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「ほら、これ飲んで元気出して」
キッチンカーで購入したホットコーヒーを、無気力な明人の前に置いた。
「出会ってまだ少ししか経ってないけど、私、今日明人くんとイベント会場を回れてとても満足しているよ。明人くんじゃなかったら、こんなに笑って、おもいきり楽しめなかったと思うの」
さっぱりした笑顔でイズミが淡々と話した。イズミにお世辞は無理そうだ。
イズミの言葉は優しかった。
寒空の中飲むホットコーヒーより、イズミの純白な言葉が明人の心に染み渡った。
「不思議ですね。イズミさんと話していると入院していた頃を思い出します」
「明人くん、入院していたの?」
「はい、高校1年生の頃、数か月間ベッドの上で過ごしていました」
イズミは少し驚くと、リズムよく2回頷いた。
「登山中に崖から転落して大けがをしたんです。大きな手術を受けたみたいなんですが、当時の記憶がほとんどなくて。何度も手術を受けました。唯一ある記憶が、術後に目を覚ました感覚だけなんです。術後で身体は痛みを伴っているはずなのに、痛みどころか優しい感覚がありました。不安とか怖さとか一切なく、あったかくて、柔らかいものに包まれた気分でした」
「その時の感覚と、今が一緒なの?」
「イズミさんといると、病院のベッドの上にいるみたいです」
2人は声をあげてケラケラ笑った。
「明人くん、嘘つけないでしょ。たまにはうまく騙して、手に入れることも大事よ。騙すというよりかは、演技する、と言う方がしっくりくるかなぁ。うまく演技が出来れば、彼女もすぐに出来るよ」
明人は危うくホットコーヒーを吹くところだった。
それを見て、イズミがくすっと笑いハンカチを差し伸べた。
「中世的で綺麗な顔しているし、モテないはずは無いと思うけど、なんせ草食だから明人くんは。さっきの脱出ゲームの女の子とも、上手く話せなかったもんねぇ」
悲しいかな、明人は言い訳すら出来ずにホットコーヒーの容器に目を落とした。
「ま、容姿が良くてそれに性格も良いから、そのうち絶対に、明人くんに相応しい女性が現れるから、そんなに落ち込まないでよ」
普段褒められることがほとんどないため、明人は視線を泳がせニヤリとした。顔は真っ赤だ。
その様子にイズミがケラケラ笑うと、明人もつられて笑いが込み上げた。
「ところで、イズミさんはこのイベントに、もともと1人で参加の予定だったんですか?」
「うーん、実を言うと、待ち合わせ相手が現れなかったんだよね」
「え?その方に、連絡しなくて良いんですか?」
「それが、彼からの連絡を暫く待っていたんだけど来ないから何度も連絡したけど返事がなくて。どうしようかと途方に暮れていたら、私の目の前にいる、私より長く待機している明人くんが気になっちゃって。終始落ち着かない様子の明人くんをほっとけなくて、思い切って声をかけてみたの」
明人は、イズミの自身に対する声かけ経緯を知り、心に小さな槍が刺さるはめとなった。
「これが、その彼なんだけど、どこかで見かけたとかないよね?」
明人はイズミのスマホ画面を見るや否や、目を丸くした。
イズミの画面には、20代くらいのワイルドイケメンが写っていた。
程よく焼けた肌に引き締まった筋肉を身に纏い、その彫りの深い顔立ちは均等のとれた身体と相まって、恐ろしい程に色気を漂わせている。
同性でも憧れる肉体美に、明人は少しの間釘付けになった。
「イズミさん、これは・・」
明人は、イズミに対し初めて言葉を選んだ。
「SNSで知り合ったの。彼、ずっと私に会いたい、会いたいって言うから、今日会う予定だったの」
明人は黙りこみ、目でイズミに次の言葉を急かした。
「ついさっき、彼からメッセージが届いたんだ。彼、今日急遽仕事が入って来れなくなったの。明人くん、今から話すことは絶対内緒ね。実は彼、国に従事するスパイなの。目をつけていたターゲットが想定より早く入国して、今日急遽その会議に潜り込むことになっちゃって。今はその会議中だから、また別の日で会う予定になったの」
イズミが困ったような笑顔を明人に向けた。
明人もまた、困惑を笑みを浮かべるしかなかった。
「イズミさん、コーヒーのお代わり買ってくるので、ここでもう少し休みましょう」
明人は、矢継ぎ早にイズミへ質問を投げかけた。
イズミが戸惑わない程度に、を心掛けて気持ちゆっくり質問するも、これまでの残念な青年「チキン明人」の様子からは信じられない程に、次々と質問が投げかけられた。
「振込を依頼されたお金は、全て振り込んだのですか?」
「最初の3万円の振り込み以降は、直接会って渡したいと彼に伝えていて。そして今日がその日だったんだけど。彼、スパイ活動をするための費用を借金でなんとかこなしているから、彼の負担を軽減させるために今すぐにでも会ってお金を渡したいんだけど・・・」
イズミ曰く、活動に対する国からの報酬費が支払われるのは成果を出した後との事で、国のお金を支払うタイミングについて、イズミは少しだけ愚痴を吐いた。
「彼は今後、どうしたいと言っているのですか?」
「もう少ししたらこの仕事から足を洗って、私と結婚したいって。だから私は、仕事のために建て替えた借金のせいで自身の身を亡ぼす前に、早くやめるよう説得しているところなの」
明人はイズミの声に合わせて頷いた。
少し前、客である未成年の女性に貢がせるため、援助交際相手にオンラインカジノを斡旋させたとして、顔を売りにしたカフェの従業員が逮捕されたというニュースを見たが、いくら利口な女性でも容易く騙される事実を明人は痛感した。
明人はイズミを目の前にして優しい表情を演技するも、拳には極端な力が籠り、ひたすら握りしめた。
コーヒーが冷めきる前に飲み干したところで、イズミのスマホが振動した。
スマホを一瞥したイズミの表情から、戸惑いを隠す瞬間を明人は見落とさなかった。
「・・彼ですか?」
「うん、なんとか会議終わって、会場まで来れたみたい・・」
その言葉の直後、眩暈に襲われグランとふらついた。
明人の脳内の映像が、明人の視界に映し出された。
「・・・」
「明人くん、大丈夫?」
ボーっと立ち尽くす様子に慌てると、イズミは思わず明人の背中をさすった。
「イズミさん、ありがとう。もう大丈夫です」
優しく微笑む明人の様子に、イズミは安心した表情をみせた。
「さて、私は彼のところに行かなくちゃ」
イズミが鞄を持ち、明人の真正面に立ったところで「クラモリさん」と呼ぶ女性の声が2人の耳に入った。
声の方面に顔を向けると、先ほどの脱出ゲームで一緒だった女性の内の1人が、にこやかに大きく手を振っている。
これはまたとないチャンスだ。
「さ、楽しんでらっしゃい」
イズミは押し出すかのように明人の背中をポンポンと優しくたたく。
しかし、明人はイズミの優しさを振り払うかのように、その場から離れない。
その代わり、明人はそのチャンスに向けて”ばいばい”の意味を込めた手を振った。




