今日もどこかで婚約破棄
「エリザベス! そなたとの婚約を破棄し、リリア・マティードを新しい婚約者とする!」
卒業を祝うパーティーの最中。
広間の中央で突如声を張り上げたのはこの国の第一王子のクリストファー殿下。婚約の破棄を宣言されてしまったのはエリザベス・トリカンラウリー様。公爵家のご令嬢でいらっしゃいます。
私は卒業後に城に上がり、エリザベス様の侍女となることが決まっている男爵家の次女 マーリン・シュルツ。
エリザベス様と殿下の婚約が解消された場合、私はどうすれば……婚姻に関心がなかったので、王城でのお勤めは願ったり叶ったりだったのですが……。
雲行きが大変怪しいです。
それにしても殿下、お遊びではなく本気だったのですか……。
クリストファー様は腕にしがみつく令嬢 リリア・マティード様に優しく微笑みかけておられます。
一夫一妻制の我が国ではありますが、契約結婚、政略結婚、言い方は多々ありますが、つまり愛のない結婚が当然のこの国では、義務を果たしてから恋人を作るのが主流です。良し悪しはさておいて。
ちら、と斜め前に立つエリザベス様に目をやると、右手にお持ちの扇子を左の手のひらに軽く当てられました。……この動きをなされた時のエリザベス様は苛立っておられるのです。
このような状況です、苛立つなと言う方が無理だとは思いますが。
「……愛妾ではなく、妻としてお迎えになられるのに、何故このような形を? それに、破棄とはどういうことにございますか? ご自身の不貞をお認めになられての破棄……というご認識はお有りと言うことでよろしいのかしら?」
至極ごもっともな感想を次々と述べられる未来の主人。王妃になるべくして教育を受けるとは、こういうことなのだろうと思います。
王子殿下が新たな婚約者にと望むリリア様は、目に涙を浮かべて泣きそうです。感情豊かと言えば聞こえは良いのですが、他国との交渉は別の者がやるとして、機密情報は伝えられないでしょう。表情に出てしまって隠せなさそうですし。いえ、そもそもその状況には成り得ないのだと思い至ります。
愛妾になさらないのは理由があるのでしょうか?
いくらなんでも公爵家のご令嬢を蹴ってまで手に入れたい方とは思えないのですが……。
殿下とリリア嬢の関係が噂され始めた頃、うっかり口をすべらせてしまった私に、エリザベス様はおっしゃいました。
『理性ではどうにも出来ないから、恋は盲目だとか、恋は落ちるもの、などと言われるのよ』
……と。
あまりにもしみじみとおっしゃるので、エリザベス様にもお心当たりがおありなのかと勘ぐりはしたものの、それを問うことはしませんでした。
無粋だとさすがの私も分かります。
「しらばっくれるな! そなたがリリアに嫌がらせをしたことは分かっているのだ! そなたのような性根のねじ曲がった奴を王妃になど出来ん!」
……これまでもちょっと……いえ、結構残念な方だとは分かっておりましたが、今のお言葉を耳にして、率直な意見としては……。
「本当に足りない方だったのだわ……」
思わずぽつりと呟いてしまった言葉が、思いの外通ってしまい、沈黙していた広間のあちこちから忍び笑いが聞こえてきました。
エリザベス様は扇子で口元を隠されたまま振り返って、「マーリン」と私を窘められました。……が、どう見ても笑いを堪えてらっしゃる。
「申し訳ございません、エリザベス様」
慌てて頭を下げるも、発言は取り消せない。
あぁ、またやってしまった。
私の不用意な発言がエリザベス様の不利にならないと良いのだけれど。
「貴様……」
低い声が殿下からこぼれ、顔を上げると怒りなのか羞恥なのか顔を赤くさせた殿下が私を睨んでおられます。
エリザベス様はお許し下さるかも知れませんが、殿下のお怒りは免れなさそうです……。
「この私の頭が足りないと言う根拠を述べよ!」
えぇーー……。
言わないと分からない……いえいえ、出来ればこのような当たり前なことは言いたくない……そう思いながらエリザベス様を見ると、「教えて差し上げなさい」と笑顔で言われる始末。
そんな酷い……と思うも、そもそも自分が失言をしたのでした。
未来のお勤め先もどうなるか分かりませんし、殿下の怒りも買ってしまいましたし、もうどうにでもなれ、となかば捨て鉢な気持ちになった私は、姿勢を正し、殿下に礼をします。
「恐れながら申し上げます。
殿下は第一王子としてお生まれではございますが、殿下のご生母様のご実家は子爵家と、後見となるには力が弱くていらっしゃいます。殿下が第二王子のフランク様を置いて王太子となられるにはエリザベス様の、トリカンラウリー公爵閣下のお力を必要とされるのではないでしょうか。
リリア様は私と同じ男爵家のご出自。殿下の後見となるには些かお力が不足してらっしゃるかと」
私が言ってるそばから殿下の顔から赤みが引いて、言い終えたときには真っ青になっておられました。
エリザベス様との婚約を解消なさった殿下が王位に就くことはありえないのです。ですから、リリア様が王妃になどと絶対にあり得ません。
フランク様のご生母の王妃殿下は侯爵家のご出身。後ろ盾として申し分のない家格。
ちなみに、クリストファー殿下のご生母は殿下が幼い頃に身罷られております。
「エリザベス……いや、リジー……」
分かりやすく殿下がエリザベス様のご機嫌を取ろうとなさる。
不快感を覚えますが、婚約者のままでおられた方がエリザベス様にとって良いのか、悪いのか……。
さすがに殿下がリリア様と懇意になさっていたことは衆目の知るところです。エリザベス様が殿下のお心を繋ぎ止められないのが悪いのではなく、殿下がエリザベス様のお心を繋ぎ止めるよう努力なさるべきだったのではと思うのです。
それにしても、リリア様もそれぐらい分からないものなのかと表情を窺えば、子供のように頰を膨らませてます。
「ひっどぉい! そうやって私の家の爵位が低いことで私を虐めるんですね!」
「いえ、事実では」
またうっかり口をすべらせてしまいました。
エリザベス様を見ると扇子で顔を隠してらっしゃいました。笑いを堪えてらっしゃるようです。
「エリザベス様、申し訳ございません、先程から失言ばかり重ねてしまいまして、なんとお詫びして良いか……」
「詫びる必要はない。全て事実なのだからな」
なんとも野太い声がして、そちらの方に顔を向けると、王弟殿下がいらっしゃいました。何故ここに王弟殿下が……? 辺境におられる筈では?
「お、叔父上、何故ここに……?」
クリストファー殿下は王弟殿下を見て顔を青くしておられます。
「そなたが婚約者であるトリカンラウリー公爵令嬢に無礼を働いた場合は、その場を収めよとの命を兄上から受けたのでな」
王弟殿下は、それはそれは筋骨隆々の、重言にはなりますが、とにもかくにも鍛え上げられた屈強な見た目をなさっておいでです。騎士が纏う制服は、普通の宮廷服よりも筋肉に合わせて作られていると申しますか、考慮された意匠だと思うのですが、王弟殿下がお召しになると、余裕がないと申しますか……。端的に言えば、パッツンパッツンです。
「ぬぅぅぅん」
……なんでしょう、呼吸法でしょうか……。
クリストファー殿下のお顔は真っ白で、ぶるぶる震えております。
王弟殿下の手がクリストファー殿下の肩を掴みましたが、大きさがおかしく、思わず瞬きをしてしまいました。私の目がおかしいのかと思い、エリザベス様を見ると、王弟殿下を見てうっとりとなさってます。
……あ、前に恋はうんぬんおっしゃっていたのは、やはりご自身のことだったのだと、恋をする乙女の顔をなさってるエリザベス様を見て理解しました。
「クリストファー、そなたは明日、子爵位を賜る」
「え……っ」
王家を離れた王族の男性は、後継者が令嬢しかいない、高位貴族の家に婿入りをされることが多いのですが、婿入り先がない場合は一代限りの公爵位を賜ることが常です。
王弟殿下も本来はそうであったのですが、後継者のいない辺境伯に是非にと乞われて養子に入られましたが、これは珍しいことです。
クリストファー殿下は一代限りでも公爵を名乗ることが許されず、子爵となられると……。
「な、何故私が子爵なのですか? 王位には就けずとも、一代限りの公爵位を賜れる筈では……」
「そなたの実母の生家は、後継者がおらぬ。そなたが継ぐのが相応しい」
何かに気付いたのか、クリストファー殿下はエリザベス様を見ました。
「リジー! 君の家に私は婿入りしよう!」
エリザベス様はお兄様がおられますのに。
そう言った諸々が頭から抜け落ちておられるのか、それほど必死なのか。
「私には兄がおりますので、婿入りの必要はございません」
冷淡に返すエリザベス様に、クリストファー殿下がその場に崩れ落ちます。
こんな時になんですが、せっかくの卒業パーティーなのに、散々な流れです。
心の中は既にエリザベス様にお仕えする侍女ですが、卒業パーティーを楽しむ気持ちがありましたのに……。ある意味忘れられません。
「エリザベス嬢」
クリストファー殿下から手を離した王弟殿下がエリザベス様の前に立ちます。
巨体です。なんと申しますか、視界からはみ出ておられます。どういうことなんでしょうか。
「貴女には甥が大変無礼を働いた。貴女にはなんの過失もないことはこちらも分かっていることだ。
本来であればもっと早くに甥を止めねばならなかったのだが、兄が最後まで信じてやりたいと我が儘を言ってな」
そうおっしゃった瞬間、殿下の手に持ってらしたものが粉々に砕けました。何をお持ちだったのか分からない程に砕けています。
「後日改めて屋敷に詫びに伺うが、それまでに貴女の望みを公爵と相談しておいて欲しい」
「望み、にございますか?」
そうだ、と頷き笑顔をお見せになられましたが、私には王弟殿下の笑みが獲物を血祭りにあげる前のものにしか見えません。
「最大限、貴女の意向にそうよう約束する。渋るようなら兄であろうと許さん」
考えておいてくれ、とおっしゃると、クリストファー殿下を、子供を持ち上げるように小脇に抱え、王弟殿下は去って行かれました。
その後ろ姿をじっと見つめるエリザベス様のお姿に、なんとなく願いごとは分かりますが、公爵閣下がお認めになるかは分かりません。
ですが、幼い頃より王妃になる為と教育を詰め込まれ、我慢なさっていたエリザベス様の願いが叶えてもらえますようにと心の中で願います。
あぁ、そうでした。
私のお勤め先も決まりますように。
満面の笑みを浮かべるエリザベス様。そんなエリザベス様に王弟殿下は戸惑ってらっしゃいますが。
王家とトリカンラウリー公爵家との話し合いの結果、エリザベス様は王弟殿下の妻となることを望まれました。
王妃様からはフランク殿下の婚約者にとお声がかかったそうですが、丁重にお断りになったそうです。
辺境伯となられる王弟殿下の妻となることが決まり、エリザベス様に付いて来て欲しいと言われて、一も二もなく了承し、こちらに住んで早三ヶ月。
お勤め先、なくならずに済みました。
エリザベス様も好意を抱くお相手と婚姻を結べてなによりです。
甘えるエリザベス様に戸惑い、王弟殿下は時折「ぬぅぅぅん」とおっしゃいます。
やはりあれは呼吸法だった模様。
そうそう、クリストファー殿下は子爵家を継いだものの、リリア様に振られ、他の家々に声をかけるものの誰からも良い返事がもらえなかったようです。
リリア様もクリストファー殿下を振った後、どなたにも相手にしてもらえず、最後はクリストファー殿下とご婚約なさいました。
こういうのを破れ鍋に綴じ蓋と言うのだそうです。
「ぬぅぅぅん」
王弟殿下が呼吸法をする横で、主人が幸せで仕方ないと言う顔をなさっています。
主人の幸せは私の幸せ。
この幸せがずっと続きますように。