〈 8 〉
「それはめでたしめでたし。」
笑いをこらえながら、孝之は夏実を見て小さく拍手した。夏実はむっとした表情になった。
「小澄さんの言いたいことはわかるわよ。幼稚園児が見るような夢だって。」
そう言って口を尖らせた。
「いやあ、のどかで良い夢だと思うよ。」
孝之はあわてて続ける。
「レッサーパンダはとっても可愛いし。くりっとした目が愛らしいよね。茶色の毛並みもフワフワしてて綺麗だよね。お腹の毛は黒いんだっけ。」
「わたしは腹黒いってことかしら。」
夏実の声はトゲトゲしい。
「違うよ。そんなに怒らないでよ。」
「別に怒ってないわよ。幼稚な夢だってわたしだって思ってるんだから。こんな話するのは恥ずかしいのよ。でも瑠璃色のカーテンが開いたところで見た夢だから。」
「今回の変事について、何か暗示しているという事かい。」
瑠璃色のカーテンが開いた時の夏実の夢は、起こった事件の解決のためのヒントをいつも与えてくれてきたのだ。
孝之はぐるりとあたりを見回してつぶやく。
「だからこんなところに連れて来られたわけか。」
数え切れないほどの赤いフラミンゴの群れが、視界いっぱいに広がっている。
久しぶりの休日の朝寝坊を夏実からの電話で起こされた孝之は、市内の動物園に引っ張ってこられた。この街に古くからある動物園だ。
平日なので動物園は空いていた。遠足の小学生が列を作って歩いている。
孔雀が派手な羽根を開いてこどもたちが歓声を上げる。
「いいなあ、あんな無邪気な時期がわたしにもあったんだ。」
微笑みながら夏実が言う。
二人はガイドブックを見ながら、夢に出てきた動物たちを見てまわった。夏実はクマが立ち上がって咆哮するのを見て飛び上がる、サル山のサルに声真似をする、木の上のヒョウに歯をむいて威嚇する。そんな姿は今でも十分無邪気だと孝之は思ったが、言葉にするのはやめておく。
「でも、夢に出てきたのは相当擬人化された動物たちだからね。こうやって実物を見てまわっても、あまり意味ないかもしれないね。」
金網のドームで覆われたリスのゾーンを歩きながら、孝之は言った。夏実も頭上で複雑に絡まった枝を見上げながら同意する。
「それはそうよね。だけど、今回の夢は本当にこどもっぽくて、意味を考えてもよくわからない。少しでもヒントがつかめればと思うんだけど。あっ、リスだ、ほらそこに。」
嬉しそうな声を上げて夏実が指さす。頭上の枝から枝へ、リスが飛ぶように軽々と走りすぎる。
「たとえば、夢に出てきた動物たちに何か共通点があるとか。」
孝之は首を捻る。
「そうね、それは考えてみる価値ありそうね。」
夏実は指を折って考える。
「クマにサルにリスにレッサーパンダにヒョウ、それにヘビ。何かあるかな、共通点。」
「レッサーパンダ以外は、割とポピュラーなメンバーだね。」
「住んでる場所とか。」
「クマ、サル、リス、ヘビはいろんな種類がいて、世界に幅広く住んでいる。ヒョウほアフリカからアラビア、東南アジアに分布している。レッサーパンダは中国の奥地だよね。住んでる場所の共通点は無いかもしれないね。」
「ヒョウとヘビは基本的に肉食、クマとサルは雑食でリスは草食。食べ物でもないわね。」
「サルとヘビは干支にあるけど。」
「クマ年もヒョウ年もリス年もないわ。レッサーパンダ年も。」
「何かの物語の登場人物とか。」
「そうねえ。」
夏実はしばらく思い巡らせるように腕組みをしで歩いていたが、諦めたように腕をほどいてバンザイした。
「うーん、思いつかないわね。」
二人は爬虫類館に入ってきた。照明は薄暗く、不気味な空気が漂っているようだ。
人影の少ない通路をゆっくり歩きながら、孝之が口を開く。
「動物たちがシーソーで遊んでいたという事も、何かを表しているんだろうね。」
「シーソーか。小さいころはギッコンバッタンって呼んでたわ。今はあんまり公園で見かけないかも。」
「他の遊具に比べてケガするこどもが多かったみたいだね。十分な安全対策が必要といわれるようになって、数が減ったようだよ。あれっ、ヘビが見当たらないぞ。」
世界のヘビが集められたゾーンの中、『アオダイショウ』というプレートの付いたガラスの向こう側にヘビが見当たらない。枯葉の敷き詰められた床から、枝を伸ばした木が何本か立て掛けられている。
「枯葉の下に隠れているんじゃない?」
夏実はかがみ込んで、ガラスに顔を近づける。ふいに上方から黒っぽい太いひものようなものが、垂れ下がってきた。
「きゃっ。」
夏実が急いで飛び下がる。アオダイショウは木に絡みついて、天井近くにいたのだ。
ヘビは尻尾を枝に絡めたままからだを伸ばして、枯葉の中から何か小さなものをくわえると、するすると器用に天井に戻って、枝にからだを絡みつかせた。
「ああ、びっくりした。」
夏実はそう言ってから振り返って、またぎょっとした。孝之が天井のアオダイショウを凝視して立ちすくんでいる。放心したような表情で固まってしまっている。夏実はその顔の前でヒラヒラと手を振った。
「小澄さん、どうしたの。大丈夫?」
孝之はふと我に返って夏実の顔を見る。
「あのヘビのこと、そしてクマさんたちの乗ったシーソーのこと。」
「もしかして小澄さん、何かつかんだの。」
「ああ、いや。」
孝之は軽くかぶりを振って、
「確かなことは言えないけれど、夏実の夢が表している事が、少しわかったかも知れない。」
夏実は驚いて孝之を見上げる。
「それはどういう事なの。夢は何を表していたの。鎌ヶ谷先生の事と何か関わりがあるの。」
「これからそれを確かめないと。もう一度美術館に行かないと。」
「美術館って。」
夏実は目を丸くする。
「鎌ヶ谷先生の作品のあるあの美術館の事?」
「そうピーター・バレイ現代美術館へ。夏実、先に美術館へ行っていてくれないか。」
「小澄さんはどうするの。」
「あとから追いかける。少し調べて確認したいことがあるんだ。」
そう言って孝之はぎゅっと口を結んだ。