わたしは女性が好きな女性です
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女子中学校に通っている時分から、君付けで呼ばれていた。「様」を付ける後輩もいた。ウソでもジョウダンでもなんでもなく、バレンタインには五十個以上のチョコレートが集まった。クラスメイトにせがまれ手をつないで帰路についたこともある。愛の告白を受けるのも日常茶飯事だった。いずれも嫌な出来事ではない。なぜならわたしは、女性が好きな女だからだ。
そう。
問答無用で、わたしは女性が好きなのだ。
口づけをかわすのも裸でじゃれ合うのも、相手は女性がいいと考えている。だからといって、男装をするとか、そういう趣味嗜好はまったくなく、要するにわたしは女として女性を求めているということだ。女であることを放棄するつもりはないのである。ときにはちょちょいと化粧をしたりもするし、薄い唇にうっすらとルージュを引くことだってある。はたから見れば、少々背の高いフツウの女子高生でしかないだろう。ナンパをされることもある。中には「おっ、ちょっといいな」と言えるくらいグッドルッキングな男もいる。ただ、イメージができないのだ。男性とキスをしたりセックスをしたりする自分の姿が。
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かつて、わたしには「最高の理解者」と呼べる知り合いがいた。そのコは事あるごとに言っていた。「私は静かなニンゲンでありたい」と。もはや言わずもがな、そのコも女性が好きな女だったのだが、べつにそういった運動等に積極的に参加するようなことはなかった。自らをいたずらに表現することもなかった。「ほんとうのマイノリティは、そうであることを大声で主張したりはしない」という考え方が根っこにあり、それを聞いたわたしは「ああ、このコなら信じることができる」と思い、勝手に「最高の理解者」認定させてもらったのだ。なお、そのコは死んでしまった。知人男性に扼殺されてしまった。しきりに言い寄られていたらしい。それを突っぱね続けた結果としての惨事だった。かわいがってくれた祖父の死に立ち会っても涙一つこぼさなかったわたしだが、そのコの遺体と対面したときには泣いてしまった。美しい顔が苦しみに醜くゆがんだその様は、一生、忘れることなどできないだろう。
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わたしは恋愛について造詣が深くない。経験値もない。どんなことに対してもへっぴり腰になるようなニンゲンではないと自負しているのだが、むかしからわりと奥ゆかしい女ではある。「おっ、かわいいぞ」と感じさせてくれる女のコはたくさんいる。そういうコにはボディタッチを試みたりもする。いいとこ頭をよしよしと撫でてやるくらいのものだ。やはり奥ゆかしいのである。――が、女子校という楽園、あるいは天国において、いつまで自我を保っていられるかはわからない。胸の膨らみ具合とか、おしりのかたちとか、そういった身体的特徴は重要ではない。ただ、なんというかこう、守ってあげたくなるようなタイプにはべらぼうに弱い――否、ガサツなコも好きか。高圧的な女も好物だったりする。ああ、そうか、わたしはどんな女性でも愛せるのだな――と身も蓋もない結論に至る。メンヘラでもサイコパスでも、愛されれば愛してしまうような気がしてならない。そんな雑食のわたしはアブナイ奴なのかもしれない。
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小学六年生のときに一度だけ、異性を好きになったことがある。担任教師だった。二十八歳だと話していた。我ながらませたガキだなとは思ったが、好きになってしまったのだから仕方がない。当時のわたしはしばしば首をかしげたものだ。教師が好きな一方で、やはり女性も好きだったからである。どっちつかずだなぁ、なんだかはっきりしないなぁと感じ、ふわふわと煮え切らない思いに駆られたことは言うまでもない。しかし結局は「つまるところ男女問わずイケるのだろう」と判断した――のだが、教師が女子児童に悪戯を働いた罪で逮捕されてしまったことをきっかけに、男という生き物を底の底まで見損なった。にやついた目で観察するくらいならまだしもオサワリはいかんだろうと憤ったことはまだ記憶に新しい。性欲の権化、化物とはまさに男性のことであるとわたしの胸に深く刻まれた。
教師が懲戒免職になることで一応の解決は見たものの、被害者の女のコはいま、どうしているだろう。連絡先を交換しておけばよかったなと後悔している。とてもおとなしいがゆえに友人が少なかった彼女に必要だったのは、わたしのような聞き上手のニンゲンだったように思うからだ。
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十月の三連休、初日。
わたしにだって貪欲になる瞬間はある。"そういう掲示板"を利用することはある。そこで知り合った女性と会うことになった。二十五歳。年上だ、成人だ、大人の女性だ。それなりに気持ちを高ぶらせながら待ち合わせ場所に向かった。駅地下の喫茶店である。バタフライ型のサングラスをかけていると知らされていたので、一目でわかった。わたしはわたしでボーイッシュなミニスカ野郎と伝えていた。だから向こうもすぐに見つけたらしく、こっちこっちと大きく手を振ってくれた。
コーヒーをオーダーし、運ばれてきたそれをブラックで飲むと、「へぇ、大人じゃない」と言われた。女性は感心したように二つうなずく。サングラスを取った。「カスミです。よろしくね」とフランクな挨拶があった。わたしも名乗った。「いい名前だね」と褒められた。わたしの両親はセンスがいいらしい。
女性は「さて、なにから話そっか」と声を弾ませた。
わたしは「年上の女性とこうして会うのは初めてです」と述べた。するとカスミさんは「たしかにあなたの場合、年下からの需要のほうが多そうね」と言い、「一言で表すと、男前だもの」と評価した。男前――結構、言われる。特に名誉な称号だとは考えていないが、胸糞が悪くなる異名だとも捉えていない。
「ネットで話したよね。私は女として女が好きなんだ、って。そして、あなたもそうなんだ、って。そのへん、どう思う?」
「どう思う、とは?」
「わたしたちは報われない存在だと思う?」
「なるほど。そういうことですか」
「パートナーにはなれるわよね」
「はい」
「おたがいを気持ちよくさせることだってできる」
「そのとおりです」
「問題は、両親や知り合いには、なかなか打ち明けづらいってこと」
わたしの場合、そこはもう割り切っている。あえて自ら宣言することはなくとも、訊かれれば正直に「そうだ」と答えるだろう。ただ一つ、これは考えてもしょうがないことなのだが、開き直れないことがある。その旨、カスミさんに話すと「わたしも同じよ」と教えてくれた。それができる身体なのに子どもを生まないことは罪深いのではないのかという悩み、葛藤は、やはりあるらしい。
「でも、ウチの場合は兄貴がいるから、両親は孫の顔を見ることができる、っていうか、できた。あなたには? きょうだいはいる?」
それが、いないのだ。だから、申し訳ないと思っている。しかし、こればっかりはどうしようもないことなのだ。それともこの先、なにか変化があるのだろうか。男性を受け容れることができるわたしになるのだろうか。さっぱり想像がつかないが……などと考えていた矢先に――。
「たぶん、いまの気持ちは一生変わらないよ」
「うーん、やはりそうでしょうか」
「正直に打ち明け合うことで一人じゃないって確認できる場所があるのは知ってる?」
「もちろんです」
「出席してみたいって考える?」
「わたしは声高に自分を謳うことはしません。謳ったところでわたしは幸せになりません」
「カミングアウトしちゃえば、意外とすっきりするかもよ?」
「ですから、いまのわたしは誰かに理解されたいとは考えていません。わたしはわたしです。それでいいんです」
「スゴい耐久力ね。どこかの物置みたい」
カスミさんは朗らかに笑った。
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三連休、二日目。
エリカさんなる女性と会った。十九歳。わたしと二つしか違わない。本番ナシの風俗でまさに身を粉にして働いているという。風俗。未知の世界だなと思う。「客は女性ですか?」と訊ねると、「男に決まってんじゃん」と返ってきた。エリカさんはいちいち「キャハッ」と笑う。金髪に褐色の肌。小さなTシャツをえいやあと押し上げる凶悪な胸。まさに男ウケしそうな人物で、事実、男性からのすけべえな視線を集めるのが得意――というより、好きらしい。痛快な気分になるとかそういうことではなく、そこに男のかわいらしさみたいなものを見るらしい。男性そのものは嫌いではないのだ。だったらどうしていま、女のわたしと会っているのかというと――。
エリカさんは大げさに口をすぼめてストローでレモンスカッシュをすすると幼げな顔をしかめ、「女のコは乱暴しないじゃん」と言った。
「男には乱暴されるんですか?」
「そういう客もいるんだわ」
「それって、ダメなのでは?」
「そのぶん、チップ、はずんでもらえるから」
なるほど。
端的で明朗な論理である。
「ときどきね? こうして知らない女のコと会うと、すっごく癒されるんだぁ。エッチなことをすると、もっと癒される。ってわけで、ちょっとホテルに寄ってかいきませんかぁ?」
「わたしは軽くありません」
「あら、そ。残念」
エリカさんは真っ白な歯を見せて、にっと笑った。
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三連休の最終日。
今日はアリサちゃんだ。十六歳。年下である。
アリサちゃんってば「あ、あのっ、お会いできて光栄です、ありがとうございますっ」などと言い、ぺこりと頭を下げた。じつに初々しい。やはり年下のほうが好みなのか、わたしの下半身はムズムズしてしまう。「くるしゅうない、ちこうよれ」と命じ、隣に座ってもらった。観覧車のゴンドラの中。密室。イケナイ想像ばかりが頭を駆け巡る――が、そこは我慢我慢、こちとらおねえさんだ。頭を撫でるだけに留めておく。アリサちゃんは頬を赤らめ、「ひゃあぁ」と愛らしい声を漏らした。
「こういうかたちでヒトと会うのは初めて?」
「は、はい、そうです」
「いろいろと、どうしても我慢できなくなっちゃったわけ?」
「そうです。……いけませんか?」
「いやいや、ただ、いじらしいな、って」
「ひゃあぁ……」
「わたしの印象は? どんな感じ?」
「びっくりしました。すっごい美人なので」
「美人であることは否定できんな」
「あはは」
――和やかな雰囲気の中。
アリサちゃんは自分のことがあまり好きではないと話した。女性が好きな自分のことが、むしろ嫌いらしい。見るからにおとなしそうでまじめそうなアリサちゃんのことだから、「私はダメだダメだダメな女のコだ」と自分で自分を追い込んで、どうにもならなくなって泣いてしまうこともあるだろう。カミングアウトするとどれだけの効果、あるいは影響があるのか、それがわからず、だから苦しいのだという。至ってフツウの考え方で、一番ありがちなパターンだなと思う。悲しいかな、よくできたコほどドツボにはまりやすいのだ。
海の見える公園で、わたしはアリサちゃんのことをぎゅっと抱き締めた。少し力を込めればバキッと折れてしまいそうな腰の感触は、わたしの背中をぞくぞくさせてくれた。白いほっぺにチュッとしてやると、「恥ずかしいです……」と顔を紅潮させ、だけど「嬉しいです」と言ってくれた。身体を離すと、あらためて頭を撫でてやった。「また会おうね」と約束して、連絡先を交換した。
アリサちゃんはにこりという音が聞こえてきそうなくらい、柔らかに微笑んだ。
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アリサちゃんと別れたのち、夕方、わたしは帰宅した。どちらかというと出不精なものだから、連日、外出すると訝しく思われる。まさに母親がそんな感じだったが、娘が遊びに出ていってくれること自体は嬉しいらしく、だから「今日は誰と会ってたの?」くらいの質問が寄越されるくらいのものだった。
自分の部屋に入り、ベッドに寝転がった。足が痛い。背伸びしてヒールなんて履いたせいだ。だがしかし、表を歩くときはオシャレでありたい。女のコなんだから、あたりまえだろうが、そんなこと。
三連休を使って立て続けに三人の女性と会ったわけだが、みなさん、スゴくいい笑顔を見せてくれた。それがとても印象的だった。元気に生きようとするパワーを感じ取ることができた。ほんとうに有意義な触れ合いだった。
生きていくのはただでさえ難しいことなのに、わたしたちみたいなニンゲンはもっとたいへんだ――と考えていることは否定しない。「それなら恋愛なんかしなければいい」と断言してしまうニンゲンはきっと優しくないし、寂しい奴なのだろう。こういう"硬い話"を敬遠するヒトは多い。低俗なワイドショーやありきたりな討論番組でそれらしく語られることはあるが、フェミニストのみなさんもそうでないみなさんも決まって暴力的で排他的に物を言う。ぎゃあぎゃあ喚いたり皮肉めいた持論を展開したりする。わたしが誰かと意見交換をすることがあるとするなら、まず「最後まで冷静に話をしよう」と当然の断りを入れるだろう。決して良し悪しだけで判断していい問題ではないのだから、感情的にならず、相手を敬って議論すべきだ。
まあ、わたしの場合、どれだけ論じ合ったところで自分の信念に変化など生じようがないのだから、機会に恵まれたとしても、たぶん、その場に出向くことすらしないだろう。
「個人が幸福を追求する権利は絶対の力を持ち、だったらヒトの数だけ正解があっていい」――なんてね。
さて、シャワーでも浴びるとするか。