12-5
綾は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。
枕は水でもひっくり返したように濡れている。
ドアをノックする音と共にジイの「入るぞ」という声が聞こえた。
躊躇なく部屋に入ってきたこと、そしてジイの声色から、次に発せられる言葉が嫌味だと悟った綾は、びしょ濡れの枕に頭を突っ込み耳まで隠す。
ジイは嫌味の一言を言う代わりに、手に持つアイパッドをタッチしてニュースの動画を再生すると、煌びやかさのかけらもない蘭丸が手錠をかけられ、手元を布で覆い被せられている姿が流れた。
蘭丸の両脇に警察が寄り添い、二人三脚のようにして3人で並んで歩く映像を、泣きじゃくる孫の方面に向けてみるも、枕につっぷした頭は一向に上がってくる気配はない。
クレームまがいの音量が嫌でも綾の耳に入って来る。
1分程度流れた動画を停止して、栄八は咳払いをしながら綾の縮こまるベッドへと歩み寄った。
「綾。これで目が覚めただろう。うまい話には何にでも裏がある。俺はそんな世界をごまんと見てきた。取り返しのつかないところで現実を知れただけ今回はいいだろう。もう二度と同じ過ちを犯すんでない」
人を丸め込む天才の河越栄八の言葉は、孫だからと甘やかすことはない。
むしろ孫である綾には、幼少期からあたりを強く接してきた。
小さい頃から栄八を怖がっていた綾は、栄八が近くに来るたびに隠れては逃げた。
どもまでもしつこく追って来る栄八から逃れられないと悟った綾は、いつしか栄八に対して反抗的態度をとるようになった。
これも、ジイのやっかみから自身のメンタルを守るために自然と身につけた術だ。
しかし栄八は、栄八の思う正しい道を歩んで欲しいという願いから、綾の反抗的態度の更に上をいく形でこれまで厳しく接してきた。
ただ、栄八の口調は厳しさに相反して、語尾を下げて柔らかかった。
いくら言葉でごまかしても、結局は可愛い孫に弱いのだ。
綾の様子を気にしているからこそ、今回の無茶ぶりな護衛計画も実現したのだ。
「ジイ・・違うよ・・」
涙と鼻水で覆われた顔がジイに初めて顔を向けた。
「何が違うんだ?どうあがいてもあの男はれっきとした犯罪者で、何も覆ることはない」
「そんなのは、どうだっていい・・」
「うぅん?」
法曹界のカギを握る男の口から、拍子抜けした柔らかい感嘆があがる。
「ノノが・・ノノが突然姿を消したのぉ!メッセージアプリから突然消えて、色んな人に聞いたけど・・ノノに辿り着けなかった・・・ノノに会いたい・・・」
涙声の中、必死に声を絞り出して訴えると、綾は再び枕に顔をうずめる。
栄八はそんな綾の姿を、まるで弱りはてた老人のような姿で静かにみつめていた。
――――――
マイロは部下をよく観察している。
入庁当初から、首藤野希羽には何か裏がある人物なのではないかと推測していた。
そして曾村蒼斗の件で、野希羽が間接的にマイロへサインを送ってきたことで、その推測が的中したと確信した。
野希羽は曾村蒼斗の任務が命の危険を伴うと判断し、保険と遺言を兼ねて口紅を施した。
曾村蒼斗を想う演技をしたことで想定通り周囲がざわつき、マイロの耳にも確実に”対象者へ接近する”ことを伝えられた。
後日、マイロは野希羽が河越栄八の警護のため、公安から国家総合事務局へ送られてきた事実を独自の情報ルートで入手した。
河越に関しては後藤局長より、国家総合事務局の新設当初からトップクラスの重鎮であるため、遅かれ早かれ護衛の任務にあたるであろうことは聞いていたが、河越が国家機密をどこまで把握している人物なのか、水面下でどのような役割を果たしているのかまでは知らないし興味もなかったので、それ以上は知ろうとしなかった。
ただ、公安の職員が国家総合事務局に配属される程の重鎮であることは曾村の件を通じて知り得た事実だ。
野希羽の正体を知ったマイロは、今回メンズコンセプトカフェにて河越の孫である綾と接触していることをつきとめ、河越栄八と野希羽にはシークレットで、野希羽に対して見張りをつけようと考えた。
もちろん、部下である野希羽の万が一に備えての考えだ。
ただし野希羽や河越の知らない人物で、かつマイロの知人で、時間にゆとりのある人物となると、マイロの中の人選は一択のみだった。
以上の経緯で、マイロの数少ない友人であるホワイトハッカー山本は「部下の様子を見てこい」と命令され「トオヤ」名義でメンズコンセプトカフェに潜入したわけだ。
入店初日から蘭丸の怪しい動きに気付いたトオヤは、不自然にならない程度に情報収集し、オンラインカジノへ誘導している噂を入手した。
なかなかしっぽを見せない蘭丸に、トオヤは『尊敬の眼差しで先輩を見る』作戦に出た結果、蘭丸から可愛がられる後輩のポジションを得ることに成功した。
その後、酔ったタイミングでゲームアプリについて聞き出し、逆探知の手法でアプリ内の違法広告の主らを特定するに至った。
野希羽は全ての事情をマイロの口から聞かされたところで、寒空の下でホットのソイラテを啜った。
広大な防災緑地公園のど真ん中のベンチにて、並んで腰を掛けるマイロと野希羽の様子は、正に平和な風景だった。
野希羽は冷たい空気をすうっと吸い込み、ゆっくりと息を吐いた。
今の野希羽は特に守るべきものはなく、とてつもなく自由だ。
フリスビーを必死に追いかけるゴールデンレトリバーの姿を、何の警戒心もなく静かにみつめる。野希羽にとってこの上なく自由な時間がゆっくりと過ぎてゆく。
野希羽はふと思う。
自由と言いつつ、結局休日も、関わる人間は職場の人間ばかりで、自分がいかに仕事人間なのかと客観視し、つい笑いが込み上げた。
しばらくの間、公園が作り出す優しいBGⅯに2人して耳を傾けていると、ようやくもう1人の待ち合わせ人がやってきた。
もう1人の待ち合わせ人がだんだん近づくにつれ、野希羽の頭は『?』で溢れた。
マイロミッションを終えた山本は、すでにfleurを退職しているはずなのに、fleurのイベント開催時によく見た『男の娘』の姿でこちらへ向って来る。
ノノ改め野希羽は、山本の『男の娘』の姿は見慣れているため特に驚くことはないが、なぜその恰好をする必要があるのか・・全く推測が出来ないでいた。
結局答えは見つからず、野希羽は山本がマイロと自身の目の前まで来たタイミングで、挨拶をすっとばして疑問を困惑の表情で投げかけた。
すると今度は、疑問を呈した野希羽に向けてマイロが疑問を持つかのような表情を見せる。
しかし数秒後、マイロは何かに1人納得し感嘆をあげると、野希羽に答えた。
「これは山本の普段着だ」
野希羽は返答に困り、山本の方を見上げる。
山本は陶器のような艶肌に、ニッコリと微笑みを浮かべた。
「改めまして、山本十弥です。ノノちゃん、今後ともよろしく」
加工修正したような、相変わらず綺麗な二次元の容姿から飛び出した言葉は、カオスとも言える艶やかな低音ボイスだった。
カオスが完全に払拭できないまま野希羽は何とか自我を保ちつつ、男の娘に天使の微笑み返しをした。
「十弥さん。改めまして、野希羽です。今後ともよろしくお願いいたします」
―――――
12話終了




