安定性トレッキング
いつもと変わらない
朝日が登り
目覚まし時計に挨拶して
ひやりと冷たいシンクの前で
冷たいのか、温かいのか
違いが分からない水で顔を洗う
口をゆすいで
朝食の準備にかかり
コーヒーとバタートースト
ハムエッグはレンジで作った後
儀式のようにそれを並べて
テレビをつける
15分程度でテレビはBGMになり
片方けを始め
それが終われば着替えて
天気予報だけを注視して
家を出る
これが
安定性がある状態であるとするなら
他の要因があれば
簡単に崩れていくのである
友人が来る
恋人が来る
家族が来る
居酒屋で
仲良くなった人が来る
いつもと違えば
いつもと違う行動になるのだ
だからといって
安定性が無いかと言えば
そうではない
人が来ても大丈夫ということは
安定性があることにもなる
観測者の違いで
そうなる訳ではない
最初から安定性には
答えが幾つかあるのだろう
僕等は社会に安定を求めている
自らの安定性は
たくさん持ちながら
求めているのである
元より人間は
安定を長期継続できるのだろうか
多くの安定性を集めて
それを安定させることなんて
無理な話にしか聞こえない
何処かに綻びが出ると
失敗だとする声が飛ぶ
その人間の安定性が脅かされたことと
誰かの安定性が維持されたことを
全く比べていないのだ
みんな、自らの安定性のみに
固執している
そういう形だけは
常に安定している