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「お待たせしました」
川本トオヤが艶やかに輝く海色と紫のグラスを差し出した。
海色のグラスにはライム、そして紫のグラスの中には小さなベリーの実がふわりと浮かんでいる。
いずれのドリンクも店内の雰囲気に馴染む色合いと洗練さを併せ持つが、どちらもノンアルコールジュースだ。
ノノは紫のグラスにスマホを向けた後、じっくりとグラスを見つめて口元に運ぶ。
綾も海色のグラスにスマホを向けて何枚か写真を撮った後、目の前のバーカウンターに立つ2次元の世界から飛び出した様なトオヤを目の保養にして、海色の甘い液体を喉に注ぎ込んだ。
トオヤが自身の緩くウェーブがかったダークブラウンの髪を耳にかると、小さなフープピアスがキラリと光り、2人の目にとまった。
「トオヤさん、すっごい色気がありますね。眼鏡姿も見たいなぁ」
「えへへ、そうかな?眼鏡持ってないけど、2人のために今度伊達眼鏡デビューしちゃおうかな」
トオヤが形のいい唇で微笑んだ。
「もぉ綾ちゃん。そんなにトオヤばっかり褒めてたら俺の心が傷ついちゃうでしょ」
テーブル席の2人組の女性へドリンクを運び終えた蘭丸がバーカウンターへ戻ってきた。
綾は可愛くふてくされる様子の蘭丸を一瞥すると、急に恥ずかしさが込み上げてグラスに目を落とした。
綾のみつめる海色のグラス、そして可愛く怒る蘭丸の姿はどちらも美しく、綾の心はじわじわと高揚していく。
綾は心が舞い上がるたびに、それを隠すかのように何度もグラスを口元に運んだ。
「綾ちゃん、おかわりどうする?」
「え?」
今日は蘭丸のふてくされた様子が可愛すぎて、いつも以上に舞い上がっていたようだ。綾のグラスは、いつの間にか透明になっていた。
「えーっと、じゃあ・・」
「王子の気まぐれドリンクはどうかな?」
蘭丸がドリンクメニューの下部を指した。
『王子の気まぐれドリンク』の概要欄には、指名された店員がお客さんのイメージでドリンクを作り、提供前にドリンクへ愛を込めるサービスと書いてある。
綾がドリンク名の右端の値段にちらっと目を向ける。
値段に目を向けたことを知られたくない一心だったが、綾は思わず目を見開いてしまった。
王子の気まぐれドリンクの右端には、8,500円と記載がある。
この金額なら、この店でドリンク3杯~5杯は飲める。
そしてfleurのルールは、ドリンク1杯につき、3分間以内のお喋りがルールである。
8,500円が3分で消えると思うと、さすがに驚きを隠せなかった。
「綾ちゃんのために最高のドリンクを作って、そのグラスにキスしたいと思っているんだけど・・」
その言葉に、綾の心は今日いちときめいた。
綾は思考を停止させると、自身を真っすぐにみつめる蘭丸をみつめ返した。
「うん。これにする」
数分後、綾の手元にはオレンジと緑のグラデーションをしたグラス、その横にはポッキー3本が細長いグラスに納まった状態で並んでいた。
ポッキーはと言うと、気まぐれドリンクを注文した際に併せて頼んだメニューだ。
その場の勢いで頼んだメニューのため値段は見ずに頼んでしまったが、そんなことより綾の頭の中は、蘭丸がグラスにキスするパフォーマンスの妄想でいっぱいだった。
蘭丸は綾の手元のきまぐれドリンクを手繰り寄せると攪拌し、完全に混ざりきる前に自身の顔を近づけると、ゆっくりグラスにキスをした。
グラスと唇が触れ合う時間はわずか2秒ほどではあったが、綾にとってその2秒はとんでもなく熱い2秒間だった。
オレンジと緑が混ざり合ったグラスを背景に、蘭丸は甘い言葉を綾に何度も投げかける。
ノンアルコールドリンクだが、この贅沢なシチュエーションのせいで、綾は終始酔った心地だった。
気まぐれドリンクを半分ほど飲んだところで、蘭丸がポッキーを口にした。
まさかとは思っていたが、やはり、予想していた通りの事態が起きた。
蘭丸がポッキーを口にしたまま、綾の顔に近づいた。
蘭丸は口にくわえつつ、ニカっと笑い綾を急かした。
その仕草に、綾の心はまたもや舞い上がってしまう。
綾がポッキーを口にくわえると、ポッキーを食べ始めた蘭丸の顔がどんどん近づいてくる。
綾は硬直してその様子を眺める事しかできない。
綾の顔の数センチ前まで来ると、たまらず目を強く閉じる。
ポキンと音が鳴り目を開けると、数センチのポッキーをくわえた蘭丸の姿が視界に入る。
蘭丸は黙ってポッキーを咀嚼し始めた。
綾の心臓は爆音となり、火照りが止まらない。
蘭丸はポッキーを食べきると、自身の口元を拭うかのように親指をそっとあてた。
見境を見失った綾は、気まぐれドリンクとポッキーを再度オーダーした。
「ノノちゃんはいくつなの?」
綾と蘭丸の会話がBGMのように聞こえる中、ノノは紫のジュースを一口飲み、トオヤの目を真っすぐに見た。
「17歳です」
「綾ちゃんと同い年かぁー。僕ね、てっきり15歳くらいかと思っていたんだ。じゃあ、あと3年でお酒が飲めるね。じゃあさ、3年後に一緒にお酒飲もうね。僕ね、ノノちゃんとだったら、3年後でも10年後でもこうやって一緒に過ごしている自信があるよ」
ノノはトオヤの言葉に、ニコッと微笑みだけを浮かべてみせた。
トオヤは、ノノからキャストドリンクとして頂いたジントニックを、ベリーが揺れる紫のグラスにそっと乾杯して、美味しそうに飲み干した。
――――――
「―――以上が、近況の様子となります」
首藤野希羽は、『fleur』内における綾の言動を伝えた。
衆議院議員の河越栄八は表情を変える事なく、野希羽に向けて数回頷いた。
「バカめ。そんな情けない男のためにジュースとお菓子代で一体いくら払っているんだ。店は、アルコールを綾に提供しているか?」
「いいえ。未成年にはアルコールの提供をしないと大きく宣言しているお店です。店員が私に年齢を確認しまして、成人を迎えた後にお酒を飲もうとリップサービスをしていました。念のため、綾さんにもお酒を勧められたか確認しましたが、アルコールを提供してもらえないと言っていました」
小さく何度か頷き、栄八が何か思い立ったように野希羽の目を見る。
「首藤。お前は店員に、いくつだと答えたんだ」
「17です」
栄八はガハハと冗談半分に大きく笑った。
「そうか。お前なら15と偽っても騙せるんじゃないか」
野希羽は直立した姿勢を崩すことなく無表情で栄八に顔を向ける。
「質の悪い店の場合、店員に借金を肩代わりさせ、さらに金を使わせた後にパパ活や風俗を斡旋するそうです。綾さんの身に危険が及ぶ前に、そろそろ手を打ちますか?」
栄八は顎に手をあてながら歩き始め、5歩程度歩いたところで立ち止まった。
「いや、もう少し遊ばせておけ。綾にはもう少し世の中の常識を知ってもらった後に、その情けない男のやり口を徹底的に暴いて晒してやる」
栄八は蘭丸の手法を隈なく見張るように野希羽に伝えた。
「何度も言うが、この件に関してはお前の今の上司はもちろん、配属前の関係者にも他言はするなよ」
「はい。もちろんです」
「それから」
「それから?」
栄八はニヤリと口角を上げて続ける。
「首藤・・・なんだっけか」
「野希羽です」
「そうだ。自分で命名しておいて忘れるとはな。首藤野希羽。この名前に、馴染んできたか?」
栄八は、微笑したまま野希羽に問う。
野希羽は一瞬間をおいて「はい」と答えた。
「とても良い名前だと思っています」
野希羽ははっきりと答えると一礼し、栄八の執務室を後にした。
首藤野希羽。
この名前は、国家総合事務局に配属される前に、栄八が即興で命名した名前だった。
当初命名された際、ものすごい違和感を感じた。
これが本当の名前なら、15歳の誕生日を迎えたタイミングで改名手続きをしようと思ったくらいだ。
任務遂行のための一時的なコードネームだ、と自分に言い聞かせると、名前なんて何でもいいと思えた。
しかし、国家総合事務局に配属され、同僚や上司に『野希羽』と呼ばれる度に、いつの間にか自身の名前が元々『野希羽』であったかのように愛着が湧いてきた。
今では『野希羽』と呼ばれるたびに、自分を必要としてくれている人々に前向きな気持ちで振り向けるまでになった。
「おい野希羽」
声のもとに顔を向けると、聖沢班長の姿が見えた。
数十メートルほど先から、こちらに向かって班長が歩いてくる。
ここは衆議院議員会館の最上階のため、班長や同僚らと出くわす場所ではない。
野希羽は、班長と交差する直前まで頭をフル回転させ、最もらしい理由を考えた。
「先月の河越議員同行の際に、市民からの声で河越議員に一部伝え忘れていたことがありまして。クレーム案件に発展することを懸念して、執務室を訪れたところです」
「そうか」
マイロが軽く頷いた。
野希羽はすれ違う直前に軽く頭を下げた。
「あまり無茶はするな」
すれ違った直後、野希羽に向けて班長が小さく呟いた。




