第5話 神を騙る者
この世界に天使がいる、魔物がいる。
そして人々が信仰する神もいる。
それならば、魔物が崇拝する神ーー魔神がいても、決しておかしいことではない。
ある洞窟の中に、一人の男が、女型の魔神と対峙してる。銀色の肌に刻まれた魔法紋、宝石のような呪いを携わる赤い瞳。一般の魔物と明らかに違う肌色と目。その魔神特有の外見が、異様な魅力を放ってる。
「…何だ、貴様は?」
洞窟は大きくないが、内部はただの岩ではなく、岩壁は全部しっかり研磨され、柱とかも作られてる。
そう、まるで城そのものだ。
魔神は自分が作った高い玉座に座り、上から目線で男を見下ろした。
しかしその目は、軽視してるわけではない。むしろ警戒してる目だ。
何故なら、男は黒い霧に包まれて、全身の容貌をちゃんと確認できない謎の状態だ。
さらにその両手に黒い血に染まってる。彼の後ろには、死体が無数に倒れてるんだ。
洞窟の入り口から、魔神の300名ぐらいの部下を、一匹残らず、皆殺した後に、ここに辿り着いた。
「俺?そうだな…これからお前を喰らうものだな」
「…ふん、たわけか。そんな狂言を言うヤツ、久々に会ったな。よかろう」
女魔神が立ち上がり、ゆっくりと玉座の階段を下りて行った。
一歩、また一歩。近づくにつれて、彼女から放たれる威圧が、どんどん強くなっていく。
神を連想させるーーしかし魔神は、神ではない。ただある程度、神意より神に近い存在だけだ。
それ故、自分たちを魔の神と名付けた。
それが、彼らは己の力に自信があるという示し。そしてその裏付けとして、部下を持った。
ほんのわずか三百程度だが、今の世界の状況と場所を考えると、割と集めた方だ。
男は考えた。
今の自分じゃ、勝ってないかもしれないと。
しかしこのまま無作為だと、いずれ死ぬ。
だから動く。始める。
彼と彼女のために。
女魔神は完全に階段を下りて、男と同等の目線で見つめ合った。
「逃げるなら、これが最後のチャンスだ、人間」
「…ふん、俺を人間として見えるのか?その目が節穴だな」
「貴様から神意らしい気配まったく感じられん。我が配下を殺せた力あったとしても、その根源がない限り、我にとって貴様はただの人間だ。その程度の力で、神を騙るつもりか?」
「その言葉、後悔するぞ」
男は右手に、黒い炎を生み出した。
「ほお?炎か…聖力を感じない、魔法だな。にしても魔力もあまり感じられないが…やはり弱いな、貴様」
「なら、試せばわかるだろう…!」
言葉と同時に、男は女魔神に炎を放した。
放たれた炎は、大きさを増し、魔神の5倍ぐらいの大きさになり、飛んで行った。
しかし、魔神は避けようともせず。ただ立ち尽くしていた。
ドンーーー!
直撃ーー爆音と粉塵が舞い、洞窟が軽く震動した。
ただ、直撃したことに、男は嬉しい表情にならなかった。
その原因はーー
「この程度か?」
魔神は、傷一つなく、元の場所に立っている。
それも、足を一歩も移動しなかった。
(動かせることすらできないのか…)
男は冷や汗をかいた。
やはり、このぐらいの力だと、相手にすらならない。
だとしたら、逃げるのか?
否。
背を向けた瞬間、殺されるだろう。
魔神という存在は、相手が弱いからで、見逃す慈悲がないから。
「ふん、逃げた瞬間、我に殺されると考えてるのか?」
まるで見透かされたように、魔神がそう話した。
「ーーそうだ。貴様のような自分の立場を理解してないヤツを嬲るのが、我が大好きだ、だから、」
魔神が力を集積していく。来る…!
「逃げるなよ…!ソロモン72魔神が一柱、カラス伯爵・ラウム、推参…!」
魔神・ラウムが背後にカラスの翼を展開し、攻撃を仕掛けた。翼から羽を放ち、銃のように乱射した。
「ソロモンの魔神か…!これは面白いな!」
男は笑いながら逃げ回して、ラウムの攻撃を避けつつ炎の弾を相手に打ち込んでいく。しかし先と同じまったく効果なかった。
まずい。いきなり大物当てた。
魔神の中でも、ソロモンの魔神が上位魔神だから、あまり出会える存在ではない。
…のはずなのに、出会った。運がない。
「逃げ足だけが能か!?かかってこい!」
羽弾が床を破壊し、柱を貫き、男の逃げ場を少しつつ削っていく。
さすがにこれ以上無理だと知り、男は「ああ、やるとも」と軽口を返し、そして間合いを詰めた。
一瞬で。
さらに、そのまま黒い剣を斜め下から振り上げた!
「な…!?」
有り得ない。ずっと見てたのに、消えた。認識阻害、ではなく。
感じた。
この男のスピードは、自分の反応速度より早い、と。
「くっ…!」
ラウムは咄嗟に翼から銀と黒の色が混ざった羽の剣を形成し、男の攻撃を防いだ。しかし男は諦めず、追い打ちを重ねて、激しい剣戟の攻防が始まった。
斜め切り、正面突き…数多の軌道を描き、互いに相手の急所を狙ってる。しばらくして、男はラウムの隙を見つけ、両手で剣を持ち上げ、全力で刻み込んだ!
カンーーー!
武器がぶつかった大きい音が洞窟内に反響をした。
ラウムは男の攻撃を剣で難なく受け止めたが、その反動で数メートルに飛ばされた。
「ちっ、仕留め損ねたか」
男が明らかに不機嫌になった。しかし追撃をしようとしなかった。
これ以上攻撃を重ねても、ラウムに一撃を入れることはできないと知ったからだ。
その隙に、ラウムが彼の武器を注視した。
「貴様、あの剣…影から取り出したな」
「お、先の間合いを詰めた数秒だけで気づいたのか?さすが魔神だな。怖い怖い」
「影使い…道理で、我が配下を殺した上に、素手で来られたわけだ。そもそも最初から武器を影の中に隠した。そして先のように、敵の隙を突き、必殺の一撃を狙った。そうだろ?」
「これはこれは、完全にバレたな。腐ってもソロモンの魔神、という訳か」
男は両手を上げて、「やれやれ」という風にため息をついた。
「ふん、貴様、やり方や言い方といい、正義の味方とは言えないな」
正義の味方という単語を聞き、霧に隠されてるが、男が陰険な笑顔を出したように見えた。
「正義の味方?俺が、何時、正義のためにお前を滅ぼすと言った?」
「何?貴様、人間だろう…ぐは!?」
ラウムが話の途中に、血を吐いた。大量の血だ。
それは、致命傷を受けたからだ。
背後からの槍による一撃。
「ハート、ゲットだぜ!」
正確に、魔神の心臓を貫いた。
ラウムは信じられない顔で男を見た。
男は間違いなく先の場所にずっと立っている。今度は高速移動ではない。
じゃあ自分を刺したのは、誰だ?
彼女は辛うじて刺された状態で、顔を後ろに回したが、そこには誰もいなかった。
あるのは、自分の影から伸びてる槍だけだ。
「バカな…!我の影から…!?」
「『影から取り出した』というのはお前の勝手の勘違いだ。俺はそんなこと一言も言ってないぜ?俺は、取り出すではなく、創るんだよ。」
男のその話と共に、今度は彼の影から無数の武器が浮かび上がった。
「そして、取る必要もないから、こういう風に、」
男は、指をラウムに差し、その直後に、一丁の斧が彼女に飛んで行き、そのまま右手を切り落とした。
「手で扱わなくても、敵を切り刻むこともできる」
「あああああ!!!!!!!!」
ラウムはあまりの痛みで叫んだ。男はそれを楽しんでるように、笑いながら彼女に近寄っていった。
「魔神でも痛みを感じるだな」
「き、貴様…!殺してやる!!!」
至近距離に来た男へ、ラウムが口の方に残った魔力を集中し、彼を吹っ飛ばす決死の思いで攻撃を繰り出した。
黒い閃光ーー
「お」
男は、避けられなかった。そのまま閃光に飲まれ、消滅した。
と、ラウムが考えたが。
放たれた光は、城の天井に穴を開け、空へと消えたが、男は、さも当然のように、ラウムの前に立っていた。
傷一つなく。
それを見て、ラウムは鳥肌が立った。
「あぶねぇー、心臓を破壊してもこの威力!俺じゃなければもう死んでいたな!ははは」
そう、心臓が破壊されても、先の一撃は、山に巨大の穴を開けられる程の力がある。
なのに、なぜ、この力を何も感じられない人間が、無傷で立っていられるんだ?
「その顔、まだ分からないみたいだな。特別だ、見せてやろう」
男は両手でラウムの頬を掴み、自分の顔を近づけた。
その瞬間、彼女は理解した。正確に言うと、感じた。
男が纏いし霧の正体をーー
「そんな、貴様は…!?だから聖力も魔力も感じられなかった…!何故、貴様のような存在がこんな場所に…!?」
「何故と聞かれても、俺も困るんだよ。まあ、これで分るだろう。神を騙ったのはお前だ。でも俺もお陰で、いい餌を見つけた訳だ」
ラウムがゾッとした。
「餌…だと?」
「ああ、力で物を言わせるこの時代は、弱肉強食だ。人間のためじゃなくても、生きるために、もしくは自分を強くするために、他のものを平気で殺す。お前は魔神だから、それぐらい分るだろう。だから、」
男の足元の影は、自分の意思を持ってるように、波打つように蠢いた。
「俺の糧となれ」
「…!やめろ!やめてくれ!我は…私は!また生きたい!」
ラウムは涙を流し、男に懇願したが、
「お前に嬲られて死んだ人の言葉、お前が聞き入れたか?」
男は無情に拒絶した。そして右手をラウムの頭に置き、
「まあ、安心しろ、俺が他人を嬲る趣味がない。それに、お前は生きる、俺と共に、な」
「…いやだ!やめて!やーーー」
最後の一言と一緒に、ラウムを自分の影に沈めた。
●
「惨めだな…」
ラウムが消えた洞窟の中に、男は一人で大の字で倒れてた。
視線の先は、ラウムが開けた大穴。その穴の向こうに、月が、空で綺麗に懸かってる。
炎の力だけじゃ足りなかったから、あの力を少し使ったけど、
それでも不意打ちでやっと勝った。
いや、そもそもアイツも目覚めたばかりで、ソロモンの魔神としての力も完全に戻ってなかった。
だから、人が弱ってるところを狙った、とも言える。
正義の味方じゃないけど、こんな戦い方、誰も認めないだろう。
例え自分は気にしなくても、な。
「とりあえず魔神を喰ったおかげで、力が少し戻った。しばらくは生きていけるだろう…ふああああ」
男が大きく欠伸をした。
「やべぇ、やはり長持ちできないな。力を使う具合にもよるけど、今の感じは10分ぐらいか」
彼が独り言してると同時に、体が少しずつ霧散し始めた。
「まあ、あまり外を出たら、あいつらも困るだろうな、はは」
男は目を閉じて、ある人たちの事を思いながら、眠りについた。