第25話 別れ
「…きて」
誰かの声が聞こえた。
「う…」
「起きて!」
「うおっ!?」
突然の大声で、俺は跳び上がった。
周りを見渡すと、そこは俺の部屋だ。
本棚に漫画がたくさんあり、勉強机にパソコンを置いてる。
ごく普通の部屋だ。
その部屋に、俺の幼馴染の神川 麗が、
俺のベッドの横で機嫌が悪そうな顔で立っている。
家はお隣同士で、小さい頃からずっと一緒に遊んできた。
今でもこういう風に、勝手に人ん家に上がってきて俺を起こしにくる。
でも、悪くない。
「もう~早くしないと遅刻するよ?」
「え…うわ。本当だ。もうこんな時間」
俺は時計を見た。そこには、
2037年12月XX日
と書いてる。
ああ、今日は、あの日か。
「…麗」
麗は俺の制服をクローゼットから取り出して、学校へ行くために色々用意してくれている。
そんなお節介な彼女を、俺が呼び止めた。
「な~に?言っとくけど、時間ないから、早くしないと」
「そうだな。だから、もういいんだ」
俺の言葉を聞き、麗は手を止めた。
「これは夢だろう?でも、充分だ」
俺は麗の顔を真っすぐに見つめた。
端正な容姿、光輝く黒の瞳、若干ピンク色に見える可愛い唇。
「君の顔を見れるだけで、もういいんだ。他は何もいらない」
今まで、記憶の中で見た麗は、顔だけではなく…全身は黒い霧に包まれてた。
前はあれが何かは分からなかったが、今は理解した。
俺の記憶が封印された関係で、麗の顔も、名前も思い出せなかった。
「…そう?本当にいいの?夢だけど私、ここにいるよ?」
「…そうだな。でも、君の言う通り、時間がないんだよな?友達が待っている」
麗は「友達」を聞いて、微笑んだ。
「そうだね。あっちの方が大事だもんね。うんうん」
彼女は頷きながら、俺に歩いてきた。そして、
ギュウーーー
力強く俺を抱きしめた。
俺も、自然と抱き返した。
彼女の声ーーそしてこの香り、温もり。全部があの頃と同じ。
ああ、これは、間違いなく記憶の再現だけだ。
だって、麗はーー
「ごめん…」
「何で謝るの?」
「俺は、君を守れなかった…!」
俺は、我慢できなくなり、泣いた。
彼女が自分の手の中で、体温を失っていく時の感覚も、
鼻で嗅いだ生臭い血の匂いも、
耳を切りたいぐらい周りの邪魔くさい雑音も、
あの日のすべてを、思い出した。
「大丈夫。いいの。私はこうして、記憶の中であなたに会えたから」
「麗……」
これはきっと、俺の心の中の願い、そして聞きたかった言葉だろう。
許されたいーー
でももう本人の口から聞けないから、夢として紡がれただけ。
それでもーー
「落ち着いた?」
「…ああ、ごめん」
「まだ落ち着かないんだったら、胸を貸すよ?」
麗は「えへん」と豊満な胸を突き出した。
「いや、それはいい」
「何だ~つまんない」
彼女はくるっと回って、ベッドから、俺の側から離れた。
「…もう行くのか?」
「ええ、もう、私いなくても大丈夫そうだから」
しかし部屋の入り口に着くと、彼女は突然止まり、
「これが最後かもしれない。そうじゃないかもしれない。でも炎が私を覚えてる限り、会えるチャンスはある。だからさよならは言わない」
意味深な言葉を残し、頭を俺の方へすこし回り、悲しい眼差しで俺を見た。
「またね」
最後は簡単の別れを告げるだけで、ドアを出て消えた。
●
「…ん…がまた起き…い…」
「…そう…」
まどろみの中で、微かな人の声が耳に入った。
うまく聞き取れなかったが、多分自分と関係あると思い、重い瞼に力を入れて、目を開けた。
見慣れた天井。木製の天井に、小鳥紋様の絵が描かれている…恐らくシアの家だ。そしてそのまま左に顔を向くと、
ぼやけた視線で見たが、すぐ隣に、よく知ってる人が座ってる。
「…麗?」
「「「え?」」」
疑問の声が、三つ同時に部屋に響いた。
俺はその声に違和感を覚え、目をパチパチって、改めて横にいる人の顔を見た。
シアだ。
今まで気がつかなかったが、シアの顔は、麗にどことなく似ている。
だから親近感ていうか、あまり警戒をしなかったかもしれない。
でも、今たぶん、おそらく、やばいことをやってしまったかもしれない。
部屋の中は急に静かになった。
俺が驚愕に目を大きく開いたのと同じように、シア、ライ、舞衣三人も、目が落ちそうな感じでがっつり俺を見つめてくる。
「…えっと、おはよう?」
とりあえず気まずい雰囲気を解消しようと思い、時間も確認せず挨拶した。
窓から明るく暖かい陽射しが照らしてることから、朝か昼だろう。
俺の挨拶に、最初反応したのはシアだ。
彼女は目をうるうる濡らし、俺を見つめ、
「炎……!よかった……!よかったぁぁぁ……!」
俺に抱きついた。
押し倒された俺は、シアを落ち着かせるために、彼女の頭をなるべく優しく撫でてあげた。
「…ごめん。心配かけた」
「まったくだ。戦いが終わった途端、オマエがまた寝たから、運ぶのに大変だったゾ。ちなみに今回は三日も寝た」
ライが部屋のドアの横に立っていて、壁に背を持たれながら呆れた顔で俺に苦笑いした。
舞衣がその隣の椅子に座りながら、ライが言ったことに賛同する。
「そうだそうだ。苦労したぞ!」
「オマエ運んでなかっただろう…」
「やはり仲がいいな、君らは」
俺は懐かしそうな光景を見るように、二人を眺めた。
いや、実際懐かしいんだ。
「そんなことより炎、オマエ…先、麗の名前を呼んだな?」
「あたしも聞いた!はぐらかそうとしてもダメだよ!」
ライと舞衣が脅迫に近い言い方で俺に問い詰めてきた。さらに、
「炎…もしかして、記憶が…?」
シアも心配な顔で、
目に『嘘を吐かないでください』という強烈な意思を込める視線で、俺をガン見してる。
まあ、嘘をいったところで、メリット何もないけど。だから俺は率直に伝えた。
「…ああ、一部だけど、記憶が戻ったみたいだ」
「「「みたい?」」」
「なんというか、実感が湧かないんだ。本当に自分の記憶か、錯覚なのか。何より今、目が覚めたばかりだし」
三人が「はっ」と、気まずそうな顔になった。
「なるほど…まあ、それはそうだ。すまん、病み上がりで、いきなり詰め過ぎたな」
「いや、大丈夫だ。それより、村の状況は?」
俺の質問に、三人は息をのみ、お互いを見つめ、そして何かを決めたように頷いた。
「口で説明するより、見た方が早いだろう。外に出よう」
「炎、立ってられる?」
シアが俺を支えようとして、椅子から俺がいるベッドの方に移動し、寄り添ってくる。
「あ、いや、一人で歩けるから、大丈夫」
「…そう?本当に?無理しないでね?」
どこか残念そうな表情で、シアが離れていく。
顔だけではなく、仕草も麗に似てる。
『世の中に似てる人は三人いる』という都市伝説があるが…まあ、噂じゃなくても、
そこそこ似てる人はいるだろう。
ライと舞衣が先に部屋を出ていき、俺はすぐシアと共に、外に出掛けた。
●
「これ、は…」
シアの家を出た俺たちは、最初に目にしたのは、消えた山だった。
連綿と繋がる山脈の一角がーー村の近くにある、あの千メートル越えの高い山が、岩ところが、石の破片も残さず、綺麗に消された。
そしてその向こうに、広大な森林があったはずの場所も、全部消えた。
かつてどのようなものがあっても、今、俺たちが見てるのは、平地だけだった。
そしてこのありえない光景を作ったのは、紛れもなく俺だ。
俺の中の、憎恨の源という存在が。
「炎…エディナンと戦ったこと、覚えてる?」
シアが恐る恐ると俺の顔色を伺いながら、確認してきた。
「…ああ、覚えて、る」
「どこまで、覚えてるの?」
「…エディナンに惨殺されたことも…その後やり返したことも」
その時の記憶を思い出すと、ケガがないのに、体の内側から痛みが湧き上がる。さらに、
俺は自分の両手を見た。
血が、両手に血がいっぱい付いてる。
「……!」
俺は頭を猛烈に横に振った。血は幻だと自分に言い聞かせながら。
「炎?大丈夫?」
「…大丈夫だ」
俺は視線を山だった場所へ戻した。
「…自分の目で確認したかったんだ。これは、夢じゃなかったと」
「炎…」
俺は隣に立ってるシアを見つめ、問いかけた。
「な、シア…憎恨の源は、一体何なんだ?」
この質問の答えを、ライと舞衣も詳しく聞きたいという風に、目線をシアの方に移った。
「…分かったわ。説明します。でも、私も伝承で聞いたことしか分からないので、答えになるかどうか、分からないの。それでもいい?」
「ああ、それで頼む」
俺たちは憎恨の源の情報を得るために、一旦シアの家に戻った。
●
シアは俺…いや、憎恨の源とエディナンが戦ってる間に、ライと舞衣に説明したことを、
ゆっくりともう一回話してくれた。
「つまり、『始まりの神』の一部であり、この世のすべてを破壊する絶大の力を持つ。その力欲しいさに、どんな手段を使ってても憎恨の源を探し出そうとする輩が大勢いる。そしてシアは、その力を封印できる存在として、安全のために俺を守っていた。それ以外が分からない」
俺は聞いた情報をまとめて、シアに再確認した。
「ええ…天聖界の伝承書にも、詳細まで書かれてなかったから、私もこれ以上のこと知らないの、ごめんなさい…」
シアが本気で落ち込んだ様子で頭を低くした。
「いや、謝ることないさ。それより気になることがあるが…」
「私にできることなら何でも!」
俺の言葉に、シアが一瞬で立ち直り、役立つことに期待する目をキラキラした。
「いや、そこまでのことじゃないけど…憎恨の源の力は、神の力だと分かってるが、そもそもこの力を消す方法はないのか?」
「…今のところはないわ。そもそも何で炎の体に宿ってるのも分からないから、対処のしようがないの」
「やはりそうか」
その上にこの力を持ってる限り、あらゆる存在から狙われる。
今回のエディナンの件はまさにそうだ。
ならーー
「炎?どうしたの?」
「うん?ああ、いや、何でもない」
俺が考え込んだのを見て、シアの顔が心配そうになった。
「おい、まさかと思うが、オマエ、今回の件は自分の責任とか、考えるなよ」
「ーーーー」
ライの言葉に、俺は驚いた。
「そうだよ!たまたまその訳わかんない力が炎の体にあるだけで、炎は悪くないからね!」
舞衣もライに同調して、俺を慰める言葉を紡いだ。
「私もそう思うわ。炎、あまり自分を責めないで」
「…はは、俺はそこまで責任を感じるヤツと思うのか?」
「「「思う」」」
「息ぴったりだなおい」
ははは、と。俺たち笑い合った。
●
その後、村が何で無事だったのをみんなに聞いたが、
『黒い霧がいきなり現れて、壁みたいなものを作りマシタ。だから岩とか木とか、結構飛んできたけど、何も壊れませんデシタよ』
と、ファルがそう言ったらしい。
それを聞いて安心した俺が、シアにこれからどうするかを確認した。
「とりあえず、村を守る居界を強化しないと。それと新しい食料を調達できる場所も探さないと、ですね」
西の遺跡の向こうにある森林は、北の廃都より果物が多かった。
それで村人たちの栄養バランスが取れたけど、
憎恨の源に消された今、新たな狩場が必要だ。
「そうか…そうだな。俺に何か手伝えることあれば、何でも言ってくれ」
「ふふ、じゃあお言葉に甘えて、ね」
俺たちはさっそくシアの聖術で展開された地図で、大きく変わった村の周辺から、適切の場所を探し始めた。
●
夜。
月明かりが輝く夜空、眩い光がまるで人の心を浄化するように照らしてる。
みんなが寝てる中、俺はシアの家をこっそりと抜け出し、村から東に、ちょっと離れた場所にある高台に着いた。
崖に座り、樹木の息吹ーー源素を感じながら、月を見上げながら、今日を振り返った。
狩場探し、村の復旧作業、そしてシアのサポートをしていた福徳の役割を、誰か引き継ぐかの議論。
ライと舞衣は力を持ってるから、全般的に臨機応変対応する必要があるということで、却下された。
何より本人たちは進む気がない、
最終的、シアに次ぐ、人をまとめることに長ける天聖族の天使・クラディに任せることになった。
ドタバタしてるうちに、空が暗くなった。
山が消えたこと。黒い霧のこと。村人も何が起こったのか分からなかったが、
シアの(一部真実を隠した)説明によって、混乱は起きず、今まで同様の生活を送る。
そう、すべては上手くいってる。
「…俺はそう思うけど、お前はどう思う?シャファ、いや、【憎恨の源】と呼ぶべきか?」
月を見たまま、俺は誰もいない空間に声を掛けた。
【…俺は憎恨の源じゃない。その力を使ってるだけだ。というか俺の意見を聞くのか?答えは出てるだろう】
銀色の光に映されてる高台や森に、俺の隣だけが、黒のままだ。
「今日一日よく頑張ったな。気配を完全に消してくれたおかげで、余計なことを聞かれなかった」
そう。シャファは朝からずっといた。前と違って、今ははっきりと感じられる。
憎恨の源として力を使った関係かもしれない。シャファとの繋がりが、強くなった気がする。
【あの三人が敢えて聞かなかった可能性もあるぞ?】
「…そうだな。ありがたい話だな」
【で、俺に聞きたいことあるだろう?】
「…ああ」
わざわざ森に来るのは、そのためだ。
他の人に聞かれたくないこと、それはーー
【憎恨の源のこと、俺も分からない。力を使うことできるが、それまでだ。記憶に関することは、まだ大半が封印されてる】
「…本当か?」
【嘘を言ってどうする。またお前に死なれたら困るからな】
「はは、そうか。ていうか封印って何だよ?この前のあれで終わりじゃなかったのか?」
【お前が解いたのは一部だ。同じものがまた何個もあるぞ】
「…マジか」
【そしてその中に、お前の記憶もあると思う】
「ーーーー」
朝、シア、ライと舞衣に言った「一部の記憶が戻った」、あれは嘘じゃなかった。
現に今憶えてるのは、俺はライと舞衣は、高校時代のクラスメートで、仲良かった。
何故、仲良くなったのも分からない。そして、二人とどんな時間を過ごしたのも。
さらに、麗のことも。
大切な人ってことを思い出したが、細かいことまではほぼ空白だ。
俺は、本当に大事なものを、何一つも取り戻せていない。
【少なくとも、生きてる、それでいいじゃないか】
「そうだな…ところで、封印を一気に解くのは無理なのか?」
【無理に決まってる。一番弱い封印を解放しただけでこのあり様だぞ?それにお前、封解した時、その衝撃で意識を失ったから、仕方なく俺が体の主導権を切り替えって、お前の代わりにあのクソガキをボコボコにしたぞ。感謝しろ】
「ああ、分かってるよ。感謝している。神技を撃つときも、わざと人がいない方角を選んでくれたよな?ありがとうな。気になって聞いただけだ」
【ふん……そもそも俺がやりたくても、できないんだ。俺の力は、ある程度本体であるお前に依存してる。お前自身が強くならない限り、一気に解くところが、二番目弱い封印すらも解けないぞ】
「そうなのか?」
【そうだ。だから強くなれ。記憶が、友達が、そして彼女との思い出が大事だったらな】
「…でも、封印を解くたびに、お前は、もしくは俺が、あの状態になるだろう?」
エディナンと戦った時のことが浮かぶ。
果てのない力、それを振るたびに、ものが消されていく。
そしてその結果、目の前にある。
遠くに存在してた山が、森が、遺跡が、この世界からなくなった。
【怖いのか?】
「…当たり前だろう?こんな力、もし万が一あったら、シアたちを…村の人たちも、みんなを殺しかねない。それを思うと…」
怖い。自分が死ぬのが怖いか、それ以上に、知ってる人が目の前で亡くなるのが、さらに怖い。
【…だったら、そうならないように、頑張ればいい。それが、この世界を生き抜くために必要なものだ】
「そうか…そうだな。世界は、もう変わったもんな」
過去に戻ることはできない。今を生きるために、環境に適応しないと。
弱いものから淘汰されていく。
そして今回、エディナンはそうなった。
しかし、次は?
【言っとくが、死ぬたびに蘇られると思うなよ。憎恨の源の力は不安定だ、今回は運よく戻ってこれたと思え】
「…分かってる。そんな危ない力、毎回頼るつもりはない。それに、死ぬ思いはもうごめんだ」
【ならいい。結構話したな、そろそろ帰らないと怪しまれるぞ】
「そうだな」
よっしょ。俺は立ち上がり、村への帰途についた。
次話でこの第一章の最終話です。
最後まで楽しんでいただければ嬉しいです。