〈 2 〉
「コメントに苦労するね。今回の夢は。」
二人掛けの市営バスの座席で揺られながら、小澄孝之は言った。隣の窓際の席の稲森夏実から貰った、ハチミツ入りの飴を口の中で転がしている。少し苦味を感じるくらい、コクのある味わいだ。
「そうなの。脈絡のないストーリーでね。」
夏実は孝之と顔を見合わせながら、そう答えた。
二人をのせたバスは市内の中心部から坂道を登り、まもなく背山に延びるドライブウエイにさしかかろうとしている。
大きな港を抱えたこの街の市街地は東西に細長く伸び、すぐ背後に山脈が迫っている。国立公園でもある山脈には、さまざまな観光施設があり、それを目指して何本ものドライブウエイが山ひだを縫って登っている。
小澄孝之と稲森夏実は市内の中心に店を構えるS百貨店で働く同僚だ。孝之はコンシェルジュ、夏実は案内所のデパートガールだ。年齢は孝之がだいぶん上だが、同じサービス部門で比較的趣味が合い、たまに食事をしたり、映画を観たりする仲だ。
「その夢が瑠璃色のカーテンが閉まった前で展開されたということは、例によってそれがこれから待ち受ける何事かを表しているってことか。」
孝之の言葉に夏実は複雑な表情でうなずく。
「そういう事になるわね。」
夏実の夢に出てくる瑠璃色のカーテン、それは特別な意味を持っている。カーテンが閉じている時の夢はこれから起こる特別な出来事を示し、開いたカーテンの夢は出くわした事件の真相を暗示している。今までの経験から孝之は、その不思議な夢の話をほぼ信じるようになっている。
「何かを象徴しているのかな。」
孝之は首をひねる。
「どう解釈したらいいのか、見当もつかないよ。」
「そうよね。でもどこかで見たことがある光景も混ざっているような気もする。あのお城はシンデレラ城に似てた。カボチャの馬車もあったし。」
「城の前の池には人魚姫。でもお城はボロボロだしカボチャの馬車はひっくり返り、人魚姫の姿はゆがんでた。」
「うん、城にいたキャストらしき人はやる気がないし。」
「しっかりしろ!なんて。」
夏実は無表情で首をかしげた。
「それから花に覆われた犬だね。ぼくもどこかで記憶にあるような気が・・・」
「花はきれいだったけど、怪獣みたいに大きくて怖かったわよ。」
「何かに追いかけられて逃げる夢はありがちだけど。上手く逃げられないこともよくあるよね。でも、タイヤの地面は弾んで面白そう。ちょっと行ってみタイヤ。」
夏実は今回もスルーする。
「いきなり出てきたサメにも驚いた。」
「ガラスケースに入ってしまったサメか。フカい意味があるのかな、サメだけに。」
「悪夢よね。最後は矢で射られて目が覚めたのよ。」
「それは怖かったでアロー。」
やっと夏実はクスリと笑った。
バスは急カーブの連続に大きく車体を揺らしながら登っていく。車窓から見える新緑が眩しい。
「ところで、今日招待してくれたのは夏実の先輩だっけ。」
夢の話はそれ以上考えても解りそうもないので、孝之は話題を変えた。
「そう。正確に言うと、知り合ったのがたまたま大学の先輩だったということなんだけど。」
「これから行く美術館に勤めてるんだよね、学芸員として。」
「そうよ。そして個展を開いたりするくらいの芸術家でもある。新藤梓といえば、業界では芸術写真家として結構有名人よ。」
「へえ。」
「5年くらい前、花ノ宮通のギャラリーにふらりと入ったの。入り口脇に立てかけられたカンヴァスの絵にとても興味を惹かれたの。それが新藤梓さんの個展だった。その頃は抽象的な油絵を描いてたわ。」
夏実は窓の外の緑の山脈に目をやりながら話しだした。
「ギャラリーの中の一枚の絵に引き付けられた。しばらく動けなくなるくらい。その時女の人が声をかけてきた。わたしはその人に感想を言った。それが新藤さんだった。そこから新藤さんとの付き合いがはじまったの。いろんな美術館に連れて行ってくれたりした。わたしは美術の素養はあまり無いけど、どこか気の合うところがあったのね。人生の先輩としていろんな相談にのってくれたりもした。」
「そうなんだ。ぼくも芸術には詳しくないけど、博物館とか行くのは嫌いじゃないよ。」
「そう思って小澄さんを誘ったのよ。チケットは2枚もらったし。」
「それに来月うちの店で開催される、鎌ヶ谷吾朗の個展には興味あるし。」
来月早々に孝之たちの勤めるS百貨店の美術画廊で、現代アートの巨匠、鎌ヶ谷吾朗の個展が開催される。これから二人が訪ねる美術館には鎌ヶ谷の作品が多数納められている。個展には多くの作品がそこから借り出される予定だ。
「さあ、もうすぐ着くよ。」
バスが最後のヘアピンカーブを通過し、美術館前というアナウンスが聞こえた。
バスを降りると、広い駐車場と芝生の広場がある。芝生の中に螺旋を描いた背の高い金色のオブジェがある。それはゆっくりと回転し、青空に向かって食い込むように昇っていくように見える。
広場の向こうに3階建てくらいの横に長い建物がある。壊れかけたモニター画面のように建物は所々歪んで見える。全面ガラス張りで、空の色と新緑に溶け込んでいる。
「夢で見た人魚の像みたい。」
夏実がつぶやく。二人はその不思議な造形にしばし言葉を失う。建物の前の石柱の看板に掘られた文字を見る。
『ピーター・バレイ現代美術館』
この街の背後に連なる山脈の中腹に、7年前に建てられた美術館だ。世界的な現代アーティストのピーター・バレイ氏が、街と山脈の調和したこの地に惚れ込み、私財をなげうって建築した。設計もバレイ氏のものだ。
バレイ氏は自らの作品とともに、この街を拠点とするアーティスト達の作品をより直ぐってコレクションに加えた。派手な企画展をするような美術館ではないが、バレイ氏のメガネにかなった一流のアーティストの作品を多数有し、愛好家の館に対する評価は非常に高い。
夏実は受付でチケットを示し、名前を告げた。来館については新藤梓にあらかじめ伝えてある。
1階のロビーに入ると、すぐに紺のスーツに身を包んだ背の高い女性が近づいてきて二人を出迎えた。
「ピーター・バレイ美術館へようこそ。」
晴れやかに微笑み、二人が思わず見とれてしまうような優雅なお辞儀をした。
彼女が、この美術館の学芸員で写真家の新藤梓だった。




