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ALAN=Re:START  作者: 神酒井 りょう 
第一章 終わりは始まり、君は歩み出す
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第三話 『教育ーLearnー』

前回まで:異世界と言えば冒険





 私には何もなかった。


 私には親が居なかった。

 私には友が居なかった。


 私には家がなかった。

 私には学ぶ場所がなかった。


 私には卓越した力がなかった。 

 私には優れた血筋がなかった。


 私には神に愛される(神器に選ばれる)運命がなかった。

 私には神を否定する(”ヴァン”)がなかった。


 私にあったのは、底も無く果ても無い欲望と、

 ただ「王」になりたいという矮小な願いだけだった。


                            』


 ウォルター・ウィンストンの手記『独白/私の死と共にある言葉』より

 



――――――――――




「家庭教師をつけましょう」


 現在5歳と9か月。

 なろう系主人公なら、騎士団長ぐらい簡単に倒せるようになってる年齢。

 もしくは宿命の敵との伏線、幼馴染系ヒロイン登場、主人公の特別な力の片鱗、色んなものが表舞台に顔を出し始める年齢。


 しかし、俺には何もない。


 享年81歳にて前世を離れ、今世5歳を過ぎ、通算86歳。

 俺にできることは美人の母のおっぱいを触ること、美人の母の髪の匂いを嗅ぐこと、美人の母と水浴びをし女体の神秘を目に焼き付けること、そして美人の母をスケッチブックに描くことだけだ。

 これでは単なるマザコン野郎だ。イカれた変態だ。

 これではよろしくない。


 俺は冒険がしたい。

 満喫するとは、心ゆくまで十分に味わい満足を得ることだ。

 俺は第二の生を異世界で満喫する。

 ケモミミに出会い、エロフに出会い、一人称が妾のロリババアに出会い。

 そんなもん食えるかっ!と唾を飛ばすようなものが実は絶品で舌鼓を打ちつつ。

 ごく稀に訪れるピンチをお姫様と乗り越え、傷ついた体を慰めあい。

 恋敵との熾烈なバトルの末、ゴールイン。

 子供に囲まれ、幸せな老後。家族に看取られて静かに息を引き取る。 

 Fin.


(ああ、もう完璧だ)


 一回自分が経験しているだけに、満足げな死に顔まで想像できてしまった。

 もう幸せしか見えない。完璧すぎる未来設計。


 俺は冒険する。

 ただこの世界を楽しむために。



――――――――――



 男がやってきた。

 ガッカリした。


 家庭教師と聞いてD〇Mで販売しているエッチなビデオのお姉さんを想像していたのに、やってきたのは中年のおっさんだった。

 透けブラ巨乳による誘惑からの、もっといい勉強しましょ?となる日本男児最高のメシウマ展開の夢は断たれた。


 男の風貌は家庭教師といってもトライさんのようなスーツではない。

 それこそ絵に描いたような冒険者風の装いだ。

 

 流離いという形容がぴったりな使い古したソフトハットとボロボロのマント。

 腰には剣の代わりに薄汚れた太い縄がかかっている。

 マントからチラ見えする左手はどうやら義手のようだ。

 人体錬成でもしたんだろうか。


 男はアーウィン・ポルターノックと名乗った。

 職業はハンターでランクはC級上位。

 上位というからには、そこそこ強いのだろうか? 


 異名は《鉄拳》。

 異名とかあんの?こいつ三島〇八か?と疑わしげな眼を向けてるとシェイナが補足してくれた。

 この男も俺同様に不伝導体質なのだそうだ。

 鉄の拳で殴るしか能がないから《鉄拳》。

 安直極まるネーミングセンスである。


 突然家にやってきた《鉄拳》とシェイナはどういう関係なのだろうか?


「アーくんは、ママが取られちゃうか心配なのかなぁ~」


 ニマニマするシェイナは悪戯っぽい笑みで俺の顔を覗き込んできた。

 俺は正直に答えた。


「うん!母さんは僕のものだっ!」


 舌の根も乾かぬうちに俺はマザコンへと逆戻りした。

 こんなあからさまに風貌の怪しい奴、どう信用しろというのか。

 コイツの義手がど〇ろみたいに仕込み刀だったらどうするんだ。 


「鉄拳だか石鹸だか知らないけど、母さんの貞操は僕が守る!」


 シェイナに背を見せ、前に立つ男に向かって両手を広げた。

 出産までしてるんだから貞操なんてねえだろと思ったが、それはそれ。

 この乳もこの(シェイナに)尻もこのくびれ(悪さは)も俺のもんだ!(許さないぞ)

 おっと、建前と本音が逆転してしまった。

 

 邪な考えがバレないように睨んでみる。

 こんなガキに睨まれても何も怖くないだろうが……。 


 すると、突然浮遊感に襲われた。


「キャーっ!アーくんステキーっ!」


 シェイナだ。

 俺の反応が相当嬉しかったのか、

 抱き上げてギュッと抱きしめると俺の頬にキスしまくった。


 見たかオッサン。

 これが親子の絆だ。

 これこそが血と血と乳の絆だ。

 一個余分なのが混ざった。


「安心しろ。俺も妻はいるしシェイナは従妹だ」


「へ?」


 優越感に浸っていると、

 意外な事実が耳に飛び込んできた。


 聞けば、アーウィンの母親はシェイナマミーの妹なんだそうだ。

 一時期はパーティーを組んでいたこともあり、付き合いは10年を超える。

 要するに、前の職場に居た従妹ってことだ。


「ふぅーん……で、伯父さんはなんでここに来たの?」


 言葉がトゲトゲしくなってしまった。

 彼に悪い印象を抱く要素なんて全くなかったのだが、

 それとは別にシェイナが取られてしまうような気がして、

 86歳の理性を押し退けて5歳の感情が口を動かした。


「シェイナからの依頼だ」


 アーウィンは俺の不機嫌そうな態度には気にも留めず、質問に答えてくれた。


「そうよ。私がアーウィンを呼んだの」


 俺は説明を求めてシェイナとアーウィンを交互に見つめる。

 口を開いたのはシェイナだった。


「アーくん冒険したいって言ってたでしょ?」


「うん」


「でも、外は危険がいっぱいだから強くならないといけないの。わかるかな?」


「うん」


 なるほど。

 つまり、この男は俺に戦う術を仕込むために呼ばれたのか。


「ママもちょっとは戦えるけど……一応、ちょっとだけ、アーウィンの方が強いから」


 シェイナは自分で言っていてちょっと残念そうである。

 実際シェイナがどの程度強いのかは分からないが、

 確かにアーウィンの方が強そうである。


「でも文字の読み書きとか算術とかはママが教えてあげるからね!」


 識字率ほぼ100%の世界に住んでいたせいで度々忘れそうになるが、

 俺まだこの世界の文字の読み書きができない。

 読み書きができないということは、

 新聞も値段表記も読めず、手紙も書けないとうことで、

 これではライブチケットも買えず、推しへのファンレターも書けない。

 死活問題である。


「ママはなーんでも知ってるんだからっ!」


 シェイナはドヤ顔で胸を張った。

 あーでもない、こーでもないと難しい単語を並べ始める。

 どうやら親の威厳を保ちたいらしい。

 そんなことしなくても、シェイナは最高のママンなのに……、


 シェイナの自慢大会はその後10分ほど続き、

 締めくくりに自分の部屋から小さなブロンズのバッジを持ってきた。

 六角形の……ジムバッジ?


「なんたってママはC級教育者の資格持ってるんだからね!」


 C級教育者。

 簡単に言うと異世界版教員免許。

 前世とちがって必須資格ではないらしいが、

 ある程度グレードの高い学校の教員はみんな持ってるらしい。

 C級は一番下だが、大抵の学校では資格持ちというだけで歓迎されるようで、

 実際に何度か教鞭をとったこともあるらしい。


「まあ、ハンターの片手間に取ったから、資格の内容とかはあんまり覚えてないんだけどね」


 教員免許を片手間に取るってすごいな。

 シェイナは他にも、C級給仕者(メイドの資格)、B級ハンター(魔物を討伐する資格)の資格を持っているそうだ。

 メイドで先生でハンターとは、我が母親は何者なんだろうか。


「まあ、そのあたりもおいおい教えてあげるからね」


 どうやら俺が勉強するのは確定コースらしい。

 計算とかは前世と変わらないことを祈るしかないなぁ。

 ヴェーダ数学とかは勘弁してほしい。


(まあ、母さんが良かれと思ってしてくれたことだしな)


 何にせよ、読み書きと計算ぐらいはできないと、元日本人としてマズいだろう。

 この世界の常識も含めて、しっかり勉強しよう。

 

 こうして、俺は64年ぶりに学生へと戻ることになった。



 アーウィンはシェイナと数分話すと、あっけなく帰って行った。

 来週には王都から引っ越してくるから、細かい話はその時詰めるようだ。


「ハンターはもうやらないんですか?」


「この年では何が起こるかわからん」


 思ったよりも常識的な意見が返ってきた。

 この村に来てからはイルクと共に狩りをしつつ、

 ハンター時代の貯金で生活をしていくんだとか。

 因みに、イルクとは旧知の仲らしく、俺の家に鹿肉を置きに来たイルクを目にした途端殴り合いを始めた。犬猿の仲の間違いだろ。


 本格的な家庭教師は、引っ越し作業が完全に終わってからなので、

 予定では一か月後ぐらいから始まるらしい。


 週に6日。

 半日かけてアーウィンに鍛えられ、もう半日はシェイナから座学の授業。

 

「残り1日は休み?」


「イルクおじさんが狩りを教えてくれるって!」


 まさかの休みの日/zero。

 この世界の労基法はどうなってるんだ。


 イルクとの狩りは週末丸1日かけて行われる。

 1人旅をするなら必須技術らしい。

 

(5歳児に週休0日とか血も涙もねぇ……)


 地獄の日々の予感に項垂れていると、頭上から眩い笑顔が。


「一緒に頑張ろうね!アーくんっ!」


(うおっまぶしっ)


 まあ、これも全て俺の為にシェイナが手を回してくれたこと。

 この鬱憤と疲労はシェイナと一緒に水浴びをして晴らすしかない。

 忌々しい光のモザイクも入らない、完全無修正だ。

 性なるエネルギーで誠実に母の期待に応えよう。



――――――――――



 アーウィンが来た翌々日。

 シェイナとの授業が始まった。


 我が家は結構デカい。

 リビングダイニングキッチン以外に5つの部屋がある完全木造建築。

 イメージ的には軽井沢のコテージとか想像してほしい。

 木材特有の温かみと色合い、心安らぐ木の香りに包まれ居心地も最高。

 立地が国の端っこのド田舎村の森の中であることを除けば、

 これ以上ない最高のマイハウスだと言えよう。

 

 俺の部屋は2階の1番奥にある。

 ちょうどシェイナの部屋の真上にある部屋だ。

 隠し本棚がない分シェイナの部屋より広いが、

 家具が机とベットしかないので正直持て余している。


 今は俺の部屋の小さな机(と言っても子供用の学習机ぐらいはある)に椅子を2つ並べ、本を読んでもらっている。

 本のタイトルは『魔導解体:ローレンスセオリーの普遍性と批判』

 シェイナのおすすめの一冊だ。


「……というわけだから、この条件下だと魔力はローレンスセオリーに従って左に屈折するの……」


「……うん」


「……この時点の屈折率は、条件式の3乗に比例するから……」


「……うん」



……… 

……



 ……正直に言おう。

 何を言っているのかサッパリ分からない。

 

 言葉を習おうにも、出てくるのは専門用語ばかり。

 日常生活で使えそうな言葉は全く出てこない。

 内容も理解できたのは最初の数ページだけ。

 以降、エンドレス横文字マシンガン。

 これには某東京都知事だってついていけないだろう。


 この感覚はアレだ。

 数学の時間に居眠りから起きて前を見上げた時、

 黒板にアルファベットしか書いてなくて絶望した時の感覚に近い。

 マジでワケワカメ。


 いや、これは本だけのせいじゃない。

 シェイナはあまり教え方が上手くないのだ。

 知識は十分にあるのだろうが、人に教えるのは下手なタイプのようだ。


(これで教育者って……)

 

 そして、一番悪いのはそのチョイスだ。

 シェイナは自分の部屋にあった分厚い本の中から、

 ローレンスを含めて4冊の本を俺の部屋に持ってきた。


『魔導の探求:精神と魔力の関係性について』

 →魔力と精神の関連性に関する魔導学院の研究論文。


『マジック・エンチャント~魔力付与式の効率化~』

 →付与魔法を行使する際の魔力伝導効率と付与待機時間についての論文。


『魔物の体内構造~解体新理論~』

 →各種魔物の解剖図と弱点魔力、弱点部位を詳細に示した解剖学書。


(いや、おかしくね?)


 言葉の勉強をするのに、本を読みながらが良いというのは理解できる。

 でも何で教材が大学院のガリ勉しか使わないような本ばかりなんだ。

 5歳児に研究論文読みきかせて理解できると思っているのか?


「ね?すごく面白いでしょ?」


 面白いぐらいわからない。

 シェイナにとっては週刊少年雑誌を読むような感覚なのかもしれないが、

 俺にとっては六法全書を早口で読み聞かされている気分である。

 これはシェイナが天才なのか?俺がバカなのか?

 途中からだんだんわかんなくなってきた。

 

「………うん」


 とりあえず頷いてしまったが、やっぱり違う気がする。


 未知は既知の積み重ねで到達すべきものだ。

 言葉もおぼつかないガキには未知もへったくれもない。

 悪いのはローレンス。全部お前のせいだ。


「入るぞ」


 俺の脳みそがホワイトアウトしてると、おもむろに背後の扉が開いた。


「もう、ノックぐらいしてよ!」


 シェイナは立ち上がって頬を膨らませた。

 床を軋ませて入ってきたのは鹿肉おじさんことイルクだ。


「ノックは何回もした」


 俺も気が付かなかった。

 ローレンスとか言う金髪ロン毛クソ野郎に脳みそを汚染されていたせいだ。

 

 イルクは部屋に入ってくると何をしているのかと俺の手元を覗き込んできた。

 手元に開かれた本に目を向けて顔をしかめる。


「……何をやっているんだ?」


 シェイナはどうしてそんなことを聞くんだ?と視線を返したが、

 イルクがその視線に答えなかったので聞いて驚けと自信満々に答えた。


「文字の読み書きを教えているの!」


 どう?私凄くない?偉くない?とでも言いたげな様子のシェイナ。

 そんなシェイナを一瞥してから俺の死んだ顔を見て、イルクは溜息をついた。


「……そんな魔導学院の専門書を子供が理解できるわけないだろう」


(ですよね?俺がバカな訳じゃないですよね?)


 イルクは鋭い視線をシェイナに向けた。

 シェイナは理解できないとばかりに首を傾げる。


「こんなの入門書よ。アーくんならすぐに理解できるに決まってるわ。私の自慢の息子だもの!」


(期待が重いっ!)


「無理だ。一度アランの顔をよく見て見ろ」


 イルクに言われシェイナが俺の顔を覗き込んでくる。

 ふんわりと甘い香りがし、鼻に触れた金色の髪がくすぐったい。

 早春に芽吹いた新緑のように鮮やかな瞳は真ん丸に見開かれ、

 今にも吸い込まれてしまいそうな若草色の輝きを放つ。


「うんっ!アーくんも余裕そうな顔をしているわっ!」


 何処をどう見たんだ?その瞳はガラス玉か?

 喉元まで上がってきた皮肉を口から洩れる前に飲み下した。


 期待されるのは嬉しいが、せめて普通の小説ぐらいに……いや、シェイナだと松本清張とか持ってきそうだな。すいません最初は金子みすゞでお願いします。


「余裕な訳あるか。こいつなにも理解していないぞ」


「そんなことないわ!もう学院の論述大会に出れるぐらいの知識は理解したはずよ!」


 やめれー!それ以上はやめれーっ!!

 この会話の流れで「そうよねアーくん?」て聞かれた時、

 目線合わせられなくなっちゃうから。

 泳ぐ目が世界水泳レベルになっちゃうから。


 イルクが俺の動揺を読み取ったのか助け舟を出してくれた。


「娘に読み書きを教えた時の本がまだある。明日持ってきてやる」


(ッシャァアアアアア!)


 赤い彗星みたいな叫びが心に響いた。

 もう横文字は嫌なんだ。

 インテリジェンスがオーバーヒートしてブレインがボンバーしそうだ。

 

 これで持ってこられた本が刑法の解釈についてとかだったら目も当てられないが、この流れでそれを持ってくるほど彼も芸人ではあるまい。

 信じて待とう。私と小鳥と鈴とでお願いしますね。


 イルクの言葉に不満なのかシェイナは何か言いたそうだったが、彼はシェイナの言い分を聞く前に「じゃあな」と言い残して部屋から出て行ってしまった。


「……」


 シェイナはしばらくイルクの去って行った扉に目を向けていた。

 西日を反射する金髪(ブロンド)がキラキラと輝いて見えた。


「母さん……?」


 殺風景な部屋が茜色に染まる。

 俺たちは何時間この部屋にいたんだろうか。

 

「……アーくんは、この本嫌?」


 顔の半分だけ西日に染まるシェイナの横顔は、

 心なしかシュンとしているように見えた。

 

 シェイナは真面目だ。

 真面目に俺に勉強を教えてくれる。

 見栄を張りたい気持ちもあったのかもしれないが、それでも、

 彼女にとってローレンスの本(コレ)は、本当におすすめの一冊だったのだろう。

 

「……えーっと嫌って言う程じゃないんだけど……うーんと……」


 それが分かっていたから文句を言わずに聞いていたし、

 この質問にスパッと答えてしまうのは躊躇われた。


「そっか」


 シェイナはそれだけ言うと、本をパタンと閉じてしまった。

 床に置いてあった他の3冊も積み上げると一気に持ち上げて部屋から出ていこうとする。


「あ、あのさ!」


 振り返ったシェイナの両目は少し潤んでいた。


(教えるって難しいよな。分かるよ)

 

 子供を大人の理屈で言いくるめるのは簡単だ。

 自分だって理解できない、納得できない時期があったのに、

 大人になると途端にそれを忘れてしまう。

 そんな親の姿を見て自分はこうはなるまいと思っていたのに、

 気づけば同じ道を辿り、同じ失敗を繰り返す。


 俺は孫まで見てきたから分かる。

 シェイナはまだ未熟だ。


 ローレンス云々の本は子供に読ませるレベルの本じゃない。

 親の理解力と子供の理解力、知識の土台の齟齬がまだよくわかっていないのだ。

 私ができたんだから子供だってできる、なんていうのは嘘だ。

 天才から天才は生まれない。

 普通やそれ以下が努力することで秀才、天才へと成長するんだ。

 だから、彼女にはしっかり言い、そして教えてやらねばならない。


「僕が言うのもなんだけど、その本は難しすぎる。

 対数関数を使った条件式なんて突然言われても、僕には理解できない」


「……」


「母さんが張り切って用意してくれたのは嬉しいけど、その本は僕のレベルでは不適格だ」


「……」


 シェイナは今にも泣きだしそうだ。

 そりゃそうだろう。

 今しがた自分がモノを教えようとしていた子供に、

 お前の教育はダメだと言われているのだから。

 でも、言って教えなければ、彼女の誤った認識を正すことはできない。

 もし俺に妹や弟が生まれる時、「お兄ちゃんは理解できたんだから」と押し付けられては可哀そうだ。


「だから」


「……だから?」


「その本が読めるようになるように、ゆっくり言葉を教えてほしい」


 俺は頭を下げた。

 シェイナのことは尊敬している。

 シングルマザーで大変なことだって多いだろうに、

 日夜俺のために時間を割いてくれている。

 そんな彼女が俺の為に用意してくれた本を難しいからと拒絶するのはあんまりだ。

 必要なのはコミュニケーションと相互理解、感覚の齟齬の排除だ。

 歩み寄るべきは大人からだけじゃない。

 子供だって相応の姿勢を示すべきだ。


「これからもお願いします母さん」


「……」


 バラバラと本が床に落ちる音が聞こえた。

 ちらっと見あげるとシェイナは口に手を当てて泣いていた。


「……うんっ」


 涙がほっぺに触れた。

 後ろに回された腕にこもる力が少し痛い。

 泣かせてしまったと少し後悔するが、

 これも大きくなって振り返ればいい思い出だ。親も子も。



読了ありがとうございます!!

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