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ALAN=Re:START  作者: 神酒井 りょう 
第一章 終わりは始まり、君は歩み出す
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第七話 『アーウィンーIrwinー』

サブキャラクターから見たアラン像②です!

何か他のキャラの説明みたいなのも混ざっちゃいましたが、語るところがないのでここに挿入することになりました。





 《沈黙の女神(メガリス)


 南部の砂漠の先、海岸から出て沖合に彼女は居る。


 巨大な女性型の石像だ。

 足をたたみ、その前で手を繋ぎ、いわゆる「体育座り」をする女神像。


 彼女はいつの間にか、そこに居た。

 ほとんどの者がその存在を知るが、

 誰一人として「いつから」その存在があるのかを知らない。


 彼女は全く動かない。

 瞼は閉ざされたまま、立ち上がらず、呼吸もしない。

 だが、それを見た《海底王》は生きていると断言した。

  

 一部の学者曰く「モノが恋をしているのは、この女神では?」とのこと。

 

 何の証拠も無いその像は《沈黙の女神》と呼ばれ、

 漁師たちからは漁業安全祈願の女神として信奉されている。

 

                                 』

 

 『デウス=レリキア』第3巻409頁8章「秘境・前期」より




――――――――――




 久しぶりにシェイナから手紙が来た。


 季節の挨拶をするような仲でもないだろうに、

 封を切ってみれば、アーウィンに依頼があるのだという。


 優れた魔法使いであるシェイナからの依頼。


 ギルドを介さないのだから私的な内容なのだろう。

 親姉妹はキールハイムのはずだが、何かあったのだろうか。

 幾らかの想像をしてから、読んだ方が早いと手紙に目を落とす。


 意外なことに、依頼の内容は息子に戦闘訓練を付けて欲しいとのことだった。



――――――――――



 シェイナと初めて会ったのは夏の始まりだった。

 肌が焼け焦げるように熱かったのを、今でもよく覚えている。


 街一番の大通りは、正午を過ぎた頃合に活気の絶頂を迎えていた。 

 道行く人の格好は多種多様。

 磨き上げられた鎧を鳴らす騎士や、襟元を仰ぐ若い男たちも居れば、

 子どもを抱きかかえる若い女、老若男女が混ざるハンターパーティーまで。

 差別的風潮の強い東側にあって、異端ともいえる雑多な雰囲気が漂う。

 

 そんな中にあって、シェイナ・ピコノースはひと際目を引いていた。


 当時のシェイナは蠱惑的な女だった。

 今と変わらない起伏の激しいのボディラインを惜しみなく晒し、

 掛けるべきボタンを外しているせいか、大きく服がたわんでいる。

 天真爛漫、好奇心旺盛を体現するような振る舞いは男たちを困惑させた。


 10代の人間族の女とは思えない。

 純粋無垢なのに強烈な色香を放つ女。

 それがシェイナを見た時の第一印象だった。


 ある時、シェイナとパーティーを組むことになった。

 

 普段のアーウィンなら絶対に断る女からの誘い。

 しかし、気が付いたら彼女の申し出に頷いていた。

 何故、どうして。

 そんな過程を全部ふっ飛ばしてシェイナは隣に立っていた。



 お互いが親戚筋だと知った時は流石に驚いた。

 「こいつと自分が?」そう思ったのはお互い様である。



 最初はおっかなびっくりだった。


 アーウィンにとって女とは恐怖の象徴である。

 師匠・ローザによって植え付けられたトラウマの数々。

 女とは斯くも暴力的であると教え込まれた地獄の日々は今も夢に見る。

 

 アーウィンとて男だ、性欲はある。

 シェイナのような美人を目の前にすれば、あらぬ妄想だってしたくなる。

 けれども、いざ目の前に立たれると、あの恐ろしい仁王立ちの幻が、

 こちらに獰猛な笑みで牙を剥いてくる気がするのだ。


 アーウィンの抱えるトラウマは尋常ではない。

 同門の中では、一番強烈だと言ってもいい。

 大きすぎる痛みが快楽へと変化していく恐怖なんて誰が理解してくれようか。

 女は男をケダモノというが、アーウィンは女をバケモノだと思っていた。


 さっさと手を切ろう。

 パーティーを組んだ翌日の朝には意志を固めた。


 あとはどう切り出すか。

 昨日の今日でパーティー解除を申し出るのは極めて失礼な話だ。

 そんなに早々と断るなら、何故昨日は頷いたのか。

 当然のように問い詰められるだろう。

 最初は棘のない言葉から。

 徐々にお互いの上げ足を拾う言葉に代わり。

 最後は目的を忘れた口汚い怒鳴り声が室内に響き始める。

 

 気分が悪くなっても、アーウィンは抑えられる。

 だが、シェイナはどうだ?

 シェイナは女だ。

 女は機嫌が悪くなるとすぐに殴ってくる。

 最初はビンタ、次はパンチ、三手目に肝臓打ち(リバーブロー)、えずいたとことろを脳天に向けて踵落とし(ヒールドロップ)………確実にキメに来る。

 女とはそういう生き物なのだ。

 今は無垢な少女に見えても、本質は獣なのだ。


 考えれば考える程、血の気が引いていく。

 ああ……早まった。

 もう、シェイナのことを呼び出してしまった。

 意志が鈍る前に、なんて考えた自分が恨めしい。

 話を切り出せば殺される。

 話を切り出さずとも、機嫌が悪ければ殺される。


 ……………………………………アーウィンのトラウマは本当に深刻だった。

 



 結論から言うと、アーウィンの危惧は全て無駄に終わった。


 最初の頃は、本気で怯えていた。

 一挙手一投足がこちらの命を刈り取る目的にさえ思えていた。


 何よりシェイナは女らし過ぎた。

 思考回路が、本人の気質と相まって全く予想できない。

 ますますアーウィンの恐怖を掻き立てた。


 が。

 何時の頃からだろうか。


 シェイナの動きが予想できるようになり始めた。

 熱しやすく冷めやすいシェイナの考えが。

 目移りの激しいシェイナの瞳の先が。

 何となく、わかるようになってきたのだ。


 自分は何を見ていたのだろうと思った。

 よく考えれば、シェイナが殴りかかってくるはずがない。

 魔法使いで、うら若くて、天真爛漫なシェイナが。

 会話が始まる前にキレたりなど絶対にするはずがない。

 これが仲が深まってきた、ということなのだろうか。


 緩やかに訪れた変化は、次第に日常にも変化を与えていく。


 戦闘の時、背中を預けるのが不安だった。

 無防備な背を見せた瞬間、極大の魔法を打ち込んでくるんじゃないのか。

 「お前いい顔してるな、次は頭の裏からその目玉を打ち抜いてやる」と獰猛な笑顔で構えなおすのでないか。


 だが、ここでも冷静に考えてみる。

 シェイナがローザと同じ思考回路を辿るはずがない。

 間違えて背中を撃たれることはあっても、

 意図的に頭蓋骨を打ち抜いてきたりするはずがない。


 近接攻撃のアーウィンと、魔法使いのシェイナ。

 互いの長所と欠点が明確だった2人は、アーウィンの意識の変化によって、

 それまでズレていた歯車がカチりとハマったように息が合い始める。

 こと戦闘に関しては文句なく完璧な組み合わせだった。


 とはいえ、問題が全くなかったわけではない。


 シェイナは極度の世間知らずだった。

 いや、世間知らずというのもちょっと違う。

 考えを秤にかける時、欲望の対に乗る自制心や常識と言ったものが、

 シェイナの場合大分弱かったのである。


 アーウィンはずっと道場に居た。

 親元を離れてからずっとだ。

 道場で学んだのは武術と人体の構造、殺す術と生きる術。

 正直、自分も世間知らずの類だと思っていた。

 そんな武芸一辺倒のアーウィンですら正気を疑う程、

 シェイナという女には自制心も常識も備わっていなかったのだ。


 アーウィンは学んだ。

 ある程度の常識、ある程度の礼儀、ある程度の価値感覚。

 見て、聞いて、教えを乞うて、学んで。

 それは勤勉にノートをつづり続けた。 


 魔法の使えぬアーウィンは、

 自分が思っているよりずっと多くの迷惑をかけている。

 魔法が関わる全般を任せるということ。

 それは生活の大半を委ねるということだ。

 武術以外を学んでこなかったアーウィンにとって常識は難しい科目だったが、

 自分が助けられている現実を理解していればこそ、背筋は自ずと正された。

 


 そんな季節を一巡、二巡としていくと。

 シェイナとアーウィンの間には奇妙な関係が出来上がっていた。


 常識やハンターのイロハを教えるアーウィン。

 魔法関係を一手に引き受けてくれるシェイナ。


 最初はパーティーを解消することばかり考えていたのに、

 気付けば、シェイナの居ない生活が考えられない自分がいた。


 ローザの下を出て何年経ったか。

 アーウィンにとって親以外で初めて信用できる女性との出会いだった。

 

 

 この関係は、クロウとの結婚報告を受けるまで続く。


 シェイナに作った借りは数え切れない。

 ちょうどハンターを引退しようと悩んでいたアーウィンにとって、

 シェイナからの申し出はまさしく渡りに船だった。



――――――――――



 シェイナの息子に会った。

 子供の名前はアラン・ピコノース。


 第一印象は最悪だった。

 何故かアーウィンの顔を見たアランは顔をしかめた。

 緊張でないことは明らかだ。

 不愉快な奴だと思った。


 アランはアーウィンのことをシェイナに男女関係を迫る男だと勘違いした。


「ハンターはもうやらないんですか?」


「この年では何が起こるかわからんからな」


 遠回しに帰れと言われているような気がした。

 いや、事実そう言ったのだろう。

 ここまで来ると懐疑心ではなく嫌悪感が勝る。 


 一瞬、殴ってしまおうかと思った。

 この小さな頭ならローザでなくとも粉砕できるなとも思った。


 が、クロウの死後シェイナが憔悴していたことはアーウィンも知っている。

 子供に拳を振り上げるフリでもすれば、粉にされるのはアーウィンの方だ。 


 アランはシェイナによく似ている。

 太陽を反射するような金髪、主張の強い目鼻立ち、

 何処をとっても母親そっくりだ。


 初対面の人間への礼儀がなっていないことも、

 年上同士の会話に割り込んでくる遠慮のなさも、

 気持ちがすぐ顔に出る表裏の無さも。


 アーウィンは、自分の中にあった嫌悪感が消えていくのに気が付いた。

 

 全くもって腹立たしい子供である。

 子供特有なのか、この少年特有なのか。

 無遠慮で世間知らずなところは、昔のシェイナを見ているようでもあり、

 露骨に敵愾心をむき出しにする姿は、昔の自分を見ているようでもある。


 アーウィンは思う。

 この少年は大きくなるだろう、と。

 物理的な話だけではない。

 シェイナのようにのびのびと、この広い世界を謳歌するのだろうと。

 きっとシェイナも同じことを感じたに違いない。


 そして同時に悟る。

 だから自分なのか、と。

 

 かつて、誰よりも体のことで苦労したアーウィンの経験が求められている。

 死ぬ思いで乗り越えてきた経験をこの少年は必要としている。

 

 艱難辛苦の経験が、初めて意味を持った気がした。



――――――――――



 サネ・ポルターノック。

 アーウィンの妻。

 少女と見紛う外見を持つ女性は王都で売られていた奴隷だった。


 アーウィンが道場を出たのはちょっとした事故だった。

 道場半壊はちょっとしたで済ませられる程度を大幅に超えた出来事だが、

 そこに「ローザの」と所有格が入れば、それは途端に日常茶飯事になる。

 アーウィンはそんな日常に別れを告げて道場を出てきたのだ。


 アーウィンの旅には目的が無かった。


 どうにかして自分の体と向き合う。

 その途中で叩いた門がほんの少し異常だっただけ。

 文字通りの鬼門から出た後も、人生という名の旅に終わりは来ない。 


 北方協商の雪に混ざり、帝国の近未来的な姿に感嘆し、

 大森林では首都しか通れなかった上に腕も失う羽目になったが、

 その後に訪れた《集積都市》では、腕の良い鍛冶師に義手を作ってもらえた。


 《世界で最も美しい都市》エンドーヴァーを通り、

 《大陸の背骨》たるエーレ山脈を越えて、


 そして、《ミグルテリア王国首都》キールハイムに辿り着いた。

 

 ミグルテリアは平和な国だ。

 魔法至上主義的風潮が全く無いわけではない。

 それでも道を歩いて石を投げられるようなことは無く、

 不伝導体質だと知れた後も、態度を変えた者はほとんど居なかった。

 自由主義とでも言うべきか。

 老体の王の威光は、未だ燦然とミグルテリアを照らしていた。



「奴隷を買ったらどうか」


 その言葉を最初にかけてきたのは、義手を作ってくれた女だった。



 奴隷制度は各国で大きく異なる。


 ミグルテリアのような奴隷に対して人道的配慮を求める国。

 帝国や集積都市の様に一大産業として認知・奨励する国。

 神聖国家や竜王国の様に奴隷制そのものを否定する国。


 その全てに共通するのは、奴隷には「奴隷になる理由がある」ということ。

 

 それが犯罪なのか、貧困なのか、冤罪なのか、人質なのかわからない。

 だが、余人にはない何か特別な理由や事情を抱えているのは間違いない。

 自分の体でさえ手に余るというのに、

 他人の事情を抱え込む余裕などあろうものか。


 

 そう考えただろう。

 シェイナと会う前の自分であれば。



 シェイナとの生活は容易なことばかりではなかった。

 アーウィンの女性恐怖症。

 シェイナの極まった世間知らず。

 価値観など合うはずもなく、

 衝突した回数は数え切れない。


 だが、充実していた。


 道場で過ごしていた日々とは何もかもが違った。

 違うことだらけで、同じことなど何一つなかった。


 あの日々は輝いていた。

 人生で一番と言ってもいい。

 本当に楽しかったのだ。


 他人と触れ合うことが。

 未知を知り、踏み込んでいくことが。

 変わっていく自分が。


 変わらぬ信念と変わっていく価値観。

 その2つは相反するものではない。

 その全てが自分なのだから、

 不変も変化も全てアーウィン・ポルターノックという男の一部なのだ。

 

 故にこそ、シェイナと別れた日の喪失感は耐えがたいものがあった。

 

 前衛としてシェイナを守ってきた。

 常識と礼儀作法でシェイナを助けてきた。

 浮き沈みの激しいシェイナの心の拠り所となってきた。


 ――つもりだった。

 

 だが、現実はその逆。

 

 宿で明かりをつけることさえできない体。

 背後に仲間がいるという安心感。

 魔法使いへの恨み言を浮かべて震えて寝ることも無く。


 本当の自分は孤独で、この関係もそう長くない。

 そう思っていた、覚悟していたはずなのに。


 『相手が女性だから、ローザと同じ性別だから』

 『相手が奴隷だから、鍛え上げた武術があっても自分の身一つ守れないのに』


 そんな言い訳はもう通用しない。

 

 足から力が抜けた。

 シェイナの居ない、1人だった頃の自分には戻れない。

 1人であることには、もう――、


「奴隷、奴隷か……」   



 キールハイムの奴隷商の元へ向かった。

 

 最初に入った紫色の天幕。

 奴隷商とは思えない清潔感のある空間。

 檻に入れられている奴隷の表情は奴隷とは思えない程に明るい。


 奴隷は特殊な商品だ。

 元が商品ではなく権利を有した人間であるという点、

 来歴、能力、容姿など様々な価値基準が存在する点、

 国ごとに全く違う法律(ルール)が存在する点。

 販売資格だけでなく購入資格まで厳しく制限されるのは、

 それだけトラブルの種になりやすい「モノ」だから。


 奴隷は商品ステータスとして3つの区分に分類される。


 犯罪を犯した結果刑罰として奴隷堕ちする「犯罪奴隷」

 借金の返済や口減らしで奴隷商に売られた「商品奴隷」

 戦災孤児など、奴隷商が自ら仕入れた「通常奴隷」


 アーウィンが警戒していたのは主に「犯罪奴隷」についてだった。

 犯罪奴隷と一括りにいっても、菓子パン泥棒から大量殺人鬼まで千差万別だ。

 泥棒程度ならいざしらず、人殺しのような連中は人格そのものに問題がある可能性がある。

 奴隷を買う上で厄介事は覚悟の上だが、不要なものまで抱え込む気はない。

 負担が利益を上回るのなら、奴隷を買う意味がなくなるからだ。

 

「リストを」


「はい」


 奴隷商には情報開示の義務がある。

 知り得る限りの情報を購入者に提供しなければならない。

 ミグルテリアの奴隷商いたっては情報追跡義務まで存在する。


「こちらを」


 清潔な身なりの奴隷商に渡されたパイプバインダー。

 自分の腕より分厚いそれには、数百枚のプロファイルが挟まれていた。


 正面から見た顔や横顔の似顔絵、体形等の容姿に関するデータ。

 最終確認時のステータス、奉仕能力、魔法適性といった能力に関するデータ。

 誕生時から奴隷になるまでの生活歴、婚姻歴、就労歴、病歴、犯罪歴。

 特異体質、処女膜の有無、血統、身体的欠陥などの特筆事項。

 一番下に値段。


 好条件かつ希少性の高い個体ほど値段は高くなる。

 そのファイルの最低価格は、立ち上がれない老人の犯罪奴隷で銀貨1枚、

 最高価格は竜人の血統を持つ若い処女の女の商品奴隷で大金貨120枚。

 同じカテゴリで値段に12万倍も差がある商品など他には存在しないだろう。 


 ファイルの残りページ数が少なくなってきた頃。

 アーウィンはサネ・ティンクリースのページを見つけた。


 家事に有用な火魔法と水魔法への適性、四肢欠損などのない比較的健康な体、

 足の古傷により逃走のリスクは低く、同じ理由で同等条件の奴隷に比べ安価。

 戦闘経験がないのか魔力ステータス以外が軒並み低く、来歴も明白な商品奴隷。


 予算と照らし合わせても最適解と言える奴隷。


(悪くない)


 それがサネに対してアーウィンが初めて抱いた感想だった。


「おい」


「はい、何でしょう」


「名前は」


 アーウィンは自分の高圧的な態度に自覚的である。

 生来の強面に加え、地鳴りのような声。

 人付き合いを好まないアーウィンの予防策の一つであった。 


 女ならまず近寄ってこない。

 それこそシェイナのような女でもない限り。

 

 アーウィンは。

 自分がどうしてこんな態度を取ったのか、分からなかった。

 奴隷を求めてきたのはアーウィンの方だというのに。

 あるいは、そんな自分を受け止めてくれる存在を欲していたのかもしれない。

 

「サネと申します」


 サネは柔らかに微笑んだ。


 一瞬、アーウィンはサネの態度が理解できなかった。

 そんな人間は今迄に一人として居なかった。

 シェイナでさえアーウィンの声には眉をハの字に曲げたというのに。


(笑った?)


 アーウィンにとって理解できない女性に会うのは、

 (ローザ)を除けばこれで2人目だった。


 愛だとか恋だとかは無縁の人生。

 女とは暴力と狂気の塊。

 破壊こそ存在理由と言わんばかりの獣。


 そんな価値観はシェイナとの出会いで変えられた。

 外へ目を向ける恐怖と楽しさを知った。

 

 故に、この選択は必然だったのだろう。

 感情の正体に恋だとか愛だとか、

 そんなありきたりな名前を付けるまでも無く。


 自分のものにしたい。

 自分のものにしよう。


 その意思は瞬時に、明確に、言葉になった。 


「俺のものになれ」


 簡潔すぎる言葉だった。

 飾り気のない意思だけが音となって喉を震わせた。


「はい」


 サネは目の前に立つ男の意図を余すところなく理解する。

 それが森霊族(ティンク)としてサネが持つ能力であり、

 純粋な気持ちに応えてもいいという回答そのものであった。



 ミグルテリア王国では犯罪奴隷以外は金銭による身分の解放が可能である。

 アーウィンは天幕を出るとそのまま領主館に赴き、身請けを申請した。



 サネは不思議な女だった。


 何をしても怒らない。

 何をしても眉一つひそめない。


「一々怒っていては、この能力とは付き合っていけません」


 サネの能力はON/OFFができない。

 聞きたくても聞きたくなくても、全て聴こえる。

 耳をふさいでも目を閉じても相手の感情が「聴こえてしまう」。


 それをサネは「感情の濁流」と表現した。


 人の心と汚く、醜い。

 それはアーウィンが一番よく分かっている。

 尊敬などという言葉では生ぬるい。

 サネの在り方は感動にも似た衝撃をアーウィンに与えた。


「何か望みはないのか」

 

 ない、と答えられる度に「本当にないのか」と聞き続けた。

 

 大森林に帰りたくないのか。

 家族に会いたくないのか。

 足を治療したいと思わないのか。


 気に喰わないものを全て叩き潰してきたアーウィンと違い、

 サネは感情を押し殺して、仮初の笑みを浮かべて生きてきた。


 そんな彼女が奴隷生活を終え、自分の人生を踏み出す機会を得た。

 今までの苦労が報いられるべきだと思った。 


「――では、西のピコ村に住みたいです」


 数年かけてやっと出てきた望みは新天地への移住だった。


 何故西のピコ村なのか。王都では何か不満があるのか。

 疑問はあったが、その答えが如何なるものであっても、

 アーウィンの返事は変わらないので、敢えて口には出さず二つ返事で了承した。



 シェイナとは、互いの結婚後も友人としての関係を続けていた。

 シェイナの依頼でピコ村に移住すると告げた時、サネはどこか楽しそうだった。



――――――――――



 アランの稽古をつけ始めた。


 最初の評価は「普通」だ。

 特別運動や武術を身に着けている訳ではなく5歳児相応の能力を持っている。


 所詮5歳児だ。

 乳離れしたばかりの尻の青い子供に何を教えられようか。


 アーウィンは武術を心得ている。

 世界最高の師の下で15年間修業を積んできた。

 彼女には「お前はここまでだ」と道場を追い出されたが、

 それ以来アーウィンの人生に敗北の二文字は一度として刻まれていない。


 アーウィンの技は殺人拳法だ。

 常に対人もしくは類似した肉体構成を持つ種族を主眼に置いて、

 無力化ではなくとどめを刺すことを目的としている。

 有り体に言えば、命を刈り取る為の技だ。


 アーウィンはアランにこの技を教える教えるつもりはなかった。


 聞けばアランは親元を離れ旅をしたいそうだ。

 その為にシェイナからは基本教養を、イルクからは狩りを教わるのだという。


 アランは何も知らないのだろう。

 不伝導体質がこの世界で旅をするのがどれだけ大変か。


 不便というだけじゃない。

 風当たりも強く、「魔法を使えないものは人間ではない」という偏見が当たり前のようにまかり通る。

 出来損ないとは口もききたくないと、正面切って言われたこともある。

 大勢の魔法使いを一方的に殲滅する技術と力を手に入れても、

 世間の評価は何も変わらなかった。


 アーウィンはシェイナに言った。


 何を夢見ているのか知らないが、お前の息子は一生この村にいるべきだ、と。


 少し強くなって、少し賢くて、少し狩りができても、

 不伝導体質はこの世界では何もできはしない。

 

 その現実を知って傷ついたアランを慰め後悔するのは誰だ?

 旅に送り出すんじゃなかったと涙を流すのは誰だ?

 息子の骨を受け取って絶望するのは誰だ?


 辛いのはお前なんだぞ、と。


 シェイナは頑として首を振らなかった。


「アランの意思を尊重したい」


 アーウィンの知るシェイナは決して言わないはずの言葉だ。


「尊重した結果死んでもか」


 シェイナは何も言わなかった。

 覚悟の上だと、若草の瞳がアーウィンの目を見ていた。


 アーウィンは諦めた。

 どれだけ言ってもこのシェイナという女は何も聞かない。

 どれだけ有難く、思いやりのある言葉も何も聞かない。

 自分の道は自分以外には決して歩ませないし口出しも許さない。

 

 どうせ泣くのは自分なのに。

 それもわかっているはずなのに。


 そんな彼女がここまで決意を固めているというのなら仕方がない。



「待たない。止まるな。走れ」


 森の中を走っていると、後ろからついてくる足音が途絶えた。

 膝に手をついて滝のように汗を流している。


「もう、に、二時間は…走りっ…ぱなしなんです…ケドっ!」


「まだ1時間も走ってないぞ」


「えっ」


「アーウィンの感覚は正確だ。まだ走り出してから51分しか経過していない」


 本来ならよく51分もついてこれたものだと褒めるべきだ。

 だがアーウィンは褒めない。

 変な自信をつけさせないよう、絶対に褒めない。


「甘い考えは捨てろ」


「いや、でも僕まだ6歳なんですけど…」


「戦場でも同じことを言うつもりか?」


 戦場なんて知らない子供にアーウィンは言葉をぶつけた。


「なら走り続けろ。毎日2時間だ。

 休憩は許さん。弱音も許さん。

 水分補給は走りながら取れる方法を考えておけ」


 アーウィンが同じことをやったのは18の頃だ。

 その時でさえ辛く、いつかローザ(この女)を殺してやると後ろから睨んで追いかけた。

 5歳の子供に同じことができるとは到底思えない。


 だがアランは引き下がらなかった。


「じゃあ、せめて少しスピードを落としてください」


「ダメだ。限界を越えろ」


 越える限界など知らぬ子供をアーウィンは冷たくあしらった。

 これ以上文句あるのか、と睨みつける。

 アーウィンの眼力に怯んで、疲労ではなく恐怖で足がすくんでいる。

 これで投げ出すだろう。

 ついてくるのなら心が折れるまでペースを上げ続けよう。


 そんなアーウィンの思惑とは裏腹にアランはなおも食い下がってきた。


「で、でも、このペースで走りきれたとして、この後の訓練まで体力も集中力も保ちません。だ、だから、このペースは今後の課題として今はもう少し時間か距離を落としてほしい、です。ほら、効率?の問題的にも、ね?」


 驚いた。

 呆気にとられたというべきか。


 アーウィンが走らされていた頃、アーウィンはこんなことを言わなかった。

 師匠には何を言っても無駄だと思っていたし、師に従ってさえいれば自ずとその高みに辿り着けるものだと思考を止めていた。


 アランが言っているのは単なる言い訳かもしれない。

 訓練を楽にしたいだけなのかもしれない。


 しかし、アーウィンはしなかった行動を選ぼうとする少年に僅かな好奇心を覚え、その一瞬、目的を忘れて頷いてしまった。


「分かった」


 アランの顔が花が咲いたように笑顔になる。


「明日からは一時間でいい。これを背負って走れ」


 が、目的をすぐに思い出した。



――――――――――



 いつからだろうか。

 時間が経つにつれ、アランのことが徐々に分かってきた。

 

 今現在アーウィンがこの少年に抱く評価は「普通」ではない。


 それは謎の流派の技を使い始めたことでもなければ、

 弱冠6歳にして妻に色目を使った度胸を言っている訳でもない。


 この少年には特別な「オーラ」がある。


 と言っても「ソレ」は可視化されるモノではなく、

 アーウィンが単純にそう感じているだけのもの。

 これを見たのはローザと獅子王陛下、遊行王を含め4人目だ。

 肌をヒリつかせ、無条件に威圧感を与える強者特有の空気。

 そういったものがアランから溢れ始めた。


 気が付けば、アランとの実践訓練にあの武術を使うようになった。

 

 アランの体はまだ小さい。

 身長なんてアーウィンの胸ほどの高さしかない。

 だが一瞬気を抜けば拳が刺さる、数手先にそんな光景がチラつき始めた。


 最初は木の棒を投げたり砂をかけてくるだけの少年が、今では急所を狙って的確に攻撃してくるし、間合いを詰められれば様々な体勢からアーウィンを投げようとしてくる。


「お前、何か心得があるな」


「へっ?…あー、いや、ないですよ……たぶん?」


 鈍感なアーウィンでもわかる。アランは嘘が下手だ。

 

 投げを中心に、時折、ホールドや蹴り、パンチ。

 どれも規則的でシステマチックな動きだ。

 長年にわたり数え切れぬ先人たちによって研ぎ澄まされた厚みのある技だ。

 それが何のためらいもなく飛び出してくる。

 よく体に馴染んだ動きだ。


 何処でそんな技を手に入れたのか?

 そんなことはどうでもいい。

 追及するつもりもなければ、追及する意味もない。


 まだアランは弱い。

 今なら両手両足を縛っても勝てる。

 来年なら逆立ちでも余裕だ。

 再来年も、余裕で勝てるだろう。


 じゃあ五年後は?十年後は?


 いつしか、目的など忘れてしまった。

 日に日に強くなっていくアランを親戚の子供ではなく、

 同じ道場で修業を積んだライバルのように感じ始めていた。


 バンッとアーウィンの踏み込みが森に響く。

 数合の内に体勢を崩し体を浮かせた。

 

 まだまだ非力だ。

 体格差もある。


(だが、もうお前を子供とは考えない)


「フンッ!」


 両の手のひらをアランにねじ込む。

 踏み込みによって大地から吸い上げたエネルギーを、

 体のひねりで加速させ、掌底を通して相手の体内で爆発させる。


「グッ……」


 宙に浮いた状態では何もできない、そう踏んだ必殺の一撃をアランはとっさに体をねじって打点を鳩尾からずらす。


「……カハッ」


 アランはとっさの反応だったのだろう。

 アーウィンの掌底は脇腹に当たった。

 骨折による内蔵の損傷を考えた完璧な回答と、それを実行する素晴らしい反応速度だ。

 この状況で彼が地に伏せたのは純粋な筋力の差に過ぎない。

 アランの体ができてくればまだ立ち上がれるかもしれない。


(これは、楽しみだ)

 


 この村に来て半年が経った頃。


 アランがアーウィンの技を教えてくれと頭を下げてきた。


「この武術を体得する必要はない」


 アーウィンは首を横に振った。

 別に今更意地悪をしようとかそういうわけではない。

 若干根性が足りないような気もするが、それは6歳の子供相手に武術を修めた人間が言う言葉ではない。


 理由は単純で、アランには既にかなり綺麗な型があるからだ。

 一度自分を投げさせたことがあるが、キレ味のあるいい動きだった。

 落下と同時に顔面に打撃を加えれば、相手を気絶させることは容易だろう。

 背後からの動きにも応用が効くし動きの幅も広い。

 この洗練された動きの中にアーウィンの術を取り入れるメリットが見いだせなかった。


「いえ、絶対体得します」


 しかし、アランは頑なに首を振った。

 教えてくれるまで諦めませんからね、とまで言ってくる。

 初めてのランニングの頃とは立場が逆転していた。


「いいだろう。後悔させてやる」


 これが6歳。もう少しで7歳。

 こんな子供が居たのか。

 もっと早く、願わくば同世代のライバルとして知り合いたかった。


 左足を引き、体を横に開く。

 右手を下に、左手を上に。


 アーウィンが師より教わった最高の技。

 見敵必殺。

 全力で拳を振るうときにしか見せない構え。


「【海拳】」


 その日アーウィンは5年ぶりに本気の技を解禁した。



――――――――――



「もうっ!アーウィンは何を考えているのっ!」


「いや、アランが俺の技を知りたいと、」


「手加減って言葉を知らないわけっ?!」


「それは本気のアランに失礼だから、」


「6歳の子相手に何を言っているのっ!」


 アーウィンはシェイナに叱られている。

 というか、ここ最近ほぼ毎日のように叱られている。

 毎日毎日、訓練が終わるたびに口に血の跡をつけて気絶してアランが帰ってくるからだ。


 その日はサネも怒っていた。


「だが、アランが俺の技を習得したいと、」


「アーウィン。相手は6歳の子供なんですよ?貴方の本気の拳なんて喰らったらおなかに穴が開いちゃいます」


「穴開いてないから大丈夫だろ?」


「……本気で言っているんですか?」


 すいませんでした。

 とは思いつつ、アーウィンは明日も本気で、


「本気で何ですか?今度こそ穴開けようと?」


 アランに訓練をつけよう。そう、優しくな。


「そうですね。優しく教えてあげてください。死体は回復魔法では治りませんからね」


 喋りながらサネは手際よくアランの体を拭いていく。

 体を拭き終わった後、アランを床に寝かせる。


「【手折れ 手折れ 手折れ 

  大樹よ 溢れる恵みを 我が手に】

 【大樹の祈り(セフィラ・ヒール)】」


 紡がれた言葉が、神秘の輝きとなって無数の擦り傷や打撲痕を修復していく。

 毎日無茶な訓練ができるのはサネのおかげだ。


「もうっ。あれだけシェイナに苦言を呈していながら、貴方との訓練で死にましたじゃあ許しませんからね?」


「ああ、肝に銘じる」


 本当にその通りだ。

 よし明日からは、手にタオルでも巻いてやろう。

 これなら本k


「二度目はないですよ」


 徐々に段階を踏んで優しく手ほどきをしていこう。




 アランにはなぜそうなったのかはわからなかったが、ある日を境にアーウィンは突然優しくなった。



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