仮面舞踏会の青年
前回のあらすじ
主人公キャロライナが恋した相手は仮面舞踏会で出会った青年──ライバルのウィリアムだった。
十六になって、まだ婚約者もいないわたくしはとても焦っていた。周りは婚約したり、恋人がいたりと大人の階段を登っている。
わたくしだけ、取り残されたみたいで不安だったの。
お母様もお父様も『恋に恋する年齢なのは分かるが、まずは年相応の落ち着きを得てから』とお見合いもさせてくれないし、フレデリックお兄様に至っては『キャロライナに恋愛は早すぎる』と釣れない返事。
幼馴染兼ライバルのウィリアムに至っては、『失恋したら相談に乗ってやるからな』なんて言って生暖かい視線を向けてくる。恋愛経験ない癖に!
みんな、一体わたくしをなんだと思っているのかしら。
そんなある日、わたくしは気づいたの。
今のわたくし、絶望的に恋愛の経験値が足りないわ。
学園でも、男の人と話す機会はないし、ずっと狭い交友関係の中でわたくしは生きていたの。
お兄様やウィリアム、お父様はたしかに異性ではあるけれど、家族や古い知り合いのような関係。これはよくないわ、コミュニケーション能力が欠如しちゃう。
ただでさえ少ない恋愛経験、そこにコミュニケーション能力の欠如が加わったらもう目も当てられない。だから、わたくしは思い切って友人のペトラに誘われていた仮面舞踏会に参加することにしたの。
仮面舞踏会、別名マスカレイド。
お互い素性を隠して参加する、妖しげな夜の舞踏会。昔は政治の場だったそうだけど、今は若い男女の出会いの場になってるそう。
顔が見えないから、初めての異性でも緊張しないはず。
ペトラと一緒に綺麗な青のドレスをレンタルして、精一杯おしゃれしたわたくしは仮面を着けて勇んで会場に向かったの。
劇場のホールを貸し切って行われる仮面舞踏会。
そこは凄く煌びやかで、華やかで、一目見て分かったわ。ここはわたくしにはまだ早い場所だったの。
あちらこちらで妖しげな雰囲気を醸し出す男女、女女、男男。危険でアダルトな官能の気配がするわ。それを見たわたくしは、口元を両手で押さえる。
「はわわわ、カーテン裏に一組のご婦人が消えていったわ……!」
まだダンスの時間が始まっていないのに、会場の外へ出ていく人の姿がちらほら。大人だわ、大人のめくるめく恋が繰り広げられているわ。
友人のペトラは婚約者と一緒に華やかな会場の中心でお喋りに興じている。その親しげな空気を邪魔するのも忍びなくて、そっとその場を離れる。
場の雰囲気に呑まれて、すっかり疲れてしまったわたくしは会場の端っこへ。
なんだか、この場にいるだけで疲れてしまったわ。お兄様の言う通り、わたくしに恋愛はまだまだ早かったみたい。何か飲み物でも飲んで、頃合いを見て帰ろう。
そう思った矢先の出来事だった。
ファンファーレと共に、舞台上にいた楽団が演奏を始める。
くるくるとホールを踊り始めるペア。
わたくしも社交ダンスの練習はしたけれど、相手がいなきゃ意味がないのね。これも今日、初めて気がついたわ。
「「……はあぁ」」
思わず吐いたため息が、偶然にも隣の人と同じタイミングだった。
隣を見ると、その人はわたくしよりもやや背が高い青年。赤いジャケットにキラキラの仮面が顔を覆っている。仮面の下に覗く目は冷たい青色をしていた。
どこかで見かけた事があるような気がするけど、わたくしの知り合いに仮面舞踏会を良く言っている人はいなかった。きっと気のせいでしょう。
私の視線に気づいて、青年も私をじっと見る。
「あは……どうも……」
視線が合ったので、とりあえず挨拶。
青年は小さく何かを呟いて、それきり会話が途切れる。不思議と沈黙が苦にならなかった。
「──あ、あの、一曲、よければ……」
今にも消えそうな声で青年が囁く。
「僕と、踊ってはいただけませんか……?」
あまりにも真剣な眼差しをしているものだから、わたくしは息をすることも忘れて思わず頷いた。差し出された青年の手に、わたくしの手を重ねる。
二曲目が始まると同時に、わたくしたちは踊り始めた。初心者向けとしてよく扱われる、有名なスローテンポの曲だ。
青年は社交ダンスに慣れていない様子で、おっかなびっくりとわたくしをリードしている。
「あなた、こういう場は初めて?」
「っ! 実は、初めてなんです。あまり、こういう催しに参加した事がなくて」
「わたくしもなの。なんだか気後れしちゃって」
「誘ったのは迷惑でしたか?」
わたくしは「まさか」と否定して、仮面越しでも伝わるように精一杯の笑顔を浮かべる。
「一人で退屈していましたの。誘っていただけて嬉しいですわ」
「そうか、そうか。それは良かった。勇気を出して誘ってよかった」
わたくしがキョトンとしていると、青年は続けて言った。
「貴女のような素敵な人とダンスができて光栄です」
「ま、まあ!」
青年の言葉に、わたくしの顔が一気に熱くなる。男の人に、世辞でもこんなことを言われたのは初めて。
「ずっとこの曲が続けばいいのに……」
「それなら、次の曲も踊ればよいでしょう?」
わたくしがそう提案すると青年はひどく驚いた顔をして、それから確認を取るように小声で囁く。
「いいのかい?」
それがまるで親に内緒でおやつを買う子供のようで、なんだか面白い。わたくしはクスクス笑いながら「もちろん、疲れるまで踊りましょう」と返す。
ちょうど二曲目が終わり、照明の色合いが強い赤へ変わる。
「それでは、もう一曲僕と踊ってください」
「ええ、喜んでっ!」
そして三曲目が始まった。
これまでのしっとりとした優雅な曲とは打って変わって、少し足運びが難しいダンス。すっかり打ち解けたわたくしたちは、お喋りをやめて意識を集中させる。
くるくる、くるくる、くるくるり。
シャンデリアで煌めいたホールに、情熱的なメロディを背景にダンスのリードを取る青年。視線がかち合うと、彼はふっと笑みを漏らした。
ああ、どうしましょう。
わたくし、名前も知らないこの人のことを、好きになってしまいそう!