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灯凜は、手に持ったパステルカラーの花々が果たして正解なのか分からないまま、ゆっくりと病室へ向かった。
「失礼します」
部屋に入ると、窓際のベッドに腰を掛けた女性と目が合う。
色素の薄い目と色白の肌が、気品の良さを演出させる。
確認せずとも、その人物が吉見千鶴子の娘であることは瞬時に分かった。
吉見藍の意識が戻って数日が経ち、明るく会話を交わしたいところだが、今は亡き千鶴子の娘を前にして、灯凜の脳裏に励ましの言葉は浮かばなかった。
「初めまして。富岡と申します。私と隣にいる倉森は、藍さんのお母さんと以前職場が同じでした。今日はお渡ししたい物がありまして、ここへ来ました」
藍には「母千鶴子は不慮の事故で亡くなった」とだけ病院関係者から伝えられており、被害者の会の存在はもちろん、今回の事件についてもまだ知らされておらず、灯凜は仕方なく嘘をついた。
灯凜は、千鶴子の鞄に入っていた写真を藍に手渡した。
満面の笑みで千鶴子と藍が写っている。
少しの沈黙の後、藍の目から大粒の涙が溢れ、灯凜と明人は黙って下を向いていた。
しばらくして、藍は灯凜の持参したパステルカラーの花束にお礼を言うと、隣で空気の様に佇む明人に目線を移し、明人の顔をじっと見つめた。
千鶴子に瓜二つな顔立ちに見つめられ、明人は少し目を泳がせる。
「私、あなたに夢の中で助けられたような気がします」
「へ?」
明人と灯凜の声が重なる。
「その、えっと・・・鮮明には覚えていないんですが・・あなたとそっくりな人が突然目の前にやってきて、笑顔で、少し強引に手を引っ張られて・・・。そしたら、意識が戻っていました。何か、不思議な夢ですよね」
初対面の相手にかますジョークにしては強烈だが、舞台上の千鶴子に言い放った明人の言葉と、対して差はない。
もちろん明人は当時の状況を覚えていなかったため、なぜ“吉見藍”を知っていたのか、吉見藍の昏睡状態を知っていたのか、マイロや灯凜に問われても、「分からない」の一言を返すだけだった。
「きっと倉森が、藍さんを深い夢から目覚めさせたのかもしれませんね」
さんざん明人の予知能力を隣でみてきた灯凜は、藍の言葉に疑問を呈することなくその場の雰囲気に合わせた言葉を発した。
近い将来、藍は嫌でも真実を知ることになるだろう。
自身にとって悪魔のような存在である紀桝桜子が今も健在である事実に、吉見藍はどのように向き合うのか。
今後の吉見藍の人生を知る由もないが『たくましく生きて欲しい』
灯凜は帰り際に、心の奥底で強く願った。
―――――――
上原陽臣は、事務局へ戻って来たことを後悔した。
昼休みに入り、いつものように売店にて惣菜パンを購入し、いつものように秘密の場所へ向かおうとしたが、自席にスマホを忘れたことを思い出し一旦事務局へ戻ろうと決めた。
すると事務局入口付近に仁王立ちのケイの姿が見えた。
どうやらケイは、陽臣が来るのを待っていたらしい。まじまじとこちらをみている。
不穏な空気を察した陽臣は、スマホは取らずにそのままいつもの場所へ向かうため、行き先を転換しようと瞬時に判断したが、ケイの形相がそれを許さなかった。
この怪しい雰囲気は、陽臣の「嫌な予感」を的中させた。
「おい陽臣、ついに嵐がきたぞ・・。責任持って対応しろ!」
嵐到来のおかげで、休息モードの陽臣の心は再びビジネスモードへと切り替わった。
局内に入ると、すぐさま不穏な、甘い声が聞こえた。
「上原さーん♡」
紀桝桜子が、目を輝かせて陽臣に歩み寄る。
「紀桝官房長の娘さんですね。どうも、初めまして」
パーソナルスペースを保ちつつ、陽臣はニッコリと微笑んだ。
普段ならテキトーに社交辞令を行い、光の速さでこの場を去るところだが、今回の相手は上司の娘であるため、やむを得ずその戦法は封印した。
「先日は、色々あって大変でしたけど、上原さんが元気そうで桜子、とっても嬉しいです」
返答に困った陽臣は、できるだけ不自然な笑みにならないよう必死に心掛ける。
『このパターンだと、次回会う口実を提案してくるに違いない』と先を見越し、どうにか具体的な話に持ち込まれないように陽臣は頭をフル回転させた。
「それで、あのぉ・・・」
「はい、何でしょう?」
陽臣は必死に笑みをキープする。
「ヒジリサワ・・さんは、まだお戻りにならないですか?」
事務局内の空気がどよめく。
桜子の甘ったるい声は、声量はそんなに大きくなくとも局内に響く。いや、局内にいる全員が聞き耳を立てているため、誰一人桜子の声を漏らさず聞き取った。
灯凜は5秒間精神統一し、箸を止めてこっそり桜子の方を覗く。
すると、偶然こちら側を向いた桜子とパッチリ目が合った。
桜子は途端に不機嫌な顔になり、腕を組んで蔑むような態度で灯凜を見た。
灯凜は一生関わりたくない気持ちに襲われ、机に臥せる様な姿勢をとる。
「きた」
野希羽の小さな一声で、局内の全員が入口を見ると、そこにはおにぎりを片手に持つマイロの姿があった。
局内が一層ざわつき始めると、桜子は目を少女マンガばりに輝かせてマイロに歩み寄る。
「聖沢さぁん♡」
事務局内の人々は、2人の様子を固唾を呑んで見守る。
「先日は、パパを助けていただきありがとうございました。聖沢さんがいなかったら、私のパパは、もうこの世には・・・本当に、本当に、命の恩人です。この恩は、一生忘れません。その・・もし私で良ければ・・一生あなたのそばにいます♡」
事務局内の空気が一瞬で凍りついた。
明人やケイ、野希羽、そして陽臣までも開いた口が塞がらないでいる。
灯凜はというと、どうやら机につっぷして笑いを堪えているようだ。
マイロは、切れ長の真っ黒な瞳で、頬を赤く添めた可憐な桜子をじっと見つめる。
桜子は、思わずドキリとする。
すると突然、底知れぬ怖さを秘めた端正な顔が、ふっと笑みを浮かべた。
「紀桝さん」
「はい・・・」
数秒の沈黙が、国家総合事務局に流れる。
「お出口はあちらです。さようなら」
マイロが桜子の横を通過して、自席に戻る。
「へ?」
桜子の低い地声が事務局内に響くと、今度は怒りと混乱に満ちた、甘くてうるさい声が事務局内を賑やかにした。
ケイや明人にどうどうと宥められる桜子の図を横目に、聖沢は自席にておにぎりを食べ始めた。
「おい灯凜。何を笑っている」
「――っすいません・・!」
灯凜は貴重なお昼休みの間、変わり者の上司から『あのうるさい女をどうにかしろ』『お前は自分に甘いからいつまでもダイエットが始められない。ジムに通う話はどうなったんだ』だの相変わらずのパワハラ・モラハラを受けたが、今回ばかりは反撃せずに、優しくそれを受け止めた。
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11話終了




