薔薇と呼ばれる。こちらは不治の病とは違い、物理的に周りの生気を吸い上げて花を咲かせる。


「近くにいる人や生物の生気を吸って死に陥れる危険な花なんだ⋯⋯」


 あぁ、これがダットンが伝えようとしていたことなのね⋯⋯。


「絶対に、蕾が開くまで開けてはいけない。さもなくば死が訪れる⋯⋯」


 ダットンが血の気の無い顔でそう呟いた。


 私の手からちろちろと漏れている黄色の光は薔薇へと吸い込まれている。私はその様子に気がついていない。


 私の一番近くにいたウィルソンからは黒に近い紫色の空気をまとい何かを吸い込んでいるようだ。


「ぐっ⋯⋯んぅ⋯⋯」


 ウィルソンはそれを見て何かを受けたように苦しそうに胸を掴んだまま膝をついた。


 私は急いで駆け寄るとウィルソンの背中にそっと触れる。私は顔を横に何度も振る。


「いやだわ⋯⋯そんな⋯⋯咲かないで!」


 私の言葉も虚しくウィルソンの背中の薔薇は咲いていく。そして大きな姿を現した。


 そのウィルソンの背中を覆い尽くす悲しくも綺麗だと見惚れてしまう美しく咲き乱れる死の薔薇。


 それはウィルソンの背中から出てくるほど端のほうまで花びらが開いている。


 まだ満開じゃなかったのに⋯⋯奇跡の薔薇が⋯⋯まさかウィルさまを⋯⋯。


 ウィルソンはそのまま倒れた。


 そのまま動かなくなった。


 私はウィルソンを見ている。目の前で何が起こっているのだろう。それはあまりにも衝撃的すぎて何も考えられなくなった。


 何が起きたんだろう⋯⋯今ウィルさまと私はお話していたよね⋯⋯。


 動かなくなったウィルソンを見て私は動けずにいた。ウィルソンの脈を確認して動いていなかったらどうしよう⋯⋯。でもこのまま死に向かうウィルソンを見続けることもできない⋯⋯。


「いやよ⋯⋯私の大好きなウィルさま⋯⋯もう一度目を開けてください⋯⋯」


 私の心に絶望が渦巻き始める。それは時間と共に絶望が大きくなっていく。もう私は気がついていた。それでもその考えを頭の中に入れたくない⋯⋯。


 それでも現実は私の目の前に来て、目を逸らすことは出来ない。私はようやくあきらめてその脳裏に浮かんだ事も気持ちも正面から見る。


 動かないウィルソン。その背中は呼吸をして上下に動くことはない。



 間に合わなかった――。



 私はウィルソンの様子を見て直感した。

 その瞬間に私の目から涙が溢れた。


「うっ⋯⋯ウィルさま⋯⋯嘘だと言ってください⋯⋯私はまだウィル様に伝えていないこともたくさんあるんです⋯⋯」


 私の頬を伝う涙はポタポタと床へと落ちていく。そしてなんとか顔を上げると動かなくなったウィルソンの上体を上げて仰向けにする。


 ゴムのように弾力はあるが、私へ向けて戻ってくる力はなく私が動かした通り仰向けになってウィルソンの顔は天上へと向いている。


 その瞳はもう一度開くことはない。


 穏やかに目を閉じるウィルソンが私の視界いっぱいに入ってくる。


 私は胸を襲う絶望と悲しみの痛みに膝へつくほど顔を下へと向けると、その痛みに耐えるように身体を震わせる。


 そして視界にひっそりと入ってくる希望だったはずの薔薇。それは悪魔のようにウィルソンの死を誘い、生を刈り取った死神の薔薇。


 私は下に落ちた死神薔薇を睨むように見る。すると私の指先から黄色の光が出ていて死神薔薇と繋がっていた。


 その黄色の光は私の指先から死神薔薇へと流れているようだった。

 私はその死神薔薇を拾い上げた。


 すると先程とは比べ物にならないほどの力で私の中から何かを吸っている。




 それは目を開けられないほど眩い黄色の光となって、私の全身を覆いながら薔薇へと流れ込んでいく。




 ダットンとウィルソンの執事は黄色の光に包まれる私と薔薇を見て、大きく見開いた瞳の真ん中にある虹彩は点になるほどきゅっと小さくさせる。


「あれは伝説にあった⋯⋯聖なる光なのか?」

 ダットンはその光景を見て興奮混じりの声を出す。




 私は手の中にある薔薇を見つめていた。



 するとみるみる膨らんでいく。



 蕾はついに開きは始めたのだ。


 薔薇は外へと花弁を開き始める。




 光を零しながらきらきらとした黄金の花弁を見せ始める。




 一枚、一枚、外へと開く薔薇はウィルソンの背中と同じように大きく開いていく。




 私の周りに溢れる光を吸収しているように光は薔薇へと降り注ぎ花びらが開いていく。




 真ん中に集まった花びらまで開き終えると、薔薇自体が光を纏わせている。




 それを見た私は仰向けに横たわったウィルソンにそっと奇跡の薔薇を近づける。


 薔薇に覆われた光はウィルソンの身体を纏い始めると、今度はウィルソンの身体から黒い光が出始める。




 その陰と陽の光は混ざることなく、しかし螺旋のように絡み合っていく。


 私はウィルソンの手をそっと握る。

 冷たい⋯⋯。


 血の気が無くなって少し固くも感じるウィルソンの手。私はウィルソンの手の甲におでこをつけて祈り始める。


 ダットンとウィルソンの執事は固唾をのんで凝視している。


 ウィルソンの手に少しずつ温かさが戻ってくる。




「ウィル、戻ってきて⋯⋯私はここにいるわ⋯⋯ここに必ず、戻ってきて⋯⋯」




 ウィルソンの胸に乗った薔薇の花びらは一枚⋯⋯また一枚と落ちていく。





 薔薇から離れていった花びらは光を失うとぼんやりと消えていく。




 そのすべての花びらが消えていった⋯⋯。














 ごほっ




 ウィルソンが咳き込むと上体を大きく動かした。


 私は顔を上げてウィルソンの顔へと近づいた。


 ゆっくりとまぶたを開けていくウィルソン。


 その眼は誰かを探すように動いている。私はじっとウィルソンを見つめていると、ようやく目が合った。するといつもの優しい目になり、笑顔を向けた。


 嬉しいはずなのに⋯⋯。


 それを見た私は眉頭をぎゅっとあげて、目に涙を溜める。


「カトリーナ⋯⋯」


 心焦がれたウィルの声⋯⋯


「⋯⋯ウィル⋯⋯ウィル⋯⋯もっと、私の名前を呼んで」


 ウィルソンは弱々しくはあるが、私を一心に見て名前を呼ぶ。それは希望であるかのように、私を求めて名を呼ぶ。


「カトリーナ⋯⋯カトリーナ⋯⋯愛している⋯⋯これからも⋯⋯誰よりも1番⋯⋯」

「私をこれからもずっとお側に置いてくださいますか?」

「君じゃなきゃだめだ⋯⋯カトリーナ⋯⋯俺の隣にずっといて⋯⋯」


 ウィルソンの瞳には熱が籠もり始める。幾度となく見たウィルソンの瞳。その綺麗な瞳に何回心を焦がされたでしょう⋯⋯。


 ウィルソンは手を上げて私の方へ向けてくる。私はその手をそっと握るとそのまま近づく。


 私は婚約破棄を言い渡されてここに来るまでに何度も後悔したことを埋めるようにウィルソンの手を握りその感触を心に刻み込む。


 私が目を開けばあなたの吸い込まれそうな瞳に私が映る。


 私はウィルソンの顔にそっと近づくと、優しく頬にキスをした。


 するとウィルソンの顔がこちらを向いた。それは強く私を求める目。


 私はその目に射抜かれたようにウィルソンの方へさらに近づいた。


 ウィルの吐息が聞こえる⋯⋯


 私の心臓はうるさくなり始める。それはウィルソンに初めて出会った時のように私の心を掻っ攫っていく。


 そこに十年という月日が経ち、優しかったウィルソンは優しいだけではない、情熱的な一人の男の人になっていた。そして私に向けられているのは私の心を容赦なく燃やしつくしてしまいそうな強く燃える瞳。


 ウィルソンは両手を前へと差し出すと私の頬を包む。それは今までのウィルソンには見たこともなかった鋭い獲物を捕らえて離さないような絶対的な視線。


 私は大きく心臓を鳴らした。しかしそんなウィルソンも大きく心臓を鳴らしているのが分かり心の中で誰よりもウィルソンの近くにいることを感じた。


 そして私はそっと瞳を閉じるとウィルソンと初めて口づけをした。


 その唇は柔らかくすべてを受け入れてくれる。


 そのまま時に抗うように長く熱いキスをした。



 ■


 慌ただしく過ぎる日々――。


 ウィルソンの吉報は王様や王族を駆け抜けると王城を瞬く間に過ぎて国民の元へと下りてきた。それと同時に私の力も知れ渡っていく。


 貴族の間では私とウィルソンの関係はよく知られたことだったが、死の薔薇と奇跡の薔薇について知る者は多くなかったので瞬く間に知れ渡った。


 その話は美談を含んだ純愛物語として国民の間ではよく知られるお話になっていった。


 ウィルソンはあの日以来何事もなかったかのように体調も良いようで、持ち前の人徳と誠実さで貴族のみならず国民の間ではとりわけ人気だった。


 そうなると自然と王太子の話が浮かび上がってくる。ウィルソンは忙しそうだった。私も結婚式もあったので準備に追われた。



 それもようやく落ち着いた頃。

 王太子となったウィルソンの隣を王太子妃になった私が歩く。ウィルソンはいつものように私の手を優しく取って歩く。そして私はウィルソンに手を引かれたので、ウィルソンの横に並んで歩き始める。


 よく晴れた高く爽やかな空の下には王城の庭園が見える。赤や白、黄色にピンク、それはまるで舞踏会のように華やかな宴。


「ウィル、見てください。春の庭園はすごく綺麗ですね。もっと近くで見ましょう」


 そう言うと私はウィルソンの手を引っ張っていく。ウィルソンは愛おしそうな目で私を見ると笑みを零す。


 庭園の花が両脇を囲み始めると、花独特の甘い匂いや果実のような芳醇な匂いなど魅惑的な香りが立ち込めてくる。


 私は指を差しながらウィルソンに説明する。


「あの奥にあるピンクの薔薇がエリザベスローズで、その隣にあるピンクとオレンジのグラデーションになっているのがアレクサンドラローズ⋯⋯」


 ウィルソンは私の方へ顔を向けて手前の 薔薇を指で差した。


「これはカトリーナローズ。君のあの日の奇跡を表したかのように、深い黄金色の花を作ってもらったよ」


 私はその薔薇を一瞥するとウィルソンの方へ嬉しそうな顔を向ける。ウィルソンは繋いだ手を離すと私の腰へ回してぐっと距離を近づける。


「俺にとっては奇跡の薔薇だ」

「それならウィルも奇跡の薔薇を背負っているでしょう?」


 あの日、目を覚ましたウィルソンの背中の黒い薔薇は残ったまま。それでもあの日以来身体の不調は無いという。


 従者や令嬢たちは密かにウィルを黒薔薇の王太子って呼んでいるって聞いたわ⋯⋯ウィルは知っているのかしら?


 ウィルソンは少し考えると私の方を見る。


「俺の死の薔薇は奇跡の薔薇か⋯⋯それなら奇跡の誕生日もあったな。俺の誕生日が君と巡り合わせてくれた」

「⋯⋯それなら奇跡のいちごのケーキもあったわ。この通り、責任を取ってもらったもの」


 私は身体をウィルソンに預けて嬉しそうな声で言った。するとウィルソンは少し挑戦な目を私に向ける。


「それならこれはいけないかな?」

「ふふっ私も思いついたわ」


 私も挑戦的な目でウィルソンを見返す。


「「奇跡の婚約破棄」」


 庭園に大きな笑いが沸き起こる。


 声が揃うと私とウィルソンはくすぐったそうにお互い身体を動かしながら笑い始めた。私はあんまりにも笑ってしまったので目の端から涙が出てきてしまった。


「ふふっ、笑いすぎてしまったみたい」


 ウィルソンは手を上げると私の目の端の涙をそっと拭いた。私は顔を赤らめて目を細めるとウィルソンの名前を呼ぶ。


「ウィル、私の奇跡の人」


 ウィルソンは両手でガラス細工を扱うようにそっと私の頬を覆うと息づかいさえも感じる距離まで顔を寄せた。


 お互いの鼻がつきそうなほどの距離だ。


「カトリーナ、俺の奇跡の人」


 私はそっと目を閉じると唇にウィルソンの柔らかい唇が重なった。


 私は胸が高まるかと思ったけど、じんわりと温かいものが胸の奥から溢れてくるのを感じた。


 その優しい唇が離れると私はもう一度ウィルソンの唇に重ねる。


 またそっと唇が離れるので、私は愛おしそうに唇を重ねる。


 心に溢れてくる熱いものを感じる。

 私は目頭が熱くなり、少し唇を離した。

 しかし寄り添うようにウィルソンからまた唇が重ねられた。


 その幸せなゆったりとした時間は私たちと寄り添うようにゆっくり、ゆっくりと流れていった。

お読みいただきありがとうございました。

楽しんで頂けたら幸いです。

また誤字脱字がありましたらご連絡お願いします。

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