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12-1


「はい、綾ちゃんの負け」

時東蘭丸はいじわるな笑みを浮かべると、嬉しそうに悔しがる綾のほっぺを両手で軽くつまんだ。

軽く指に力を加えただけだったが、綾の頬と耳は真っ赤に染まっている。


「もーー、蘭丸は強すぎるよぉ。こうなったら、勝つまで挑戦するんだからね。はい、最初からもう1回!」

綾は目を輝かせて、黒ひげの海賊人形が乗ったおもちゃの樽から色とりどりの小さな短剣を抜く。

蘭丸もバーカウンター側から残りの短剣を抜き取り取る。

全て抜き取るまでの間に、数回お互いの指が触れ合った。


「綾ちゃん、ドリンクのお代わりはいいの?」

「じゃあジンジャーエールのおかわりを貰うね」

蘭丸が製氷機へ向かい背を向けると、綾はニンマリと指を見つめ、もう片方の手で指を優しくさすった。



しっかりめに入った生姜の味はピリリとして、16歳の綾にはまだ刺激的な味覚だ。

青色に照らされた店内のムードとカウンターに並べられた高級感溢れるお酒の瓶が、綾の目の前に置かれたジンジャーエールを魔法のように美味しくさせた。

ジンジャーエールの上に浮かぶミントの葉さえも愛おしく思える。

綾は夢心地のまま、蘭丸と自身の間に散りばめられた小さな短剣を1つ手にした。


ここは秋葉原駅から徒歩10分圏内にあるメンズコンセプトカフェ『fleurフルール

テストで思う様な点数が取れずに落ち込んだ綾は、気晴らしにとfleurへ入店したのが約2か月前、それ以来足繫く通うようになり、最近は週に4回以上来店している。


通い始めの時期は体調不良と偽って学校を早退していたが、現在は登校するフリをして長い時間fleurに滞在することが多くなった。


親を騙す罪悪感でいっぱいだった気持ちは次第に薄れ、今は目の前で短剣をどこに刺そうか悩んでいる蘭丸の事で頭はいっぱいだった。


「ねぇ、ここが良いかな?それともここかな?」

クール系の装いで唇を深紅に彩る蘭丸は、見た目に反して甘えん坊だ。ここぞという場面でいつも綾に相談する。

綾は通い始め当初から、そんな蘭丸が愛おしくてたまらなかった。


蘭丸の手元の樽に向けて適当な場所を指差すと、蘭丸の眉が微動してクスクス笑いながら、綾に言われるがまま樽へと短剣を慎重に刺す。

すると、トップに佇む海賊が飛び出して、綾のジンジャーエールの入ったグラスの側まで転がり込んだ。

その様子に、2人はたまらなく大笑いをしてはしゃいだ。


綾は迷うことなく、ゲームを再度オーダーした。




綾の足は自宅が近づくにつれ、鉛の様に重くなった。

玄関のドアノブに手をかけるが、中々開く気になれない。


「ねぇ綾、そこにいるんでしょ?」

半透明のドアガラスに、綾の母である絹江のシルエットが映った。

綾はとっさに後退りした。

すると、居間の窓からこちらを睨むように見ている父・繁則の姿が綾の目に映った。


ソファに座るよう指示されると、綾は極力2人から遠い場所に浅く腰を掛けた。

数秒の沈黙後、父が咳払いをして話し始めた。


「綾、今日は学校サボってどこに行ってたんだ?」

その一言で、綾の秘密の行動は全てバレていたと悟り、開き直った綾は顔を上げて父を見る。


「別に、お父さんには関係ないでしょ」

「いい加減にしろ。学校から全て事情は聞いた。お前の最近の素行が悪いのは、何が原因だ?悪い奴らとつるんでいるんじゃないだろうな?」

繁則の眉間の皺が目立ち始める。


「お父さんの悪い奴らの定義って何なの?私は別にこれまでと変わらないし、犯罪もしてない。そんなに干渉される筋合いはないんだから、ほっといてよ」

綾も負けじと眉間に皺を寄せて言い返す。


「こんな事がお爺ちゃんにバレたらどうするの。綾、あなたはもう子供じゃないんだし、将来の事を考えて行動しないと」


"お爺ちゃん"の言葉に、綾の心は動揺を隠さなかった。反射的に拳を強く握りしめる。


「私の将来に、ジイって関係なくない?私のやることに、とやかく言うのはやめてって言ってるでしょ!これ以上口出しするなら私、この家を出るから」

熱く込み上げる感情を抑えきれないまま、綾は2階の自室に向かった。


部屋に入るとすぐさま鍵をかけ、暗闇の中膝をかかえる。

呼吸が落ち着くと、鞄の中からスマホを取り出しメッセージをうち始めた。

[ノノは、明日フルールに行く?]

綾のメッセージにすぐさま既読がつくと「行くよ!」とスタンプ付きで返信が返って来た。


そのメッセージを確認するやいなや、綾の緊張で凝り固まった身体は柔らかくなり、ベッドに吸い込まれるようにダイブした。

伏した顔を横に向けて [絶対だよ?待ってるからね] と打ち返すと、心朗らかに瞼を閉じた。




――――――


今日も灯凜節は止まらない。

本日の話題は、全国展開する500円均一のチェーン雑貨の美容系グッズのコスパの良さだ。

ドラッグストアの人気商品と遜色のない美容系グッズが500円+数百円で手に入ると興奮気味に話す。

聞き上手な野希羽は、今日もおかずをモクモク噛みながら灯凜の話に相槌を打つ。

しかし、今日はいつもより反応が鈍い。


しばらく手元のお弁当に目をやったまま身動きをせず、ついに頭がカクンと項垂れた。

いつか見たデジャヴな光景だ。

灯凜は野希羽から弁当を取り上げると、すぐさま野希羽の両肩を支える。


「ちょっと野希羽、大丈夫?」

重そうな瞼をゆっくりと上げた野希羽はコクンと頷いた。


「体調良くないんだったら早退して身体休めた方がいいよ?って言うか、野希羽は普段から年休を全然使わないし、だから明日も休んでリフレッシュした方がいいよ、ね?」

灯凜が後ろを振り向くと、自席でのけぞってこちらを見るケイが深く頷いた。


「おい野希羽、帰って寝ろ。身体を休めるのも仕事のうちだぞ」

珍しくケイが真面目なアドバイスをしたせいか、灯凜はそれに驚きつつも「そうだそうだ」と便乗の意味を込めて何度も力強く頷く。


「ねぇ野希羽、私たちって身体を張った業務の代償で他部署より比較的早めに帰れるし、ほとんど残業がないじゃない?他の部署に異動したら、国会対応やら何やらで、今みたいに時間的なゆとりがなくなると思うの。だから今は、国家総合事務局の特権だと思って、心と身体を大切にしようよ。それに、金居補佐とか別の部署の人が口を揃えて『休める時に休んだ方がいい』って言ってたんだから」


灯凜が野希羽の肩を優しくさする。

すると野希羽は灯凜の大きな瞳をじっと見つめ、ニコッと笑った。


口数があまり多くない野希羽から、滅多にお目にかかれない童顔スマイルが飛び出したため、灯凜の心は打ち抜かれ、思わず野希羽をギュッと抱きしめた。


「おい班長、聞いてただろ?野希羽が午後から休むらしいぜ」

ケイが椅子を半回転させて班長を見ると、班長はPC画面から顔を上げて頷いた。

ケイはその様子を眺めた後、班長へ素朴な質問を投げかけた。

「そういや、班長は休みの日って何してんすか?」


班長はケイの顔を一瞥して、すぐにPC画面へ顔を戻した。


「潜水、山岳巡り・・・」

「あー、はいはい・・」ケイは納得の様子で深く頷く。

「水泳に、山登りですね」

少し警戒した表情で、灯凜が平たく解釈してみせた。


「あとは、人間観察」


休日の過ごし方から共感を見出すつもりだったケイは、灯凜と共に無の表情となり、途端に沈黙が流れた。

そしてマイロの生み出した沈黙によって、いつの間にか机に突っ伏した小さな天使の寝息が、3人の耳元にやんわりと届いた。





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