10-3
明人の心臓が高鳴った。
マナーモードのスマホ画面に表示された文字を見て、思わずたじろぐ。
スマホの振動が明人を急かせた。
「なんだぁ明人。女かぁ?早く電話取りなよ」
定時の鐘で緩やかな雰囲気になった事務局内に、ニヤリと微笑んだケイの声が響く。
ケイのおかげで、スポットライトを全身に浴びるかのような居心地の悪さを味わった明人は、小さな反撃に出た。
「じゃあ、代わりにケイが出てよ」
明人がぴえん顔で、スマホの画面をケイに傾ける。
「おおっと・・・やめておくよ」
画面を見て、ケイが降参のポーズをして怯んだ。
灯凜がすかさず覗き込むと、口元に手を添えてフッと小さく笑う。
「明人、出なよ。可哀そうでしょ」
明人がこれまでの仕返しにと、灯凜をジロリと睨む。
その様子を自席から見ていた漆黒の髪の主は、明人に近づいて来た。
「では、班長ご対応お願いします」
明人は、班長が来ることを見越していたため、班長が目の前で立ち止まる前にコールボタンを押して、画面を班長の方へ向けた。
「久しぶり、あきひ・・って、あれ?なんでマイロが出るんだよー。まぁいいや久しぶり。明人は?」
相変わらずほんわかした雰囲気の“マイペース王子”が、明人のスマホ画面に映し出される。
中世的な顔立ちから放たれるイケメンオーラは、画面の中からでも十分に感じとれた。
「お久しぶりです、江原さん・・」
自身の方へスマホを向けた明人は、必死に笑顔を作り手を振ってみせると、それに倣って、明人の背後に映るケイと灯凜も、恐る恐る手を振ってみせた。
江原はアルシオについての近況を報告した。
アルシオは現在、リユガヌ共和国の付近で元部下複数名と合流し、ヨノフィ打倒に向けて長期に渡る作戦を練っているようだ。
アルシオは『メコルト・ヴィジム』と名を改め、別人として生まれ変わった。
顔も整形し、以前のアルシオでは完全になくなった。
江原はその他にも、メコルトの親族がヨノフィ政権によって処刑された事や、ヨノフィが汚職に手を染めた瞬間の映像を入手した件について、淡々と話した。
一同は江原の話へ釘付けとなり、おかげで江原の背後に映る、美しいマンハッタンの夜明けの景色がかすれて見えてきた。
「というわけで、"メコルト"は安全圏ではないけど、基盤を着々と整えているみたいだよ」
まるで他人事のように伝えると、江原はマグカップのホットコーヒーに手を付けた。
「ところで明人、あの日以来お酒は飲んでないの?今度リモートで飲み会やろうよ。あ、みんなも一緒にどう?」
江原は王子様スマイルでみんなの回答を待つ。
明人は人差し指で頬をかく仕草をすると、視線を横に映し、「へへへ」と笑ってごまかした。
「リモート飲み、良いですねぇ。ぜひやりましょう。この前は贅沢な慰労会を開催して頂きありがとうございました。とっても楽しかったです。そういえばあの日、江原さんと明人、ずいぶんベロベロでしたよね」
どうやら酒豪の灯凜は、少量のカクテルとワインで2人が泥酔してしまった事を知らないようだ。
「そういえばあの日、2人揃って聖沢班長に俵担ぎをされてましたね」
ケイは当時を思い出し、手を叩いて笑い始めた。
ケイがスマホで激写した"両手に俵担ぎ"を灯凜にみせると、灯凜は口を両手で隠して震え始める。
明人は笑いの絶えない同僚2人に背を向けた。
「ねぇ明人、当時の事、覚えてる?自分自身がどういう状況だったか」
江原は、爆笑する2人を無視して明人に尋ねた。
「いえ・・全く記憶にないです。失態を晒してしまい、申し訳ありませんでした。今後は江原さんの前ではお酒は一切飲まないようにしますので・・・」
慌てふためきながら明人は江原へ謝罪した。
「違うよ明人。そんなんじゃない。寧ろ僕は、もっと楽しく明人とお酒が飲みたいと思っているんだ。だからリモート飲みを提案しているわけだし。また近々、日本へ行くつもりだから、その時はサシで飲もうか。マイロの家で」
「人んちに上がり込むのにサシはおかしいだろ」
すかさず家主から指摘が入った。
「もう1人の明人にまた会いたいなぁ。当時を思い出すと、なんだか僕まで笑えてきた」
江原が王子様スマイルでじわじわと笑い始める。
「え?何ですか?もう1人のオレって」
「瑶介、もうその話はいいだろ。もう十分だ」
「ふっ。マイロはもう1人の明人にボロクソに言われてたよね。的を射すぎててあれは最高だったなぁ」
「江原さん、やっぱりオレ、何かとんでもない事をやらかしましたか・・?」
マイロの方向を見ることが出来ないチキンな明人は、何かを懇願するかのような眼差しをスマホへ向けた。
「いや、明人は飲むと可愛い一面が出てくるって言うだけの話だよ。明人が気にする事は一切ないから安心して。スケジュール確認したら、リモート飲みの日程決めるから、また後でね」
まだ笑い続けている同僚2人を背景に、明人は怪訝な表情をしたまま、ホワイトハッカー山本が開発した”秘匿性の高い通信アプリ”を閉じた。
------
飯田は神妙な面持ちで、本とスマホの翻訳アプリを眺めていた。
「先輩、何の本を読んでいるんすか?」
同室の後輩、鯵坂昴が後ろから覗き込んだ。
「わからん。俺も何を読んでいるのか。鯵坂、お前アラビア語読めるか?」
飯田が半分冗談で聞いてみた。
「少しなら、読めるかもしれないす」
「えぇ?まじかよ。まさか中東派遣を見据えて、大学でアラビア語を専攻していたのか?」
「いや、そういうわけじゃないですけど。俺、大学卒業した後、世界を旅して回ってたんですよ。中東に長期で滞在していたもんですから、少しくらいは。それから、大学時代にかじる程度ですが勉強していました」
尊敬の眼差しを飯田に向けられた鯵坂は、照れくさそうに笑う。
飯田は、本にまつわる事の経緯を鯵坂へ全て話した。
話している間、鯵坂は一言も喋らず黙って聴いていた。
「助けになれるか分かりませんが、この本にどんな内容が書いてあるのか分かったら、すぐに飯田先輩に伝えます」
「あぁ、よろしく頼む」
「それから」
「それから?」
飯田が顔を少し傾ける仕草をする。
「飯田先輩、さっき鶴月の海老せんべい食べましたね?」
飯田は顔をしかめる。鯵坂の嗅覚は優秀なのだ。
鶴月の海老せんべいは、高級スーパー「鶴月」のプライベートブランドのせんべいで、食べると止まらなくなる大人気商品だ。
「お前には全てお見通しだな。悪い事はできないな。時と場合によっては、黙っておけよ」
飯田は顔をくしゃくしゃにして笑った。
「この本の意味が分かったら、その海老せんべい、俺も頂きます」
鯵坂はニカっと笑ってみせた。
------
「よぉ。元気してたか?」
飯田は、すでに来店していた及川に愛想よく声を掛けた。
「まぁ、三村の件があって元気に、はないか。すまん。今日話したい事って、三村に関する情報か?」
「まぁ、とりあえず注文してから話を始めよう」
飯田はホットコーヒーと、玉子サンドを注文した。
先日喫茶店”ココマル”を訪れた際に、追加注文した玉子サンドが美味しかったため、及川と会う約束をした際に、迷う事なくこの店を提案したのだ。
「ここの玉子サンドが旨いんだよ。及川も玉子サンド、注文するか?」
「あぁ、頼む」
相変わらずフランクなドレッドヘアのバイト君に注文を告げると、一間を置いて及川が口を開いた。
「さっそくだが先日、俺あてに連絡がきたんだ」
「誰から?」
及川が左右を見渡し辺りに人がいないのを確認すると、改めて飯田の目を見る。
「・・以前話した、紫合エルケ海都からだ」
飯田はゴクリと息をのむ。
及川は、三村の件もあり電話口でこの話を伝える事に抵抗があったため、今回直接会って話そうと思っていた旨を伝えると、慎重になりつつ飯田へ話を続けた。
「どうやら紫合は麻薬を服用した延長で密売人になり、それに気づいた三村が足を洗うように説得にかかっていたそうだ」
普通に考えて、三村の行いは非常に危険極まりない。だが、情に厚い三村は何としてでも紫合を自らの手で救おうとしていたに違いない。
もしくは、警察が介入することで紫合の密売仲間に感づかれるのを懸念していた可能性もある。
「じゃあ、紫合が三村を・・・」
「いや。紫合曰くだが、三村を殺したのは紫合の密売仲間だそうだ。三村の動きが連中にばれて、三村を海に沈めたらしい」
「そんな・・・」
飯田は眉間に皺を寄せると、ぐっと目を見開き、下方に目をやった。
「紫合は、自分を慕っていた三村の死の真相を密売仲間から聞かされて、自身が殺されるのを覚悟で、俺に全てを伝えに来たんだ」
どうやら三村は生前に、及川の存在を紫合に話していた様子だ。
「伝えに来たって・・・電話で話しただけじゃないのか?」
及川は、長椅子に置かれた手元の鞄から、一冊の本を取り出した。
「これは・・・」
「紫合が俺にくれたものだ。もし今後、何かあったら、この本を警察に渡して欲しいと言われた。自分が自主しても、麻薬密売人である自身への信憑性が問われて、三村の死の真相に辿り着けない可能性がある事を懸念していたらしい。だから事後に、第三者から警察へ託される方が良いと、紫合からこの本を託されたんだ」
「何だよ、事後って・・・」
「紫合は、いずれ自身も連中に殺されるって悟ったんだろうな・・」
しばらくの間、2人の間に重い空気が流れた。
店内に流れる静かなジャズがはっきり聞こえる。
「なぁ、その本の中身、写メとってもいいか?俺の同僚に、中東に少し鼻の利くヤツがいるんだ。それが手掛かりになって、三村を殺した犯人に近づけるかもしれない」
複雑な思いが詰まった表情を及川に向けると、及川は目を伏し目がちにしてゆっくりと頷いた。
数日後、何者かによる紫合の殺害が報道された。




