第3話 神の災涙
「1年…」
俺は、信じられない気持ちになった。
長い時間寝た、と考えてはいたが、そこまでは予想できなかった。
「…炎、大丈夫?」
膝枕に気まずいと感じた俺は、痛みに耐えながら、体を起こして椅子に座った。
そんな俺に、アイニレシアはまた心配そうな顔した。
そう何度も人を心配させたらよくないと思い、俺は彼女を安心させるために、軽く笑った。
「…ああ、大丈夫だ。ありがとう」
「…うん!」
アイニレシアも綺麗な笑顔で返した。
先、目覚めて出会った時も、今こうして近くで彼女に見られるのも、違和感がない。
まるで昔から付き合ってたようにーー
ライと舞衣を初めて見た時、少し警戒はした。二人は俺の親友だと言ってるにも関わらず。
何故?二人が武器を持ってるから?記憶がない状態の俺は、三人とも初対面なのに?
「それより、何で世界が滅んだ?戦争でもあったのか?」
親友に対する違和感を一旦置き、俺は続いてもっと重要な疑問をぶつけた。
核戦争ーー資源枯渇による国家間の物資略奪、経済操作、俺の記憶が正しければ、そういうのが今ではなく、数年前から起きていた。
その結果が、誰かが核ミサイルを使って戦争を起こし、世界を破滅させても、おかしくない状況だ。
と、俺は予想したが、アイニレシアはしばらく答えに迷った。
「それは、何と説明していいでしょうか…」
「説明に困ったら、見せた方が早くない?」
悩んでるアイニレシアに、舞衣が提案した。
「そうだな。そもそもあれは、ただの説明で分るものじゃないしな」
「そう…ですね。分かりました。じゃあ一度、外を出ましょうか?」
「外?どこへ?」
「山へ」
「え?」
そのまま状況を飲み込めずに、アイニレシアの家を出た俺は、また彼女に抱えられながら、絶叫と共に、村の隣にある山の上へ飛んでいった。
●
山自体は1000メートルを超えたが、今回、俺に見せたいものは、200メートルの高さぐらいで見えるらしい。
俺はアイニレシアに運ばせて、力を全く使わずに楽だが、ライと舞衣は、自分の両足だけで岩壁を難なく、その上に早い速度で山を登っていく。本当に人間?
程なくして、200メートルの標高に着いた俺たちは、足場のいい所に集まった。
そこは小屋が一つあり、小屋の四面が大きい窓が付いてる。
「ここは昔、村の周りを観察するための監視所です。ちょっと前は魔物の数が少なくなったから、あまり使わなくなりましたけど、あれを障害物なく、一番正確に確認できる場所なので、私とライさん、舞衣さんは定期的にここを訪れてます」
アイニレシアは小屋の用途を紹介した。しかし、俺は、それを耳に入れる余裕がなかった。
「何だ、あれは…」
見える。あれを。アイニレシアたちが言っていた、俺が疑問と思ったあれ。
樹海の遥か向こうに、空に浮かぶ、丸い玉。紅い色を内包してるあれは、まるで血の塊。そしてその外側に、黒い気体が漂ってる。
球体の中から、血と言っていいか分からないものが、滝のように勢い強く大地に流れ落ちていく。
しかしその真下にある地面が、血の海にはなっていない。が、樹木ーーは存在していない。
あるのは、荒野。
命が生きてるかどうかもわからない、何もない場所だ。
怖いーー本能が、そう言ってる。
「あれが、世界を破滅に導いた元凶です。ここから400キロ離れてるあれは、大地を侵食しています。それを解決しない限り、またいずれ世界が終わるでしょう」
「…それは放っておけないな」
「ええ、そうですね…まだ、みんなが分かり易いように、あれに名前を付けました」
アイニレシアはどこか悔しい感情を含めながら、俺に伝えた。
「神の災涙、と」
●
「神の災涙…」
「はい、まるで目から涙を流すような形で、世界を壊すという、神がなせる災いをもたらしたことを掛け合わせて、神の災涙と名付けました」
「なるほど」
確かに分かり易い。でも感心してる場合じゃない。
「てか、400キロ離れてるって…ここはどこだ?日本じゃないよな?」
「地図で説明した方が早いけど…簡単に言うと、かつて日本海だった場所だね」
「は?」
舞衣はさらと意味わからないことを言い出した。
「あはは!その顔、面白い!」
「舞衣、オマエな…炎、驚くのは分かる。ただ、一気に説明しても多分、パニックになるだけだ。だから今は、この世界はもう昔と違うという認識で充分だと思うゾ」
「あ、ああ…分かった。しかし、あれが世界を壊したとみんな言ってるけど、そもそもあれは何だ?何処からきた?」
「それは…分かりません」
「え?」
予想外の答えが返ってきた。
「私達、天聖族が掴んだ情報は、あれの出現により、世界が壊されたという事実だけです。しかし何故あれが現れて、そして何で今も存在してるまでは、また調査中です」
「そうなのか…」
「まあまあ、シアを責めないで。あれが現れた時、あたしとライもビックリしたもん。本当に突然だったよ」
「…ん?もしかして、その場にいた?」
舞衣の言葉に違和感を感じ、試しに確認した。
「そうだよ?たぶん、世界中で一番近かったじゃないかな?だって、」
舞衣が未知のものを発見した学者のように笑い出して、言葉を続けた。
「東京にある私達の学校から出たもん、あれ」
「…は?」
また、変なことを聞いて、驚いた。
「というか、その日、炎も学校にいたはずじゃん。それも覚えてない?」
「俺、が…?」
ズキンズキン。
頭に手を当てた。
思い、出せない。
頭が痛いけど、何も思い出せない。先みたいに、すんなりに記憶が戻らない。
何故?きっかけが必要?友たちだから、一部とは言え、記憶が簡単に戻った?
それとも、あの妙な武器ーー
「大丈夫ですよ」
俺が悩んでいることを理解したのが、アイニレシアは優しく俺を抱きしめた。
ふわーーと、彼女の体からいい香りが鼻に入った。
「記憶は大事だけど、急いで取り戻す必要はないです。みんなと一緒に、ゆっくり生活すれば、いずれ戻るでしょう」
「そう…か」
アイニレシアの言葉に、ライと舞衣は、笑顔で頷いた。
そうだよな。急ぐ必要は、ない。記憶なくだって、生活する分には問題ないはず。
では、この焦りは何だ?
心の中に、早く記憶を取り戻さないと、巻き返せなくなるという声がーー
「…!?」
突然、背中を針で刺すようなゾッとする感じがした。
そのまま速やかに後ろへ向いた。
「炎?」
「炎?どうしたの?」
「何があったのか?」
三人は俺の動きに戸惑った。しかしすぐに俺の尋常じゃない表情に気付き、俺の目線先を辿った。
そこには、黒い霧に顔全面や体の右半身が飲まれた、異様な存在がいた。
しかし霧に隠されてなかった部分は、気のせいか、学生の制服が見えた。
「え…!?何、コイツ!?気配はなかったよ!?」
「気を付けろ!普通の魔物じゃない!」
ライと舞衣は、今までの戦いになかった焦りを見せ、それぞれの武器を構えて戦闘態勢を取った。
「想体…!」
アイニレシアだけが、あれを知ってる様子で、狼狽えた。
「みんな気を付けて!あれは魔物より厄介な存在です!神具あっても油断しないでください!」
「「分かった!」」
3人が俺を守るように、想体の前に立ったが、
「…して」
『え?』
アイニレシアに想体と呼ばれたものが、話した。いや、
「返してぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーー!!!!!!!!!!」
叫んだ!
『な…!?』
その声に、悲しい感情が含まれて、怨恨が重なり、人の心を凍らせるような力を載せてた。
そしてその声だけで、三人に隙を作った。
タッーー
一瞬の隙をついて、想体が駆け出し、攻撃を仕掛けた。
「くっ…!喰らえ!」
ライが他の二人より早く、何とか体勢を立て直し、反撃を繰り出した!
正面からの突き!
ザァーー
想体の体を貫いた音が鳴った。が、
「あああああ!!!!!」
「な…バカな!?」
腹の部分をライの突きで貫かれて、体が両断された想体は悲鳴を上げたが、それを構わず、上半身だけで突き進めた!
そしてその進む先はーー
「え?」
俺だ。
気づいた時に、俺はもう強い衝撃と共に、想体と一緒におかしいぐらいの速度で崖から落ちた。
(これは、加速してる!?)
自由落下ではなく、想体が何かの力を使って、俺を下に押していった。
「炎ーーーー!!!!」
アイニレシアの声が聞こえる。悲痛な叫び。
彼女が翼を広げて、飛んできたのを見たか、きっと、
間に合わないだろう。
ああ、また悲しい顔させてしまうんだ。クソ。
諦めようとして、目を閉じようとした瞬間、
岩壁に影が動いている幻を見た気がして、俺は意識を失った。