9-1
小橋菫は自宅で急いで着替えると、車で野古平小学校へ向かった。
体育館に到着すると、野古平小女子バレー部はAチーム・Bチームに別れて試合をしている最中だった。
「小橋さんこんにちは。仕事帰りですか?」
「江藤さんお久しぶり。そうなの。今日は少し早めに仕事を切り上げて、急いでこっちに戻ってきました」
金曜日ということもあり、いつもより多くの保護者が子供の迎えを兼ねて、部活動の様子を見に体育館を訪れていた。
部活顧問とのミーティングを終え、体育館をモップで清掃し戸締りを終えると、女子部員たちは着替えのため体育館隣の校舎内にある更衣室へと向かった。
「小橋さん、どうもこんにちは。明日の練習試合の件なんですが」
部活顧問の小松直也が軽くお辞儀をして、菫に話かけてきた。
他校との練習試合についての話を終える頃、子供たちが着替えを終えて体育館へ戻って来た。
「お母さん。今日美和ちゃんも一緒に乗せて帰るね」
「わかった。じゃあ美和ちゃんのお母さんに、これから車で家に送るって連絡しておくね」
車に乗り込むと、小橋花音と岩口美和は学校のことや最近あった出来事を話し始めた。
いつものように、気になる男子生徒の話に花を咲かせて、話が派生すると次は男子バレー部で誰がイケメンなのか話し始めた。
ここまではいつもの会話のパターンで、菫は微笑ましく後部座席の話を聞きながら運転をするのが週末の日課だった。
しかし、2人の会話がさらに派生すると、菫は眉間に皺を寄せ始めた。
「小春ちゃん、着替えのブラがなくなったんだって」
「えー忘れたんじゃない?でもそういえば、この前は澄香ちゃんがパンツなくなったって言ってたよね?」
“澄香ちゃん”は普段から忘れ物常習犯のため、この前2人がこの件について話していた時は特に気に留めなかったが、“小春ちゃん”はバレー部の中で一番のしっかり者であり、少し気に掛かった。
「そういえば未咲ちゃんも、この前着替えのパンツ持ってきたつもりなのに忘れたって言ってた。汗でビチャビチャだったから、パンツは履かないで、そのままズボンだけ履いて帰ったんだってさー」
2人が大爆笑している間に、菫は誰に相談すべきか考え始めた。
――――――
局長の後藤に呼び出され、明人と灯凜は、恐る恐る局長室へ向かった。
何かヘマをしてしまったのか、と思考を巡らせたが結局何も思いつかず、灯凜と2人で「なぜ?」と顔を見合わせながらスローペースで部屋へ向かう。
「失礼します」
中に入ると、ショッキングピンクのスーツに身を包んだ女性がソファに座っていた。
スーツの色に寄せたマットリップと薄ピンクのネイル、ピアスがスーツの色に負けないくらい目を引き、ダークブラウンのボブの髪がとても似合っている。
「こんにちは」
気の強そうな見た目から、満面の笑みがこぼれた。
「私、参議院議員の“小橋すみれ“といいます。今回は相談があってここまで来ました」
菫が対面側のソファへ座るよう手でジェスチャーをした。
“小橋すみれ”はメディアで見るよりもフランクで、可愛らしい雰囲気を持った人物だった。
45歳の女性に可愛いは失礼にあたるかもしれないが、明人と灯凜が国会中継で観る姿は、いつも誰か(議員)と言い争っている様子だった。
小橋すみれの歯に衣着せぬ物言いに噛みつく議員は多いが、小橋すみれは更にその一言一句に噛みつく。
負けん気が強く、見た目も派手なことから、“お嬢さん議員”とあだ名がつけられた。
本人はそんなのどこ吹く風で、態度を変える事無く日々の議員活動に励んでいる。
そして小橋すみれの、自分のスタイルをとことん貫き通す姿勢が、働く女性から多くの指示を集めている。
「一日だけ、私に同行して欲しいの」
すみれはさっそく本題に入る。
「私の地元、埼玉の江棒市で3週間後の木曜日に、女性の社会進出を応援する講演会が開催される予定で、私がゲストで参加する予定なの。で、その後に地元の野古平小学校を見学して、その日の活動は終了よ」
「野古平小学校では、何があるんですか?」
「体育館とその隣にある校舎の老朽化が進んでいて、一刻も早い立て直しをするように江棒市へ要望しているんだけど、『検討する』ばかりで埒があかないから、定期的に体育館と校舎の様子を見て、市に現状報告、それから県に相談しているところなの」
娘が通っていることは、贔屓ととられるだろうと、あえて説明から省いた。
野古平小学校の体育館と校舎は、まもなく80年周年を迎えるところで、建物の損傷が激しく、5年以上前から局部的な雨漏りに悩まされていた。
そのため、職員がベニヤ板を取り付けたり、ガムテープを貼り付ける等の対症療法で何とか凌いでいる。
市は7年後の建て替えを予定しているところだが、すみれは児童の安全を優先すべきと、早急な建て替えを要望している目下だ。
この辺りで後藤から「貴方への同行はウチの仕事ではない」と、サラッと一言ありそうだが、後藤は黙ってすみれの話を聞いている。
灯凜は、すみれのオレンジがかったピンクの唇を一瞥した後、すみれに質問を投げかけた。
「同行、といいますと、小橋議員の秘書だけでは不十分ということですか?それから身を守るために、政治活動をする際にはボディーガードを付けられていますよね?」
「業務だけでいえば、うちの秘書は優秀だし事足りてるわ。それから外で活動を行う時はボディーガードも同行するけど・・・私の性格、みなさんご存じかしら?」
明人と灯凜はその質問に答えず、代わりに苦笑を浮かべてみせた。
「自分で言うのもアレだけど、私って、内部にも外部にも敵が多くて。先週の地域巡りで愛知に行ったとき、卵投げられちゃって。ほら見て」
薄ピンクのネイルが施された綺麗な指でスマホを操作し、その時の映像を流してみせた。
60代くらいの男性に卵を投げつけられ、大声で罵倒されている様子だ。
明人は思い出した。
地域巡りの二日ほど前に、すみれが男尊女卑・亭主関白の考え方が定着していた年代の男性に向けて、小馬鹿にするような発言をした事で、すみれのSNSが炎上し、ネットを騒がせていた事を。
火のない所に煙は立たたないと言うが、「おそらく事の発端は小橋氏自身なのでは?」という代わりに、2人は再度苦笑して見せた。
「今の私には、ボディーガードを2・3人つけても足りないと思うの。命の危険というより、また卵とか変なもの投げられて、議員活動に支障がでたら困るのよ。議員にとって、印象って大事でしょ?」
後藤が分かるようにため息を漏らす。派手で美人な議員には弱いのか?
「局長、この日は日程的にはどうなんでしょう?」
まずは要人らへの同行等の業務と被っていないことが前提での検討案件である。
明人は、持参したPCのスケジュール表に目を通した。
スケジュールを確認する限りでは、すみれの提案する3週間後の木曜日に、明人たちの予定は特に何もない。
「私、あなたたちの日程と、国家総合事務局の業務に関する規則を確認したの」
すみれがニンマリする。
「規則の中に、同行する人物を特定する文言はなかったわ。ただ、『同行すべき事実が認められる場合』とだけあったの。今回の場合、それは認められるわよね?」
勝ち誇ったような表情を浮かべるすみれの顔を見て、後藤が口を開いた。
「今日の朝、河越議員より3週間後の木曜日、行政視察への同行を依頼する旨、電話がありました」
「へ?」
すみれから、今日一番の低い声が出た。
「今日の昼前に小橋議員から電話でこの件について相談があった後、河越議員にその事を伝えました。そうしましたら、河越議員より『猪山のチーム(麗奈・ケイ・野希羽・陽臣)と聖沢が同行すれば良い』と返事を頂きましたので、今回それ以外の職員をこちらへ呼んだ次第です」
河越は以前命を狙われた経緯があるため、公で政治活動をする際には、SPの同行が必須となった。
そして、河越議員はその煌びやかな経歴と自由奔放な人柄から『鶴の一声』ならぬ『河越の一声』という言葉が政治の世界に存在する。
あの事件で、自らの命を救った聖沢に一目置いているのは明らかであり、事あるたびに国家総合事務局の職員、特に聖沢舞郎を側に置きたがった。
明人と灯凜は、本日何度目かの苦笑を浮かべた。
「あっのじじぃ!!」
3人は、国会中継でよく観る“小橋すみれ”を目の当たりにした。




